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魂の故郷



 次元の壁を越える。世界を超える。

 俺の命が失われた、あのときのように。

 俺の命が失われた、あの世界へと。



「着いたよ、魔術士コタロー」


 ラトヴィニアスの声に、まぶたを開ける。

 いつの間にか、目を閉じてしまっていたらしい。


 目を開いたそこには――


 アスファルトで覆われた道路。黄色い光に満ちた、薄ぼけた空。

 立ち並ぶビル群は、ここが『異世界』ではないのだと、如実に語っていた。


 まばらに歩く、黒髪や、染めた茶髪の人々。『向こう』とはまるで違う、俺と同じ、見慣れた顔立ちの人々。


 小さな路地の中から街並みを見つめる俺の目に、知らず、涙が流れた。


 ――日本だ。


「帰ってきた……! 帰って、きた!」


「も、もう目を開けて良い、コタロー? ――って、ええ? 何これ!?」


 手をつないでいたアシュリーが俺の声に目を開き、初めて見る直線の多い日本の都市部の風景に、思わず目を瞬かせた。


「え、足下、これ……石? にしては、継ぎ目がなくて……なんで? そこら中にガラスも使われてる。ガラスって貴重品じゃないの? こんな、壁みたいに使うなんて……?」


 混乱するアシュリーの手を掴み、俺は涙混じりに笑い、そして言った。


「あはは。日本へようこそ、アシュリー」



******



 混乱するアシュリーと、対極的に興味津々な様子のラトヴィニアスを前に、自分の服装を見下ろす。


 肌寒いな。

 こっちは冬……いや、秋の半ばくらいか?


 王都の職人にジャケットを作ってもらっておいて良かった。

 アシュリーは足下が少し寒そうだな。ブーツの方が良かったかもしれない。冒険者用の革のブーツはあまりにゴツいんで、履いてくるのはためらわれたんだけど。


「ラトヴィニアス。魔術は使ってないから、魔力は全部残ってるよな? 俺たちに『治癒の法術』をかけてくれ」


「はいはい。そうだね、遠い土地に来たときには、大事なことだ!」


「なんで? あたしたち、どこもケガしてないわよ?」


 首をかしげるアシュリーに説明する。『治癒の法術』の効果は「関連する傷病を癒やす」なんだけど、この場合求めてるのは「傷」より「病」を癒やすためだ。


「弓士アシュリー。風土病を知ってるかい? それぞれの土地で、そこに根付いた病気があったりするんだよ。向こうの大陸でも、南方のごく限られた地域にしかない熱病があったりしてね。――まして、違う世界なら何があってもおかしくない、防疫は大切だよ」


 ついでにラトヴィニアスは、『治癒の法術』と一緒に『解毒』もかけてくれた。

 王都で研究中に、ウィルス性とおぼしき熱病を治したこともあったので、これで日本に異世界からの病気を持ち込む、なんてことはないだろう。


 それと、収穫はもう一つ。


「うん。やっぱり、ラトヴィニアスの予想通りにこっちでも魔術が使えるな」


「そうだね。まぁ、元からこの世界にも魔術があったのか、魔術士コタローがいるから使えてるのか、まではわからないけどね」


 ラトヴィニアス自身も、カードに戻らず存在できてるしな。

 俺の召喚枠自体も埋まったままだ。向こうに残してきた『伝説』たちは、まだカードに戻らずに召喚されているらしい。

 俺自身が、スペルで世界を渡ったから、二つの世界に何か「つながり」でもできたのか?


