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重なる世界(1)

 これは夢だ――

 真っ暗な闇の中、音もなく匂いもなく空気の味すらしない、何もない闇。

 この本の身体になってからいつも眠り――と言っていいのかわからないが――に就くと襲ってくる感覚だ。

 おそらくこれが死――いや無の世界なのだろう。

 人がその生命のサイクルから外れた時、行き着く終わりの世界。

 輪廻転生など信じているわけではないが、この身体になってそういう流れ、河のようなものが存在するのだと思うようになった。


 闇の中、今日起こったことを思い出す。

 そうすることで自分が人として生きたことをその身に刻んでおくのだ。

 そうしないと自分が人であることを忘れそうで怖いからだ。人のように喜び、人のように怒り、人のように哀しみ、人のように楽しむ。そうしないともしかしたら自分は最初から人ではない何かなのではないかと思えてきてならないからだ。

 だから記憶メムワールにこだわった。すがった。それが今の自分の全てだからだ。


 あの自分を失くした男が問うた。『君は誰なんだ?』と。

 恐怖した。そして疑念が湧いた。自分は最初からこの本でしかないのではないか。母、相馬ケイが作り出したエーテルキャット、人ではない何かなのではないかと。この身体になる以前の九年間の記憶は実はトワのものなのではないかと。


 だが、それより後、この身体になってからトワと過ごした九年間は確かだ。

 こうして毎日刻んできた九年間だけは絶対に誰にも否定はさせない。

 それだけが自分が生きてきた確かな証であり、人としての自我を保っている最後の砦なのだ。


 闇の中に一筋の青い光を放つ糸のようなものが見える。

 この糸を辿れば再び朝を迎えられる。トワの隣に還ることができる。さしずめ地獄に垂れ下がる蜘蛛の糸といったところか。

 糸を手繰り光に近づくにつれ記憶が戻ってくる。俺は――



 先日から続く曇天の中、霧がオルラトルの町を包み込む。

 新市街の広場にそびえる時計塔の大きな針ががちりと朝を告げる。

 その時計塔の中、イツカは目を覚ました。

『ここは――?』

 見回すとそこは時計塔最上階の整備室だった。

 無数の巨大な歯車がゆっくりと重い音を鳴らしながら回っている。

 イツカはその部屋の床に無造作に投げ捨てられているのがわかった。

『そうだ、トワは!』

 そして自分がさらわれたことを思い出した。

 すると小さな小窓から黒い鳩、ラジエルが翼をはためかせながら入ってきて、黒い羽を床に撒き散らしながらイツカの上に乗った。

『こら、やめろ』

 イツカの呼びかけも空しく、ラジエルは我関せずといった様子で首を左右に振った。

 その落ちた羽が青いエーテルの粒子となって消えていることから、イツカはその鳩がエーテルキャットであることに気付いた。しかも自分とかなり近いものであることを。

 見ると床には脱ぎ捨てられた服とブーツが散乱しており、部屋の隅に毛布にくるまった小さな人影があった。イツカをさらった張本人であるアカーシャだった。

「……起きた?」

 毛布の下は下着姿のアカーシャは、寝ぼけ眼でイツカをぼんやりと見つめた。その姿にイツカは何故か既視感を覚える。

『お前は――誰だ?』

 単刀直入に切り出す。まずは何者かを確認する必要があった。エーテルキャットを伴っていることから魔法司書なのは間違いない。

「……アカーシャ」

 アカーシャは毛布を被りながらもそもそと四つ足歩きでイツカの方へ這っていき、拾い上げる。ラジエルは飛び上がり彼女の肩にとまる。

『何が目的だ?』

 そしてイツカの問いかけを無視して本のあちこちを触り、ページを広げ、中に書かれたコードの羅列を見て首を傾げる。

 イツカの方は身体を弄られて良い気分はしなかった。

「……神の目録を開く」

『やり方がわかるのか?』

 イツカの問いにアカーシャは一瞬鋭い視線を投げかけると、また元の眠たげな瞳に戻り、部屋を見回す。

「……ここならできる。お前はそのための鍵」

 そしてイツカを持ったまま立ち上がると、右腕を前方に掲げ、ぐるりとその場で回ってみせる。毛布がばさりと落ち、その長いエメラルド色の髪が露わになる。

 すると部屋の中から、いや時計塔全体から青い光が灯り、エーテルの粒子が漂い始める。

『!』

 イツカはざわっとした感触に襲われる。リサの書店で感じたものと同じだった。

「……そして姉さんを助ける」

『姉さん?』

 アカーシャは決意に満ちた目で前方を見据える。


「……必ず助ける。シューニャ姉さん」


『!』

 イツカはその名を知っていた。彼女と同じエメラルド色の髪と瞳を持つその女性のことを――



「本当にシューニャと言ったのかい?」

 オルラトル町立図書館の館長室、埃が舞う部屋の中、デスクチェアに座ったアリスが訊き返す。

「……はい」

 その問いに消え入りそうな声で答えたトワは視線を床に落とす。その顔には全く生気がなかった。

「――生き別れの妹か」

 そして図書と書類で埋もれた部屋に呆れた視線を飛ばしながらエメリックが呟く。


 昨晩のリサの店での騒動の後、近隣住人が警察に通報し、二人が図書館に戻れたのはもう夜も開ける朝方だった。

 店の被害についてリサはエメリックのことは話さなかった。何か事情があることを察したからではあったが、今まで盗んだ本は必ず返すようにとエメリックに厳命していた。

 彼の正体について聞かされたアリスはさほど驚く様子は見せなかった。怪盗団の一員であることには薄々気付いていた上で泳がせていたという。しかし彼が九年前の事故に関わっていたどころか、ケイやクオン、自分と同じ大学の先生であったことには驚くと同時に、ケイのしたことへの疑念をより募らせていた。

 アカーシャの言っていた『あの場所』とは時計塔のことだとすぐわかったトワは、イツカを取り戻すべくすぐにでも向かおうとしたが、エメリックがそれを止め、一旦図書館に戻ったのだった。


「妹ねえ……」

 アリスは腕を組みながら考え込む仕草を見せる。

「あの……知り合いなんですか?」

「ああ、シューニャも私の教え子の一人で、研究室の助手でもあった。幼い頃に家庭の事情で生き別れた妹がいるとは聞いたことがある。そのアカーシャという子がそうなのだろう。シューニャは九年前の事故にも巻き込まれて、その後ケイと同じように消息不明となった。私も似たようなものだけどね」

 エメリックがトワの問いに答える。

「九年前に一体何があったんですか?」

 トワは意を決して二人に尋ねる。イツカにも尋ねたことはあるが、やはり覚えていないらしく、その真相は謎のままだった。

「そうだね。あたしらも全てを覚えてるわけじゃないが、きっとあんたにも関係のあることだと思うから、話しておくかね」

 アリスはトワの真剣な顔を見て頷き、話し始める。

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