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神徒(7)

 夢現ゆめうつつの中にいた。

 視聴覚室でデューイがマタタビに夢中になり、あのいかれた少女の言葉を聞いた後、意識がなくなった。

 正直目を開けるのが怖い。悪い夢よりタチの悪い現実がそこにあるに違いない。

 仕事柄、それなりの修羅場を潜ってきた自負はあったが、世界は広かった。いや世界すら凌駕する連中だ。

 人よりちょっと因果が見えるだけの自分が太刀打ちできる相手ではなかった。


 全身が痛い。骨が何本か折れていそうだ。頭の擦り傷から流れる血が頬を熱く濡らす。

 だが身体は凍りついたように動かない。

 人は本当の恐怖に直面した時、ただ身を縮こめてただただ嵐が過ぎ去るのをじっと待つことしかできないのだ。

 そして全てが終わった後、こっそりと起き上がり、命がまだ繋がっている幸運を神に感謝するのだ――いや、その運命の神様が殺しに来てるんだっけか。



「いつまで寝てんのよ! ケイ!」

「にゃあ!」


 その聞き慣れた声の聞き慣れない声音でケイは跳ね起きた。

 目の前では信じがたい光景が展開されていた。

 デューイを足下に連れたアリスが、ホールの中を走り回りながら右手をかざし、飛んでくる何かを粉砕している。

 アリスの手の上で次々と爆発が上がり、青い因子が飛び散るのが見えた。


「あはは! すごいすごい! 運命すら書き換えられるんだ!」

 振り返ると、あのいかれ少女がまるで忍者が手裏剣を飛ばすように、掌の上の見えない何かをしゅっしゅと次々に発射していた。


「あれ食らうとどうなる!」

『存在を消されます! 絶対に避けて!』

 アリスの問いにデューイが答える。少女のような声が聞こえた。


「いったいなにが――」

 ケイはぽかんと口を開けて、目の前で繰り広げられる光景に唖然とする。

 見回すと、舞台のすぐ下に七星アヌビスが泡を吹いて転がっていた。


「あー! もう!」

 何が何だかわからない。だが今自分がやるべきことは、あの子を連れてこの場から離れること。そう直感的に理解した。

 ケイは悲鳴を上げる全身に鞭を打ち、立ち上がると、アヌビスの方へと歩き出す。が――


「あぶない!」

「はい! こっちからー!」

 アリスが叫ぶよりも早く、ショーシャンクはケイに向かって運命の手裏剣を放った。


「!」

 ケイはそれがスローモーションがかかったように目の前にゆっくりと迫って来ているのが見えた。何も見えないが見えた。死すら生温い存在を抹消する神の裁断。ひと吹きで矮小な生き物を全て消し飛ばす絶対運命。


