異世界の宗教
エルダードラゴンたちとの交渉を終えた後、俺たちは『竜の谷』を降り、法国の教都アプレシーダへと戻ってきた。
エルダードラゴンたちの助力は、条件付きながら得られる、という結論にはなったものの、その条件をクリアするのがまた難題だ。
この大陸の国々が意思統一して、戦線に加わらなければならない。
けれども、ここで人類が立ち上がらないのならば、この大陸で人類の存在意義は確立できない。
……し、加えて、蚊帳の外に置かれてハイボルト陛下やクロムウェル陛下も納得できるとは思えない。
俺が暴走したような僭越な交渉結果ではないかという懸念もあったけど、もし人類側が参加を渋るようなら、俺たちとエルダードラゴンだけが戦えば済む話だ。
最初から、人類を戦力外としてのけ者にするような事態にはしたくなかった。
と、言うことで、法国教都の中心、宮廷神殿で俺たちに用意された宿舎で、ハイボルト陛下とクロムウェル陛下に連絡を取ることにした。
遠距離通信スペル『微風のささやき』は、こういうときにも便利だ。
「よくやってくれた! その展開こそが、望むべきところだよ、ナギハラ伯爵! ――マークフェル王国は、国王ハイボルト・フェン・マークフェルの名において挙兵を宣言する! 弱気な貴族に否とは言わせない!」
「その通りだ。窮地に伏して怯えるだけでは、人類はただ地上にはびこり土地を荒らすだけの害悪だ。ならば我ら皇族や貴族は、エルダードラゴン殿に助力せねばならん。――エルダードラゴンが興隆せし、我がマナティアラ帝国ももちろん参加だ」
「……その言葉を聞けてホッとしましたよ。事後承諾みたいになって、すみません」
姿こそ見えないが、国家元首の二人は意気高く賛同してくれた。
貴族が貴族として祭り上げられる理由を、誰よりも知ってる二人だからな。この機会に貴族や王族が立ち上がらなければ、その権威が失墜して『王国』や『帝国』というくくりが崩壊してしまうことをよく知っている。
とりあえずは、一つ安心できた。
「二カ国は賛同と言うことですね。法王猊下に代わって、この聖女エスクレイルが述べますが、我が法国も主導として賛同です。――この大陸の国家は六つ。これで三つの大国が参加した、ということで、残り三カ国の賛同を得なければなりません」
同じ室内だけど、エスクレイルにも『微風のささやき』を使用している。
このスペルは同時使用すると、チャットルーム的に使用対象者全員で会話することができるのだ。
エスクレイルは両陛下に会ったことはないけど、俺を介した裏技でこうして短時間ながら会談できる、というわけだ。
……しかし、この大陸、広そうだけど国家は六つしかないのな。
というか、過去に『帝国』が小国群をほとんど飲み込んでるから、必然的に帝国に対して独立を保てる大国家がいくつかしか残ってないんだな。
それならそれで、国家の数が少ないのは、意思統一する分にはやりやすいとも言える。
俺個人の経過報告を兼ねた簡易会談で、計らずも意思統一ができた。
法王猊下は今さらハシゴを外しはしないだろうから、これで三カ国間の内々の同意が得られたことになる。
「ふん。怖じけるどころか、望むところ、と来おったか。人類も、それなりには気骨があるもんだのぅ」
「瞬く間の寿命だとしても、赤子のままというわけではないんだろう、長老。我らとは生きる速さが違うのだ」
そう、大霊峰を降りて法国に訪れたのは、俺たちだけではない。
エルダードラゴンの長老と、デルフリートさんも一緒だ。
二人は、俺の意見が人類の総意であるのかは疑わしい、と法国まで真偽を確かめに来たのだ。
確かに、人類を戦場に駆り出したのが、俺の独り相撲に過ぎなかったら交渉の意味自体がなくなっちまうもんな。
先走り気味の主張だったわけだけど、両陛下の意志が俺と同じく参戦に向かっていると知って、デルフリートさんは感心したようにうなずいていた。
ただ、長老は両陛下の意見と、デルフリートさんの言葉に、竜と人類の寿命の違いからか、寂しそうなつぶやきを漏らした。
「なぜに、生き急ぐ……短い命じゃとしても、それを捨てていいことにはならんじゃろうに」
「命を捨てる気など、無いだろう」
長老のつぶやきを拾い、デルフリートさんが答える。
そして、短く続けた。
「人類は、命の使いどころを知っている、ということだ。短い命だからな」
その言葉に、長老は黙して何も答えなかった。
光陰矢のごとし。命短し恋せよ乙女。下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
人間の寿命の短さをうたった言葉は、元の世界にはいくつもあった。
元の世界では当たり前でも、この世界では、エルダードラゴンとはまるで違う寿命と生き様の差に、長老たちは感じ入るものがあったんだろう。
長老は人類を「被保護者」と見て、デルフリートさんは人類を同じ戦場に挑む「戦士」と見た。
二人のつぶやきの差は、その違いなのかもしれない。
それきり、室内では誰も、何もしゃべらなかった。
しばらくおいて、法王猊下の会談の準備が整うまで、室内は無言だった。
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「……皆様方、お待たせしましたね」
老齢の法王猊下が、杖をつきながら応接室に入室してくる。
その傍らでは、介助の神官が猊下の身体を支えて、ソファへと座らせていた。
他の王国では引退しそうな年齢なのだけど、それでも法王の座に着いているのは、宗教的権威でもあるからだろうか?
