心得≪2≫
公爵の館に帰ってきたカリーナは、予想通りに真っ直ぐに鉄の部屋へ入れられた。
予想通り? いや失礼。
予想を遥かに超えて最悪である。
地面を打った際の顔の痛みはもちろんのこと、押さえつけられた首や背中、膝はいつの間にか擦りむいてヒリヒリと、体中が痛かった。
しかし、それ以上に胸が痛い。
きっと今、母様に迷惑をかけている。
鉄の部屋にいても、遠くから母様と言い合う御祖母様の声が、ずっとずっと聞こえてくるのだ。
「ごめんなさい、母様・・」
カリーナは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ただでさえ母様は体調が良くない。
カリーナが物心つく時から、ずっとお部屋に籠っていらっしゃる。
ある時、主治医が御祖父様にこう話すのを偶然耳にしたことがあった。
「何も病の症状もお見受けでません。ただただゆっくりと弱っていくようなのです。まるでご本人がそう望まれているかのようなのです。」
カリーナはその話を聞いて泣いてしまった。母様が生きたいと強く望まれるようにするには、どうすれば良いのかわからないからだ。
母様はいつもカリーナの前では笑ってくださるが、悲しみを隠していらっしゃることにカリーナは気がついていた。
母様が喜ぶことなら何でもしたいと思うのだが、母様の喜ぶことを見つけるのが本当に難しい。
唯一わかっているのが、母様も自分もこの公爵家には合わないということだ。
「父」をもし探し出す事ができたら、カリーナはお願いをして、この家から母様を出してもらおう。
やはり「父」を見つけ出したいのだ。
カリーナの顔を優しく撫でるのは誰だろう?
カリーナはそっと目を開けた。
鉄の部屋に入れられた時と変わらない姿勢で、どうやら眠りに落ちたらしい。
眠れたのは幸運だ。
辛い時を少しでも忘れられる。
・・どうやら夜がきたようだ。
鉄格子の窓がもう真っ黒だった。
これから自分はどうなるのか。
不安な気持ちが込み上げてくると、また顔を擦る気配を感じる。
鉄のせいで体を動かすのも大変なのに、思ったよりも体調は良さそうだ。
「ああ、そうか・・」
優しく飛んでくる蝶々を見る。
「また来てくれたのね。魔法の蝶々・・」
カリーナはそっと顔を撫でてみると、土も血も手につかない。
「ありがとう、蝶々」
カリーナはお礼を言った。
蝶々はまだ次々とやって来ては、カリーナの体に入り消える。
「魔法の蝶々さん、夢じゃなかったら、母様の所に行って癒して差し上げて」
カリーナの言葉が通じたのか、飛んで来た蝶々がふっと音もなく消えた・・
そのとたんに鉄の部屋の扉が開いて
「カリーナ、大丈夫?」
母様が姿を現した。
「母様!」
カリーナが驚くのをよそに、母様は優しく笑いながら部屋に入ってきた。
「御祖母様に見つかっては大変な事になるわ」
カリーナが心配しているのに、彼女を起き上がらせる母様はふふふとまた笑う。
「御祖母様がね鉄の部屋の鍵を何処に閉まわれたのか、母様ね分かったのよ」
面白い秘密の発見でもしたかのように、母様はささやいた。
「私が勝手にこの部屋を出たら、またお仕置きをされるわ」
カリーナは母様まで、お仕置きを受けて欲しくないのだ。
しかし、母様は
「残りのお仕置きは母様が喜んで受けるから心配しないで。娘だもの。カリーナより上手に対処してみせるわよ。」
と言って、カリーナを支えながら自分の部屋へと連れていく。
「カリーナと一緒に寝るのは何年ぶりかしら?」