 だが、それはケイの目の前で弾けて霧散した。


「あるええ?」

 目を丸くして驚くショーシャンクが間抜けな声を上げる。

『こいつ! まさか!』

 レッドが戦慄する。


「……」

 ケイはアリスと同じように右手をかざし、その運命を退けていた。

 ケイには見えた。運命のその先にある、ショーシャンクの脇に挟まれた赤い本が――

 先日図書館ホームページの見計らい図書の一覧にあったのと同じ表紙、そして実物を見た瞬間、頭の中のもやもやが全て晴れた。


「あなたはイツカ!」

 巡ってきた幾億の世界の記憶の中、目の前にいるただ一人に向けてその名を呼びかけた。


『母さん!』

 後悔と絶望の果て、何もない魂の奥底に刻まれた使命を呼び起こすその名に応えた。


「ちょっとお! なに盛り上がってんのよお!」

 呼び合う二人にショーシャンクは怒り、今度はもっと巨大な運命を投げつけるべく、大きく腕を振りかぶる。

『待て! これは――』

 だがレッドが制止する。


「えっ? ここって――」

 ショーシャンクは腕を下ろし、辺りを見回す。

 地下ホールにいたはずが、いつの間にか全く別の空間にいた。

 真っ暗な闇、頭上では流星が流れるようにエーテルの波が脈打っている。


「ケイ!」

『ケイさん!』

 既視感のある景色にアリスとトワが同時に叫ぶ。


「うん。神の目録を開いた」

 今まさに世界にエーテルが溢れ出したこの場所でなら、何だって出来そうな気がした。

 蘇った膨大な記憶が頭の中を嵐のように駆け巡っているが、驚くほど意識は爽快だった。


「これ以上こいつらに私達の世界を荒らされたくないしね」

 そしてケイが指をぱちりと鳴らすと、ショーシャンクの脇のイツカが一瞬で青いエーテルに解本され、ケイの掌の中に結本されてばさりと落ちる。


「すごおい! 人間のくせにここまでできるんだあ!」

『ふん。中途半端な位相にすぎん。我らの目指す宙はさらなる次元の高みに――』

 驚きながらも侮蔑の眼差しを向けるショーシャンクと、あからさまに嫌悪感を示すレッド。


「……できればこのままお帰りいただきたいんだけど」

 そんな二人を見ながらケイはため息混じりに提案する。


「んー? それはできないカナー むしろココにアタシ達を連れ込ンダノハ――」

『失策、ダッタナ。我ラヲ、コノ矮小ナ、身体カラ、解放スル、トハ――』

 答える二人の身体から発光が始まる。その声音も人間のものから機械のような無機質なものへと変貌していく。


 ショーシャンクの頭の輪が大きく広がり、腰の羽根も天を指すように伸びていく。

 レッドの頭上にも幾何学模様の輪が浮かび、その背に極彩色の翼が広がっていく。

 そして彼らは溶けるように人と猫のかたちを失い、混ざり合い、顔のない光の巨人の姿へと変化していく。


「神様ともわかり合えると思うんだけどなあ」

 ケイは今まさに顕現しようとしているそれを見上げながら、心底残念そうに呟いた。


「ちょっとケイ! 大丈夫なの?」

『あわわ』

 アリスとトワがその場で尻餅をついて唖然としながら、際限なく大きくなり続ける巨人を見上げる。恐ろしいが不思議と人と猫の姿の時にずっと感じていた畏れはなかった。


「この子らも大事なことを忘れちゃってるのよ。私達と変わらない」

 そしてケイは聖典を左掌の上に浮かべながら広げると、勝手にめくられていく一頁一頁を確認するように見つめて目を細める。

「ここまで、よく頑張ったね」

『……まあ、ね』

 ケイの心の底からの労いの言葉に、イツカは感極まって言葉を詰まらせる。


 巨人がこの世ならざる咆哮を上げて、その光の腕をケイに向かって振り下ろす。

 だがその手はケイに触れることなく、まるでエーテライズされたかのように音もなく解けて青い粒子へと変貌していく。

 巨人はさらに怒りの咆哮を上げ、解けた腕を巻き戻し、何度も何度も繰り返すが、全て同じ結果になる。


「ここはあなた達を閉じ込めるために作ったからね。もうどんな因果をもってしてもそれは覆らない。だから、あとは――」


 ケイがわずかに視線を落とした瞬間、巨人はびくっと身体を震わせ、後ろを振り返る。


「よろしく!」


 そこには巨人をも上回る巨体の青い竜が立ちはだかっていた。

 竜は巨人の首元に食らいつき、いとも簡単にそれを引きちぎる。そして爪を立て、動かなくなった胴体を切り裂き、ばらばらになった手足を踏み砕いた。

