神徒(3)
「ありゃ、もう始まってる?」
四階会議室の前に到着したケイは、中から講師の声が聞こえ、講座が今まさに始まろうとしていることを知った。
受付で名前を記入後、中に入ると、部屋の中央でやたら厳つい巨体の講師が挨拶を始めているところだった。
「えっと、二人は……」
他の聴講生の邪魔にならないように壁沿いを進みながら部屋を見回すと、クオンは前の方の席に座っているのが見えた。向こうも気が付き目配せをする。
隣に座っている少女もちらりと見てきて、わずかにほくそ笑んだ。見たことない子だったがクオンの知り合いだろうか。
アリスは見当たらなかった。逃げたか。
「本当は五人実習に参加してもらう予定だったんだが、三人も欠席の連絡が来た。誰かやってみたい人はいないか?」
講師――彩咲エイゴウは困った様子で一同を見回す。一瞬沈黙が流れ、みな興味と逡巡の間で迷っていると――
「はいっ! 私達がやります!」
アヌビスがクオンの手を取って立ち上がり、挙手した。
「えっ?」
クオンは目を丸くしてアヌビスを振り返る。
「おっ、そうか。助かる。簡単な作業だから大丈夫だ」
エイゴウは嬉しそうに応えると、二人に前に出てくるように促す。
「(ちょっと……)」
「(せっかくなんだから、やっとかないと損でしょ?)」
アヌビスに手を引かれてクオンは渋々前に進む。
助けを求めてケイの方をちらりと見ると、サムズアップでにこにこしていた。
「あと一人は――」
エイゴウが再び一同を見回すと、クオンはアヌビスの手を振り切ってケイの方へずかずかと歩いていき、その立てた親指を掴んで立ち上がらせる。
「もう、しょうがないんだから」
ケイはにやにや笑いながら席を立つと、前に出ていく。聴講生達からわずかな笑い声が上がり、クオンは顔を真っ赤にする。
「もういいかー? 始めるぞー」
エイゴウは呆れた様子で笑うと、作業の開始を告げた。
本作り研修は始まり、それぞれが作業台に用意された教材を手に取る。
まず何も付いていないページの束の裏表に見返しの紙を貼る作業だ。見返しとは本の表紙の内側に貼られた表紙と中身の接合を補強する丈夫な紙のことである。
一行は黙々と作業を行う。ケイとクオンは間にアヌビスを挟んで並んでいた。
「かんたん、かんたん」
「うっ……ずれそう」
「本当は貼った後に四方を切り揃える化粧断ちをするんだけど、今回は省略されてるようね」
次に背に丸みを出すために、ページの束を万力で圧縮し、ハンマーで耳を叩き出していく。
簡易製本なら必要ない作業だが、今回はしっかりとした表紙の付いた単行本を作る。
万力は一台なので、まずエイゴウがお手本を見せながら、順番に行っていく。
「えっと、クオンの知り合い?」
まず他の二人の研修生が行い、次にクオンの順で並んでいる。失敗しないように先の二人の作業を必死に見つめているクオンを離れて見ながら、ケイはアヌビスに尋ねた。
「図書委員会の先輩ってところ。直接面識はなかったんだけどね」
エイゴウの指導を受けながら、ハンマーをおっかなびっくり振るうクオンを見ながら、何がおかしいのか必死に笑いを堪えているかのように、アヌビスは口元を震わせながら答える。
「……?」
ケイはそんな彼女を困惑の眼差しで見つめ、不審に思う。
もちろん初対面だが、どこか既視感があった。いや、これから長い腐れ縁になりそうな嫌な予感がした。何かが見えたわけではないが。
そして作業は進み、耳を出した背に寒冷紗という薄紙と、上下に小さな花布という縞模様の小さな布を付ける。どちらも本を補強するものだ。
この後本来は一晩乾くまで寝かせるのだが、今回は省略してこのまま進む。
本にハードカバーの表紙を貼り付ける作業で、裏面がボール紙で補強されている。
今回は既に用意されたカバーに糊付けをするだけだが、慎重な作業が必要だ。
「今回のこの研修はあなたにとって、とても大事な意味を持っている」
「は?」
作業をしながらアヌビスは独り言のようにつぶやく。
「前回私はそこに気が付けなかった。今回は参加してみたのだけど、どう?」
「えっと? ちょっと何を言ってるのかわかんないんだけど。まあ、いいんじゃない? こういうのわりと得意だし」
ケイは貼り付けた本の表紙の背側の端に、鉄の分厚いへらのような器具を強く押し付けて『いちょう』という溝を付けていく。これがあることで表紙の収まりが良くなる。
こうして一冊の本が完成し、エイゴウが一人一人の出来栄えを評価し、改善点、コツを伝授していく。