 路地の中で周りを見渡して、人目がないことを確認してから、自分のステータスを見る。



ステータス

名前:コタロー・ナギハラ

職業:召喚術士

階位:7

HP:18/18

魔力:4/7

攻撃:0


スキル

『アバター召喚』『スペル使用』『装備品召喚』

『魔力高速回復』『カード化』『異世界言語』



 うん、魔力も普通に回復してるな。

 試しに、向こうの世界のデルムッドをカードに戻してみる。……できた。


 じゃあ、本番だ。


「――召喚、『白き猟犬、デルムッド』」


「おんっ!」


 光とともにデルムッドが召喚され、そのまま押し倒される。


 デルムッドは嬉しそうに俺に顔を擦り付け、ピスピスと鼻を鳴らした。

 下手すりゃ永遠のお別れだったからな。無事にまた会えて、嬉しかったんだろう。


「これで、王都に帰る算段が付いたね、魔術士コタロー」


「そうだな。また帰りに頼むよ、ラトヴィニアス」


 スペルが使える、召喚もできる。

 なら、来たときと同じ『次元転移』が使えるというわけだ。


 良かった。最悪は、このままみんなともう会えないことも覚悟していたけど。

 また、向こうの『仲間』たちと、いつでも会える。

 日本に帰れたことと同じくらい、また向こうに行けることが嬉しい。


「やったな、アシュリー。カラフィナさんとも、また会えるぞ?」


「そうね。まぁ……会えないよりは、会えた方が嬉しいわ」


 そう言ってアシュリーは手を差し伸べ、デルムッドに押し倒された俺を起こしてくれた。


 さて。懸念点は問題無く検証し終わったということで。

 デルムッドとラトヴィニアスには、ひとまずカードに戻ってもらう。

 街中だと、コスプレにしか見えない貴族服のラトヴィニアスはもちろん、大きな白犬のデルムッドも割と目立つからな。


 しかし、帰ってきてから、気になっていることが一つ。


 街中の、人通りが少なすぎる。

 終業時間を迎えていないにしても、一応ここら辺は地方の繁華街ってくらいには人通りがあるはずなんだが。


 その少ない通行人たちも、みんな口元にマスクをつけている。

 なんだろう。インフルエンザでも流行ってるのかな?

 とりあえず、俺たちは感染しても治療できるし二次感染も防げるわけなんだけど。


「まぁ、いいや。とりあえず移動しよう、アシュリー」


「わ、わかったわ。色々教えて欲しいけど……後でもいいわ。あんたの目的を、先に果たさないとね」


 人通りの少ない街中を歩いて行く。

 繁華街の外れにある、雑居ビル。その四階に、目指す店はある。


 ワンフロアを使って、商品の展示スペースと、店内で遊べるように机や椅子が並べられたプレイスペースがある、個人経営のカードショップだ。


 かねやん、時田、シノさん、倉科さん、飯山店長……


 みんな、まだあの店にいるのだろうか。

 学生時代のときのように、みんなで集まって騒いでいるのだろうか?


 胸を高鳴らせながら、アシュリーの手を引いてエレベーターに乗る。

 何もわからず説明を受けたいだろうに、アシュリーは黙ってついてきてくれた。


 帰ってきたよ。

 みんなに会いたくて、日本に帰ってきた。

 あの、みんなに会いたくて電話をかけようとした瞬間から、異世界なんて回り道をして。


 ようやく……ようやく、会いに来たよ。


 高鳴る胸の鼓動を押さえながら、店のドアを開く。

 カードショップ・リキ。大昔のカードゲーム漫画の兄貴的なキャラが大好きで、飯山店長が思わずつけたと笑っていた店名。


 大手のチェーン店も進出する中で、個人商店なのにたくさんのプレイヤーが集まっていた、俺の帰りたかった場所。


「――いらっしゃいませ」


 その店内には……


 一人の客の姿も見えなかった。


「え……?」


 な、なんで、誰もいないんだ?

 あんなに、学生も社会人も、たくさんの客が集まってた店なのに!?


 一年間、俺はこの店に来なかった。

 異世界にいた期間は、半年くらいか、もう少し長かったのか?


 たったそれだけの間に、誰もいなくなった……?

 みんな、この店に来なくなっちまったのか……?


 呆然としたのも束の間、俺は慌ててレジカウンターを振り返った。


 すると、閑散とした店内で、その人だけは変わらずに、そこにいた。

 大きな丸い体格に丸眼鏡。いつもにこにこと笑う、まるで有名なアニメ映画の、蓮の葉っぱを傘にする大きな森の妖精のような人。


「――飯山店長!」


「……? ――!? こ、コタロー……くん……!?」


 通行人たちと同じようにつけたマスクの下で、飯山店長は、呆然と目を見開いていた。


「飯山店長! 俺です、凪原小太郎です! 俺……俺、帰ってきました! この店に、もう一度……!」


「う、うそだ……化けて? いや、でも! 僕は確かに、警察からの電話を受けたんだ、任意の事情聴取を受けて、死体だって見た! コタローくんは――」



 死んだはずだ!



