タットヴァの写本(6)
「……あの、その……」
トワはテジャスとアパスの前で恥ずかしそうに口籠る。
「なによ」
「なんですか」
二人は怪訝な表情を浮かべて、トワを見つめ返す。
「あのっ! わたしとっ! …………その…………」
意を決して声を張り上げるが、すぐに消え入りそうな声で口をもごもごさせる。
「なによ!」
「なんですか!」
二人はいらいらしながら、トワに聞き返す。
「わっ、わたしとっ! 友達になってくださいっ!」
トワはもうどうにでもなれとやけくそになって叫んだ。
「へ?」
「は?」
二人は何言ってんだこいつといった顔で呆然となる。
「おい……」
居た堪れなくなったナユタが、割って入ろうとするが――
「今すぐ認めてください! テジャスはもう友達だよね! アパスもいいよね!」
トワは必死になって二人に迫る。
「はあ? 何言ってんのよ。はっ! 今更同情引こうったって無駄だかんね!」
「そうです。私達は敵同士。それにあれはもう私達にも止めることはできません」
その気迫に二人は気圧されて、後ずさる。
「はあー。だめかー。でもまあいいや。何とかなるかな」
トワはがっくりと肩を落とすが、くるりと踵を返すと、黒い渦に向かって歩き出す。
「ちょっと、何なのよ!」
「理解不能」
二人は釈然としないままトワの背を目で追う。
「解本――」
そしてトワは再び聖典を手に取り、エーテライズを開始する。
「何を――」
「相殺することなどできないはず」
二人は辺りを見回す。既に相当量の赤いエーテルが降り注ぎ、大地を赤く染め始めている。もはや手遅れだ。この地が正常に戻るには相当の年数を要するだろう。
「時間――」
トワは左手を空に掲げ、目を瞑り、思い描く。
まだ二人と紡いだ時間は極僅かだ。でも彼女達が――写本の犠牲になった魔女達が神滅の魔女に抱いた怒りはずっと長きに渡る。それで十分すぎた。
「空間――」
その二人は今ここにいる。テジャスはまだ六歳と言っていた。アパスも同じだろう。オルラトルでの彼女達の生活を全て見たわけではないが、それでもその地に刻んだ影響は計り知れない。
そう彼女達はとっくにこの世界と深く関わっているのだ。縁がないはずがない。
本当は仲良くなった上で縁を結びたかったが、怒りも憎しみも強力な縁には違いない。今はそれで我慢しよう。
「……ナユタ。きて」
トワは空を見上げながら、恥ずかしそうに小さな声で囁いた。
「……なんだよ」
ナユタもばつの悪い顔をして、トワの横に近づき、並び立つ。
「その……さっきは、ごめん。ナユタはナユタだもんね」
そしてトワは謝った。イツカと呼んでしまったことを深く詫びた。
「別に気にして……るけど、そんだけ大事な奴だったんだろ?」
ナユタも少し強く言い過ぎたと反省して目を逸らす。
「うん……それで、どうしてかわからないけど、この聖典は不完全。ナユタと一緒じゃないとうまく発動できない」
トワは今まで聖典を使いエーテライズをおこなってきた場面を思い出す。竜やテジャスとの戦い、先のアパスとの戦い。全てナユタが一緒にいた。それは彼がイツカだからだと思っていたが、そのままの気持ちではこれからやることはきっと上手くいかない。
「――そうか」
それは当然ナユタも気が付いていた。この本が自分と何か深く関係しているものだということも。だがそれを知るのが怖かった。自分が自分でなくなる気がして怖かった。
「ナユタ。手を――」
そしてトワは右手を聖典にかざしたまま、左手をナユタに向かって伸ばした。
「……ああ」
ナユタは言われたまま自らの右手を伸ばし――かけたところで一瞬静止する。
この手を重ねれば、きっと自分の記憶を見られてしまう。もしかしたら自分が知らない記憶――イツカの手掛かりを掘り起こす気なのかもしれない。それは嫌だった。
「……実はわたしも本当はこの世界の人間じゃないんだ」
「えっ?」
