命の商人
――世界に名を刻んだ者たちは、皆、自らの仕える者を選ぶ。
遠く遠く、熱砂の大地。
見渡す限りの砂ばかり。喉を潤す水すらも貴重であるその土地で、真に求められていたのは武力では無かった。
人の生きられぬ土地で、生きる人々がいる。
その土地で求められた存在は、人々が生きるための物資を『用立てる者』であった。
彼女は、始めはただの「女傑」と呼ばれた。
仲間をまとめ、砂の大地を横断し、人々を活かす物資を商い続けた。
積み荷を襲う無数の『奪う者たち』を相手取り、仲間とともに命の糧を届け続けた。
いつしか彼女は、仲間たちとともに、国をすら買い取った。
無数の賊の屍の上に立ち、無数の人々を商いで活かした彼女のことを、口さがなく妬んだ者たちはいつしか、「冥府の商人」とさえ呼んだ。
けれども、彼女は知っている。
金ではあがなえないものがある。命を費やしても戻らないものがある。
だから彼女は金を使う。金を活かす。
自分を慕う仲間たちのために。自分を守り、砂上に倒れんとする仲間たちのために。
金を使い、民草である人々の命を司る者。
これは遠い熱砂の国の史上唯一、貴族の身の上では無く、王位に就いた女商人の話。
今は忘れられた、その呼び名は――
******
……何なんだ、アレは?
黒い穴の封印から這い出したのは、一本の巨大な『左腕』だった。
巨人、なんて生易しい大きさじゃない。
全身があれば、山どころか国一つさえ超えそうだ。
巨大なエルダードラゴンであるオルスロートさえ、あの『腕』の大きさに比べれば可愛く見える。
「エミル! 『鑑定』だ、届くか!?」
『任せてください、マスター! ――シュートっ!』
這い出した『腕』に『鑑定』が直撃する。
オルスロートを喚び出したばかりで、魔力がまだ回復しきってない。
ステータス次第じゃ、キツいことになるな……!
ステータス
名前:ギンヌンガガァプの左腕
階位:9
HP:22/22
魔力:0
攻撃:9
スキル
『混沌の裂け目』・混沌を生産する。
『陣地作成』・混沌を生産する場を作成・拡張する。
『融合』・生産した混沌を捕食する。
『復活2』・HPがゼロになったとき、代わりに復活Xの値を1減らし、HPを全快する。
『高速再生9』・時間経過とともにHPが9ずつ回復する。(三十秒にX)
「……くそ、またこんなバケモンかよ……!」
思わず顔が引きつり、愚痴が漏れ出す。
スキル編成は前回の『欠片』と大差ないが、一つだけメチャクチャなスキルが追加されている。
――『復活2』・HPがゼロになったとき、代わりに復活Xの値を1減らし、HPを全快する。
ただHPをゼロにするだけだと、このスキルで全回復されちまう。
つまり、三回トドメを刺さないといけない。
それも『高速再生9』の存在で、かなり条件が厳しくなっちまう。
幸いにも、本体には軽減系の能力やアビスナイトみたいな『負傷無効』は備わってない。
なら、ハンジロウの攻撃力を、トルトゥーラとのコンボで底上げすれば行けるか?
いや、15点追加してもハンジロウの攻撃力は16。
6点足りない以上、再生されるものと考えて、一度の攻撃で与えられるのは7点か。
つまり、四度攻撃を当てて、やっと『復活』を1消費させられる。それをあと二回。
……ダメだ。どう考えても、ハンジロウか、移動手段になるだろうワイバーンが先に反撃で潰される。
オルスロートの『覇者の威圧』を向けてもHPは20だ。
三回は攻撃を当てなきゃならない!
「コタロー! もうすぐ通信が切れるぞ、あのデカブツのスペックを教えてくれ!」
「あ、ああ、すまん。あいつの能力は――」
通信で全員に『左腕』のスペックを伝えると、全員が絶句して息を呑んだのが聞こえた。
みんなも『鑑定』は使えるけど、この距離でスペルを命中させるのはエミルの『魔術砲身』が無いと無理だ。
情報を共有して、みんなと連携して手数で攻めるのが最善だけど……
それでも、みんなの召喚できるアバターじゃ、アビスナイトの妨害をかいくぐって本体の『左腕』に総攻撃できるほどのスペックはない。
高速連撃を持つクリムゾンガルーダに強化をかけるか?