 そう言って、恐怖に表情を染める飯山店長。

 恐慌という拒絶に、俺は愕然とした。


 そうだ。俺は、確かに車に轢かれた。その後は異世界で目を覚ましたから、こっちではどうなっていたかはわからなかったけど。


 店長のその反応に、俺は現実を知る。

 そう、か……



 ……やっぱり俺は、こっちじゃもう、死んでたんだな。



 うなだれるしかなかった。流れる涙を、止められなかった。

 飯山店長が怖がるのは、何もおかしくねぇよ。

 死んだはずの人間が、目の前に現れて名乗ったら、俺だってパニックになる。化けて出たのかと思う。偽物にだまされてるんじゃないかとか。


 信じられるはず、ないよな。


 わかってる。わかってるんだよ。薄々だけど、そうなる可能性はあるって、考えてた、でも、考えたくないから、目を背けて。

 ただ、一度死んだのに生きてる奇跡に甘えて、またみんなと遊べることを願った。


 でも、この身体は……俺は。もう。みんなと一緒にいた俺じゃ……ないんだな。


『前を向きなさい、コタロー!』


 アシュリーの手が、うなだれる俺の手を握った。

 顔を上げると、アシュリーが懸命な表情で、俺を見据えていた。


『あんたが望んでいたものが、今、目の前にある! 泣いてうつむくな! 前を向いて、向き合いなさい! ――あんたが、命がけで求めてきたものを前にして、泣くな!』


 俺を見据えるその目尻は、濡れていた。

 泣いているのは、お前だろう――


 アシュリーの涙に、俺は自分の目元を拭い、そして怯える飯山店長に向けて、礼をした。

 信じられなくても良い。別人だと疑われても良い。

 でも、俺はあなたたちに会いたくて、その一心で、この世界に帰ってきたんです。


 その気持ちだけは、どうしても伝えたかった。


「その節は、ご迷惑をおかけしてすみません、飯山店長。……でも、帰ってきました。一度死んだけど、俺は今、生きてます。飯山店長や、かねやん、時田、シノさん、倉科さんたちに会いたくて……もう一度、帰ってきました」


 俺の言葉は、飯山店長に届いたろうか。

 店長は呆けたように口を開けて、俺を見ていた。


 信じられないよな。そうだよな、でも良いんだ。一目会えた。それだけでも……


「それだけです。驚かせて、すみませんでした。それじゃ……」


「ま、待って!」


 店長の引き留める声がする。

 店長はまだ落ち着いていないようだけど、一瞬だけ心を決めたような表情をして、そして俺に笑いかけてくれた。


「わかったよ。いや、何もわからないんだけどね? でも、確かに、きみは僕の知ってるコタローくんだ。だから……『仕切り直しだ』、コタローくん!」


 それは、店長が一番好きだと何度も語っていた、漫画の中の名台詞。

 飯山店長らしいな、と俺の顔も思わずほころんでしまう。


 店長は、優しい笑顔で、俺のことを迎えてくれた。



「おかえりなさい。……よく帰ってきてくれたね、コタローくん」



 もう、耐えられなかった。寂しさではなく、懐かしさと嬉しさが、滂沱となって俺の目から溢れた。


「っ! ……ッ! ――はいっ!!」



******



「はぁぁ……異世界転生、か……本当に、そんなことあるの……!」


「あった……みたいです。俺も、自分が体験するまで現実にあるとは、思わなかったんですけど」



 客のいない店内で、プレイスペースの椅子に座って、飯山店長に今までのことを説明する。


 本来は、商品を買った客がカードゲームなんかを遊べるように用意された空間なんだけど、今は誰もお客さんがいない。

 ので、飯山店長も仕事の手を止めて、俺の話を聞いてくれた。


 もちろん店長もまだ半信半疑だったんだけど、異世界の金貨を見せたり、一瞬だけデルムッドを召喚して見せたりしたら、本気で仰天しながらも、何とか信じてくれた。


『これ、美味しいわね。変な容器だけど』


 アシュリーは日本語が話せないので、話には加わらずに待ってくれている。

 俺は無一文なので、飯山店長が店内に設置された自販機で買ってくれた缶ジュースを飲みながら、店内の光景に興味を示している。


「……でも、何だって店長は、俺が死んだことを知ってたんです? 警察から電話を受けたって言ってましたけど」


「ああ、それね。コタローくん、車に轢かれたときに、僕の携帯の個人番号を表示してたんだろ?」


 そう言えば、確かに表示してた気もする。

 みんなに会いに行こうとして、飯山店長に、誰か店に遊びに来てるのかを聞こうとしてた瞬間だったかもしれない。


 店の番号も一応は入れてるんだけど、飯山店長やここの常連とは個人的に遊ぶ機会が多かったし、お互いの家やマンションの部屋に泊まりにいったことも何度もある。

 店の電話にかけるより、飯山店長にかけて、着信履歴から返信してもらおうと思っていたのだ。


「確かに、表示してましたね。まだみんなが来てるか、聞こうとしてました。もし誰か来なくなってても、飯山店長だけは店にいるのがわかってたし」


「そうそう。それで、自殺の線は無かったか、とか事件性に心当たりは無かったか、みたいなことを聞かれてね。本人確認のために、きみの遺体の顔も確認したよ。……うう、あんまり思い出したくないなぁ」


