揺らぐ平穏
異世界に戻り三日が過ぎ、帝国を訪れる日になった。
多くの貴族の前で任命式が行われたんだけど、他の貴族の追求はオーゼンさんやドライクルさん、デズモント侯爵家親子の助力もあって全力でブッチした。
で、準備を終えて移動日。
ワイバーンで移動してもいいけど、多少の手間はかかるけど移動時間の少ない『次元転移』で、帝都まで瞬間移動することにした。
これが本当の国家間の賠償請求交渉だった場合は、相手に訪問を知らせるために馬車ないしワイバーンなんかの騎獣を使うべきなんだそうなんだけど。
今回は、俺が何をするまでもなく、もうすでに帝国との交渉が半分終わっているので、儀礼的な帝都訪問の体裁を整える必要はまったく無い。
むしろ、皇帝陛下に、ハイボルト国王が「あんまり、むしり取る気は無いそうです」と伝えるだけなので、無闇に帝都市民を騒がせなくても良いよね。
「はーい。ということで、ここがお隣の帝国の首都です。俺の『勲章』で入市の身分証明するから、みんな、俺から離れないでね」
「あいよ。てか、俺らの身分どうなるの? コタローの従者?」
「こっちの世界の礼儀は何もわからんぞ」
「無礼討ちとかされたりしないッスか?」
「俺らの服装、日本製なんだけど。本当に大丈夫か」
気分はもう観光ツアーである。
同行したメンバーは、いつものアシュリー、ナトレイア、所長、クリシュナ、ノアレックさん。
それに加えて、日本からは時田、シノさん、倉科さん、かねやんの四人である。
飯山店長は、店を開けなきゃならないので日本へ帰ったままだ。
俺を含めて十人の大所帯か。
このパーティも賑やかになったなぁ。
連れだってぞろぞろと歩き、入り口の貴族用街門へと足を運ぶ。
貴族服の俺を先頭にした集団が、なぜか『徒歩』で貴族門に現れたことに、門衛の兵士がとても戸惑っていた。
すまん、馬車じゃないねん。
とりあえず、クロムウェル皇帝陛下から贈られた、この帝国の『緑冠光翼一等勲章』なる勲章を見せて、名乗りを上げる。
手渡してくれたゲルトールさんの話によると、この勲章を持ってれば、この国で『侯爵』相当の扱いを受けられるようになるらしいけど。
「しょ――少々、こちらでお待ちくださいっ!」
隣の王国の貴族である俺が、そんなとんでもない勲章を見せたもんだから、門衛さんが慌てて政府機関へ確認の使いを走らせることになった。
そんなわけで、街門の衛兵詰め所で待つことしばし。
詰め所に馬車で乗り寄せてきたのは、見知った顔だった。
「コタローくん! 元気だったか!」
「ゲルトールさん、お久しぶりです!」
ゲルトール・ネル・セントレイル帝国侯爵その人である。
奥さんがアシュリーの実姉なので、アシュリーのお義兄さんとも言えるかな。
ゲルトールさんは、相変わらず屈強な武人みたいな雰囲気を出しながら、屈託の無い笑顔で俺の肩を叩いた。
「いやぁ、こんなに早く来てくれるとは、嬉しいな! ……しかし、馬車が無いと聞いているが、まさか徒歩で来たのかね? それとも、ドラゴンに乗って?」
「いえ、新しく覚えた魔術で来ました。ちょっと手間はかかるんですけど、地点間移動の魔術でして。ドラゴンやワイバーンよりも早いです」
ほほぉ、と驚いた顔を見せるゲルトールさん。
なんか飛行船みたいな移動法でもイメージしてるのかな?