ベッドに入った母様は嬉しそうだ。
しかし、すぐにカリーナを抱いて
「体が冷たいわね。せっかく綺麗な顔なのに傷だらけじゃない。」
悲しいお顔をされるから
「母様、大丈夫よ。今日はちょっと魔法を使ってしまって・・でも王妃様も王子様もみんなお怒りにならなかったわ。優しくて良い方達なのよ」
カリーナは母様を心配かけまいとする。
しかし、母様はそんなカリーナの心を見透かすかのように
「カリーナ・・本当はドゥーロ王子の事をどう思っているの?」
と聞いてくるのだ。
「えっと、とてもご立派な方なの。結婚したら、私に世界一美しいドレスや宝石をたくさん下さるっていうのよ。私はキラキラした物が大好きだから、本当に楽しみよ。」
全く嘘をついた訳ではない。
本当にドゥーロ王子はそう言ったのだ。
「ちゃんと俺の言うことを全部聞いて、良い子にしていたら・・」
このくだりを除いて母様に話しただけ。
「・・・カリーナ、無理をしなくて良いのよ。王子様のエスコートを延期して頂きましょう。こんな傷だらけの顔ではと言えば角も立たないわ。」
そう言って母様は優しくカリーナの背中を擦る。
「・・もしかしたら、いえ多分ね。私は婚約を破棄されると思うの。」
カリーナは母様が傷ついてしまうか心配で話せなかったが、遅かれ早かれ事実はやってくる。
「ドゥーロ王子を燃やしてしまったからでしょう?」
「え?」
カリーナは驚いた。
「ふふふ、御祖母様がものすごい剣幕で話していらしたの。母様は部屋にいても全部聞く事ができたわ。」
確かに・・今までお怒りになる御祖母様の中で一番恐い顔をされていた。
それくらい酷いことを自分はしたのだと、改めて思い知らされる。
「母様、ごめんなさい」
カリーナは居たたまれなくなった。
「どうして謝るの?」
母様は顔をキョトンとされている。
「私が魔女だから、みんなに迷惑をかけてしまうの。」
カリーナは母様の胸で少し泣いてしまった。
分かっていても、口に出すと事実が浮かび上がり、悲しみを我慢できなかった。
「迷惑?母様はカリーナの魔法が大好きよ。元気になったら、また蝶々を見せて欲しいわ。」
母様はそんなカリーナの様子を見て、優しく背中をさする。
知らない間に娘がこんなに傷ついていることを悟り、母様の胸も苦しくなった。
「母様・・今もね、できるわ。」
カリーナも母様も悲しい気持ちを相手に知られないように、カリーナの手を見るようにしてそっと涙を拭った。
カリーナの手から七色の蝶々が飛び出した。
カリーナは小さいとき、鉄の部屋で初めて魔法の蝶々を見た時から、練習をしなくても、この魔法が使えるようになった。
そして母様はカリーナの魔法の中でも、この蝶々が一番のお気に入りなのだ。
「綺麗な魔法ね。カリーナみたいね。」
蝶々を目で追いながら、そっと母様はささやいた。
「・・・」
カリーナはドゥーロ王子にも同じ言葉を言われたのを思い出す。
あの時は優しい人だったのにな・・
「カリーナ、実は母様ね、森の近くに小さなお家を買おうと思っているの。」
蝶々の柔らかい光を浴びながら、母様は予期しない話をし出した。
「え、お家を!」
カリーナは自分が思う以上に大きな声を出してしまった。
母様から、そんな話が出るなんて、本当に本当に思いもよらなかったから。
「こんな立派なお屋敷を想像しては駄目よ。ふふ、小さなお家を買って2人で住みましょう。だから、王子様との婚約は破棄して頂いた方がいいわね。」
「母様!」
こんなサプライズがあるだろうか!
