神徒(2)
翌日、相変わらずの空模様で、小雨が降り続いている。
放課後の図書室、今日は定例の図書委員会が行われていた。
「――本づくり講座?」
報告と確認が終わり、それぞれが分担した業務を行なっていると、クオンが一枚のビラをケイとアリスに見せた。
「そう! 大学でやるんだけど、ルリユールの講師の先生が来るんだって!」
クオンは興奮した様子でビラを指差す。
紫苑女子大の中央図書館会議室で行われ、講師の名は『彩咲エイゴウ』と書かれていた。女子大の司書課程も担当している先生で、それなりに有名らしい。
「この電子の時代にルリユール技術なんて意味あるのかしらね」
アリスは興味なさげに手元のタブレット端末をスワイプさせていた。
「むー。だからこそじゃない。技術の継承だよ。ね? ケイ?」
不満げに頬を膨らませるクオンは、ケイに同意を求める。
「……え? ああ、そうね」
しかしケイも心ここに在らずといった様子で生返事をする。
結局昨日見た赤い本の正体がずっと気になって、夜もろくに寝られていなかった。
何かとてつもなく重大な見落としをしている気がして、生きた心地がしなかった。
「……大学図書館か」
そしてビラをちらりと見て呟く。そういえばまだ行ったことがなかった。図書委員の仕事で資料の相互取り寄せをすることはあるが、学内便を利用するので、わざわざ出向く必要はないからだ。
「工事中なんじゃないの?」
アリスが尋ねる。大学図書館の立て直し工事はまだ終わっておらず、資料の多くは既に搬入が済んでいて取り寄せも可能だが、まだいくつかのフロアは工事中で、職員以外は入館できない。
「うん。来年には正式に開館するらしいけど」
クオンが答える。まだ未配架の資料の一部は、高等部の図書室に一時的に配架されていたりする。
「ふーん。ちょっと気になるね」
ケイは興味を惹かれた。もしかしたらあの赤い本の手がかりが何か掴めるかもしれない。
週末の土曜日の午後、曇り空の下、大学図書館前に三人はいた。
今日は授業がないため、家から直接集合した。三人共制服姿で、口座には学内枠で申し込んだ。学外からも参加者はいるようで、図書館前にはそれと思われる見たことのない制服姿の生徒やスーツ姿の社会人が散見された。
「へえ、もうほとんど完成してるじゃない」
アリスが館内エントランスの吹き抜けを見上げる。まだ至る所にブルーシートや段ボールが被せられ、工事中の様相を見せてはいたが、入口は既に綺麗に整えられていた。
「地下の大ホールの工事が終わってないだけで、地上はほとんど終わってるんだって」
クオンは講座の案内が貼られた立て看板を見ながら応える。会議室は四階だ。
「なんか気持ち悪い……」
ケイはげんなりした様子でうなだれていた。
「えっ? 大丈夫?」
心配したクオンが駆け寄るが、ケイは手を振って遮る。
「ああ違う違う、気分が悪いってわけじゃなくて、その……なんだろ?」
ケイは首を傾げる。自分でも何なのかよくわからなかった。
図書館――というより大学に入った時から、何か違和感があった。
別に体調が悪いわけではなかったが、そわそわして落ち着かない。忘れ物をしたわけではないが、何かを忘れている、あるべきものがないような不安感。
「まだ時間あるでしょ? 私は二階の視聴覚室見てくる」
アリスはそう言うと階段に向かって行った。今日来たのは大学図書館の最新鋭のAV施設と資料をオープン前に見たかったからだ。
「私もちょっと休んでからいくわ」
ケイはエントランス横の窓際に並ぶテラス席を指差す。
「あっ、私も一緒に――」
「クオンは先に会議室行って席取っといて。私も落ち着いたら行くから」
そして心配するクオンに自販機で買ったお茶のペットボトルを振りながら、テラスへ向かって行った。
「もうっ。しょうがないんだから……」
クオンは早速独断行動を始める二人に呆れながら、会議室に向かうべく階段を登って行った。
四階会議室の前では職員が受付を開始しており、既に人が集まってきていた。
「これは先に来て正解だったかも」
クオンは受付で名前を書くと、会議室に入る。
中は長机がコの字型に並び、中央に図書館の古い作業台が運び込まれていて、その上に本の材料が置かれていた。
今回実際に本作りの実習を行うのは五人だけで、クオン達を含む他の聴講生は周りの席でそれを見学する形になる。
実習に参加したいところだったが、既に先着締め切り済みだったため、今回は見るだけで我慢した。
「えっと、席は――」
聴講生の席は自由だったが、順番に埋まっていたので、クオンもそれに習った。
二人とは並んで座れないが、遊びに来ているわけではないので諦めた。
「隣、よろしいかしら?」
着席して机の上に置かれたプログラムの紙を見ていると、声をかけられた。
「あっ、はいっ。どうぞ」
見上げるとそこには同じ紫苑女子の制服を着た少女が一人いた。
背は低く、その白く長い髪と赤い瞳が印象的だった。
アリス含め、外国人やハーフの子は学内でもたまにいるが、初めて見る子だった。
「いくら技術が進歩しても最後は手作りの経験がものを言うからね」
少女は作業台の上の教材を見ながら楽しそうに呟く。
「えっと、三年生の方ですか?」
