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神徒(6)

『さあ人間。扉を開く儀を始めよ』

「――いいのかしら? 聖典が顕現すれば、その瞬間この世界にはエーテルが溢れ出すことになる」

『仔細ない。むしろ終末は早まる』

「……」

 アヌビスはレッドの言葉に眉をしかめる。だが得心が行った。


 未来の自分はそれで失敗した。

 因果断絶結界グリープニルに捕らえられた彩咲トワのエーテルキャット――相馬イツカは自我を失い、神器――聖典として元の神性を取り戻した。

 そしてその原初の聖典をそのままこの世界で取り出した。

 その力はイツカとは比べられないほど強大で、数々の奇跡を起こし、前世よりも圧倒的に早くエーテルを世に知らしめ、それを扱う魔法司書の世界を作ることができた。


 だがそれは世界の均衡を大きく歪めることとなった。

 世界中での異常気象の発生、地震の多発、動植物の生態系の変化、そしてやはり懸念していた通り、魔法司書の適正の有無による人々の差別、迫害――

 その全ての原因が聖典によるものかは人知の及ぶところではないが、だがアヌビスは聖典を地下都市へと封印せざるを得なくなった。


 そして何も知らず普通の人間の子として産まれた彩咲トワを呼び出し、聖典を使うよう仕向けた。神滅の魔女と聖典だけが世界を巻き戻せるからだ。

 だが彼女は相馬イツカを取り戻す道を選んだ。


「……ねえ。その猫の身体は何で出来てるの? エーテルなの?」

『愚問だな。我らが顕現するにはこの地はあまりにも狭隘だ。故にこのような下賎な実存の姿を取らざるを得ない。お前達人間は神器などと言って有り難がっているようだがな』

 アヌビスの問いにレッドは得意げに答える。

「……なるほど。くくっ」

 アヌビスはそれを聞いて顔を伏せ、口元を震わせながらわずかに笑い声を漏らす。

『なんだ?』

 レッドはあからさまに不快な声を上げ、アヌビスを睨みつける。


「そうか、とっくに――」

 アヌビスはゆっくりと両手を持ち上げていき――


「溢れていたんじゃないか!」

 胸の前でぱんっと拍手する。


 アヌビスの後背頭上の空間が歪み、そこからエーテルで構成された巨大な青白い竜の腕が飛び出してくる。

『なっ!』

 その手は凄まじい勢いでレッドを鷲掴みにし、高く持ち上げる。


「やり方を思い出したおかげで練習なしで開けたわね。まさか自分で張った結界のせいで気が付けないとは。久しぶり、ネフティス――いや初めましてかな?」

 アヌビスはその腕を愛おしそうに見上げて呟く。様々な世界の自分が記憶を受け継いで完成させたエーテルキャットだ。今なら全身だって構築できるが、結界のせいでエーテルが足りない。


