奈落の魔獣
『魔の森』と呼ばれる危険区域で、俺は戸惑っていた。
召喚した武器でナトレイアがモンスターを倒しても、カード化しなかった。
このモンスターのカードを、すでに持っている?
いや、猿型のモンスターは一体も持っていない。
ならばこのモンスターのカードが手に入るはずなのだが……
「ナトレイア。この猿型モンスター、まだ生きてると思うか?」
「は? ……どう見ても真っ二つだろう、コタロー。これで生きているはずが無い」
だよな。
目の前の物言わぬ肉塊はピクリとも動かず、どう見ても事切れている。
念のために『鑑定』をかけてみるか。
と思い至った瞬間。カードを選択する間に、死体がボフリと音を立てて朽ち、ボロボロに散っていった。
後には骨も残らず、モンスターのいた痕跡が崩れ、消え去ってしまう。
「な、なんだ、これ……?」
「そうか、騎士爵は見るのは初めてかの。――魔の森のモンスターの一部は、その屍を残さぬ。このように崩れ消え、後には何も残らぬのだよ」
オーゼンさんが説明してくれるが、にわかに信じられない。
今までのモンスターと生態が違いすぎる。
肉体の、腐敗を通り越した高速風化?
本当に生物なのか、疑問を抱くところだ。
「ウガァッ!」
護衛のオーガたちが吼える。
差し込む光の少ない、ほの暗い森の木々の先に、先ほどと同じ二体の猿型モンスターが姿を見せていた。
黒い毛並みに長い手足。長い尾は、樹上を移動するのに役に立つだろう。
その眼球は、瞳が無く、暗い森の中で血のような暗褐色に輝いている。
同行しているオーゼンさんとエルキュール所長をかばう位置に立ち、俺は今度こそ、すかさず『鑑定』を放つ。
『アビスエイプ』
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『異形』・このモンスターは、混沌の一部である。
「――ッ! 前に出ろ、オーガ! ナトレイア、下がれ! 一撃でやられるぞ!」
「何だと!?」
反射的に叫んだ俺の指示に、ナトレイアが後退する。
代わりに前進した武装オーガが、『銀のハルバード』を振るって一体をしとめた。
だが、もう一体のアビスエイプの横からの一撃に、オーガの巨体が吹き飛ばされる。
装備したハルバードをへし折り、致命傷を与える強烈な一撃がオーガを襲った。
昏倒するオーガにとどめを刺そうとしたアビスエイプの首を、追いついた残りのオーガ二体が後ろから同時に刈り取って、どうにか事なきを得た。
「グ……ガゥ……」
瀕死になって立ち上がれない、負傷したオーガを他の二体が抱えて俺のところに戻ってくる。
危なかった。『銀のハルバード』を装備させてなかったら、一撃でやられてた。
負傷したオーガを『治癒の法術』で応急手当てし、代わりの『銀のハルバード』を持たせてやる。
全回復とは行かなかったが、自己再生能力で持ち直してくれるだろう。
「うそ……あのオーガが、一撃で動けなくされちゃうの……?」
オリジナルの森の主と戦ったことのあるアシュリーが、その威力を想像して、戦慄に身を震わせていた。
「体格的には、オークよりも小さいのだが……それほどの威力か、コタロー?」
「お前らは基準を知ってるから数字で言うが、攻撃力5の体力3だ。武器を持ってないオーガとキッチリ相討ちになる」
ボフリ、とアビスエイプの死体がまた崩れ去る。
やはりカード化はしない。
「オーガを一撃で倒す破壊力……食らえば、生きていられる冒険者はいないな」
ぞっとした表情で自分の肩を抱くナトレイアと、言葉を失うオーゼンさんたち。
だが、俺はそのとき、攻撃力よりもっと不穏な要素のことを考えていた。
最初、俺は間違って『人類』を殺めたのかと思った。
モンスターは倒せばカード化されるが、人類はおそらくデルムッドのような自己選択を経ない限り、カードにはならないだろうというように理解している。
だから、カード化しなかったのなら、この猿はモンスターではなく、異形の様相の亜人だったのではないか。そう思った。
けれど、その考えは『鑑定』に否定された。
『アビスエイプ』
5/3
『異形』・このモンスターは、混沌の一部である。
詳細のわからない能力のテキストに、はっきりと「モンスター」だと書かれている。
では、なぜカード化されなかったのか。
『――やっぱり、そうなんだね』
俺の疑問を確かめるかのように、周りを飛んでいたエミルが言った。
『そうだよ、マスター。マスターの能力は、世界のあらゆるものを具現化する』
トリクスの森で殺されかけたとき、俺を形作る『伝説』たちは、俺という「魔法」を指して、そう説明した。
俺のスキルは、この世界のあらゆる存在をカードに変換できる。
そのポテンシャルを持った能力だ。
だから、モンスターが『カード化』できなかった、ということは……
『この森のモンスターは――「この世界のもの」じゃないんだよ』
まずい!