母様と自由に暮らせるなら、こんな広い屋敷よりも、体も心も大きく豊かに過ごすことができる、絶対に。
「もしも、カリーナがドゥーロ王子を好きなら無理にとは言わないわ。母様、一人で住むから遊びに来てね。」
母様はそう言って、そっと娘の顔を見た。
カリーナは気持ちが高ぶり顔が赤くなってしまう。
「母様、母様、嘘をついてごめんなさい。私、ドゥーロ王子が立派な人だとか優しい人だとか思った事がない!いつも陰険ないじめをされて・・本当は大嫌いなの!」
カリーナの様子を見た母様は、可笑しくて仕方がないようだ。
「もう少し様子をみてみましょう。離れた方が景色も良く見えるわ。」
カリーナには母様のおっしゃる意味がわからなかった。
しかし、未来に希望が見えて心はウキウキと弾む。
「母様、私、お家がすごく楽しみよ。」
カリーナの言葉を聞いて母様は嬉しそうだ。そして悪戯っぽく
「・・ドレスや宝石や、お茶会も舞踏会もないのよ?」
と聞いてくるから、カリーナは
「そんなの欲しくない。私は・・自由に魔法を使ってみたいの!」
と、つい本音が出てしまった。
母様は優しくお笑いになったが
「では決まりね。先ずは明後日の王子様のエスコートをお断りしなくてはね。婚約者として社交界にお披露目されたら、本当に大変なのよ。」
と、これは真面目にお話になった。
しかし、カリーナは全然心配なんてしていない。
「わかったわ。向こうから断ってくると思うから大丈夫よ。」
もう気持ちは、新しい小さなお家の生活に寄せて、他は何ひとつ考えられなかった。
次の日の朝、カリーナは鉄の部屋を勝手に出た事で、御祖母様がどんなにお怒りになるだろうと心配したが、全くそうはならなかった。
それは朝一番でフォルトゥーナ公爵家に、王宮からそれはそれは山のような豪華なプレゼントが届いたからだ。
御祖父様から応接室に急いで来るようにと指示があった。
朝のお茶前に呼ばれる事なんて初めての経験だ。
「・・・・」
「なんで?」
応接室に入ったカリーナと母様は言葉を失った。
部屋にはプレゼントの箱がいっぱい積まれていて、豪華な装飾品の他にも、たくさんの花束やチョコレート、珍しいフルーツ、香水まで、どんどん運び込まれていた。
なかでも目を引いたのが、部屋の中央に飾られた純白の美しいドレスだ。
「気が早いなあ、お披露目のエスコートなのに、まるで結婚式のようじゃないか!」
ニコニコ笑い上機嫌な御祖父様が、片手に王族の紋が入った立派な手紙を持ち、純白のドレスを満足そうに眺めている。
「昨日は何もなかったそうだよ」
カリーナと母様が応接室に入るなり、意味ありげに御祖父様はそう言うと立派な手紙を目で追いながら
「王妃様は何もご覧になっていないから、何も知らないそうだ。もちろん、ご当人のドゥーロ王子が何もないと言っているのだから、昨日は本当に何も起きてはいない。そうだろ?」
と御祖母様に問いかける。
「ええ、肝を嫌というくらい冷しましたけどね。ドゥーロ王子がこんなにあなたにご執心なんて知りませんでしたよ。」
口ではこんな事を言っているが、嘘みたいに御祖母様も上機嫌だ。
「ドレスはサプライズで昨日渡したかったそうだよ。帰るのが早すぎだと書かれている」
何が可笑しいのか、御祖父様は顔が崩れっぱなしだ。
「失礼致します。こちらが最後の贈り物になります。」
王宮の執事が恭しく、王族の紋が入った豪華に装飾された箱を手に入ってきた。
「おお」
その箱を見るや否や公爵は感嘆の声を上げた。
執事がカリーナの前に立ち、その箱を渡そうとするのを止めて、公爵が受け取った。
「やはりサッシュだ!」
公爵が箱を開けてみせる。
「まあ!まあ!まあ!なんと大きなサッシュでしょう!しかも金色よ!」
御祖母様は狂喜乱舞した。
カリーナにはさっぱり意味がわからない。
「私のサッシュより大きいな。しかも金色だ!フォルトゥーナ家から・・こんな立派なサッシュを受ける名誉が出るなんて!」
御祖父様も御祖母様も、カリーナには異国の人のように見える時がある。
カリーナはまだ社交界デビューしていないし、わからないのは無理もない。
サッシュは肩にかけたり、腰に巻いたりする帯で、云わばレディフェッロ国の勲章だ。公式行事には必ず着用する。
サッシュの大きさと色で名誉が違う。
カリーナが頂いたのは選ばれた王族しか身に付けられない最高の代物だ。
この国で、これを身に付ける事を許され社交界デビューする婚約者を見た者はいないだろう。
「おや?まだ中にあるぞ」
御祖父様は中から小さな箱を取り出す。
「なんと、なんと。リング入れのペンダントだ」
中から純白のハート型の可愛らしいペンダントが出てきた。
この国ではリングペンダントを婚約者に贈る習慣がある。
結婚指輪に変わったら、婚約の指輪をペンダントに入れ常に持ち歩くのが愛の印なのだ。
「これは・・さては!パーティーで婚約指輪を頂けるということかっ」
公爵の目の色が変わる。
先程からプレゼントの内容にあれこれ思いを寄せる公爵は、まるで自分が婚約者であるかのようだ。
ふと、公爵はそのリング入れのペンダントを開けてみた。
中には小さく折り畳まれた紙が入っていた。
愛しいリナ
「マーゴ・ドラゴーネ」だよ!
