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竜と魔女(1)

 教会から森の中の坂道を下り、町へやってきたイスラは町内会議の行われる町長の館を目指す。

 町は今日も活気に満ちており、並ぶ露天では買い物客で賑わう。この町は北の都への通過点ともなっているため、町の住人だけでなく、旅人や行商人も多く見られる。故に移住者も多く、それが古くから町に住む人々との軋轢を生むことが多く、今日の議題もそれに関係していた。


「おう、イスラ! いい葡萄が入ってんだ。買ってってくれよ!」

 多くの人で賑わう喧騒の中、果物屋の店主がイスラに怒鳴りかける。

「ああ、帰りにな!」

 イスラも負けじと怒鳴り返す。

「あ、イスラだ! 遊ぼうよ!」

 今度は町の子供達がイスラを見つけて呼びかける。

「悪いな、今日は仕事があるんだ。また今度な!」

 イスラは次々と集まってくる子供達を諭し、解散させる。彼らはもう教会の学習塾は卒業済みで、町の学校に通っているが、イスラとはずっと懇意にしていた。

 このように彼女は町の人々からの信頼厚く、親しまれていた。しかし――


「あれが……」

「魔女の子を匿ってるっていう……」

 建物の影から婦人達の囁き声が聞こえてくる。

 そうは思っていない者も少なからずおり、それがイスラの悩みの種の一つではあった。

「……」

 だがイスラは気にするでもなく素通りする。これは先代のシスターも通った道だ。その姿を間近で見て育った彼女にとっては日常茶飯事だった。


 露天通りを抜け、町長の館への近道となる路地裏に入る。居酒屋が立ち並ぶが、昼間はまだ開店準備中で、人影もまばらだ。あまり治安のいい場所ではないが、町馴染みのイスラには関係のない話だ。


「ねえねえ、おねえさん!」


 不意に声をかけられた。

「あん?」

 振り返るとそこには少女が一人立っていた。

 歳や身長はツイと同じくらいか少し幼く見えた。燃えるような真っ赤な長い縮れ毛に、赤いローブ――貴族が着ているような豪奢な金の装飾がついた――を着ている。

「こんなババアを捕まえておねえさんたあ、嬢ちゃん、こんなとこいるとあぶ――!」

 イスラは少女と目線を合わせるために腰を落とし、諭そうとして絶句する。


 少女の瞳は赤かった。


「あははっ、魔女なんてめずらしくないでしょ! あたしはテジャス! よろしくね!」

 少女――テジャスは無邪気に笑って、その場でくるりと回ってみせた。

「――魔女様が私に何の用だい?」

 イスラは表情を崩さすに笑って尋ねた。少女が魔女なら年齢はわからない。魔女は長命なので見た目通りではない。おねえさんなどと呼んだのは魔女からすれば普通の人間の老婆など子供に過ぎないからだ。


