竜の谷への招き
人化スキルで人の姿を取ったエルダードラゴンは、戦闘態勢を解いてくれた。
代わりに、縮こまって震えるオルスロートに歩み寄ると、その少年の頭にゲンコツを墜とす。
痛そうだな。
「勝手に『谷』を飛び出しおって……この千年間、ずいぶんと人里で暴れていたそうだな? 法国の神官から、『帝国』の話は耳にしておるぞ」
「ご、ごめんよ父上。黙って人里に行ったのは、『ボク』が悪かった。でも、じっとは……」
じっとはしていられなかった。
エルダードラゴンたちに犠牲者を出した『災厄の欠片』を何とかしたかった、とオルスロートは言いたかったのだろう。
道を間違えはしたけれど、そのための千年間だったのだから。
けれど、オルスロートの父親は、気迫をみなぎらせてオルスロートに触れんばかりに近づく。
そして、彼は息子を責めることはしなかった。
その小さな頭を、父親のたくましい腕で抱き寄せて、静かに口を開く。
「……バカ息子が。人間と関わるな。どうあがいても、人は弱く、その命もすぐに尽きる。どれだけ親しくなろうと、どれだけ力を合わせようと、彼らとの足並みは揃わん。彼らはいつだって――我らを置いて、先に逝く種族なのだ」
「うん……そのことを、思い知ったよ……みんな、ボクを置いて、いなくなった……」
父親の身体に顔を押しつけられたオルスロートから、ぐすり、と小さな声が聞こえる。
それはやがてすすり泣くようなものに変わるが、表情は見えない。
ただ、帰郷した息子が、父親に抱きしめられていた。
「俺の名はデルフリート。このバカ息子の父親だ。――一緒にいるお前らは、いったい何者だ? 高い魔力に古代の魔導兵器……中でも、そこのお前。お前は……本当に、人類か?」
デルフリートと名乗った父親が、俺たちを順に睥睨し、俺を見つめて視線を強めた。
この人が、『竜の谷』に住むエルダードラゴンの一人。
俺たちは、この人たちの助力を得なければならない。
「あたしたちは、マークフェル王国の住人よ。こいつはあたしたちの主人、王国名誉伯爵位――」
「待ってくれ、アシュリー。……それじゃダメだ」
威圧されるまま黙っている俺を気遣って、代わりに率先して名乗りを上げようとするアシュリー。
その彼女を制して、俺は改めて自分で名乗りを上げた。
人類の社会の地位なんて、エルダードラゴンの前には何の意味も持たない。
「俺は、この滅びかけた世界に請われて別の世界からやってきた。別世界の法則から生まれた者、『カードマスター』の魔法、名をコタロー・ナギハラと言う。周りは俺の仲間たちだ」
「エクストラ……ルール……?」
初めて聞く単語に、眉根を寄せるデルフリートさん。俺はその意味を説明する。
この世界の外から来た、異なる法則。この世界の外来種。
そして――
「ああ。『災厄の欠片』を倒すためにこの世界に喚ばれた、その『同類』だ」
「あの邪神の同種か!」
いきり立つデルフリートさんの前に、ハンジロウとバルタザールが前に出る。
ラトヴィニアスが片手で貴族帽を抑えながら、俺をかばうように間に入り、そして珍しく神妙な声で告げた。
「我々は、この世界の朽ちた『伝説』。かつてこの世界の人々に語られ、そして語られなくなった、忘れ去られた神格。――魔術士コタローは、彼は、現世に蘇らせた我々とともに力を振るい、邪神を倒す役目を負った者だ。この世界の『味方』なのだよ」
その手に構えている二枚のカードは、『スタンランペイジ』と『シャドウノッカー』。
いざとなれば戦いも辞さない構えだ。
意志は同じなのか、他の二人の『伝説』も武器を手に、名乗りを上げる。
「神話の世に生を受けし、半神バルタザール。神代の使命により、人々は我が護る」
「遙か遠国より喚ばれし剣士、『覇王殺し』ハンジロウ。お館様に忠節を捧げる者なり」
武器を構える二人に、対峙するデルフリートさんとの間に一触即発の空気が漂う。
「やめてくれ、みんな」
その中で、俺は二人を手で制して、前に歩み出た。