読み終えた公爵は、先程までの上機嫌はどこへやら、王宮のプレゼントで初めて嫌な顔をした。
紙をぐしゃりと潰し、乱暴にポケットに入れた。
「おやカリーナ、酷い顔だな。」
やっと公爵はカリーナの顔をきちんとご覧になった。
「このプレゼントは送り返して、明日のパーティーでのエスコートは延期してもらいましょう。」
母様はカリーナを抱きながら、きっぱりと言った。
「なんて事を言い出すんだい!」
御祖母様は信じられないとばかりに叫んだ。
「ベッラ、ただでさえ昨日のカリーナの失態をなかったことにして頂いている。延期なぞお願いしたら、それこそフォルトゥーナ家は終わりだ!」
御祖父様も静かな口調ではあるが、お怒りになっているのがわかる。
「女の子を傷だらけの顔で人前にはだせません。お父様がお願いできないのであれば、わたくしから王様にお願い致します。」
カリーナは母様の手を握りながら、御祖父様の恐い顔を見て震えていた。
「身なりの仕度がうまい侍女と美容師に化粧をさせよう。なに、少しのアザと擦り傷だ。」
公爵は自分の娘の話なんて聞かないつもりか、さっそく侍従達に指示を出している。
「お父様、わたくしは今度は本気よ。すぐにでも王様にお願いしに行きます。」
カリーナは母様がこんなに怒っているのを初めてみた。
「本気?ああ、また大事なパーティーを逃げ出して森に住むのか?」
公爵は何故だか笑っている、しかし急に真顔になると
「ベッラ、君は森の近くに家を買う準備をしているようだが、キャンセルさせてもらったよ。また、魔法使いのところに行かれては大変だ。」
母様を睨む目は憎しみに輝いていた。
「なんですって!」
どうやら母様が御祖父様や御祖母様に内緒で準備をしていた作業を、すべてご存知の様なのだ。
「この家であなたに味方する者なんていませんよ。馬車の一つも私の許可なく使わせません。」
御祖母様も母様を睨み、純白のドレスを指しながら
「貴方はこの家にどれだけの迷惑をかけたのですか!やっとここまできたのです。本来なら魔女のカリーナではなく、貴方が王妃にならなければいけな・・・」
御祖母様は涙を流して言っていたが、最後まで言い終えることが出来なかった。
「きゃー!」
矢の様な物体が応接室の立派な窓をスパーンと割ったからだ。
「なんだ!」
矢の様だと思われた物体は手紙の形をしている。大理石のテーブルに突き刺さり、風でヒラヒラと揺れていた。
「おいおい・・」
御祖父様が狼狽えていると、手に取ってもらえない手紙は業を煮やしたかのように、公爵の前へ浮き立つと、なんと自ら紙を開きだした。
「ま、魔法だ・・」
カリーナは手紙を操る魔法に見惚れている。訓練された素晴らしい魔法だ。
「嘘だ!嘘だ!」
手紙を見せつけられた御祖父様の顔が青ざめていく。
「カリーナを明日のパーティーに連れ出せば、父親である自分がカリーナを奪いに行くだと!何てふざけた奴だ!」
公爵の怒りの叫びが部屋に響きわたった。
「なんですって!」
御祖母様は怒りでその手紙を御祖父様から奪おうとする。
「まさか・・」
母様も震えながら手紙に近づく。
三人が突然の魔法の手紙に集まり、混乱していると
カリーナの前に黒いインクで書かれたような文字が浮かび上がった。
「うわっ」
カリーナは驚きで一瞬声がでたが、すぐに押し込めた。
カリーナへ
この文字はお前が読んだら消えるようにできている。
魔力のある者しか読めない文字だ。
皆には気づかれないから安心しなさい。
公爵はどうもあの暴君とお前を結婚させたいようだね。
王族は鉄の血が入っているから、魔女であるお前にあまりお薦めはしない。
明日は満月だ。