クオンはその妙に落ち着いた雰囲気からそう推察した。二年生なら見たことあるはずだった。
「ええ、あまり学校には来られていないんだけど」
少女は苦笑する。ケイのように何か事情があるのだろうか。
「あなたは、さ――睦月クオンさんでしたね?」
「あっ、はいっ、どこかで?」
「私も図書委員だったんですよ。すぐ出られなくなってしまったんだけど。それで今は楽しい子がたくさんいると聞いて」
「あはは……」
クオンは自分達のことが噂になっていることを知って、顔を赤らめる。
「あら、もう始まるみたいですよ」
見ればもう長机の席は半分以上埋まり、講師の先生が入ってきていた。
「(もう、二人はなにしてるのよっ)」
クオンはまだ来ない二人に携帯電話でメッセージを送ろうかと迷うが、電源をオフにしろと係員の説明が入り、慌てて鞄の中に放り込む。
「ああ、まだ名乗っていませんでした。私は七星アヌビス。よろしくね。クオンさん」
少女――アヌビスはそう言って、クオンに笑いかけた。
一階エントランスのテラス席に座っていたケイは、館内をぼんやりと眺めていた。
「ああ、そうか。妙に静かなのが気持ち悪いんだ」
そしてずっと感じていた違和感の正体に気が付いた。
この図書館は新築ということもあってか、因子が全く見えないのだ。
既に資料の多くは搬入されているらしいので、少しは漏れ見えてもおかしくはないのだが、それすら皆無だった。そこに違和感を覚えた。
しかもそれは大学の敷地内に入ってから続いており、この図書館に近づくにつれて強まっているようにすら感じられた。
「あやしい……」
気になった以上、その原因を解明せずにはすっきりできなかった。
ケイは立ち上がると、館内案内図に向かって歩く。
全四階の各フロアの所蔵資料の案内が書かれている。どこかのフロアにこの異常の原因があるに違いない。
そしてケイは立入禁止のスタンドが置かれた階段を降り始めた。目的地は地下の閉架書庫だ。古い資料ならそれだけ因子も読みやすい。
しかし階段を降りてもその気配なく、むしろその不気味なまでの静謐は強まるばかりだった。
地下一階の書庫に到達するが、入口のガラス張りの電動ドアはまだ電気が通っていないのか、開かなかった。
しかしガラス越しに中を覗くと、既に資料は配架されているようで、電動書架の中には古い資料が並んでいるのが見えた。
「うーむ?」
目の前に資料があるのに、いくら目を凝らしても因子が見えない。直接触ればあるいはだが、こればっかりはどうしようもない。
さらに階段を下り、地下二階に到着するが、やはり書庫の扉は開かなかった。
諦めて戻ろうかと思ったが、さらに下の階があることに気付き、階段を下る。
地下三階にはコンサートホールのような巨大な多目的ホールが広がっていた。
まだ座席はなく、至る所に資材や鉄骨の足場が組まれていて、工事中なのが一目でわかった。
完成すれば学会や講演会、演奏会や演劇会まで様々な催しが行われるだろう。
「……」
一見図書館とは関係のない施設だが、ケイは妙に引っかかった。
何か――ある。いや、何もなさすぎて何かあると言うべきか。
資材や鉄骨に触ってみるが何も見えなかった。
新築なので当然まだ因子は少ないはずだが、不自然なほど見えなかった。少なくともこの工事に関係した建設業者くらいは、見えてもおかしくないがそれすらも見えない。
まるで何かが因子を遮断しているかのような――
結局ケイは手がかりを見つけられないまま、その場を後にするのだった。
その様子を工事中の二階席から見下ろしている一匹の猫がいた。デューイだ。
『まだ聖典はここにはないの?』
『あると言えばあるし、ないと言えばない。未来で張られた因果断絶結界のせいで、この時代のここにも影響が出てる。まだエーテルも現れてないしな』
『でもケイさんは見えてるみたいだけど』
『因子だな。昔はそう言ってた。エーテル自体は既に世界中にあるんだけど、聖典が持ち込まれたことで溢れ出したというか。水で一杯のコップに石が放り込まれたようなもんだな』
『聖典はいつ現れるの?』
『おそらく来年。この図書館の開館前日だな。俺も結界に囚われて以降の記憶はないから、はっきりとはわからないけど。トワは世界を渡る時に聖典と話したんだろ?』
『うん。えらそうだった』
『ええ……どんなだよ』
『……またアヌビスさんと戦わなきゃいけないのかな』
『この姿で?』
『あっ、そっか』
『今の俺達には見守ることしかできないよ。ただ問題はアヌビスが干渉者に気が付いているかだ』
『この前の猫さんみたいなのがまた来るってこと?』
『ああ、母さんを狙ってるのか、クオンさんを狙ってるのかはわからないけど』
鉄骨を伝い、一階席に降りると、デューイはケイの後を追って階段に向かうが――
『うん?』
『あれ? これって……』
二人は猫ならではの感覚でわずかな異変を感じ取る。
この身体になってわかったことだが、夜目は効くが昼間は色彩に乏しく見えづらい。それを口元の髭をアンテナにして補助している。しかし聴覚と嗅覚は人間よりも遥かに発達していて、非常に遠くの音と匂いが判別できる。
何かが起ころうとしている。その不穏な気配を追って駆け出した――