その温和な表情には権力に対する執着は見られず、為政者としてではなく、象徴的な責務を任じられている国家元首の自負が見て取れた。
君臨する王、というよりは祀る神官の長、という感じだな。
たぶん実務関係は枢機卿や司教なんかの、その下の階位の人がやってる可能性もある。
「ご苦労さまでした、コタロー様。先んじて二カ国の了承を得られたということで、感謝いたします。残り三カ国にも使者を飛ばし、法国にて参加の会談を行うことになるでしょう」
法王猊下は穏やかに、俺たちにそう言ってくれた。
ただ、実際には言い出した人間の責任として、俺も説得には加わるだろうけど。
そして、法王猊下は毅然と、居住まいを正して俺に向き直った。
「今回の謝礼とは別に、あなた様にはお話ししておかなければならないことがあります。あなた様の信頼を得るための、我らの宗教の成り立ちと『世界』との関係性について。そう――この『世界』の成り立ちについて、我らや『聖女』が知ることを」
ようやく、か。
俺個人の認識する宗教への印象ってのは、日本のカルトへの印象がベースになってるから、どうにもうさんくさいものだったんだよな。
けれども、信仰的な制約や強制がほとんど聞かれず、自然的な大存在への畏敬もあることから――
どうも、日本古来の『神道』と似たような印象を感じてもいる、ってのが本当のところだ。
日本の頂点、「君臨しても統治せず」の存在も、由来的には「神官の長」だったはずだから、目の前の法王猊下に感じる穏やかさは、それに似ているという親近感なのかもしれない。
法王猊下は語る。
「かつて、この大陸にはいくつかの宗教があったと伝えられています。けれど、残っているのは我らの教えだけです。我らの宗派には、『名はありません』。ただ、この『世界』と、その中におわす偉大な存在に謝意を示す教えなのです」
宗教なのに……『名』がない?
なんだそりゃ、そんなので宗教が成り立つのか?
いや……!
