第三話 騎士長の仕事
────フロティアの王、ウラク・フロティアが死亡した。
彼の遺言により、彼が死亡した時点を持って王位は娘のユリ・フロティアに継承され、王国の命運は十七歳の少女に託されることとなった。
フロティアは人口およそ五万人程度で、大陸で最も領土が狭い超小国である。故に周辺諸国の脅威に常に晒されており、体制の立て直しは急務であった。
そのため、就任初日からユリ国王の忙しさは尋常ではなかった。
前々から覚悟を決め、様々な準備をしていたとはいえ、山のようにのしかかる仕事を前に、ユリは目を回していた。
「お兄様、私は明日、村長たちを城に集めて王位継承の儀を行います。今日はそのための準備をするので、どこかで遊んでいてください」
「あそ…………ってお前、俺はお前のサポートをするために戻って来たんだぞ⁉ 何かできることは────」
「お兄様には近衛騎士長の役職を与えたではありませんか。私のことを守って下さればそれでいいのです。今日は城から出ませんから、特に仕事はありませんよ」
「ぐ………………ほら、なんか……他にも色々ないのか? 仕事……」
「ありますが、任せてもよろしいのですか? ハッキリ申し上げて、剣を振るうことのみにこれまで人生を捧げて来たお兄様にできることがあるとは…………」
「な…………! うん、いや、まぁ……確かにそれはそうかもしれん」
「では、私は仕事がありますので、退室してください」
「はい」
新たに王となったユリから部屋を追い出され、シューカは途方に暮れていた。
見回りと称して城の中をぐるぐるウロウロすることぐらいしか仕事がない。遠征に行ったりするのであればそれに付き添い、警備の指揮を執ったりと忙しくなりそうだが、城の中で事務的な作業をしている内は特に何もすることがない。
近衛騎士長とは言っても、そもそも近衛騎士などシューカ一人しか存在していないのであまり意味のない役職だ。そのため決められた仕事というものがない。
警備はゴブリンを始めとする配下のモンスターたちが抜け目なく行っている様子で、人の目など必要なさそうだ。シューカが今できることは、万が一がいつ起こってもいいように備えることだけだった。
「はぁ…………まぁ、剣の腕を鈍らせないようにだけ気をつけるとして……俺にできることは本当に何もなさそうだな……」
庭に出て、城壁付近に転がっていた石に腰掛ける。今では塞がってしまっているが、この石の裏にはかつてちょっとした抜け穴があり、見張りの目を盗んで城壁の外へと出られるようになっていた。
それで妹を連れ、よく最寄りの村まで遊びに行ったものだ。もちろん見つかった時はとんでもない大目玉をくらった。
そんな思い出に浸りながら、シューカはため息を吐く。
剣というのは、緊急時になってからしか役に立たない。そして緊急時など、そもそも起こらない方が良い。
そうなると、仕事などなく暇である方が理想だという話になるわけだが、それはそうとして何か力にはなりたいものだ。兄として、一人の男として、何もしないというのは落ち着かない。
「あれ? シューカ様、こんなとこで何してるんです?」
不意に声をかけられ、顔を上げると、そこには懐かしい顔があった。
「お、ツヅラか。久しぶりだな」
「なんか見ない間に随分筋肉質になりましたね。相変わらず装備はボロいですけど」
「ん? ああ、結構気に入ってるからな。装備が傷だらけなのは、それだけ俺を守ってきた証拠だ」
「それにしたって古い気がしますけど」
「………………まぁ、そうだな。だいぶ長いかな……」
黒いローブを纏った赤髪の少年は、ばつが悪そうに頬をかくシューカを見て快活に笑った。
「そういや、聞いて下さいシューカ様。俺、三級魔導士になったんですよ」
「三級? マジかよ! お前ちょっと前まで魔導士になれるかどうか怪しいみたいな話じゃなかったか⁉」