腰を折り、デルフリートさんに頭を下げる。
「――お館様!?」
「デルフリートさん。俺たちには貴方たちエルダードラゴンと敵対する気は無い。俺はこの世界のよそ者だけど、この世界の人々に良くしてもらって、失いたくない仲間もたくさんできた。この窮地に――どうか、手を貸してもらえませんか。それを頼みに来ました」
「ぬ、ぬぅ……?」
俺の態度に毒気を抜かれたのか、デルフリートさんの威迫が弱まる。
「父上。ボクからも、話すことがある――」
そして、胸元から見上げる息子の請願に、デルフリートさんは完全に拳を収めてくれた。
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話すことはいくつもあった。
俺の正体、『魔法』とは何なのか。
俺を形作る『伝説』たちが何を求め、俺に力を貸してくれているのか。
そして瓦解しかかっている『封印』と、それによって蘇りつつある『災厄の欠片』。
それに立ち向かうべく、人類の国をまとめる旗頭として、エルダードラゴンの助力を得たいこと。
そして何より、デルフリートさんにとっては息子である、オルスロートが。
俺の能力によって『カード』のアバターになってしまったこと――
「……そうか。オルスロート、お前は『根源』に組み込まれたのだな……」
デルフリートさんはオルスロートの頭を撫でながら、そんなことをこぼした。
その言葉に反応したのは、俺と、『伝説』たちだった。
みんなを代表して俺が質問する。
「デルフリートさん。『根源』の存在を知ってるんですか?」
「知っている。……と言うより、我ら祖竜種は『根源』から分化し、受肉した『最初の生命』であると言われている。あくまで我々の祖先の起源は、ということだが」
悠久の寿命を持つエルダードラゴン。その世代を十から数十も遡れば、その歴史は数万年以上の単位になる。
なるほど、環境ではなく、存在としての『世界』から直接生み出された最初の生命、というのもあながち伝承とは言い切れない。真実の可能性は大いにある。
なお、余談だけれど。
人類のよく知るフレアドラゴンやアースドラゴンなんかは、エルダードラゴンに外見上よく似た進化をたどった『動物』らしい。
人類種から見れば、『竜の谷』にこもって出てこないエルダードラゴンよりも、フレアドラゴンなどの方が相対的に目にする機会が多いため、一般に『ドラゴン』と言えば、後発であるはずのフレアドラゴンなどの種を指すようになった、とのこと。
……ともあれ、起源からして完全に別種な祖竜種は、『根源』と呼ばれるこの世界の「構成法則」の存在を理解している。
干渉することは難しいかもしれないけど、エルダードラゴンや法国の『聖女』のような、『根源』を認識できる存在が干渉した痕跡も、この世界には確かにある。
そう、『魔術』の発見と利用。
ぶっちゃけると「魔術」なんて超自然的な法則は、原始的な生活からは発生しない。
儀式的性質に傾いた概念と再現手順から、社会での発生条件として一番相性が良い要因は『宗教』だ。
そして宗教と言えば、祭神であるエルダードラゴンと神官である『聖女』が、この世界では思い浮かぶわけで。
ずっとずっと大昔の、魔術の発生起源に、両者が無関係だったとは考えにくい。
たぶん、どちらかが『根源』に干渉して発生した法則が『魔術』なんだろうと、俺は当たりを付けている。
それこそが、俺と同じ、この世界で最初の『魔法』なんだろうけど――
「『根源』は肉体を持たぬ。意志はあるが、思考を持たぬ。ゆえに、それを認識し得る者が代行しなければならない。『根源』は自己の有り様を変える以外に、具体的な実行手段を持たないからだ。その実行手段が――お前らが『伝説』と呼ぶ、そこにいる者たちだ」
「余も……いや、ボクも、その一人になった……ってこと?」
オルスロートの質問に、デルフリートさんは「そうだ」とうなずく。
