訪問の準備
「ふむ、そうか。法国に向かうか。……ならば、国王陛下には、わしから詳細を報告しておこう」
そう答えてくれたのは、オーゼンさんだ。
帝国で、法国の異変の話を聞いた後、俺たちは皇帝陛下たちと別れて、一度マークフェル王国に戻ってきていた。
もし法国に何か異変があるのなら、すぐにでも向かった方が良い。
そして、そのために一番近い、『次元転移』できる俺が行ったことのある場所は、マークフェルの王都だからだ。
急な帰参だったので、国王陛下は残念ながら面会の予定が空けられなかった。
だから、代理として側近のオーゼンさんに報告している、というわけだ。
「伯爵。移動は、ワイバーンか?」
「そうですね。ワイバーンを大量召喚して、全員で向かいます」
ならば、とオーゼンさんは手近な使用人を呼んで、書記官に一筆したためてもらうように要請していた。
「法国は他国じゃ。王国の貴族が前触れも無く入国するのじゃから、侵略等の害意がない旨を、したためておいた方が良い。メールピジョンでも表敬訪問の手紙を飛ばすが、おそらくお主のワイバーンの方が早いじゃろう。同じ書状を持って行け」
そうだな。
今回は、報復目的だった帝国の侵入とは違う。
友好国、あるいは中立国への入国だ。他国の権力者である貴族が訪れるなら、相手への無用な誤解を招かないようにした方が良い。
「感謝します、オーゼンさん。でも、勝手にそんな書状を発行しちゃって良いんですか?」
「陛下からは、伯爵が行動する際には最大限の便宜を図るように言われておる。理由は正当なものじゃし、王国としても放ってはおけん。陛下も文句は言われないじゃろう。――もし何かあれば、この老いぼれが責を負うだけよ」
越権ではないけれど、通常の職権の範囲でもない。
なのに、緊急事態である可能性も考慮して、オーゼンさんが請け負ってくれる。
この判断力と責任感は、さすがに元将軍だよな。
素早い動きが取れるのは、現場側としてもとても助かる。
「法国側の、王国の国境は素通りで構わん。……じゃが、法国内に入ったら、国境にほど近い街で一度、入国確認の訪問をしてくれ」
「わかりました。――そうですね、いきなり首都にワイバーンで乗り付けるのは、さすがに問題があります」
国家の中心に、知らないワイバーンが数騎も接近したら、すわ戦争かとでも思われかねない。
問題は、国境に一番近い法国の街がどこにあるかだけど……
見落としかねない可能性に困っていると、後ろからエルキュール所長が名乗り出てくれた。
「それなら、法国内のアハレイムの街だね。国境線は、わたしのロムレス領の一つ先の領にあって法国が近いから、二度ほど祝祭に呼ばれたことがある。――わたしが空から案内するよ」
所長の領地は、法国側の方面にあるのか。
どうやら法国の国境付近には訪れたことがあるようで、案内してくれるようだ。
良かった、これで何とかなるか。
「法国を訪れるなら、なにか手土産があった方が良いかもしれないね。わたしの領で用意させようか?」
「良いのか、所長? 俺は助かるけど」
いいよいいよ、とうなずいてくれる所長。
が、もちろんタダではない。所長は俺にねだるように身をすり寄せてきた。
「……その代わり、コタロー殿の国の『ジテンシャ』って奴を、三台くらいくれないかなぁ? アレを研究して普及させれば、わたしの領地ももっと便利になると思うんだよねぇー。大量じゃなくて良いから、研究用に三台ほど、ね? ね?」
所長のおねだりに、後ろで黙って控えていた時田を見やる。
俺の日本円のスポンサーは、今のところ時田だからな。
時田は少し考えた後、逆に提案を返していた。
「所長さんの領地って、毛織物が割とあふれてるんだよな? ――なら、それを割り引いてくれれば、おまけも付けるよ。自転車だけでなく、折りたたみ式リヤカーなんかも便利なんじゃないかな?」
何それ? と目を瞬かせる所長に、折りたたんで場所を取らなく置ける人力運搬車、と答える時田。
それ自体を、折りたたんで馬車に大量に積んで運搬することもできるしね。
折りたたみ機構も、異世界では未知の技術なだけあって、所長は即決だった。
時田も日本での出品物である毛織物を安く手に入れることができるし、お互いに商談はまとまった。
所長の領地には立ち寄るけど、それでも連絡は間に合わないだろうな。
法国の首都にメールピジョンが届いて、それから辺境付近のアハレイムの街に通達が行くには、かなりの日数が必要だ。
書状はやっぱり持って行った方が良い。
書記官の人が発行してくれた書状に、署名と俺の伯爵家の印を押印して、隣に王家の紋章を押印してもらう。
政務中の国王陛下に断りを入れて、紋章の使用許可をもらったものだ。
国王陛下はまだ仕事から離れられないらしいけど、「うまくやってくれ」との伝言をいただいた。
「ありがとうございます。――所長、一度準備をして所長の領地に行こう」
「そうだね。急いで、研究所の引き継ぎを済ませて準備してくるよ」
以降の連絡は、遠距離通信スペル『微風のささやき』を介して、オーゼンさんに報告することになった。
国王陛下は、帝国の王国侵略に対する王国貴族たちの主張を調整するのに、しばらく手が空かないそうだ。
******
ワイバーンに乗って二日。
所長の治めるロムレス伯爵領へとたどり着いた。
領都の領主館では使用人さんたちの他に、王都にいる所長に代わって領内を切り盛りしている、代官の人が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、領主閣下!」
