さらば辺境伯領
十日が経った。
辺境伯邸での座学は講師からのお墨付きを貰え、何とか修了となった。
貴族法の要点は、要するに平民に無体な真似すんな。
税以外に罪の無い平民から有形無形、無理に奪うな。
平民に作為的な罪を押しつけるな。
その三点だ。
破った場合は国法に則り処罰される。
抗ったり逃亡したりする場合は、周囲の貴族が追っ手に回るという念の入り用だ。
この説明だと、貴族特権とは何だという疑問が上がるかも知れない。
貴族って何が特別なの、と一見、首をひねりたくもなる。
その答えは簡単だ。
この国では、貴族でしかできないことがある。成れない立場や職がある。所持が許されてるものや、立ち入れない場所なんかがあったりする。
つまり、貴族とは本質的に階級ではなく区分なのだ。
身分と言うより国家資格に近い。
俺の目的地である魔導研究所や王立図書館もそういった、貴族かその関係者しか立ち入れない場所らしいので、この身分をくれた辺境伯に感謝、というところだ。
「まぁ、王都にも横暴な貴族もおるがの」
「ああ、うん。何となくわかる。法整備されてても、そういう人はいるよね」
生まれや職業なんかの社会的地位や権利で、選民意識を持っちゃう人いるよね。
地球で言う、いわゆる上級国民な人たちとか。
「そういう意味で下級貴族は、派閥の上級貴族相手だと、法で庇護はされておらんから一番辛い立ち位置かもの」
辛い話だ。中間管理職が労働組合の恩恵を受けられないようなもんで、下手に役職持った方がキツい場合もあるのね。
上納金とかも納めなきゃいけないし、金銭なり労働なり、組織の搾取構造はどこも似たようなもんだな。
俺の場合は、その上位の辺境伯から自由にしていい、と言われてるので問題ないが。
「心配せずとも、騎士爵に横暴を働くアホな貴族など、王都にはおるまいて」
「軽く笑ってるけど、それはどういう意味で?」
……騎士爵って、一番下っ端の爵位じゃないの?
「騎士爵は皆、武功を持っておるからじゃ。――要するに、武功で成り上がった実力者を相手にケンカを売れるなど、性根の座っておらぬ血筋だけの貴族には無理じゃろ」
あー。
腕っ節で叙任されてる猛者に、真っ正面から実力勝負をふっかけるバカはいないか。
最悪、下手に決闘にでも持ち込まれたら酷い目に遭うだろうしね。
ちなみに、貴族の子どもとかが騎士になる場合は、アランさんみたいに子爵や男爵なんかの、もう少し上の爵位になるらしい。
アランさんの場合は、実力も高い本物の貴族家当主だけど。
ので、騎士爵は、本当に武功で身を立てた実力者しかいないそうだ。
なるほどね。
「そういうわけじゃから、お主なら大丈夫じゃろう。元気でやれよ、コタロー」
「ああ。色々ありがとうな、クリシュナ」
俺は笑って言った。
クリシュナも笑っていた。
彼女の瞳には、涙がにじんでいたけれど。
******
そういうわけで、この領に留まる理由は無くなってしまった。
日本に帰る手段を探すために、俺たちは王都に向かうことになる。
アシュリーのマジックバッグに食料や野営道具を詰め、馬車で二十日かかる旅路を行くことになる。
ただし、移動手段は馬車でも馬でもない。
ラージグリフォンである。
「それじゃ、本当にお世話になりました。ロズワルド辺境伯」
「うむ。調べ物が終わったら、またいつか立ち寄りなさい。故郷の話だけでなく、きみの旅での話も聞かせてくれ」
広い辺境伯邸の中庭で、俺はグリフォンを三体喚び出していた。
行進演習にも使われる広大な中庭には、上級騎士の皆さんや、飛行モンスター討伐に参加した兵士たち、ドラゴン討伐に参加していた兵士たちが整列して、俺たちを見送ろうとしてくれていた。
その先頭に立つ辺境伯の隣には、クリシュナもいる。
俺の顔を横切り、エミルがふいっと彼女の方へと飛ぶ。
『じゃーね、ちんちくりん。あんたと話すの、結構楽しかったよ?』
「ちんちくりんと呼ぶでない……また、来るのだぞ。必ず」
にこりと笑って、エミルは手を振りながら俺の元へ戻ってくる。
クリシュナは見送りの惜別を耐えるように、じっと黙っていた。
「コタロー、そろそろ行くわよ」
「グリフォンを替えながら行けば、四日ほどで着くかもしれんな」
アシュリーとナトレイアが俺を促す。
俺は居並ぶ辺境領の人たちに手を振りながら、グリフォンにまたがった。
「それじゃ、行きます。皆さん、お元気で!」
王都を目指し、三匹のグリフォンと一匹の妖精が飛び立つ。
「――コタローっ!」
そのとき、背後から叫ぶ声があった。
涙混じりの、クリシュナの声が、聞こえた。
「コタロー! わらわは待っておるからな! わらわはこの辺境領におる! 故郷に戻れなんだら、ここに戻ってこい! いつでも受け入れる! いつか、ここに戻ってきて――」
彼女は、あらん限りに声を張り、目一杯の大きさでその言葉を叫んだ。
「――わらわを娶りに来いっ!」
俺だけでなく、アシュリーも噴き出してむせるのが見えた。
おいおい、こんな大観衆の前で何言ってんだ!?
振り返ると、そこには、瞳を濡らしながらも、懸命に俺を見つめる少女の姿が――
本気なのか。
ふざけた返答も、慌てることすらも、彼女の表情には見合わない気がした。
だから、俺は思いきり笑って、小さな姫君の精一杯の告白に答えた。
「――十年経って、お前の気が変わらなかったら、考えとくよ!」
「待てるか、アホ――――ッ!!」
不評でした。
すまん。いやでも、こうしか返せないよ。
「美しく育ったわらわを見て、捕まえておかなかったことを後悔させてやるからの――ッ!!」
憤慨するクリシュナの元気さに、何だか長いことここにいたような郷愁を覚える。
そうだな。もし帰れなかったら、この土地で暮らしてくのも良いかもな。
いつか、帰ってこよう。もう一度、この人たちに会いに来よう。
そんな感慨を胸に、俺は背越しにクリシュナに向けて、手を挙げた。
「いい女になれよっ、クリシュナ!」
言われずともなってやるわ! と言う反論が聞こえる。
あー。俺の周りの女性陣は強いよな、本当に。
自分の表情がほころぶのを感じる。
隣を飛ぶアシュリーを見ると、彼女は不思議そうに目を瞬かせてこちらを見返した。
「だから……わらわは諦めんからのッ、コタロ――っ!!」
地表が遠ざかる。遠くに聞こえる声。
前を向く。目指すは王都。この道の遙か向こう。
空は快晴、風は追い風、背中を圧している。
親しくなった人たちに、しばしの別れを告げて――
さらば、賑やかだった辺境伯領よ!