そんなナユタの躊躇を見抜いたかのようにトワは話し始めた。
「いや、この世界で生まれたんだけど、魂はもっと前から生きてたっていうか。その……」
そして転生していることをどう説明したらいいか言葉をさ迷わせた。
「何言ってんだよ?」
ナユタは困惑して、呆れて、そして笑った。
「これからしようとしてることは、自分がちゃんとこの世界の一員であることを自覚してないと上手くいかない。だからナユタも自分のことを信じてほしい」
「!」
その言葉でナユタはトワがしようとしていることが何なのか理解した。
あの赤いエーテルは世界の異物を排除するために反転したエーテルだ。
ならばその異物が異物でなくなってしまえば、再び反転し元の青いエーテルに戻せるはず。
そのためにトワは自身と二人の魔女との縁をもってそれを証明しようとしているのだ。
「わたしはこの世界で出会ったナユタを信じる。イツカ君は関係ない。ナユタの力を貸してほしい!」
そしてトワは再び手を振り上げ、ナユタに向かって伸ばした。
「ああ、わかったよ! 仕方ないな!」
そうまで言われたらもう信じるしかなかった。たとえ自分が何者であろうと今目の前にいる少女を助けられるのは自分だけだ。それだけは絶対に譲らない。
ナユタはトワの手に自分の手を重ねると、しっかりと指を絡めた。
「記憶!」
トワは祈るように目を閉じ、記憶を紡ぐ。
自分とナユタ、そしてテジャスとアパス。まだそれぞれの縁はできたばかりだ。しかしその一人一人が世界に根付かせてきた記憶、縁は、そこから無数の人や物、時や空間に繋がっていく。人はただ世界にいるだけで世界と一つに繋がれるのだ。
「まさか本当に――」
「エーテルを反転させられるというの?」
テジャスとアパスは上空の黒い渦の流れが変わっていくのを感じる。
降り続けている赤いエーテルの数が減っていき、やがて止んでいく。
そして既に降り落ちたエーテルが浮かび上がり始め、その色を青く反転させていく。
「(ああ、懐かしい感じだ)」
ナユタはその浮かび上がっていくエーテルに温かさを感じる。
そしてトワの方を見ると、トワも目を開き、ナユタの方を見つめてはにかんだ。
美しいと思った。この少女を助けるために自分はいる。初めて会った時に感じた予感は間違っていなかった。
「結本!」
トワは右手を振り上げ聖典を空に掲げながら宣言する。
すると黒い渦は歪み、二つに分かれ、それぞれ鳥の形になり、そしてぽんっと音を鳴らして赤い本、青い本となって空から降ってくる。
「おっとと」
「あわわ」
元に戻った二冊の写本はテジャスとアパスの手元に落ち、二人は辛うじてそれを掴み取る。
「何とか元に――もどせ――た……」
トワは写本を恐る恐る確認している二人を見て、安堵しながら息を吐き、そして目を瞑りながらふらりと倒れかかる。
「おいっ!」
すかさずナユタが抱き止めるが、既にトワは意識を失い、眠ってしまっていた。よほど疲れたようだ。
「まったく、無茶しやがって」
ナユタも安堵して息を吐く。だがすぐに鋭い視線を二人に投げかける。
「それで――まだ続けるのか?」
トワを片手で抱きながら、もう片方の手には短剣が握られている。
「どうしよっかなー?」
「待ってくださいテジャス。敵の手に落ちてエーテライズされた写本を使うのは危険です」
まだまだ遊び足りないテジャスと、万全を期そうとするアパス。
睨み合う三者の間を、まだ消えずに漂う青いエーテルが空に向かって流れている。
そこへ――
「そろそろ喧嘩はやめてほしいかなー」
呑気な声音の女性の言葉が緊張を破る。
「!」
ぎょっとした三人が一斉に振り向く。
そこには花柄のあしらわれた奇妙な黒いローブを着た、黒髪の女性がいた。
「バステト!」
その姿を見て、誰よりも早く声を上げたのはナユタだった。
三年前に別れた時のまま、その魔女は流れるエーテルに包まれながら、恥ずかしそうに頭を掻いた。




