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タットヴァの写本(5)

「くっ……だめだ。エーテルが集まらない……」

 トワは必死に周囲から赤いエーテルを相殺するためのエーテルをかき集めようとするが、ままならなかった。

 大半のエーテルはあの渦に吸い込まれ、赤いエーテルに反転させられた。あれを止めるだけのエーテルを用意することができなかった。

「もう一度――」

「もうやめろ!」

 再び試みようと振り上げた手をナユタが掴んで止めさせる。

「どうしてじゃまするの! イツカくん!」

 トワは思わずイツカの名を叫んでいた。

 言ってからはっと気付き、気まずそうに顔を伏せる。


「俺はイツカじゃねえ! ナユタだ! 俺を見ろ! トワ!」

「!」

 ナユタは掴んだ腕を強く引き寄せ、トワを無理矢理立たせる。


「――落ち着け。な?」

 そして顔を間近に優しく声をかけた。

 トワは真っ直ぐにその深く青く煌めく瞳を見つめて、初めてナユタの顔をちゃんと見たことに気が付いた。

 この人はイツカくんとは違う。初めてそう思えた。


「…………うっ、うん」

 トワは何故か恥ずかしくなって顔を逸らすと、掴まれた腕をゆっくりと下ろす。

 その顔はわずかに紅潮していた。


「――それで、どうする? 逃げるか? あいつらが邪魔してくるなら俺が引きつけるが」

 ナユタは短剣を構え、魔女二人を睨みつける。

「……その前に試してみたいことがある」

 トワは黒い渦を見上げながら、静かに応えた。

 まだ胸の痛みは消えない。だがずっとずっと楽になった気がする。不思議な感覚だった。そして冷静になれた。


 降り続ける赤いエーテルを全て相殺するエーテルを用意するのは不可能だ。ここの図書館の本全てを使えばあるいは可能かもしれないが、それだけは絶対にしたくなかった。

 ならばあの赤いエーテルを再び元のエーテルに戻せばいい。

 この町から集めたエーテルを反転させたというなら、その逆も可能なはずだ。

 だがそのためには記憶が足りない。あのエーテルを反転させる根源となる記憶メムワールが。


「……」

 トワは聖典を腰のホルダーに収めると、無言でテジャスとアパスの方へとずかずかと歩み寄る。

「えっ? おっ、おい――」

 思いもよらない行動に出遅れたナユタは、慌ててトワの後を追う。

「な、なによ!」

「私達をどうこうしても、もう止まりませんよ?」

 それは二人も同様で、困惑の表情をトワに向ける。


「ん」

 トワは二人にそれぞれ両手を差し出した。

「へ?」

「な、なんですか!」

 意図がわからず二人は素っ頓狂な声を上げて後ずさる。

 だがトワは意に介さずさらに歩み寄り、二人に強引に握手する。

「あっ」

「まさか!」

 そこでようやくトワの意図に気付いた二人は、慌てて手を離そうとするが、トワはがっつりと掴んで離さない。その数秒あれば十分だった。

 テジャスとアパス、二人の記憶を読み取るには――



 オルラトルの第三研究塔の地下棟の培養槽。

 そこが二人の最古の記憶だった。

 タットヴァの写本計画――それはオルラトルの神器たる聖典の写本を作り出す計画。

 聖典は神の目録を開き、あらゆる知識を集め、因果を辿り、世界のあり方すら変えることができる正に神の御業を体現した書物だった。

 しかしオルラトルの全ての魔女、魔女王をもってしてもそれを扱える者はいなかった。

 ただ一人――神滅の魔女を除いて。


 神滅の魔女とはオルラトルの国ができるよりももっと昔から語り継がれている魔女で、唯一聖典と心を通わせ、その力を使うことができると言われていた。

 しかしその危険性故に同胞の魔女からも恐怖され、追放され、幾重もの永劫の魂の呪いをかけられた。何故なら彼女は何度死んでも転生し、世界のどこかに再び生まれ落ちるからだ。

 魔女達は聖典を奪い、封印した。そして聖典の力を分散した写本を生み出すことで、魔女達でも神の目録を開く道を探し始めた。


 テジャスとアパスは炎天と雨天の写本に適合するために「調整」された魔女だった。

 幾千の魔女達が犠牲となり、写本と適合できた魔女は数人のみだった。

 幼い二人には適合前の記憶――だけでなく人と世の関係性全てがなくなっていた。

 写本自体がこの世の理から外れた存在で、その使い手達も同様に世界の理、すなわち神の目録に名を記されていない存在である必要があったからだ。


 そして二人は既に写本と適合していた雷天、土天、夜天の三人と共に、魔女アヌビスの塔士として盗まれた聖典及び、神滅の魔女の捜索に出ることになる。



「――わたしが、その神滅の魔女なの?」

 記憶を読み取り、手を離したトワが静かに尋ねる。

 読み取った記憶からは、その後二人が如何にして写本を使いこなし、今に至るかが垣間見えた。それは一言では言い表せない壮絶な過去であった。

「あんたが望もうと望まないとね」

「その聖典を扱えることが何よりの証拠です」

 そんな彼女達が今日まで生きて来られてきたその原動力、根底にあるのは「怒り」だった。

 聖典という手に余る力を制御するために作られた写本。

 そんな贋作のために数多くの同胞、自らの全てを失った悲しみ、苦しみ、悔しさ、そして怒り。その全てが真作たる聖典――その使い手である神滅の魔女に向かうのは当然のように思われた。


「……」

 トワは瞳を閉じ、苦悶の表情を浮かべ、両拳を強く握りしめる。

 何故こんなことしてまで聖典を、神の目録を手に入れようとするのかわからなかった。


 七星アヌビスが何を目指しているのかわからなかった――


 トワは瞳を開け、ゆっくりと大きく息を吐き、力を抜いた。

 まだ胸の痛みは消えない。もしかしたらこれがその魔女達の恨みの積み重なった魂の呪いなのかもしれない。だが今はそんなことはどうでもいい。

 二人の記憶を見て、あの赤いエーテルが何故生まれたのか理解できた。

 前世のオルラトルの時計塔でイツカが神の目録を開きかけた時、言った言葉。


『そうだ。あっちの次元とこっちの次元を繋ぐものがエーテル、時を繋ぐ因果であり、言わば縁のようなものだ』


 神の目録と繋がり、開くためには膨大な記憶が必要だった。記憶とは縁、人と人、人と世界を繋ぐ関係性全てだ。

 ではその縁を全て断ち切られた写本の魔女達が、神の目録を開こうとすればどうなるか。

 本来世界に存在するはずのない異物を排除するために、集まったエーテルは赤く反転し、無かったことにしようとする。

 トワが読み取った記憶の限りで理解できたのはここまでだった。

 だがこれで対処する方法は見えた。

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