あねいも
ゲルトールさんと協力関係を築けたことで、セントレイル侯爵家に客人として逗留することになった。
宿に潜伏しても良かったんだけど、奥さんのカラフィナ夫人が妹であるアシュリーを離したがらなかったので、半ば無理矢理に、というのが実態だ。
外部の人間に聞かれたら、「他国の高位冒険者パーティから旅の話を聞いている」という体で押し通すらしい。
屋敷の中では『モルフスキン』は解いてある。
なぜかというと、帝国内の誰も、俺の顔を知らないからだ。
写真のないこの世界では、面識のない人間を確認するには似姿を絵に描くしかない。
けれども俺はこの世界に来て、貴族になってからも一度もそんなものは作っていないので、俺の顔は記録に残っていないのだ。
王国ならともかく、面識のある人間のいない帝国では、容姿から俺の素性がバレる可能性はほぼ無いとのこと。
なので、パーティ一行で素顔のまま過ごさせてもらっている。
アシュリーだけは、公爵家の関係者に見られたらマズい気もしたけど、そこもやはりカラフィナ夫人のゴリ押しで素顔のままになった。
可愛い妹の顔をずっと見ていたいらしい。
「さて、拠点も決まったところで、だ」
俺たちに与えられた客室で、一同集まっていた。
カラフィナ夫人たちには遠慮してもらって、俺たち王国組だけだ。
「所長。クリシュナにも『カード』が見えるようにしてくれないか」
「……? ああ! なるほど、必要だね」
所長はクリシュナに歩み寄り、説明と同調を行ってくれる。
その様子を見ていたナトレイアが、不可解そうに小首をかしげた。
「……なぜだ? 以前に聞いた話では、クリシュナには魔力が無いのではなかったのか?」
そうだよ。
クリシュナには魔力が無い。俺の『カード』は使えない。
でも、持ってもらう。これは必要なことだ。
「そやね。本人確認のためには、良い手段やと思うよ」
「……ああ! なるほどね」
理解したノアレックさんのうなずきに、アシュリーも気づく。
そう。ゲルトールさんの話が本当なら、この手順は必須だ。
まだわかっていないナトレイアに、俺は『カード』を一枚取り出しながら、言った。
「――ゲルトールさんの話が本当なら、相手が『モルフスキン』で姿を変えられる可能性が高い。帝国の中枢に食い込むうち、俺たちの中の誰かに化けて、紛れ込まれないとも限らないだろ?」
「……それでか! 確かに、『カード』を持っていれば確認できるな!」
ようやくナトレイアも理解できたようだ。
そう、俺の出す『カード』は、「そこにある」と知らなければ見えない。
部外者には、知ることもできない確認手段だ。
取り出しやすい場所に入れておいて、疑わしければさりげなく見せ合えば良い。
オルスロートが魔力の高い長命種だとしても、『カード』の存在が漏れていなければ気づきようが無いし、何より偽造のしようが無い。
「というわけだから、クリシュナも一・二枚『カード』を持っておいてくれ。アシュリーもだ。まだ相手に目を付けられていない今のうちに、渡してこの確認方法を共有しておく」
「……おお! 何か見えたぞ、それを持っておればよいのじゃな!」
「わかったわ、コタロー。あたしももらっておくわね」
クリシュナとアシュリーに、それぞれ『解毒』と『木の弓矢』を渡しておく。
万が一相手に奪われても、使われても大したことのないカードだからだ。
「だが、コタロー。我々の間では、それで良いとしても……」
「うーん。まぁ、ゲルトールさんやカラフィナ夫人はしかたない。そもそも、味方だと本当に確定したわけじゃないしな。――ゲルトールさんだって貴族だ、ウソはついてなくても、別の思惑があっても俺は驚かないよ」
どうしても怪しければ『鑑定』するという方法もある。
『モルフスキン』は姿しか変えないから、『鑑定』すると本名が出るからな。
と言うわけで、ナトレイア、所長、ノアレックさんの魔力持ち組には『鑑定』を複数枚渡しておく。
ただ、あまり乱用すると、その仕草で『カード』の存在がバレかねない危険もあるけど。
「それで? これから具体的にどう動くんだい、コタロー殿?」