「やぁ、クリムト。いつも領地を任せていてすまないね。さっそくなんだけど、岩塩と香辛料、他に毛織物の備蓄はどれだけあったかな?」
「岩塩と香辛料は、一年分は確保しております。毛織物でしたらば、今はストライクシープの繁殖期ですので、価格暴落を防ぐために過剰在庫を買い取っておりますので、かなりの量がございますが」
所長と、代官のクリムトさんが贈呈品の相談を行っている。
なんでもロムレス伯爵領は、領内の山に昔の塩湖跡地を抱えているため、岩塩の有名な一大産地でもあるのだとか。
内陸であるこの王国では、塩の供給源としてかなり重宝されているらしい。
魔導研究所の所長という重職に就いているだけあって、所有する領地もかなりうまみのある土地のようだ。
「うちの領地の岩塩は、法国でも評判が良かったからね。手土産にはちょうど良いと思うよ」
現代の地球でも、有名な岩塩は一流料理人がこぞって使うしね。
質の良い岩塩が好まれるのは、どちらの世界も変わらないようだ。
「ありがとう、所長。うちの屋敷の使用人さんたちも、この領の出身だったよね? ――所長や使用人の皆さんにはお世話になってます、コタロー・ナギハラ名誉伯爵です。クリムトさん、どうぞよろしく」
俺が日頃のお礼を告げると、代官のクリムトさんは恐縮したように頭を下げた。
友好の証として握手を求めると、クリムトさんもはにかみながら応じてくれる。
どうやら代官職も貴族である必要があるらしく、クリムトさんも子爵家の当主のようだ。ロムレス伯爵領内の街を一つ与えられているけど、そちらは実弟も爵位をもらっているので任せている、とのこと。
高台にある領主館からはロムレス領の領都が一望でき、時田たちがナトレイアと色々話し合っている。
遠目に小高い山がいくつも見える、鉱業の盛んな土地のようだ。
自転車を研究したいって言うくらいだから、それを可能にするドワーフの技師たちも多いんだろうな。
毛織物と鉱山資源、紡績と工業の領地って感じか。
岩塩や鉱物資源は輸出品にもなるから、交易商人も盛んに立ち寄りそうだな。
「岩塩や鉱石を運ぶんなら、なおさら折りたたみ式リヤカーは有用だと思うな。運搬用一輪車……猫車なんかは、もうあるのかな?」
「キカイは持ち込めないのか、トキタ? クルマや『とらっく』などがあれば、鉱山との行き来や資源の運搬もかなり楽になりそうだが」
「いやいや、ナトレイアさんよ。ああいうのはこっちの世界に燃料が無いぜ。魔術で動く動力を、こっちで開発した方が早いな」
「そもそも、スキル的な魔術は効果が固定されてる割りに、魔道具なんかは汎用性が高いですしねぇ。プログラミングみたいに、俺も開発できたりしないかな、シノさん」
時田、ナトレイア、シノさん、倉科さんたちが、日本の技術を転用できないかと相談している。
魔道具をプログラム解析できないかと話す倉科さんと、本体の加工に電気工学技術を応用できないかと目論む、かねやんの組み合わせは凄いことになりそうだ。
いつか、日本製の魔道具が作られてもおかしくない。
「まぁまぁ。議論が弾むのは嬉しいんだけどね。――商品になりそうなものを見分けてくれないかな、トキタ殿」
「お、ありがたいっすね。……と言っても、遠出に持って行くわけにはいかないですから、倉庫で保管してもらっても大丈夫スかね?」
もちろん、と答えながら、時田が使用人さんたちに案内されていく。
輸送費がかからない、生産地からの直接の買い付けなので、その分値段も安く済む。時田は浮かれた足取りでついていった。
「所長。宝石や貴金属なんかは、受けが悪いのか?」
「法国では好まれないねぇ。むしろ、刺繍や染め物なんかが盛んで、贈り物としても好まれるよ。教義的に金銀の輝くものは虚栄の象徴だとかで、あまり身につけない。……それよりは、水晶や宝石の方が魔道具作りに役立つから喜ばれるね」
なんでも、金銀などの光り物は、大霊峰への捧げ物になるそうだ。
光り物が好きなエルダードラゴンへの献上品かな。
それを人間が身につけるのは、過剰に顕示欲を満たそうとしていることになるため、エルダードラゴンを崇拝する教義的に、不敬にあたってしまうらしい。
なので、神官や祭司は、刺繍の入った布製の衣服や装飾を好むと言うこと。
そもそも、大霊峰は聖地なので、鉱物資源を採掘する場所自体が少ないそうだ。
それもあって、布製品の文化が発展しているらしい。
所長が法国の祝祭に招かれたのも、紡績が主産業の一つであるロムレス領を治める領主として、という意味合いが大きかったそうな。
ロムレス領の質の良い毛糸なんかは、刺繍の材料として喜ばれているんだろうな。
「コタロー殿の故郷で見た、きらきら光る布なんかはものすごく受けが良いと思うよ。あんな布、こっちじゃ絶対に作れないからさ」
きらきら光る……って、サテン生地のこと?
すぐ傷つくらしいから、衣類の表生地には不向きなんだけど……
あれは織り方で光沢を出しているから、たぶんこっちでも作れるよ。
そう伝えると、とても興奮された。いやまぁ、化繊なんかは用意できないと思うけど。
ふむ。布地が喜ばれるのか。
いざとなったら、ベルベットなんかの高級布地を持ち込むことも考えてみるか?
所長からのアドバイスをもらいながら、法国への訪問準備を整えていく。
なんせ、移動が馬車でなくワイバーンだ。持って行けるものも、マジックバッグに入る量しか持って行けない。
候補を絞りながら、手土産を選んでいく。
さて、法国ではいったい、何が起こってるんだ?