つまり、俺が持つ『カード化』と『アバター召喚』のスキルは、『根源』の「実行手段」を増やす役割を持つ能力なわけだ。
そうだよな。能力のカードゲーム的な概念自体は外来物であろうとも、その内容は「この世界のもの」を使っているに過ぎないわけだし。
「天変地異に対しては、エルダードラゴンが手を貸すこともある。が、地上勢力にはいつしか別の『代行者』が現れた。お前たちが『聖女』と呼ぶそこの小娘であり、法国と呼ばれる人類種の国だな。……だから、我々は代行者の役割を譲って隠遁することにした」
なるほど。
スケールを考えればそうなるか。
数千年、万年単位の寿命を持つエルダードラゴンだと、タイムスケールが違いすぎて困難が起こったときの解決が遅れやすい。
具体的に言うと、仮に大氷河期とかが来て地上生物が死に絶えかけても、エルダードラゴンが動き出すのが「ちょっと」遅れれば、下手すれば「数十年」遅れることもあり得る。
そうなると、地上生物、特に人類なんかはすぐに絶滅してしまう。
それを避けるために、人類社会で何とか出来ることは、タイムスケールの合う人類の『代行者』に任せることにした、ってわけか。
……まぁ、その方が人類にはありがたかったのかも。
「――だが、それでは手に余る事態におちいったというわけだな。だからこそ、我らエルダードラゴンや『聖女』ではない、直接的で強力な『実行手段』を外部から求めた。それがお前だと言うのなら、理屈は通る」
「『伝説』の言うには、俺を喚んだのは、この世界が『停滞』しているそうです。……『代行者』の手に負えず、拮抗したまま『封印』された負の遺産を片付けたかった、ということでしょうか」
だろうな、とデルフリートさんは、そこでラトヴィニアスに視線を向けた。
「過去の人物が蘇っているのが、お前自身の存在証明だ。――知っているぞ、大魔術士ラトヴィニアス。およそ三千五百年ほど前に、人類種の国で噂になった者だな。思い出すのに時間はかかったが……確かに、そんな傑物がいたと、昔に聞いた覚えがある」
「おやおやおやおや! 嬉しいねぇ、この大魔術士のことを覚えてくれてる存在がいたなんて! でもそうかぁ、当時からずっとご存命なわけだしね! さすがだね!」
嬉しそうにおどけるラトヴィニアス。
凄いな。三千年以上も前に魔術を極めてたのか。
というか、そんな昔だと、ラトヴィニアスの実力が先進的すぎて、完全には全容を理解されてなかった可能性もあるな。
もしかして、そのせいで今は忘れられてるのか?
「……そんな人里のことを知ってるってことは、もしかして……父上も人里に降りたことがあるんですか……?」
オルスロートの疑問に、デルフリートさんは、ふい、と視線を逸らした。
この息子にしてこの父あり、ということだろうか。
まぁ、『人化』のスキルがある以上、こっそり人里に降りて紛れ込んでても、住民には気づかれないだろうしな。
興味を持ってこっそり足を伸ばしてるエルダードラゴンも、意外に多いのかもしれない。
「それはともかく、要件が『根源』に関わることだというのならば、我が里に招かねばなるまい。『竜の谷』へと迎えよう」
「それは助かります」
助力を得るための最初の関門は突破できたわけだ。
ただ、他にも要件はある。
エルダードラゴンの知ること。
聖女エスクレイル、引いては法国の知ること。
俺の成り立ちや、『伝説』たちの知ること。
『根源』の――この世界の成り立ちについて。
まだ、俺はすべてを知らされてはいない。
だからこそ、『封印』から始まるこの世界の現状を、三者の揃う場所で擦り合わせて理解する必要がある。
そのことを話すと、デルフリートさんは同行する聖女エスクレイルに目を向けた。
エスクレイルは言葉には出さず、ただコクリと一つ、うなずいた。
その様子を見て、デルフリートさんは少し考えた後、俺に向けて言った。
「わかった。交渉だけでなく、談話の場も用意しよう。――我が里の『長老』と話すがいい」




