友誼のもとに
カラフィナ夫人に招かれ、一同で邸内へと入る。
門衛と使用人たちには、カラフィナ夫人がきつく口止めをしていた。
どうやら第一夫人……と言うより、ただ一人の夫人として、夫人はこの邸内でかなりの権力を持っているらしい。
幸いにも門前でのやり取りは人目に付いた様子も無く、俺たちは無事に帝都の貴族家へと招かれた。
となると、それからは当然、夫人への説明をしなきゃいけないわけで。
アシュリーは、再会した実の姉に、今までの空白の期間をどう過ごしていたか、夫人の私室で話していた。
「……で、ずっと隣の王国の端っこで、冒険者をやって暮らしてたわ」
「まぁ、まぁ。アシュリーは身体を動かすのが得意だったものね。魔術の方はからっきしだったけど。……元気でいてくれて、本当に良かったわ」
心から安堵した笑顔で、カラフィナ夫人は胸をなで下ろす。
黙ったままでも良かったんだけど、俺は意を決してアシュリーに尋ねてみた。
「なぁ、アシュリー……そろそろ、紹介してくれないか? アシュリーは、実家の人たちとは仲が良くないんじゃなかったのか?」
「ああ、ごめんね、コタロー。――そうよ、悪いわよ。このカラフィナ姉さまを除いて、ね。昔から魔術が使えなくてもあたしのことを可愛がってくれて、話し相手になってくれた唯一の肉親よ」
「カラフィナ・ネル・セントレイルよ。元アルクラウン家の次女ね。……魔術至上主義の家族とは昔から反りが合わなくてね。初めてできた妹だったのに、アシュリーが冷たくあしらわれてるのが頭にきてて。そうしたら、この侯爵家に嫁に出されちゃったわ」
なるほど。
妹として溺愛してたのに、家族の冷遇に不満を持ってたら、外に嫁に出された、と。
追放でこそないけど、アシュリー同様、家を追われたか飛び出したか、というお姉さんか。似たもの姉妹なんだな。
「それで? アシュリー、この人たちは冒険者仲間? 私にも紹介してちょうだい、仕事くらいなら回せるかも知れないわよ?」
興味を持つカラフィナ夫人に、俺たちは『モルフスキン』を解除してみせる。
夫人は、俺たちの姿が変わったことに一瞬面食らった顔を見せたが、先ほどのアシュリーの素顔への変化を思い出して、すぐに納得したようだった。
俺は一歩前に出て、自己紹介する。
「セントレイル侯爵夫人におかれましては、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。コタロー・ナギハラと申します。――マークフェル王国、名誉『伯爵』位を拝しております」
マークフェル王国の伯爵。その称号に、カラフィナ夫人の顔色が変わった。
この反応、裏の事情を少なからず知ってるな?
「マークフェル王国の、名誉伯爵……ね。一代でどんな功績を挙げたのかしら?」
「ご存じかどうかはわかりませんが――『救国』を、少々」
カラフィナ夫人の表情が強ばる。
見かねたアシュリーが、横から口を添えた。
「コタローとあたしたちで、王国に封印されていた『災厄の大樹』を討伐したのよ、姉さま」
「アシュリーも、王国を……!? まさか、マークフェル国王が、帝国の名を出して批判しようとしてるのは……!」
さて、この人は白か黒か?