今は逸失してる『空間魔術』だと受け止めてたら、この程度の驚きじゃ済まないだろうし。
勘違いしてくれてるなら、わざわざ騒ぎを起こす説明はしなくても良いか。
「ゲルトールさん、来て下さってありがとうございます。あれから忙しくなってたんじゃないんですか?」
動乱の変革期を迎えた帝国、その実務を支える文官として、ゲルトールさんたち現皇帝派の人たちは重職に就いて大忙しのはずだ。
それを肯定するように、ゲルトールさんは、はにかみながら教えてくれた。
「う、うむ。恥ずかしながら、空位になった宰相席に、私が任命されてね。オルグライトが補佐官になってくれて、クロムウェル陛下の宰相として、実務を差配している」
「宰相ですか! それは、おめでとうございます!」
大忙しどころか、なんと帝国政府のナンバー2に出世していた。
ま、まぁ、皇帝陛下の在位は変わってないけど、地位と身命を懸けてまで、実質的な帝国の革命を成した実行者だからなぁ。
皇帝陛下からの信任も篤いし、不思議じゃないか。
宰相閣下直々の出迎えという事実に、周りの衛兵の人たちが緊張に身を固くしていた。
……長居すると、衛兵さんたちの仕事の邪魔になりそうだな。
ゲルトールさんも同じことを思ったらしく、笑顔で俺たちを誘ってくれた。
「とりあえず、私の屋敷へ移動しよう。皇帝陛下もお待ちだよ。――お連れの皆も、分かれて馬車に乗ってくれたまえ。コタローくんの連れだ、歓迎しようとも!」
******
まだ再建されていない帝城に代わる政府機関は、やはりセントレイル侯爵邸だった。
取り急ぎ改装したという謁見の間で、幾分若返った印象を受ける、壮年の陛下が俺たちを迎えてくれた。
「よく来てくれた、コタロー伯爵。交渉のための来訪予定は、メールピジョンの手紙で受け取っておるよ。こたびの訪問、大義である」
「皇帝陛下におかれましては、壮健のご様子とお見受けします。以前にお会いしたときよりも、体調も良くなられたようで、何よりでございます」
片膝をついて拝謁の礼を取る。
特任大使は国王の代行者だけど、身分間での礼儀作法は国家間で共通だ。
「やぁ、コタローくん。元気そうで何よりだ、堅苦しくならないで良いよ、オルスロート帝の主であるきみは、おそらくこの帝国で唯一陛下に頭を下げないで良い人物だ」
「ありがとうございます。オルグライトさんも、お元気そうで何よりです」
ゲルトールさんの横に立つオルグライトさんも、朗らかに話してくれる。
入室するときに室内を見渡してみたけど、立ち会っているのは見覚えのある、現皇帝派だった貴族の人たちだった。
……帝城の謁見の間と違って、入れる人数が限られてるからかな。
俺に好意的な貴族で固めてくれたんだろう。
ということで、許しを得たので俺は顔を上げる。
俺たちが立ち上がると、室内には友好的なムードが流れた。
そこで、本題を切り出してきたのは、やっぱり『神童』オルグライトさんだった。
「……それで、コタローくん。マークフェル国王は、どれほどの請求をすると?」
「あ、はい。詳しくは、預かってきたこちらの書状に書かれてるんですけど。――今回は穏便な範囲で請求させてもらう、と言ってましたよ。これから、経済的に発展した折には王国との交易などを考慮して欲しいそうです」
持参していた国王陛下からの書状を、オルグライトさんに渡す。
オルグライトさんは皇帝陛下に視線で許可を取り、書状を開封して中身を読んでいった。
やがて、文面を読み終えたオルグライトさんが、ホッとした表情で息を吐く。
「うん、賠償金の請求と、辺境地域の国土の割譲の要望だね。……記載されてる地域は、正直、鉱山も穀倉地帯も無い、当たり障りの無い地域だ。良かった、予想通りの範疇に収まったか……」
おや。
予知能力者みたいになんでも予想してしまうオルグライトさんが、こんな反応をするなんて珍しいな。
「オルグライトさんでも、予想に確信を持てないことがあるんですか?」
「いやいや。だいたいの相手なら問題無いけどね。マークフェルのハイボルト国王陛下は別だよ。あの人は、どんな手を打ってくるか、本当に僕でも読み切れない。……まして、予想が外れたら帝国が傾きかねなかったからね。いや、話が通じて本当に良かった」
胸をなで下ろしている辺り、ハイボルト陛下はオルグライトさんからしても常人じゃ無いのか。本当凄いな、あの人。
「オルグライト。賠償金の額はどのくらいだ?」
「マークフェルの年間予算より少し低いくらいかな、ゲルトール。複数年の分割で良いらしい。……というより、賠償金をその範囲で抑えるために、どうでも良い土地を要求してくれてる感じだね。没した多数派貴族の、もっと良い領地に転封すれば現領主も文句ないさ」
オルグライトさんの説明を聞き、ゲルトールさんも安堵していた。
それくらいなら無理なく払える、という範囲なんだろう。
というか、ハイボルト陛下のことだから、あえて帝国が即断で払えるギリギリの額を攻めている可能性も、捨てきれない。
「じゃあ、帝国の皆さんとしては、書状の請求通りで問題無いですか?」
「うむ。国土の委譲は、すぐに手配しても良いのだが……この、『支払いはなるべく引き延ばされたし』という文言は、いったいどういう意味だ?」
支払いを引き延ばせ……
それは、アレだね。帝国側にゴネられてるように見せかけたいんだね。
「たぶん、俺に侯爵位を与えたいんだと思います……」
ハイボルト陛下から聞いた意図を、皇帝陛下や他の皆さんに説明する。
実際はもうまとまってる交渉を引き延ばして、難しい案件を解決させた褒美を与える、という名目で俺を侯爵位に押し上げる気だ。
というのも、胸につけてる『勲章』のせいだ。
「ああ、他国である帝国で侯爵位相当なのに、母国でそれより低い爵位なのは、王としては面目が立たんか……」
「良かろうとも。ゲルトール、オルグライト。ハイボルト王の好きに付き合ってやりなさい」
あっさりと鶴の一声を投げかけたのは、クロムウェル皇帝陛下だった。
「正直に言うと、だ。余は、コタロー伯爵個人に恩義を感じておるから、所属する王国の追求に抗する気は無い。ハイボルト王も、それを理解しておるからコタロー伯爵の立場を悪くせぬように、過度な請求をしなかったのじゃろう。なら、多少の芝居くらいには付き合うとも」
俺への配慮?