いや、『魔獣の力』のコストは6だ。みんなの魔力は5、ラトヴィニアス以外は軽々に使えない以上、複数体を強化して攻め立てるのは無理だ。
ラトヴィニアスの召喚時効果による呪文コストダウンも、相手の攻撃力がわからなかったから、保険として皆にも使えるように『神秘の復帰』のコストを下げてしまっている。
もう一度ラトヴィニアスを召喚し直して他のスペルのコストを下げる時間は無い。
「クソっ、ハンジロウとナトレイアの攻撃力を上げて、総攻撃で攻める! ハンジロウ、接近するぞ! バフをかけた後、ワイバーンを飛び移って攻撃できるか!?」
「御意。……やって、みせましょう」
いつもは平静な、ハンジロウが固唾を呑んで応える。
それほどに厳しい条件か。
仕方ない。『左腕』が動かずに魔力が回復しているのはありがたいけど、その分、敵のアビスナイトの数も増えている。
オルスロートの『覇者の威圧』もそろそろ効果が切れる。
このスキルは魔力量から一度に二回までしか使えない。効果が切れれば、アビスナイトですら倒せなくなる。
ナトレイアとラトヴィニアスが乗っているのは……シノさんのワイバーンか。
ラトヴィニアスに『魔獣の力』を使ってもらって、ナトレイアに、ハンジロウやオルスロートと同時に斬りかかってもらう。
そのために、『微風のささやき』でシノさんに作戦を伝える。
「シノさん、ナトレイアとラトヴィニアスに総攻撃すると伝えてくれ! こっちも他のドラゴンたちを壁にして、ハンジロウとオルスロートを接近させる! タイミングを合わせるぞ!」
「おう!」
同時に、トルトゥーラを召喚する。これで俺は動けなくなるけど、カードに戻り際、トルトゥーラが背中を叩いてくれた。
『……行ってこいや、俺の主』
「おうさ!」
攻撃力を上げたハンジロウが、片手剣を握りしめる。
一度の総攻撃では、たぶん、『左腕』をしとめきれない。
けれど、『復活2』は数値を消費するスキルだ。おそらく、その数値までは回復しない。
つまり、あれを一度でもしとめ切ることには、必ず意味がある!
ろくに身体が動かない状態で危険だが、他に手が無い。長期戦だ。
アシュリーと所長に身体を支えてもらいながら、ワイバーンで急行する。
「頼むぞ、ハンジロウ! ――オルスロート!」
『難しいが……やるしか、あるまいな!』
シノさんが通信網を広げて、他の三体のワイバーンも活路を開くべく、同時に『左腕』に突撃した。
……けれど。
「アビスナイトの数が多い! フレアドラゴンたち、盾になってくれ!」
群がってくるアビスナイトたちを遮るように、フレアドラゴンたちが壁になる。
が、体当たりされたフレアドラゴンが、攻撃されて傷を負った。
『くそ、もう効果が切れたか! ――これが最後だ、ひれ伏せ!!』
弱体化の『覇者の威圧』が切れて、攻撃力4の攻撃がフレアドラゴンの『甲殻3』を突破したのだ。
オルスロートが、最後の魔力を使って『覇者の威圧』をかけ直す。
これで、フレアドラゴンでもアビスナイトの攻撃を防げる!
