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重なる世界(4)

 柳葉書店の軒先の木の長椅子。トワはそこに座って真っ白な曇天を見上げていた。

 店を出る時に巻いた白いマフラーの隙間から白い吐息が漏れる。

「こいつは降り出すかもな」

 そこへ入口のガラス張りの引き戸を開けてキクヲが出てきて、トワの隣に座る。

「……」

 トワは一瞬横目でキクヲを見やると、また空を見上げた。

「そんな焦るこたあないさ。時間をかけて少しずつ慣れてきゃいい」

「……それじゃだめ」

 キクヲの慰めにトワは空を見上げたままぽつりと、だが強い意志を感じさせる声で応えた。

「なぜだ?」

「……」

 その様子に何か理由があると感じたキクヲが尋ねるが、トワは答えなかった。

「うん?」

 だがキクヲは食い下がる。じっと優しい笑顔で、だがその目は鋭くトワを見つめる。

「……しいから」

 トワはキクヲの方を向き、目が合うとすぐ下を向いて、聞こえないくらい小さな声で呟いた。

「なんだって? 最近耳が遠くてなあ」

 キクヲはわざとらしい声を上げると、耳に手を当てて再度促す。

 トワは顔を赤くして俯き、ぷるぷると身を震わせ、そして突然立ち上がると、キクヲの耳に顔を近づけて大声で叫ぶ。


「く・や・し・い・か・ら!」

 

「のわっ!」

 キクヲは驚きのあまり椅子から転げ落ちる。店の前を歩く人々が何事かと振り返る。

「あっ……」

 トワも周りをきょろきょろと見回し、我に返ると、キクヲの手を引いて立ち上がらせる。

「こりゃ驚いた。思わず腰を抜かしちまったわ」

 キクヲは笑いながら椅子に座りなおす。トワもばつが悪い顔をして隣に座る。

「くやしいってのはイツカのことか?」

 キクヲが尋ねる。今度は真剣な声だった。

「……うん」

 トワは店の前の道路に視線を落としながら、小さな声で答えた。

「だって、イツカくんは、わたしと、おなじくらいには、もう、できたって――」

 そしてたどたどしく言葉を区切りながらその理由を告白した。

「なるほど。対抗心ってわけか」

 キクヲはトワが何故エーテライズを必死に練習するのか理解した。

 トワの母、クオンから二人についてはよく聞かされていた。

 彼女は二人をいつも一緒に育ててきた。

 トワが一人で立てるようになり、言葉を話すようになった頃、イツカも少しずつ言葉を取り戻していった。

 イツカが普通に話せるようになり、自分の身の上を理解できるようになった頃、トワもまるで負けじと追いかけるように急速に自我を形成していった。

 二人はそうして競い合うように成長してきたのだ。

「それに――」

 トワは言いかけて口をつぐむ。

「……」

 キクヲは今度は黙ってその先の言葉を待った。トワの表情からこれは彼女にとって、そしてイツカにとっても大事なことであると直感したからだ。


「わたし、彩咲トワは、イツカくんを人間に戻さないといけない」


 トワは静かに、その言葉を発した。その赤い瞳がわずかに煌めく。まるで別人のように大人びて見えた。

「そうか……」

 キクヲは頷くと、それ以上は詮索しなかった。まだ六歳のこの幼い少女にここまでの決意をさせた理由は想像もつかない。二人が共に過ごした時間がそうさせるのか。

 だが二人の目標が一致していることだけはわかった。

「じゃあもう少し頑張らねえとな」

 そしてトワの頭に手を載せると、優しく撫でた。

「うんっ」

 トワははにかみながら笑った。その笑顔は元の年相応の無邪気な子供の笑顔であった。

「おっと、降って来やがったな」

 キクヲが空を見上げると、ゆっくりと白い雪の結晶が降り始めていた。

「わぁ」

 トワもそれを見上げて思わず感嘆の声を漏らす。白い吐息が上がる。

 キクヲはその様子を見て、あることを思いつく。

「そうだトワちゃん、実は頼みてえことがあるんだ」

「……えっ?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべるキクヲに、トワはきょとんとした顔で首を傾げる。



「おう、待たせたな」

 畳の間に戻ったトワはこたつの前で正座して、しばらく店の奥の書庫で何かを探していたキクヲを待っていた。

 イツカはこたつの上で黙っていた。デューイはイツカの上で丸まって眠っていた。

 キクヲが戻ってくるまで二人は一切言葉を交わさなかった。

「こいつなんだがな――」

 キクヲが持って来たのは厚い古びた和綴じの書物であった。

「これ……」

 トワは受け取るとその本がかなりの年代物であることがわかった。群青色の表紙には何も書かれていないため、何の本なのかわからない。

 開こうとするができないことにすぐ気が付いた。

 その本は一度水に濡れてしまったのか、べこべこに歪んでいて、大半のページがそのまま乾いて張り付いて開かなくなってしまっていたのだ。

「そいつを直して欲しい」

 キクヲは淡々とした口調でトワに頼み込んだ。それは馴染みの友人へのお願いではなく、一人の魔法司書への正式な依頼であった。

『……おい』

 その様子にイツカは思わず声を上げる。まだトワには早すぎる――と。

「……わかりました」

 だがそんな懸念を無視してトワは承諾する。

 キクヲの顔を見て試されていると悟ったからだ。

 もちろんイツカへの対抗心も少なからずあったが。


「デューイ!」

 トワはその本をこたつの上に置くと、イツカの上のデューイに呼びかける。

「にゃ」

 デューイは片目を開けて小さく鳴くと、仕方ないわねとばかりに起き上がり、イツカの上から飛び乗りた。

「書誌検索――」

 そしてトワはイツカの上にそっと左手を乗せると、目を瞑りその本の情報の検索を始める。

「……」

 だが、該当する情報は一つもヒットしなかった。

「そいつぁ自作の日記帳だからな。同じものは二つとねえな」

 キクヲが腕を組みながら声をかける。

「……日記帳?」

「ああ、俺の息子が遺したもんだ。今はどこで何をしてるのかもわかんねえ。もうおっ死んでしまってるかもな」

『なんでそんなものを?』

「あいつは出て行っちまった。この店を継ぐ気はハナからなかった。それはいい。だが嫁と娘も置いて行きやがった」

 キクヲは淡々と話すが、その言葉の端々からは怒りに近い感情が漏れ出ていることをトワとイツカは感じ取った。

「俺ぁはもうどうでもいいが、あの子らが、な。そいつの中身を知りたいんだとよ。最初からその有様で旦那がそんなものを書いていたことすら知らなかったらしい」

「!」

 トワはそれを聞いてようやくこの件が責任重大であることを悟った。

 そして軽はずみで引き受けてしまったことを後悔した。

「……」

 歪んだまま固まって開かない本の小口を恐る恐る指でなぞる。

『……やるぞ』

 不意にイツカが声をかける。

「――えっ?」

 トワは驚いてイツカを見やる。

 今まで全然協力してくれなかったのに、どういう風の吹き回しなのか。

『魔法司書の仕事として引き受けたんだ。やるんだろ?』

 イツカは淡々と問いかける。

 キクヲがトワを試しているのはすぐわかった。そしてトワはそれに受けて立った。なら逃げることはもう許されない。

 もちろんトワへの対抗心も少なからずあったが。


「もちろんだよ!」

 イツカの挑発にトワはあえて乗った。

 その様子を見てキクヲはしめしめとにやりと笑った。二人には見えないように。

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