クオンはお世辞にも上手くいったとは言えず、長めの講釈を受けていた。その間恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。
「ああいうイベントが大事なのよね」
アヌビスはそんな二人を見ながらにやにやと不敵な笑みを浮かべる。彼女の評価は可もなく不可もなしだった。
「これは驚いた。本当に初めてか?」
そしてエイゴウはケイの作った一冊を見て、舌を巻く。
「ずれはないし糊もはみ出してない。いちょうも綺麗に付けられてる。大したものだ」
「ふふん」
ケイは得意げにアヌビスに勝利のポーズをとる。クオンはそれをぐぬぬと見ていた。
ケイにとって物作りは得意中の得意分野だった。
幼い頃より因子を読むための修行として、あらゆる手作業において因子の流れを見ることを叩き込まれた。
積み木に折り紙、人形遊びに至るまで、自分の指先から流れる因子が触れた物をどう変化させるのか、その結果を事前に予測し、より良い結果を導くようイメージして、それを実現するための手の動きを再現する。
そんなことをずっと繰り返してきた。本一冊綺麗に作るなど造作もない。
「やはり、ほしい――」
アヌビスは崇拝にも近い眼差しで、ケイを見つめていた。
そして研修は終わり、会議室から続々と参加者が退場していく。
「あのっ! また教えてもらってもいいでしょうか?」
職員に混ざって後片付けをしているエイゴウに、クオンが声をかける。
「ああ。本格的にやりたいなら大学の司書課程を受けるといい。高等部の生徒なら見学も許されてるはずだ」
エイゴウは目を輝かせるクオンに、まんざらでもなく嬉しそうに応える。
「なるほど、これが馴れ初めか」
「さっきから何なのよ? 気持ち悪いわね」
そんなクオンを入口で待つアヌビスとケイだった。
「ごめんね。待たせた?」
ようやく戻ってきたクオンがケイに謝る。
「ずいぶん熱心なのね」
ケイは意外そうな顔で尋ねる。
「……だって、ケイはすごくうまく出来てたんだもん」
クオンは頬を膨らませて不満げな声を上げながら、お土産に貰った自分とケイの本を見比べる。
「まあ、私は特別な訓練を受けてるからねえ。こんなのかんたん、かんたん」
「むー」
クオンはぷんぷんと怒りながら、どしどしと廊下を歩いていく。
「ねえ、あなた達、図書館協会に興味ない?」
そんな二人を待っていたかのように廊下の先でアヌビスが声をかける。
「――図書館協会?」
二人は突然の提案にぽかんと口を開ける。
「ええ、日本図書館協会。今私はそこで学校図書館部会の手伝いをしているのだけど、協力してくれる学生を募集しているの」
「はあ」
二人は聞きなれない組織の活動に曖昧な相槌を打つ。
「いきなり言われてもよくわからないわよね。この学校に私の知り合いの部会の幹事の一人がいて、学校図書館の実情を調査報告するお手伝いをしてる――って言ってもまだわかんないか」
「あっ、そういえば図書委員で集計作業を手伝ったことあったかも」
クオンが思い出したように声を上げる。
「ふーん」
対してケイは全く興味なさげに生返事をする。
「まあそういう活動が存在しているってことだけ今は知っててもらえれば。まだこっちも準備に時間がかかるし」
「?」
何やら意味ありげな含みのある言葉に、二人は疑問符を灯らす。
直後、突然大きな破裂音が響き渡り、建物全体が揺れる。
「なに? 地震? 爆発?」
クオンは思わずよろめいてその場に膝をつく。
「……下の階――か」
ケイはクオンの肩を抱いて立ち上がらせながら、その爆発の場所を推測する。
揺れ自体はすぐに収まった。だがわずかに漂う何かが焼けるような匂い。何かしらの電気機器の異常だろうか。
下の階には確か――
ケイは館内案内図を思い出し、その場所をすぐに特定した。
「アリスちゃん!」
そして階段に向かって駆け出した。
場所は視聴覚室。そこで何かが起こっていると直感的に悟った。それもかなり良くない類のだ。
油断していた。ここは因子が見えにくいので危機感が鈍り、察知が遅れた。
講座に来なかった時点で連絡を入れるか、探しにいくべきだった。
「――狙いは聖典? そんな、早すぎる!」
階段に向かうケイを見送りながら、アヌビスは悪態をつく。
「おい! 何があった?」
会議室から出てきたエイゴウがクオン達に尋ねる。
既に他の参加者と職員は出て行った後で、図書館内にはほとんど人はいなかった。
「わかりませんっ。でも――あっ!」
困惑しながら答えるクオンだったが、吹き抜けから階下を見下ろした時、何か小さな生き物が走り抜けるのを視界に捉えた。
それは灰色の猫――見間違うまでもなくデューイだった。