そう思った、瞬間だった。
群がっていた進路上のアビスナイトたちが、道を空けた。
俺は、アシュリーや所長と一緒に、「それ」を見上げた。
振り上げられた『左腕』が、俺たちを攻撃しようと振り上げられていた。
「しまっ――!」
「……させるかァ――――ッ!!」
迫り来る巨大な左拳に、ぶつかっていく存在がいた。
繋がった通信から、誰が乗っていたのかがわかる。
時田の召喚した、ワイバーンとクリムゾンガルーダたちだった。
俺は、繋がったままの通信に向けて、思わず叫んだ。
「やめろ時田! 避けろッ! ワイバーンだと、潰されちまうッ!」
「ぅるっせェ!」
時田の一喝が聞こえる。
それは俺に向けたものと言うよりは、死地の迫る自分を鼓舞する、独白のような叫びに聞こえた。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな! 身近な奴に死なれてみろ、どんなに悔しいか、知ってっか! あんなこと言っときゃ良かった、あんなこと話しときゃ良かった! ――寝ても覚めても、そんなことばっか考えるんだ! 二度と、そんな思いしてたまるかよ!」
それは、時田の嘆きだった。
みんなを置いて、俺はこの異世界にやってきた。
置いてかれた時田たちは、その間、どう生きていたのだろうか。
平和に、楽しく。いつも通りに。仕事があって。自分の生活が、やることがあって。
俺一人がいなくなっても、日常は回って――
俺はバカか。
逆の立場だったら、俺はそう呑気に生きられたかよ。
俺が、身近な仲間の誰かに置いてかれたら、呑気に笑って生きられたかよ。
そうじゃねぇ、と時田が叫びながら、『左腕』に向かっていった。
そうじゃねぇんだ、と。
「コタローはなぁ、仲間がいんだよ! この世界にも、仲間ができてんだよ! 仲良い奴らに囲まれて、楽しく暮らせんだ、暮らさなきゃなんねぇんだ! ――この世界の人らを、俺らと同じ目に遭わすわけにゃ、いかねぇだろうが!!」
やめろ、時田。
クリムゾンガルーダが、あまりの質量の前に潰されて、カードに戻っていく。
後に残るのは、時田一人を背に乗せたワイバーン。
俺に向かう『左腕』の軌道を逸らすため、進路の間に立ちはだかりながら、時田は叫んだ。
「銭金じゃねぇんだよ! 損得なんか知るか! 何を売っても、何が買えてもな――」
やめろ、お前がいなくなったら、それこそ、俺は……!
「――親友は、金じゃ買えねぇんだよ!」
小さな、光がきらめいた。
――何を支払う?
声が、聞こえた。
けれど、いつもとは何かが違う。まるで、俺に向けられたものではないような。
――金で買えん、大事なもんを買いたい言うんや。アンタは何を支払うんや?
その問いに応えたのは、俺じゃ無かった。
時田の叫び声が、『微風のささやき』に乗って届く。
みんなの持つスキル『魂の絆』。つまり、俺たちの能力は、魂の奥底で繋がっている。
俺の能力を使えるのは、今や俺だけじゃない。
俺を形作る『伝説』たちは、みんなの魂にも「繋がって」いる。
だから、
「代金は、俺の命でも何でも支払ってやらぁ! 力を貸せ――召喚! 『冥府の商人女王、ラビラダ・ハディー』ッ!!」
時田のワイバーンから、光が走るのが見える。
違う、あれは、『カード』の輝きだ!
「ぃよっしゃ、その注文、受けたァ――ッ!!」
空中に光が躍り出て、時田のワイバーンの背中に着地した。
遠目に見づらいが、褐色の肌をランプの魔神じみた衣装に包んだ、長身の女性。
反射的に、テキストを表示して確認する。
『冥府の商人女王、ラビラダ・ハディー』
5:3/5
『名称』・同じ名称を持つアバターは、一体しか召喚できない。
・あなたのHPを1点支払う:三十秒間、対象は+1/+0の修正を受ける。
・このアバターを召喚している間、あなたはHPを回復できない。
召喚された褐色の女商人、ラビラダ・ハディーは、ワイバーンの背中で片手を高々と挙げて叫んだ。
「さぁ! さぁ! 迫る窮地、後ろにゃアンタらの大将や! ――これを切り抜けるんに、アンタはウチに、いくら『支払う』!?」
「糸目は付けねぇ、全部持ってけ!!」
時田の答えを聞き、女商人は、拳を握りしめて、迫り来る『左腕』に向けて跳躍した。
その拳が『左腕』を捉えるやいなや、
「――『毎度ありィ』やッ!! 一点だけは残しといたるで!」
華奢なはずのその細腕が、迫り来る巨大な『左腕』を大きく弾き飛ばした。
とても信じられない、その光景に、俺を支えるアシュリーと所長が顎が外れそうなほどの驚きを見せている。
一点を残す。ワイバーンの上でうずくまる時田。時田のHPは10……
もし、時田が9点のHPを支払ってハディーの能力を9回起動したとしたら。
――そのステータスは、12/5。
トルトゥーラとコンボした、ハンジロウにも迫る攻撃力だ。
攻撃の軌道を逸らすなんて生易しいものではなく、その一撃は、強大な『左腕』に確かなダメージを与えていた。
時田の乗るワイバーンの背中に再度着地し、褐色の女商人は、アビスナイトたちの舞う天空に向けて中指を立てた。
「仲間のためにイノチ売る阿呆は見とれんわ。この商人女王が――代わりに、高ぅケンカ買うたるでぇ!」