 事故死だと、結構スプラッタだった可能性もあるな。

 顔の判別はできたってことだから、遺体の状態はまだマシだったかもしれないけど、トラウマ級のできごとには間違いない。


「……ご心労とご迷惑をおかけしました。本当にすみません、店長」


「いやいや。こうしてまた会えて嬉しいよ。ご実家にも連絡した方が良いのかもしれないけど……四十九日の喪は明けてても、お葬式は済ませてるだろうからね。ご両親の心情と反応を考えると、僕の比じゃないだろうから。口は挟めないや、ごめんね」


「……両親は県外なんで、落ち着いたら顔を出そうと思います。ほとぼり冷めてからのこのこ顔出して、父親には殴られるかもしれませんけどね」


 そこは苦笑するしかない。

 でも、事故死した息子が一周忌も立たずに帰ってきたら、まともな親なら発狂しかねん。


 いや、案外と死亡届を取り下げてもらって、また生きてることにできるか?

 ……ダメだ、葬式を済ませてるはずだから、俺の遺体の顔を親戚一同に確認されてるかもしれん。

 役所の処理はともかく、親戚に対してどう説明するんだ?


 一度死ぬって、本当に問題だらけだな。

 やっぱり、近いうちに顔を出して、両親と相談、が一番手堅いかな。


「まぁ、何とかします。それより、店長……気になってたんスけど、なんで、話してるときもマスクしたままなんですか? もしかして、お客さんがいないのと関係あります?」


「あー……そうか、コタローくんは異世界にいたから、知らないのか。――感染病だよ、海外から発生して、今、世界中に流行してるんだ。日本だと他の国より死者は少ないんだけど、タチが悪くてね」


 え、そんなことになってんの?

 もしかして、俺が異世界に行ったことと、何か関係があるのか?


 入れ替わりで異世界の疫病がこっちに入り込んだ……とか。


「あはは、いやいや。無い無い! 流行元は日本じゃないから。時期も離れてるし。――ただ、国民全員、外出は自粛しようってことになってね。他人との接触が問題になるから、カードゲームの大会も開けなくてね……」


 かなり厄介な病気だな……

 インフルエンザでも警戒してたのに、現代社会で疫病が流行ることとかあんのかよ。


 百年前にはスペイン風邪の大流行があったし、近代でも他の国では感染症が流行ってたから、疫病って言っても歴史上の出来事やファンタジーの話とは限らない、ってことか。


「感染の心配が無い環境にならないと、満足にカードゲームもできなくてね……この通り、お客さんが減っちゃった。国からの補助金で経営は問題無いけど、もうみんなで集まれないかと思うのが、寂しいよ……」


 そう言って肩を落とす飯山店長。

 流行り廃りとか。就職や進学とか。色々な要素があって、カードゲームからプレイヤーが離れることは、今までにもあった。


 けれど、日本が、カードゲーム自体ができなくなる世界になっちまってたなんて……


「……感染の心配がない環境なら、みんなが集まれますか?」


「うん? そうだね。でも、難しいよ? どこでやっても、集団感染の危険があるって批難を浴びるだけだから」


 ふと、思いついた。

 あるな。感染の心配がない環境。


 もちろん、持ち込まないように『治癒の法術』とかで防疫する必要はあるけど。


 俺は、その提案を飯山店長に伝えてみた。




「……なら、異世界でカードゲームやりません?」










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[良い点]  手をつないでいたアシュリーが俺の声に目を開き、初めて見る直線の多い日本の都市部の風景に、思わず目を瞬かせた。 ↑ よくわからないけどなんか外国人が日本に来て喜んでくれてるならなんか嬉しい…
[気になる点] 今回今のご時世を考えて感染病の話にしたのか元々感染病の話だったのかが気になります。異世界でカードゲームやろうと言っているけど簡単に地球の人を異世界に連れて行っていいのかとかこの事がバレ…
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