明日のパーティーで大広間に入ったら、ちょうど満月が雲に隠れるだろう。
シャンデリアが大揺れするのが合図だ。
君を助けに行く。
私の名前を叫びなさい。
文字はそこで消えた・・・
「どうしよう・・」
カリーナは困り果ててしまった。
「父」に助けに来てほしい、しかし、しかし
「父様は何て言うお名前なの?」
カリーナは「父」の名前を知らなかった。
パーティーの当日。
カリーナは王宮の待ち合い室の窓から満月を不安そうに眺めている。
「父」の言う通り、ドゥーロ王子の誕生パーティーの夜は満月だった。
結局、今になっても「父」の名前がわからない。
母様に勇気を出して聞いてみたかったが、パーティーの今日まで、御祖父様が母様に会わせないようにして、話す機会が全くなかった。
「どうしよう・・」
ドゥーロ王子に聞いてはみたいが、教えてくれるとは到底思えない。
「おい、リナ!さっきからボーっとして窓ばかり見ているぞ。何て馬鹿な顔をしてるんだ!」
ドゥーロ王子はまたカリーナをいじめている。
今日は朝から怒濤のようにパーティーの仕度をしていて、王子に会ったのはつい先程だ、あの事件以来だからぎこちなかった。
純白のドレスを身にまとったカリーナが入ってくると、王子はまともに顔すら見てくれない。
やはり魔法で燃やされた事をまだ怒っているのだろうか?
カリーナはそう考えた。
もうすぐパーティーが始まる数分間、待ち合い室は2人きりで、カリーナとしては居心地がこの上なく悪い。
「おい、リング入れのペンダントは?」
ドゥーロ王子が乱暴な口調で尋ねてきた。
「・・しています。綺麗なペンダントをありがとうございます。」
ペンダントをしているかどうかなんて、自分を見ればすぐにわかるものを、なぜ質問してくるのか、カリーナには意味がわからなかったが、丁寧に答えるようにした。
「馬鹿、開けてみたかって聞いてるの。」
しかしドゥーロ王子はまたまた訳のわからない質問をする。
「・・・はい」
カリーナはどう返事をするのが正解なのか全くわからなかった。
「馬鹿!」
ドゥーロ王子はカリーナの答えに、どうやら傷ついてしまったらしい。
強がっていても、一瞬悲しい顔をした。
「まだ怒ってるの?」
そう聞いてくるから、カリーナは何て答えたら良いのか本当にわからなくなって、考えていると
「左手を出せ」
ドゥーロ王子に強引に左手を捕まれてしまった。
「あっ」
少し震えた指先から、カリーナの薬指に指輪が差し込まれた。
「婚約の指輪・・」
カリーナがキラキラ光る指輪を見ていると、ドゥーロ王子が少し興奮気味に
「時間がないから、早くつけてよ。パーティーで俺だけ指輪していなかったら、ふられたみたいに思われるだろ!」
と言って、ぐいっと差し出された王子の左手には指輪が乗っている。
「・・はい。」
カリーナはドゥーロ王子の手に指輪をはめた。
この時、王子の視線が嫌というくらい自分に注がれているのがわかる。
「傷が・・」
ドゥーロはカリーナの肌を隠すような白粉からみえる、うっすら赤く線を引いたかのような傷痕をなぞり
「リナ、もう君が危険な目に合うような事はしないよ。」
優しく話しかけてくる王子にカリーナは驚いて顔を上げると、そのまま肩を抱かれて頬にキスをされた。
「!!!」
カリーナは驚いて声も出せない。
自分の顔が真っ赤になっているのがわかった。よく見ると王子も耳まで赤くしている。
「馬鹿!指輪を交換したら、キスをするものなの!」
ドゥーロ王子はなんだかまた怒っているようだ。
その時、急に部屋の灯りが消えた。
「な、なんだ?」
カリーナも王子もキョロキョロ辺りを見回すと、今度は灯りが灯る!