「ふん、まぁバーベは既に二級なんで置いていかれてるんですけど、すぐに追いついて、実力を証明してみせますよ!」
「頼もしいな。うちで公認魔導士はお前とバーベの二人だけだからな。貴重な戦力として期待してるぞ」
「任せてください! バーベの魔法は基本治療方面に偏ってるので、実質俺がフロティア最強の兵士と言っても過言ではないですからね!」
「ほう? 俺を差し置いて最強を名乗るか」
「あ! いや、その…………魔法戦力では最強…………かな?」
「それでもトレアがいるだろ。トレアは公認じゃないが、実力は一級レベルじゃなかったか?」
「…………そうでした」
すっかり意気消沈するツヅラを見て、今度はシューカが笑う。
「でもお前、今では魔導士部隊の次期隊長候補なんだろ? 誇っていいと思うぞ」
「まだまだです。俺もシューカ様のように、国外で武者修行して来ればもっと強くなれますかね?」
「そうだな。経験は積めると思うが、俺が国外に出ていけたのは、フロティアが一応は安定していたからだ。でも今は父上が死んで、ユリが国王になった。ユリの実力を疑うわけじゃないが、しばらくは不安定な情勢が続くだろう。貴重な戦力であるお前を修行の旅に出してやることはできないだろうな」
「あ、いえ! 別にここから出ていきたいという意味ではないので……仕事を任せてもらっているからには、全力で取り組みますから!」
「ああ、期待してるぞ」
仕事へと戻るツヅラの背中を見送り、彼が去った方向とは反対から入れ替わるように近づいてくる二人の人物に視線を向ける。
「旧交を温めていらしたのですか? お邪魔になってしまったのならば、申し訳ないですわ」
「別に、お前が来たから別れたわけじゃないさ。それで、何の用だ。プリーア」
プリーアはいつも通りのメイド服ではあるが、その腰には銀色の細剣がぶら下がっている。鞘に細かい装飾が施されたその剣は、一種の芸術品のような輝きを放っており、シワ一つないメイド服の優美さと見事に合わさり、彼女自身の麗しさを引き立てている。
その姿を見て、シューカはプリーアの意図を察した。
「久々に、お手合わせをお願いしたくて」
「いいのかよ。忙しいんじゃないのか?」
「少しなら問題ありません。午前中にやるべき仕事は全て終わらせましたから」
「…………相変わらず恐ろしく仕事が早い……んで、バーベは何をしに?」
「は……はい……!」
プリーアの後ろに隠れる少女に水を向けると、彼女は慌てて飛び出してきた。
水のように青い髪に、ツヅラと同じ黒ローブを身に纏った少女だ。その胸には分厚い書物が抱かれている。
「えと……模擬戦をするなら、治癒魔法が必要になるかと思って」
バーベはそう言って抱きかかえた本を見せる。
一体何の本なのかと思えば、どうやら治癒魔法の魔導書らしい。
「俺たちなら問題ないよな?」
「怪我をするのは未熟者の証と言いますからね。ある程度剣術を嗜んでいて、実力が拮抗している者同士なら、模擬戦で怪我をすることも、怪我をさせることもあまりないとは思いますが……安全に配慮するに越したことはないでしょう」
「それもそうか」
シューカはこぼれる微笑みを抑えきれずに、口元を綻ばせながら立ち上がった。
「剣は一本にした方がいいか? センスも使わない方が?」
「どちらも使用していただいて問題ありませんわ。《隻腕の二刀流》の実力をぜひこの私にお見せください」
「…………その二つ名あんまり好きじゃないんだけどな。俺別に隻腕じゃないし」
「それは承知の上での二つ名なのでは?」
「そうだけど、よく勘違いされるんだよね。会うたびにそこを訂正するのが面倒で。だからあんまり好きじゃない」
「なるほど、それは失礼致しました」
「いや、別にいいけど。それじゃ、場所を変えようか。訓練場は変わりないか?」
「はい、既に準備してありますわ」
「流石、仕事が早い」
久々に思い切り剣を振れることに、シューカは堪え切れずに不敵な笑みを浮かべた。