「我らの宗派に『名』はいらぬのです。宗派に名があれば、信仰の対象ではなく宗派自体が権力を持ってしまいます。教えではなく、宗派の権威を崇めるようになってしまいます。――だから、我らの宗派は、ただ人々に教えを抱いてもらうだけなのです」
その法王猊下の話を聞いて、俺は戦慄した。
宗派名という「特別」な存在ではない。その教えを人々は当たり前に持ち、その教えに疑問を持たず生きる。人々の、生活――「人生」の中に溶け込む宗教。
デカい。
あまりにも、デカい。下手に名のある宗教よりも、よほど――『怖い』。
それは、長い歴史を経て、この世界の人類に完全に浸透している宗教だということに他ならないからだ。
人類の間に、普遍的な『常識』として存在する宗教。
一宗教がそんなに普及しているなんて、日本じゃ考えられないことだ。
「誤解しないでいただきたいのですが、他の宗教を駆逐した、というわけではないのです。今でも、新たな宗派名を掲げる宗教や教会は、たまに現れます。ですが、それらは過去の宗教と同じように、すぐに廃れます。――どんなお題目も、モンスターの脅威の前には意味を持たないからです」
人が、すぐに死ぬ世界。人を殺せる脅威のはびこる世界。
――人類が、存在的弱者である世界。
何を信じていても、他人に何を信じさせても。
ともすれば、あっさりと食い殺される世界。
そんな世界に、生半可な『信仰』は意味を持たない。
「死後の世界観は無いのですか? 現世で悪行を行えば、死後で別の世界で罰される。だから、善行を行おう……というような」
「ありません。現世で悪行が行われたなら、現世で罰されなければ意味がありません。そして、人類が悪に染まるのならば、エルダードラゴン様方のような、現世でそれを疎む上位の存在に滅ぼされるのみです。……我らは、悪事を貫き通せるほどに、強い存在ではないのです」
なるほど、と苦笑する。
地球と異世界の差がここで出たな。
この世界じゃ、やっぱり人類は好き勝手できるほど横暴な存在ではいられない。
やり過ぎれば滅ぼされる側の立場なんだから、お行儀良くしてなさい、ってことだ。
「ですが、上位の存在に媚びるわけではありません。上位の存在はそれを望みませんし、媚びて見返りがあるわけでもありません。上位の存在は上位の存在、我ら人類は人類、で自立しなければならないのです。……ですから、ただ『敬意』を持って生きるのです」
「そうじゃの。じゃから、我らは人類と距離を取って隠棲しておる。……捧げ物を持ってこられるのは、何とも複雑な心境じゃが。要らんと言うても置き去りにされるのでな」
長老が弱ったように、苦々しくつぶやく。
うーん。
実は、人類からの捧げ物は、長命種のエルダードラゴンからしてみれば「おじいちゃんが息子や孫からお小遣いを押しつけられてる」みたいな認識なのかもしれない。
人によるけど、そりゃ微妙な気分だよな。
とは言え、使わないと溜まってくばかりだから、使わざるを得ないんだろうけど。
「それにですね。……一般的に、悪心を持つ者は、死後はアンデッド・モンスターになって討伐されてしまいますから。そうなりたくないように悪事は避ける、という意味では死後を恐れて善行を積む、という観念はありますね。死後も苦しみたくない、という」
「そうなの?」
「そう言われてるわね」
「そうだな」
俺が振り返ると、アシュリーとナトレイアが首肯した。
マジかよ。今まで聞いたことなかったけど、地獄が現世に含まれてるんじゃん。
そりゃ別世界とか考えないわ。現世にもうあるし。
そういや、俺の転生の秘密を話したとき、「アンデッドか?」って聞かれたな。
異世界だなぁ。
「そういうわけで、我らは教義を広めますが、信仰を強制してはいないのですよ。敬意を持つかどうかは個人で違いますし、敬意を持ちたい者が持てば良い、そう言った人間がこの法国に集まっています。行いを正さなければ自分に害が及ぶだけなので、それも自由です」
法王猊下は、自分たちの宗教についてそう締めくくった。
何というか……
偏向的な宗教というか、ただの道徳教育機関、という気もする。
ただ、道徳も元々は宗教的価値観に由来するものも多いので、そういった意味では確かに宗教としては成り立ってるのかな?
まぁ、強制も勧誘もされないなら、別に良いか。
日本人的には、信仰はそれぞれの自由だし。
「まぁ、この世界の文化の説明はこのくらいにしまして。……この法国が国として存在する理由は、また別にあります。それは――エスクレイル?」
「はい。我ら、代々の『聖女』の存在がその理由ですね。『世界』――皆様が『根源』と呼ぶ存在との繋がりを持つ人類、その実在によって、人類社会に影響力を持つ組織が必要になったからです」
「ふむ。我らエルダードラゴンに代わる、人類の『代行者』あるいは『代弁者』としての役割をまっとうするため、かの?」
長老の指摘に、エスクレイルと法王猊下は「そうです」と同時にうなずいた。
俺は、今まで気になっていたことを改めて聞いてみる。
「皆さん。その、『根源』というのは――どういう存在なのですか?」
そうして尋ねる俺に、聖女エスクレイルや、エルダードラゴンの長老たちは、この世界の成り立ちを語ってくれた。