「まずはハンジロウを呼び戻して情報の共有かな。これは今夜にでもする予定だ。後は、ゲルトールさんの紹介で現皇帝派の貴族たちと会うことになるはずだけど……」
小声で全員に方針を話す。
なるべく、ハンジロウという手札はゲルトールさんたちには伏せておきたい。
あいつのことを知っている帝国の人間は全員捕縛されたから、この国には存在を知っている人間はいないはずだ。
現皇帝を救うにせよ、その居場所を探し出して潜入あるいは突撃する可能性がある以上、ハンジロウの密偵がカギになる。
人目に付く可能性をできるだけ下げるため、ハンジロウの再召喚は時間と場所を選びたい。
「エミルとデルムッドが喚べないのはちょっと辛いな……」
「おお。あの小生意気な妖精はどうしたのじゃ? あやつは役に立つじゃろう?」
少し期待するような声で、クリシュナが尋ねてくる。
言い合いはしてたけど、ケンカするほど仲が良い、みたいな関係だったもんな。寂しいのかも。
「いや、ゲルトールさんにも確認したんだけどさ。――暗殺対象の『王国の英雄』の目印は、妖精と白い犬を連れている貴族ってことらしくてな。エミルを召喚すると、一発で俺の素性がバレちまうんだ」
ゲルトールさんも、帝国政府の政務官として割と重要な位置にいるようで、前回の暗殺計画も耳に入っていたらしい。
失敗した場合のリスクが高すぎて反対派に回っていたらしいけど、それでも対象である俺の特徴くらいは知っていたそうだ。
出会ったときには連れていなかったけれど、俺が召喚術士だということを考えて、召喚獣だったと納得したらしい。
その通りです。
だからこそ、怪しまれるような真似は控えなきゃいけない。
そもそも、妖精自体が人の街だと珍しい存在だしな。エミルと特定されなくても、とにかく目立つ。
エミルの手助けは正直欲しいけど、皇帝救出のめどが立つまでは我慢だ。
「アシュリー? そろそろ、入っても良いかしら?」
こんこん、とノックの音とともに、部屋の外から声がかけられた。
カラフィナ夫人だ。
ドアを開けると、俺たち、というかアシュリーをお茶に誘いに来たようだった。
「相談も良いけれど、お茶と甘いものでもどう? 良ければ皆さんも一緒に」
使用人は連れず、一人で来ていた。
俺たちに配慮してくれていたんだろう。話は聞かれてないっぽいな。
「ありがとうございます。酒が苦手なので、甘いものはありがたいです、カラフィナ夫人」
「あなたの分は無いわよ、コタローさん」
なんで?
俺が呆気にとられていると、カラフィナ夫人はアシュリーを抱きしめながら、俺から遠ざけるように引き離した。
冷たくないですか、カラフィナお姉さん。
「あの? ……俺、なにか嫌われるようなこと、しました?」
「ええ。それはもう?」
ふしゃーっと笑顔で威嚇してくる夫人。
アシュリーが、戸惑いながら上背のある自分の姉を見上げる。
「か、カラフィナ姉さま? コタローとは、協力するんじゃなかったの?」
「夫はね。私としては、絶対に許せないわよ! あなたとアシュリーは、付き合ってるんですってね? ――私の大事な妹、アシュリーの『初めて』を奪ったオトコだなんてッ!!」
あかん、この人シスコンだ。
姉のあまりの物言いに、アシュリーは赤面して口をぱくぱくと開き、言葉もない。
俺も、しばらくためらった後、頭を抱えながら訂正した。
「えーと……カラフィナさん。アシュリーとは、そういうことをしたことは、無いです。まだ、一度も」
あら。とカラフィナさんの目がまたたく。
口元に手を当てて、ずい、と身を乗り出してくる。
「一度も?」
「一度も」
「なんで?」
「恋人になったのは、つい最近なので……」
たぶん、俺は今、苦虫をかみつぶしたような顔をしているんだろう。
アシュリーも、真っ赤にうつむきながら、こくこくと小さくうなずいている。
カラフィナさんの表情が見る見る晴れやかな笑顔になる。
「そうなのね! 冒険者なんててっきり、一緒になったらすぐに男女の関係になるものかと……あらあら。コタローさんって、もしかしてヘタレ伯爵?」
誰がじゃ。
「なるほど! つまりわらわが先になるチャンスは、まだあるということじゃな!?」
途端に元気になって割り込んでくるクリシュナ。
話がややこしくなるから黙っててくれまいか?