……って、そうか。オルスロートを打倒して帝国を解放したのは、あくまで俺個人だ。
帝国はマークフェル王国自体には、賠償の引け目は感じていても、解放の恩義は感じていない。
帝国に対して優位があるのは俺自身で、王国は俺を介して帝国に貸しを作る。
だから、その俺自身の立場を守るために、今回の交渉では最大限の配慮をしている、と。
「なんだ、気づいてなかったのかい、コタローくん。――せっかく帝国を救済したのに、過度な賠償を請求して帝国を潰したら、きみの功績が無になっちゃうじゃないか。すると、きみとしては面白くないことだから、王国に不信感を持ちかねない」
「それはつまり、マークフェル王国の、自国の英雄に対する『裏切り』だな。少しでも賢明な王なら、目の前の多額の賠償金よりも『英雄』と『自国の利益』、両方を手に入れる選択をする。……つまり、きみが間にいてくれたから、穏便に収まったということだよ」
オルグライトさんとゲルトールさんが、それぞれ説明してくれる。
「な、なんか、そう言われると照れますね」
そうか。皇帝陛下もハイボルト陛下も、そんなに俺に気を遣ってくれてたのか。
まったく自覚してなかったけど、少しは両国の友好に役立てた……の、かな?
「はぁー……とんでもねーことやったのな、コタロー」
「さすが、チーレム成り上がり主人公はやることが違う」
「お前、日本の戸籍が無くても、何も食うに困らないんじゃないか?」
「コタローさん、日本に帰ってきた意味ありました?」
もしもし? 聞こえてるぞ、日本組のみんな。
「ときに、コタロー伯爵。後ろの者たちは、知らぬ者たちだが。友人かね?」
「ああ、はい、皇帝陛下。――実は先日、生まれ故郷と連絡が取れまして。故郷から遊びに来てくれた、大切な友人たちです。帝都観光に連れてきたんですけど、ゲルトールさんに連れられて、一緒に来ることになっちゃって」
俺が紹介すると、そうかそうか、と皇帝陛下は破顔してくれた。
「よく来てくれた。この帝国はいまだ復興の最中ではあるが、帝都の街並みに被害は無い。どうか、ゆるりと過ごしておくれ」
陛下の柔らかい言葉に、みんなは萎縮しながらも、照れくさそうにお辞儀をしていた。
「コタローくん。故郷の友人、ということは……もしかして、他の方々も、コタローくんのような魔術を使えるのかね?」
「魔術、ですか? ――はい。故郷の全員が使えるわけじゃありませんけど、ここにいる仲間たちは、ある程度、俺と同じ魔術や召喚術が使えます」
ゲルトールさんの質問に俺が答えると、ゲルトールさんは「ふむ……」と少し神妙に考える仕草を見せて、隣のオルグライトさんを振り返った。
「オルグライト。――ここは、ご友人の方々にも、相談した方が良いのではないか?」
「そうだね、ゲルトール。ちょっと、僕たちだけで抱え続けるのもマズいかもしれない」
何の話だ?
俺が小首をかしげていると、二人は真剣な表情で俺たちを見た。
オルグライトさんが、意を決したように口を開く。
「コタローくん。後で、別の部屋に案内するから、オルスロート帝を召喚できないかい?」
「オルスロートを? それは、可能ですけど……なんで、また?」
「経験者である、オルスロート帝の知恵を借りねばならぬかもしれん。コタローくんの住む、マークフェル王国にも無関係な話ではない」
ゲルトールさんの口調が、切迫した事態なのだと告げている。
どういう意味かと尋ねる俺に、ゲルトールさんが重々しく口を開いた。
「帝国領内の……いや、大陸各地の『魔界』が動き出している、と報告が来ている」