 巨人はその竜――ネフティスによってあっという間に蹂躙された。


「はあっ! 無茶振りが過ぎるわよ!」

 残った巨人の残骸をまだがつがつと食らい続けるネフティスの後方から、アヌビスが息を切らせて叫ぶ。

「でも勝てたでしょ?」

 ケイは全く悪びれる様子もなく口笛を鳴らすと、開いていたイツカをぱたんと閉じる。

「まったく。あっちの世界の記憶がなかったらどうなっていたか……」

 アヌビスがぼやきながら手を伸ばすと、ネフティスは首を下げて気持ち良さそうに撫でられた。

 そして満足げに小さくいななくとエーテルに戻って消えていった。


「さて――と」

 ケイはネフティスが食い散らかした巨人の残骸に近づくと、手を伸ばしそこから何かを取り出す。

『それは?』

 イツカが見ると、それはヒビの入ったDVDと、薄汚れた小さな革の首輪だった。


『ぐぬぬぬぬぬぬぬ! ぐやじいいいいいい!』

『何故こんなことができる? 魔法司書とは一体何なのだ!』

 そのDVDと首輪から怨嗟の怒号が上がる。ショーシャンクとレッドの声だった。


「この子らの神器ってとこかな」

 ケイは騒ぎ立てる二体から耳を遠ざけるようにして答える。

「――あなたや聖鏡と同じよ。神はそのままの姿では地上に降り立てないから、こうして物や人に取り憑くしかない。人や猫の姿はそう見せていただけ」

 そしてアヌビスが説明する。


「さっさとぶっ壊しなよ」

 アリスが躊躇なく提言する。殺されかけたのだから当然ではあった。

「うーん。そうすると多分また新しい依代見つけて顕現しちゃうから、このままでいいかな」

 ケイはそう言うと、まだ喚き続けている二体を乱暴にスカートのポケットの中に放り込んだ。

「……まったく」

 アリスは呆れながらも、そんな無法なケイに懐かしさを覚えてわずかに微笑む。

「ネフティスにはあっちの世界で竜の因子を取り込んでるから、神の権能のほとんどは殺せてるはず。力を取り戻すのに数千年はかかるでしょうね」

 アヌビスも成果を出せて満足そうに笑う。


「それより――」

『母さん?』

 ケイは二人を置いて離れて一行をじっと見ているデューイに近づいていく。


「こっちの私で会うのは初めまして、かな?」

 ケイは身を屈め、両手をデューイに伸ばしていく。

「にゃ」

 デューイは逃げずにその手の中に捕まり、ケイに抱きしめられる。


「――ごめんね。トワちゃん。いっぱいいっぱい辛い思いをさせた」

 ケイは謝罪の言葉を口にした。その瞳の端から涙が溢れてくる。


『……いいえ。ありがとうございます。楽しいこともいっぱいいっぱいありました』

 トワも感謝の言葉を口にした。その目を細めてケイの胸の中に顔を埋める。


『やれやれ……』

 両者に挟まれてもみくちゃにされたイツカが、喜色を漏らしながら呆れ声を上げる。

 アリスとアヌビスもこの不思議な三者を見守りながら、自然と笑みがこぼれた。


「あっ……もう限界かも……」

 しばらくそのまま抱き合っていると、ケイは突然声を上げてその場にばたりと倒れた。


 すると神の目録の空間が徐々に薄れていき、元の地下大ホールの光景がだぶって映り始める。

「――元に戻ってるわね」

 アリスが消えていく神の目録から覗くホールの様子を見ながら、不思議そうな顔をする。

 ホールの天井を貫いていた大穴はなくなっていて、散乱していた瓦礫も綺麗になくなり、元の工事中の姿に戻っていた。

「あいつらが力を失ったことで仕出かしたことも無かったことになった。ということでしょうね」

 アヌビスが起こった事象を分析する。


「あー! ここにいた!」


 完全に神の目録が消失し元のホールに戻ったと同時に入口から大声が上がる。クオンだった。

「もう突然いなくなるんだから! あれ――?」

 クオンはホールの中央で倒れているケイに気が付く。


「えっと、これは……」

「ほっときましょ」

 先程まで起こったことを説明するか迷うアリスと、呆れてさっさと帰ろうとするアヌビス。


「ふふっ、やっと仲良くなれたんだ」


 クオンがそっと窺うと、そこにはデューイを抱いて静かに寝息を上げるケイがいた。

 どちらも幸せそうな顔をしていた。

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