消えては灯り、消えては灯る・・・
「おーのーれー」
カリーナは地響きのような唸り声を聞いた。
「きゃー!」
パーティーの大広間でも大騒ぎをしているから、王宮全体が不思議な現象に包まれたようだ。
カリーナは急いで窓の外の満月を見る。
月はまだ雲に隠れてはいない・・・
(私を助けてくれるには、約束の時間より少し早くない?)
では、この現象は別の魔法使いによるものだろうか?
その時、ドーンという爆音がして待ち合い室の窓を突き破った。
「なんだ?なんだ?」
煙が上がり爆風がして前が見通せない。
「リナ!」
王子の叫び声がする。
「さあ、お前の「父」の名を呼べ!魔女よ!」
聞いた事のない男性の声がした。
「リナ!いってはいけない!」
ドゥーロ王子が叫んでいる。
「ごめんなさい、私・・」
カリーナも煙をかき分けながら叫ぶ。
「さあ、カリーナ!呼べ!」
男性の声は強くなってきた。
「名前を呼びたくても、父様の名前がわからないの・・」
カリーナは正直に叫んだ。
「え?」
「え?」
王子と魔法使い、2人の驚いた反応が同時にシンクロをした。
「チッ」
と舌打ちする音が聞こえると、ドスンと大きなものが目の前に落ちる音がする
大きな金色の目が光り、黒い鱗がギラギラと満月に照らされていた!
「り、竜!!」
カリーナはこんな間近で竜を初めて見た。
声の主は父親だとばかり思っていたのに!
すると、煙が竜にどんどん吸い寄せられていく。
渦をまいて竜が竜巻の中にいるかのようだ。
「すごい、か、ぜが!」
ドゥーロ王子の叫ぶ声が聞こえたと思うと、竜をまとっていた煙が消えて黒い人影がそびえ立つ。
満月に照らされて魔法使いが姿を表した。
黒く長い髪に金色の瞳、それは自分によく似ている人だった。
「名前を知らないのは想定外だった。」
魔法使いはカリーナを抱き上げると、軽々と窓の縁に飛び乗り
「ドラチェッロー!!」
と大きな叫び声を出した。
「リナを返せー!」
ドゥーロ王子が駆け出してくる。
魔法使いは目を細めて王子を睨み
「暴君、可愛い娘をいじめるお前には渡せない!」
と言って、さっと窓から飛び落ちた。
「きゃー!」
落ちながらカリーナが叫んでいると
「え?ええ?」
すぐに地面に落ちたのかと思ったが
「竜に乗るのは初めてかい?小さな魔女さん。」
大きな竜が悠々とカリーナ達を乗せて夜空を駆けている。
「竜がしゃべったー!!」
カリーナは更に驚いた。
「ドラチェッロだ。竜の言葉がわかるようだね。」
魔法使いは何だか嬉しそうだ。
「そりゃ当然だろ!竜の番人、大魔法使いマーゴ様の一人娘だぜ?」
竜も嬉しそうに尾をビュンビュン回して答えた。
「マーゴ・・」
初めて聞く「父」の名前だ、ずっとずっと知りたかった名前だ。
「マーゴ・ドラゴーネだ」
長い髪をなびかせてその魔法使いは答えた。
「マーゴ・ドラゴーネ!」
カリーナの歓喜の声が夜空に大きく響きわたった。