「全員、急いで森を出るぞ! この森に入っちゃダメだ!」
大声で全員に撤退の指示を出す。
俺の慌てように、オーゼンさんや所長は怪訝そうに尋ねてきた。
「ど、どうしたのじゃ、騎士爵。確かに、この森のモンスターは滅多に森の外には出ぬが」
「き、騎士爵でも、そんなに危険に思う場所なのかい?」
俺でも、じゃない。――『俺だから』だ!
「急ぎますよ、二人とも! オーガ、デトネイトイーグル、先行して退路を確保しろ!」
オーガたちを先導に、俺たちは森の出口へと向けて走り出す。
まずい。まずい。まずい!
この世界のものじゃない――その事実が指し示すことは、一つだ。
俺以外の、他の「魔法」がいる!
俺のような魔法か、もしくはそれに準ずる、この世界の外側からの存在。
世界の『外来種』が、間違いなくこの森に潜んでやがる!
俺みたいなデタラメなことを成し遂げる能力を持った存在が、ここに眠っている。
しかも、生み出してるモンスターの理性の無さからして、人間以外の可能性が高い!
この世界の常識がまるで通用しない、そんな危険性がある場所に、非戦闘員二人を連れてのほほんと散歩するなんて、危機意識が無いにも程がある!
「エミル! この世界は、『停滞』してるんじゃなかったのか!?」
『そうだよ? だから、マスターが呼ばれたんだもの。でもね』
走る俺に、エミルは併走して飛びながら真顔で告げた。
『――「停滞」してるけど、「安定」してるとは誰も、一言も言ってないよ?』
そういう理屈か、コンチクショウ!
とにかく、まずオーゼンさんたちを、森の外まで安全に連れ出さないと!
なんなんだ、この森は!
******
息を切らしながら、どうにか森から離れた草原まで戻ってきた。
ヒザに手を突いて、肩で息をする。
ぶ、無事で良かった。
「エミル。説明しろ、俺がこの世界に呼ばれた理由は、この世界を発展させるためじゃないのか?」
『うーん。そうであるとも言えるし、そうではないと言えるかも。……マスターの考えるとおり、千年前の災厄の魔獣は、この世界の「外」の存在だと思うよ。この世界の住人たちは、その傷跡と、元から住んでるモンスター。この二つに、発展を阻害されてる』
「危険が多すぎるだろ、この世界は……」
『あはは、だから、トルトゥーラが言ってたじゃん。力を貸す、って。マスターなら、対抗できる可能性があるんだよ。同じ「外」の存在、この世界のものとは異なる魔の法則、「魔法」だからね』
ああ、なるほどね。
そこで繋がるわけね。
確かに、トルトゥーラはあのとき言ってたもんな。
……望むと望まざるとに関わらず、この世界は危険だぜ、って。
「……待ってくれ、『外』の存在……?」
「この世界のものとは異なる法則、じゃと……? いったい、どういう意味じゃ、騎士爵……!?」
あ、やべ。