『醜い紛い物の竜如きが! こんなものすぐにでも――』

 ネフティスの手の中でぎりぎりと締め付けられながら、レッドは悪態をつく。

 だがその声とは裏腹に何も起こる気配はなかった。


『――なんだと? なぜ消えない?』

 レッドは目の前の竜の存在の因果そのものを消し去ろうとした。だがそれは叶わなかった。

「あっちの時計塔であなた達のお仲間と戦った経験が生きたわね。やはり結界は神にも有効。あの時は先に壊されたのが失敗だったわ」

 アヌビスは手を顎にかけて、思案するようにぶつぶつと呟きながら自らの記憶を辿る。


『おのれ――』

「そのまま封印させてもらうわね。安心して。話し相手くらいにはなってあげるから」

 アヌビスが片手を上げると、ネフティスはその手をさらに強く握り始める。この猫を聖典と同じように因果から切り離し、封印する。今ならそれができた。


「ほんとお! だめだめなんだからあ!」


 ネフティスの腕がレッドを握り潰しかけた瞬間、その腕は砕け散り、大量のエーテルの破片の舞う中、レッドを抱えた少女――ショーシャンクが舞い降りる。


「くそっ」

 一瞬でネフティスを結界ごと砕かれ、アヌビスは降り注ぐエーテルの破片を両手で防ぐ。


「またまた死にかけてるしい。ほんとお、ざあこ!」

『……黙れ』

 ショーシャンクはレッドの首根っこを摘みながら、けらけらと笑う。

 その腰には小さな青い羽根が生えていた。


「あはは! どう? 天使っぽい? ねえ? ねえ?」

 そしてその場でくるりと回りながらその姿を見せびらかす。

 まだ降り続けるエーテルがまるで彼女を祝すかのように青く煌めく。


「神様ってのはどうしてこういかれた奴ばかりなのよ」

 その姿を不服にも美しい、神々しい、畏れ多いとまで感じてしまったアヌビスは、どうにか自らの身体に逆らって悪態の言葉を絞り出す。


『そっちはどうした?』

「とっくに攻略済みどえーす!」

 レッドの苦渋に満ちた問いにショーシャンクは得意げに答えると、指をぱちりと鳴らす。

 するとホールのそれぞれ離れた場所に、ケイ、アリス、デューイが何もない空間から現れ、落下してくる。

 二人と一匹は瓦礫の上に落ちる。みな眠っているかのように意識を失っていた。


「まあ、そんなわけなので聖典くんはいただいていきまあす!」

 ショーシャンクはレッドを放ると、ずかずかとアヌビスに近づいていき、彼女の左胸に手を伸ばす。

「くっ」

 アヌビスは金縛りにあったかのように指先一つ動かすことができなかった。その原因に人間が絶対に逆らうことのできない神への畏敬の念があることを、本能が嫌でも訴えかけていた。