案の定、カラフィナさんはクリシュナの名乗りにも食いついてきた。
「まぁまぁ。可愛い恋人が他にいるのね? ならアシュリーはいらないのね? 私がもらうけど良いわね? ――さ、私の清いアシュリー。向こうで姉さんとお茶にしましょう!」
「やだぁ、コタロー。コタローっ!」
涙目になったアシュリーがこちらに手を伸ばしてくるが、カラフィナさんに無理矢理連れられて行ってしまう。
それ俺の彼女ですから。後で返して下さいね、お姉さん。
「まだ手を出していなかったのか……お前は本当にオトコか、コタロー?」
呆れたようなナトレイアの声。
帝国行きの準備でそんなヒマ無かったんだよ。
アシュリーと出会えたのはこの世界のおかげだけど、アシュリーと結ばれていないのはこの世界のせいでもある。世界が悪い。
「このヘタレ伯爵め」
「やめろナトレイア。その罵倒は俺に刺さる」
******
食卓に移動すると、全員分のお茶とお茶菓子の用意がされていた。
……俺以外。
俺の目の前の小皿には、なぜだかこぶし大のパンがある。
しかも焼いて数日は経っているだろう、岩のようなカチカチのパンだ。
パン粉にすればさぞカラリと揚がるだろう水気の無い、おそらくは厨房の余り物だった。
「……あの? カラフィナさん? 俺も甘いものがいただきたいのですが」
「お菓子が無ければパンを食べればいいじゃない」
岩だろ、これ。
大航海時代のパンは保存が利くよう焼き締められてて、マジで堅かったって話を聞いたことはあるけど、恋人の姉が、妹をかっさらった男を大後悔させようと思っていることは明らかだった。
「こ、コタロー……あたしの皿と、取り替えようか?」
「あら、食べられないなら姉さんが食べさせてあげるわよ、アシュリー?」
カラフィナさんが手につまんだ菓子を、隣に座らせたアシュリーに食べさせようと迫っている。
姉妹の情と言うより、百合百合しい感情が見える。これがこの世界の姉というものなのだろうか。
と、考えたところでナトレイアとその姉のイスカリアさんは別に百合っぽく無かったので、やっぱりこの夫人が百合っぽいんだな、と思う。
貴腐人か。
「は、はは……すまないね、コタローくん。カラフィナは、ずっとアシュリーさんの身を案じ続けていたんだ。公爵家に味方も無く一人取り残されて、追放までされたと聞いていたのでね。……許してやってくれないか」
同席しているゲルトールさんが、申し訳なさそうに苦笑する。
まぁ、夫人からしてみれば、生き別れになった最愛の妹だろうしね。
しかたないっちゃ、しかたないか。
諦めて、まだ話ができそうなゲルトールさんに向き直る。
「いえいえ、滞在させてもらってありがとうございます、ゲルトールさん。――それで、他の貴族にご紹介いただけるということなのですが」
「そうだね。明日からは、私の仲間たちの屋敷を回ってもらうことになると思う。もちろん、私も同行する。帝城の内部に詳しい者もいるから、陛下の居場所を捜索する手がかりになるだろう」
俺の目的は首謀者の自白ないしは捕縛。
ゲルトールさんたちの目的は、病床と偽って軟禁されている可能性の高い、現皇帝陛下の救出と保護。
目的は増えたが、両方とも同時並行で進められそうだ。
……むしろ、皇帝陛下を救出しても、元凶であるオルスロートが健在なら追われてしまうだけなので、打倒オルスロートは、俺たちに共通した目的かも知れない。
そこで、俺は気になっていたことを尋ねてみた。
「……アシュリーの実家は、どちらの派閥ですか?」
「多数派よ。……と言うより、侵略と暗殺の手引きをしているのは、実家の父上か、その嫡子である兄上だわ」
不機嫌そうに答えてくれたのは、カラフィナ夫人だった。
そうか、やっぱり敵側か。
やりにくそうな俺の雰囲気を感じ取ったのだろう、ゲルトールさんが真面目な顔で説明を添えてくれる。
「知っているとは思うが、『公爵』というのは帝室から分家した、統治者の近縁者に与えられる特別な爵位だ。アルクラウン公爵家もそうだ。――アルクラウン家が臣籍降下したのは数代前の皇帝のときだが、血筋的に、オルスロート帝のことも知っているだろうな」
皇帝にほど近い、皇帝傍系の血筋。
それを考えると、陰の支配者の存在を知っていてもおかしくはないか。
「アルクラウン公爵家はこの国の魔導機関の重鎮だ。政略結婚を繰り返し、各所に権力の根を張っている。……私も、カラフィナを嫁がされることで縛られかけた。幸いにも、カラフィナに理解があったから助かったがね。オルスロートの手先と見て間違いないだろう」
「……ゆくゆくは、どこかで公爵家の人間とぶつかるかもしれない、ってことですね」
俺がそう確認すると、ゲルトールさんは「そうだ」とうなずいた。
まるで、それは確定された事項だとでも言うように。
「コタローさん。あなたは、ためらうことなんて、できないわよ?」
カラフィナ夫人が、忠告してくる。
それは、どういう意味だろう?
その答えを示すように、ゲルトールさんが答えを告げた。
「コタローくん。アルクラウン家は、魔導機関の重鎮だ。――なら、封印の管理という魔導技術に対して、関わっていないということがあり得ると思うかね?」
息を呑む。
それは、つまり――
「王国侵略の手助けをした実行犯は、アルクラウン公爵家……ってことですか」
「ああ。おおやけにはなっていないが、裏では必ず関与しているはずだ。あの家がオルスロート帝に近い存在だと思う理由の一つは、当主が侵略に対して協力的姿勢を見せているからだ。オルスロート帝の侵略主義の指示下にあると、私は思っている」
ならば、まず探るべきはそこなのかもしれない。
実家の不穏な話題が出て、アシュリーがどう思うかが気になったけど、アシュリーは平然と、
「なら、遠慮なく叩けるわね。ぶっ潰して没落させましょう、あんな家」
「それでこそアシュリーよ! 姉さん、何でも協力しちゃう! あの冷血クソ父上や、嫌みな兄上たちなんて、みんな滅べば良い……!」
カラフィナさん、闇落ちしてますよ。
どんだけ酷い家だったんだ、アルクラウン公爵家。
まぁ、二人とも家を出てるのに愛着持ってる素振りも見せないからな。
それならそうと、罪を認めてもらおうか。
当面の目標は決まった。
まずは、アルクラウン公爵家を探ろうか。




