第九話 一人でも
「────ゴブリン隊! スライム隊! 攻撃準備! 警備中のウルフ隊も全員ここに集まれ!」
危険を察知したネモは、指示を出せる全戦力を集結させた。一体でも欠かせば、おそらく敵を倒せない。全員の力を集中させなくてはならない相手だと判断したからだ。
しかしこの判断は、あまり適切なものであったとは言えない。彼女はこの瞬間、間違いなく冷静ではなかった。
動きの速いウルフを使い、仲間に報告へ行かせなかったのは、無意識的に他人の力を頼ることを避けようとしたから。自分一人で仕事ができるというところを見せたかったから。
戦闘を配下に任せ、自分はどこかに隠れるという判断をしなかったのは、モンスターたちに愛着が湧いてしまっていたから。戦闘力が皆無な指揮官が敵の目の前に姿を晒し続けるという形になってしまった。
どれもこれも、無意識的にではあったが、ネモ自身の幼さと未熟さが招いた判断ミスであった。
「全員────突撃!」
突如出現した敵を攻撃対象に定め、ゴブリン隊とスライム隊に一斉攻撃の指示を出す。その声に合わせ、モンスターたちは一糸乱れぬ動きで飛びかかる。
「雑魚が何体集まろうとなァ! 意味ねェんだよォ!」
男は再びスライム状に変化し、突撃してきたモンスターたちを自らの体内へと取り込んだ。
その体積の急膨張に驚愕しつつも、モンスターたちは回避の行動をとる間もなくあっという間に飲み込まれた。
「う…………嘘……あの量を一瞬で…………?」
しばらくウネウネと形を変えた後、その巨大スライムはまた男の姿へと戻った。そこには初めから何もなかったかのように、ネモの仲間たちの痕跡など微塵も残されていなかった。
「やっぱ脳足りんは不味いな。お前が使役できるのはモンスターだけか? 知恵のある魔物は流石に操れねェのか」
そう語る男は、実に平然としている。
スライムは全身が口で、全身が消化器官だと言われる。なので相手をそのまま飲み込み、食べてしまうこと自体は驚くべきことではない。それがスライムの通常攻撃だ。
しかしこの消化速度と消化量。これは明らかに異常である。この場合の消化速度と消化量は、スライムの攻撃力に直結することになる。それがここまで桁外れとは、完全にネモの予想を上回っていた。
「消化してる隙にウルフに襲わせる算段だったか? あるいは本気であの雑魚共で俺を殺せると思ったのか? どちらにしても甘すぎるな。オレが言語を操っている時点で、モンスターではなく魔物、知恵のある敵として対処すべきだったってのに」
「…………ッ! ウルフ隊! 攻撃の準備を────」
「誰に言ってんだ?」
ハッと気づいたネモが左右に視線を向けると、そこには男の足元から伸びた触手に絡めとられるウルフたちの姿がある。
一頭残らず、既に敵の胃袋の中に囚われていた。
それが辛うじてウルフだとわかる状態から、もう何も見えなくなってしまうまで、時間はさほどかからなかった。
「動きの速いウルフを…………こんなアッサリ…………」
「低級モンスターごときで、動きが速いもクソもあるかってんだ」
男がネモに視線を向けてニヤリと口角を吊り上げた時、ネモはようやく逃げるという選択肢を思いついた。
今自分がしなくてはならないことは、城の中にいる仲間たちに敵襲を伝えること。敵を自力で倒すことではない。
その結論に至った彼女は、敵に背を向けることを恥とせず、全力で駆けだした。
────はずだったのだが、一歩も踏み出すことができず、障害物に激突する。
「ボサッとしてる内に回り込んだぜ?」
正面にいたはずの男が既に背後にいた。
その醜悪な顔が、ネモの肌を直接舐めることが可能なほどの距離に迫っていた。
「ひっ…………誰か────」
周囲に伸ばされた触手の一本が、ネモの口に突っ込まれる。それを噛み切ることなどできるはずもなく、助けを呼ぼうとした少女の声は無情にもかき消された。
「う…………うぅ! …………うぅぅぅ‼」
涙も汗もとめどなく溢れ、ネモの可愛らしい顔立ちを躊躇なく汚していく。どれだけもがいても声は出ず、手足も触手に絡めとられてしまい、身動きが取れない。
そして敵の前に無防備に曝け出されたネモの胴体に、鋭い刃物状に変質したスライムの触手が突き刺さった。
それは躊躇いもなく少女の胸を貫通し、そして無遠慮に引き抜かれる。できた穴からはおびただしい量の血が噴き出し、ネモの目に宿った光が点滅し始める。
男は、もうもがく気力すら失いぐったりとした少女の体を手放し、無造作に地面へと放り出す。
受け身も全く取れず、重力に逆らうことなくネモは地に転がる。血で汚れたそこは、普段トレアが丁寧に育てている花畑の一角だった。
「ねぇ…………さ…………ま…………」
青く変色した唇を震わせ、ネモは最後の気力を振り絞って助けを呼ぶ。あるいはそんな意思など残されておらず、これも無意識的な行動だったのかもしれない。
どちらにせよ、その行動は目の前の男の凌辱心を満足させることしかできなかった。
「お粗末なガキだなァ……? これが城の警備担当か? 人手不足もここまで来ると罪だな。弱小国に仕えたせいでこうなったんだ。恨むなら無能な王を恨むんだな」
男は再び全身をスライム状に変質させ、転がる少女の肉体の上に覆いかぶさった。
スライムは全身が口で、全身が消化器官である。
そんなスライムの食事は、獲物に対してその体全体を被せるようにして行われることが多い。