「もうめんどくさいからさあ。あなたが消えれば結界も消えるんでしょ?」

 ショーシャンクの手が青白く光り、まるで水の中に手を入れるようにするりとアヌビスの胸の中にめり込んでいった。

「ぐっ……」

 アヌビスは痛みを感じるどころか歓喜のあまり涙が溢れ出してきた。神の手によって直接その命を掴まれ絶たれる。人間としてこれ以上の栄誉があるだろうか。

 忘我の極地に頭の中が真っ白になり、もはや何も考えることができず、白目を剥いてその場でがっくりと膝を折った。


『待て。そいつを消すと聖典自体がここから消える可能性がある』

 ショーシャンクがまさにアヌビスの心臓を握り潰そうとした瞬間、レッドがそれを静止する。

「あっ! そっか! この子が未来から送り込んだんだもんね。いけねっ!」

 ショーシャンクは舌を出して自分の頭をげんこつでこつりと叩くと、その胸から手を引き抜く。アヌビスは意識を失いその場に倒れる。


「はい! ぱーん!」

 そして両手を叩くと、まるで無数のガラスが砕け散ったかのような轟音がホール中に響く。それは因果断絶結界が崩落する音であった。


 舞台の中央中空が光り出し、そこから青いエーテル粒子が溢れ出す。そして赤い本がゆっくりとその姿を朧げに映し出していく。


『おお……』

「ほーん」

 レッドとショーシャンクはその光景にうっとりと見惚れる。


「さてさて、お姫様――いや王子様? にお目覚めのキッスを――」

 そしてショーシャンクは両手を掲げて、宙に浮かぶ聖典を抱き止めようとする。

 が――


『おいっ!』

「ん?」

 レッドが声を上げ、ショーシャンクが一瞬振り返った刹那――


『させるかよ!』


 デューイが彼女の足元を駆け抜け、聖典に向かって飛びかかった。


「おっ? 何で動ける?」

『馬鹿っ! 触らせるな!』

 間抜けな声を上げるショーシャンクと、激昂するレッド。


『来い! 聖典!』


 イツカの呼び声に呼応するかのごとく聖典は青く輝き、飛びかかったデューイの身体と重なる。

 デューイは聖典をすり抜けるように落下し、そのまま意識を失った。

 そして聖典は輝きを失い、その場にばさりと落ちる。辺りから放出していたエーテル粒子もぱたりと停止する。


『いかん。権能の大半が消えている……』

 レッドが絶望に打ちひしがれたかのように声を落とす。

「どゆこと?」

『この世界に顕現する直前にあの猫の魂に乗っ取られた! なんてことだ!』

 そして怒りに声を震わせる。

「ふーん。でも弱くなった、てことでしょ?」

 ショーシャンクは興味なさげに聖典に近づき、手を伸ばす。


『トワ! 起きろ!』

『……にゃ?』

 聖典から発せられるイツカの声で、傍で眠るデューイからトワの寝ぼけた声が上がる。


「ざんねん! あなたはあっちで見ててねー」

「にゃ! にゃ! にゃー!」

 イツカに手を伸ばしたデューイの首根っこを掴んだショーシャンクは、手足をばたつかせて暴れるデューイにそう笑いかけると、思いっきり客席に向かって放り投げた。

『トワ!』

 デューイは瓦礫の山に突っ込み、小さな粉塵を巻き上げる。


「さて。じゃあとりあえず聖典くんの回収完了かな?」

 床に落ちた聖典を手に取ったショーシャンクは舞台から飛び降りる。

『不本意な形ではあるが、仕方あるまい』

 それに続くレッドが不承不承といった様子でそれに応える。


『おい。お前たちの目的は一体何なんだ?』

 ショーシャンクの手の中のイツカが声を上げて尋ねる。

「えー? そこからー?」

『無理もない。人間の手によって全知に制限がかけられている。全く余計なことを……』

『……』

「そうだなあ。人間的に言えば、仲間? 家族? うーん、それも違うなあ。ばらばらになった自分の身体を取り戻すようなものかなあ」

『我らは元々一つだったのだ。そんなことも忘れたか愚書め』

 イツカの問いにショーシャンクは呑気に、レッドは辛辣に答える。


『取り戻してどうする? 終末とは何だ?』

 だがイツカは構わず続ける。少しでも彼らの情報が欲しかった。そして――

「またみんなで一つに戻るんだよー」

『そのために人間を、この世界を滅ぼす必要がある』

「だからその準備にみんなを探して回ってるってわけ!」


『……』

 イツカはその答えに黙考する。

 概ね魔女の世界に伝わる神話の通りだ。そしてもう竜のいないこの世界を終わらせようとしている。

 それが夢物語などではなく現実なのは、この本の身体に戻って嫌でも理解できた。


『そうやっていくつもの世界を終末で終わらせてきたわけか』

「うーん。それがねえ」

『そうではない。残念ながら世界は一度たりとも終えることはできていない』

『どういうことだ?』

 意外だった。世界は無数に分岐し、その全てがいずれ終末を迎えて神によって滅ぼされる。神話とこの神を名乗る連中の言葉を信じるなら、それが宿命に思われた。


「えー? 君がそれ言っちゃうかあ」

『……全ての世界で終末は覆されているのだ。いや巻き戻されたと言うべきか』

『!』

「そうだよ。どの世界でも君と悪い魔女が神の目録を使って邪魔してんだよお」


『我らが悲願は、終末に逆らい世界を巻き戻し続けるお前達を止め、再び一つになり宙へと還ることだ』


 レッドの言葉を最後に沈黙がホールを支配する。

「――けど、これでやっと終われるかなあ。いやあ長かった長かった!」

『まだだ。忌まわしき魔女を消し、その輪廻の因果を破壊してようやくだ』

 そしてショーシャンク達はホールの入口へと一歩踏み出す。が――


『待てよ』

 ショーシャンクの手の中のイツカがぽつりと呟く。


「んー? 元の聖典の時ならともかく、今の君には何もできないと――」

『! あれは……』

 レッドが何かの気配に気付き、顔を上げる。

 するとホールの中の瓦礫が一斉に青いエーテル粒子に分解されていき、元のコンクリート材に再結合されて綺麗に積み上がっていく。


『やっと思い出したか? 時間稼ぎさせられるこっちの身にもなってくれよ。師匠』

「無茶言うんじゃないよ。まだ頭の中ぐっちゃぐちゃだ」

 イツカの喜色を帯びた声に、一人の少女のやたらドスの入った声が応える。


「しかし、またおまえと組むことになるとはね」

「にゃー!」


 そこにはデューイを従えた片桐アリスが、片手を振り上げて得意の早業エーテライズを披露しながら屹立していた。

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