「さっきぃ、話し声が聞こえたんだけどぉ、おねえさん、魔女をかくまってるってぇ」

 テジャスはわざとらしく子供っぽい喋り方で尋ねるが、その赤い瞳は全く笑っていなかった。

「さあねえ、私は塾やってんだ。そういう子もいるかもね」

 イスラは顔色ひとつ変えずにおどけて見せた。何か危険な気配を感じ取っていた。

「へえ、隠すんだ。じゃあ、ちゃんと名乗っておいた方がいいかな」

 テジャスは不服そうに口を尖らせると、再びくるりと身を翻して回ってみせる。ローブがまるで火の粉を散らすように赤く煌めく。


「あたしはタットヴァの魔女が一人、炎天のテジャス! あたしたちは時計塔から逃げた魔女を追っている。隠したっていいことないよ!」

「!」

 イスラは今度こそ驚愕の表情を浮かべ、息を呑む。

 彼女が魔女の国の最高位、時計塔の魔女ということに驚いたのではない。


 彼女がローブから取り出したその赤い本が、ツイのものと瓜二つだったのだ。



 森の中をツイは走っていた。

 滝の前で竜と対峙し、一目散に森の中に駆け込んだ。

 それほど大きな竜ではないが、木々が邪魔して入って来られないと考えたからだ。

「イスラが言ったのはこのことだったんだ」

 ツイはイスラが滝には近づくなと言っていた意味がようやくわかった。冬を前にしたこの時期は竜にとっても巣ごもり前に食料を集める時期だったのだ。

 竜の出現自体は珍しくなかった。この辺りの竜は小型の翼竜で、比較的大人しく、刺激しなければ襲われることもないはずだった。

「怒ってるよね……」

 だが巣ごもり準備を邪魔された竜は怒り心頭で執拗にツイを追い始めた。

 森に入れないとわかると飛翔し、森の上を旋回しながら探している。


「どうしよう」

 無我夢中で逃げ出したため今どこにいるのかわからない。少なくとも教会や町からは大きく離れていっていることだけはわかった。荷物も全て滝の前に置いてきてしまった。

 頭上を見上げると木々の隙間の空には、相変わらず竜がぐるぐると飛び回っているのが見えた。おそらく匂いを覚えられてしまったのだろう。

 森の中なら安全というわけでもなかった。何も危険な生物は竜だけに限らない。夜になれば狼が活動を始める。その群れに出くわせば無事では済まない。

 傾き始めた日の向きを見て、どうにか森の中を進みながら町の方角を目指そうと空を見上げた瞬間――


「!」

 竜がその口から火球を撃ち放った。

 火球はツイが向かおうとした先の木々に直撃し、激しく爆発、そして周りの木々に火を点けた。

 踵を返し、逆方向に逃げようとすると、まるでそれを予想していたかのように、その先にも火球が放たれる。

 火はあっという間に燃え広がり、ツイの逃げ道を塞ぐ。

 竜にとってもこの森は生活圏、それを自ら燃やすなどあり得ないと高を括っていた。それほどまでに竜を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。

 少しでも火が回っていない方に向かうが、それは木々の少ない開けた場所を目指すことになる。完全に竜に誘導されていた。


 やっと森を抜けた先は崖になっていて、それ以上先に逃げることはできなかった。後方の森は既に火の海で引き返すことはできない。

 何より煙で目と肺をやられて、もうこれ以上走ることができなかった。


 そして待ち構えていたかのように竜が目の前に降り立つ。

「ははっ……もうだめかも」

 ツイはその場に尻もちをついて、涙の流れる目を閉じ観念する。

 どうしてこんな目に遭うのかわからなかった。自分は竜に嫌われる何かがあるのだろうか。そういえばイスラはいつも森に行くのを良く思っていなかったっけ。こんなことなら今日もいつもの場所で本を読んですぐ帰ればよかった。そしていつものようにイスラが帰ってくるまで夜更かしするんだ。


 そんな思い出に耽溺し始めたツイに、竜はどしどしと足を鳴らして近づいていく。

 そして大きく口を開き、丸呑みにせんと迫る。

「ああ……お母さん。会いたかっ……」


「諦めるな!」


 不意に声がした。直後、竜の悲鳴にも似た叫び声が上がり、その首を捻らせる。

「えっ?」

 煙と涙でくすむ目をどうにか開くと、目の前の竜の瞳に何かが刺さっている。

「来いっ!」

 そして突然腕を引っ張られ、無理矢理立ち上がらせられる。

「ちょっと!」

 ツイはその手を強引に振り払い、そこにいる誰かを見つめた。


 一人の少年がいた。

 歳や背丈はツイとほとんど変わらないように見えた。ぼさぼさの長い黒髪に、黒い外套を羽織っている。その手には短刀が握られていて、同じ物が竜の目にも突き刺さっている。


「だれ?」

 ツイはぽかんと口を開けて少年に問いかける。

「そんなの後だ!」

 少年は空いた手でツイの手を乱暴に掴むと、走り出した。

「でもっ! 森は火がっ!」

 走り出した先は既に火の手が回った森だった。仮に火を避けて進むことができても息が続かないだろう。

「これがある!」

「きゃっ」

 少年はツイの腰に手を回し、抱き寄せると、外套をばさりと翻し、二人共頭からそれを被る。そして火の粉も構わずに森の中に突っ込んだ。


 二人は外套の隙間から見える視界を頼りに、燃える森の中を走り続けた。

 不思議と息苦しくはなかった。まるで外套の中だけは澄んだ空気が流れているようだった。

「これって……」

「ああ、魔法のマント……らしい」

 少年の囁き声が間近に聞こえてくる。落ち着いているようで、その息は荒かった。

「どうして助けてくれたの?」

「そりゃ突然森が燃え出したらな。ったく、せっかく隠れてやり過ごすつもりだったのに……」

 少年は悪態を吐きながら、だがツイが外套から溢れ出ないよう、しっかりと腰に手を回して走る速度を合わせてくれていた。

「……ごめんなさい」

 ツイは素直に謝った。きっと悪い人ではないのだろう。その深く輝く青い瞳を見てそう思った。同じ年頃の男子とこんなに密着したことがなかった恥ずかしさもあったが。

「いや謝んなくていいよ。あの竜が怒ってるの俺のせいだから」

「え?」

「あいつの巣から食糧を盗んだら見つかっちゃってさ」

 少年は悪びれる様子もなく悪戯っぽく笑う。その顔は年相応に幼く見えた。

「はあ? なにそれ! 全部あなたのせいじゃん!」

「だからそう言ったろ! って、こら暴れんな!」

 ツイは謝ったことを後悔して、少年の手を振り解こうともがく。


 言い合いをしているうちに森を抜け、ツイがいた滝の前まで戻ってきていた。

「やっと帰れる!」

 ツイは安堵の声を上げ、外套から顔を出して少年から離れ、新鮮な空気を大きく吸い込み、川の水を飲んでひりつく喉を癒した。荷物もそのまま無事だった。

「……だめだ」

 だが少年は森を振り返り、厳しい顔をして告げる。

「どうして?」

「このまま町へ戻ればきっとあの竜は追いかけてくる。そうしたら町に被害が出る」

 そして腰に刺した短剣を抜き、まだ使えるか確認する。

「まさか……」

「ああ、ここで仕留める」

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