竜と魔女(5)
真夜中の教会のツイの自室。
寝巻き姿のツイはベッドの上でぼんやりと寝転がっていた。枕元には赤い本がある。
既に灯りの火は消え、窓から差し込む星灯りだけが部屋を仄かに照らす。
テジャスとナユタは別の部屋で寝ている。三人一緒だとまた問題を起こすとイスラに思われたからだ。幸い教会内には帰りが遅れた子供達がいつでも寝泊まりできる部屋がいくつもあった。
結局三人は起こったことの概ね全てをイスラに話した。
竜の襲撃、逃走からの撃退。テジャスの襲撃、ツイが魔法を放ち撃退。
どれも信じ難い話ばかりだが、イスラは何も言わずに最後まで聞いていた。
そして全員黙ったまま軽く食事をして、それぞれの部屋で身体を拭き、着替えて今日のところはもう休むことになった。
テジャスとナユタも黙ってイスラの言うことに従った。テジャスが大人しかったのは意外だった。
「ふう……」
ツイは天井を見上げながら、深く息を吐いた。
今日一日で全てが変わってしまった。
まず前世の記憶を取り戻した。きっかけはあの少年と手を重ねエーテライズを発動した時だ。それがイツカを使いエーテライズするのと同じ感触だったからだ。
正直まだ記憶の整理が追いついていない。九年間もこの世界で暮らして、前世の記憶はまるでどこの本棚にしまったのか忘れた本のように。
だが彩咲トワが何のためにこの世界にやってきたのかは、はっきりと思い出した。
相馬イツカを取り戻すためだ。
しかしナユタにはイツカとしての記憶はなかった。
彼は物心ついた時からバステトと旅をして暮らし、三年前に別れたという。
そしてテジャスによれば九年前に聖典を盗み出した魔女もバステトで、その話は前世でアヌビスが話していたことと一致する。
つまりこの世界の相馬ケイ――バステトは九年前に魔女の国の時計塔から聖典を盗み出し、ナユタに作り替え、魔女達から一緒に何年も逃げ続けていた。ということだ。
「デューイ」
ツイは小さな声でその名をささやく。
しかし前世で記憶を取り戻した時には駆けつけてくれた愛猫は現れなかった。
森から教会に帰る途中でも何度か試していたが同じだった。
「はあ……いっしょにいるって言ってたのに」
ツイは前世の最後に神の目録で聖典が一人じゃないと言っていたことを思い出して、がっかりする。
そして枕元の赤い本を寝たまま開く。
この本も謎である。自分のエーテルキャットなのは間違いないが、そこにはイツカや聖典の意識は感じられない。テジャスに抜け殻と言ったのはそのためだ。
それに彼女が持っていた魔法書がこれと瓜二つなのも気になった。ナユタがタットヴァの写本と言っていた。もしかしたら聖典は何冊もあるのかもしれない。
ぱらぱらと頁をめくり、ふと、今までずっと読めずにいた頁に目が止まる。
『これを読めているあなたへ。この世界はとても素敵です。知れば知るほど、私はわくわくしました。あなたもこの世界が気に入って、ここで生きていくことに喜びと幸せを見出したのなら、それを止める権利は誰にもありません。この本のことは忘れてそのまま生きてください。ただ、それでも守りたい、取り戻したい何かがあるのなら、探してください。私は私のままで待っています』
それは日本語で書かれていた。記憶を取り戻したことで読めた。
そしてその筆跡は相馬ケイのもので間違いなかった。前世のオルラトルの図書館で見たケイの遺した百科事典の記憶が蘇る。
「やった!」
ツイはがばりと起き上がると、興奮して開いた本を両手で掲げながらベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねる。ちゃんとヒントを残しておいてくれた!
探そう。魔女バステトを!
「なんだい、はしゃいじゃって。眠れないのかい?」
そこへロウソクの燭台の灯りを持ったイスラが笑いながら部屋に入ってくる。
「あ――」
ツイは我に返り、恥ずかしくなって本を閉じ、ベッドの上に正座になる。
「様子がおかしかったからね……まだ話してないことあるんだろ? 言ってみな」
イスラは灯りを机の上に置くと、ベッドの上に座る。
「……」
ツイは言葉に窮した。さすがずっと一緒に過ごしてきたイスラだ。全部お見通しだ。
「まるで別人になったみたいだからね。眼鏡もしてないし」
「あっ……」
ツイはずっと眼鏡を外していたことをすっかり忘れていた。
「あの魔女の子のおかげかね? 自信を持つのは悪いことじゃあないが……」
イスラは胸中複雑といった顔で苦笑する。
そんな彼女を見てツイは安心すると同時に、記憶を取り戻してしまった以上、もう元の自分には戻れないことも悟ってしまった。
「……イスラ、聞いてほしい話がある」
ツイは全て話した。
先の三人の話では触れなかった自身の転生についてだ。
自分は前世では日本という国の彩咲トワという人間だったこと。
魔法司書として相棒の相馬イツカを取り戻すためにこの世界に転生したこと。
そしてその手がかりを魔女バステトが握っていること。
「……」
イスラは最後まで黙って聞いていたが、最後の魔女の名前を聞いて一瞬眉をひそめた。
「……イスラ?」
ツイは正直しまったと思った。そういえば前世でもハルとウララに話した時、同じような反応だったことを思い出した。やはり信じろという方に無理がある。
「……九年前、お前をここに預けた魔女がバステトと名乗っていた」
「えっ?」
知らなかった。その時のことをイスラはずっと話したがらず、いつしかお互い禁忌の話題となっていた。
「追われていると言っていた。だからお前を匿ってほしいと」
「……」
イスラは淡々と続けた。灯りに仄かに照らされたその顔からは感情は読めなかった。
「そしていつの日かこの子が運命を知ることがあれば、その時は自由に決めさせてほしいとも」
「……」
ツイは何も言えなかった。その声がわずかに震えていることに気付いた。
「まさか転生とか言い出すとはね」
イスラはそれを隠すように声を張り、笑って見せる。
「ごめんなさい……」
考えるよりも先に、まずその言葉が口から出た。
「謝るんじゃないよ。覚悟はしていたさ。いつかこういう日が来ることは。行かなきゃならないんだろ?」
「…………うん」
ツイは断腸の思いで答えた。
九年間は思い出を積み重ねるには長すぎた。前世の時といい、どうしてこう自分は思い出すのに時間がかかってしまうのか。
聖典に書かれていたケイの言葉を思い出す。
きっとこのままこの世界でツイとして生きていく道もあるのだ。イスラと共に教会で暮らし、いつかイスラの跡を継いで自分がここを守っていく。魔女であることを町の人達が認めてくれるかは大変そうだが、きっと乗り越えていくこともできるだろう。
だが思い出してしまった。
自分はこの世界に強い願いを持ってやってきた。大切な人を取り戻すために。
それは成さねばならない。
いや未来は決まってなどいない。自分の手で選び取らなければならないのだ。
「イスラ……ごめんなさい」
ツイは今にも涙が溢れそうになり、イスラに抱きつく。
「いいよ。お前の人生だ。好きに選び、生きればいい」
イスラもツイを強く抱き締める。
その瞳の端から零れ落ちた涙が、ツイの頬に落ちる。
ツイはそれに気が付かないように、自分が流した涙だと思い込むために、泣き出す自分を止めなかった。声を上げ、イスラの胸に顔を強く押しつけた。
今だけは、最後だけは、強い母イスラの子、弱虫なツイでいるために。