白だとは信じたいけどな。
「帝国が封印の管理手段を持っていることは、アシュリーや他の筋からの情報で事前に推測できました。――おかげで、屋敷がこの国の暗部組織に襲撃されましたけどね」
襲撃、という俺の言葉に夫人の目が見開かれる。
アシュリーの方を振り返り、瞳に妹の安否を気遣うような色が浮かんだ。
「まぁ、襲撃は何とか切り抜けたわ。色々あったけど、あたしもみんなも生きてる。ただ、封印を解いたのは、あたしの手引きだって疑いの噂が流れてるけどね」
「アシュリーに、濡れ衣を……! あの連中……っ!」
見るからにわかる激しい怒りが、夫人を包む。
俺は思わず、夫人に問いただしていた。
「セントレイル夫人。本当の首謀者に、心当たりがあるんですか?」
「あるわ。と言っても、私は話を聞いただけに過ぎないけれども」
その名を、教えてもらうわけには――
そう願い出ようとしたところ、横から割り入る声があった。
「――そこからは、私が話そう」
室内の全員が、部屋の入り口へと振り向いた。
開いた扉の先には、いつの間にか、壮年の貴族が立っていた。
誰か。そんなことは言わなくてもわかる。この邸内の、夫人の私室に入れる男の貴族なんて一人だけだ。
つまり、
「この屋敷の主人、帝国侯爵位、ゲルトール・ネル・セントレイルだ。無作法だが、話は聞かせてもらった」
傍らに立つナトレイアが驚愕している。
声をかけられるまで、一切の気配が無かった。
気持ちは俺たちも同じだ。この人、身分の権力以前に、かなりの実力者だ。
「あなた……!」
「すまないね、カラフィナ。きみの追放された妹が来ていると、家人から報告を受けてね。……報告した者を責めないでくれ。話が不穏な方向に進まなければ、声をかける気は無かった」
口元を抑えて声を失う夫人を気遣いながらも、ゲルトール侯爵は室内へと足を踏み入れる。下がじゅうたんということを差し引いても、足音がしないのが不気味だ。
ゲルトール侯爵は、夫人の肩に手を添え、向き合う俺の方へと振り返った。
「さて、コタロー・ナギハラ王国伯爵だね。……きみが、マークフェルの『救国の英雄』で間違いないか?」
「……ええ。そうです」
答えながら、横のナトレイアに視線をやる。
入館するときに、武器はすべて預けてある。丸腰だが、創国の王剣を召喚して渡せば、戦うことはできる。
けれど、ナトレイアの厳しく追い詰められた表情が、こちらの不利を感じさせる。
……ナトレイア自身、目の前の相手の戦闘力が自分より上なのだと感じているんだろう。
話に聞いた限りでは文官のはずなんだが、さすがは貴族ってところか。
最悪の場合は、ハンジロウを再召喚するか?
先に、俺が『鑑定』をかけようと指先を動かしたところ、侯爵から「待った」がかかった。
「まぁ、そう殺気立たないでくれ。……『私が話す』と言っただろう? きみたちの目的は察しが付くが、私は敵対する気は無い」
じっ、と侯爵の目を見る。
ゲルトール侯爵の視線も表情も、ウソを言っているようには見えない。
視線を走らせると、アシュリーの表情が目に入る。その目は、姉と俺の両方を気遣い迷っている、戸惑っている様子が見えた。
……そうだな、アシュリー実家で唯一の味方の、その旦那さんか。
「……わかりました。あなたを信じます。――ナトレイア、みんな、警戒を解いてくれ」
話し合う機会を、わざわざ捨てなくても良いだろう。
俺がそう言うと、身構えていたナトレイアたちは身体の力を抜いた。
依然として、多少の警戒心は残っているが。
そのくらいは許容範囲だと、侯爵自身も気にはしていないようだ。
「ありがとう、伯爵。――話すより先に確認したいのだが、きみたちが帝国にいる理由は、王国侵略の手引きをしたことと、きみの暗殺の二つに対する『報復』が目的、という理解で合っているかね?」
「……その気持ちは確かにありますが、一番の目的は、王国侵略の絵図を描いた首謀者に、自分の罪を認めさせることです。でないと、アシュリーが犯人に仕立て上げられかねないので」
ふむ、とゲルトール侯爵は意外そうな目で俺を見た。
ドラゴン襲撃の報はもう伝わっていると見て、帝国の蹂躙が目的でない、というのは意外に感じた、というところだろうか。
それを確認するために、俺は自分から手札を晒した。
「もし本当に帝国に報復する気なら、ドラゴンの群れが通った後には死人の山ができているはずですよ?」
俺の言葉に、侯爵の隣で不思議そうに首をかしげるカラフィナ夫人。
本命の侯爵自身にはやはり情報が届いていたのか、降参、と言うように両手を挙げた。
「やはりか。ドラゴンの群れが移動しているというのに、報告される被害が少ないので不思議に思っていた。あれはすべてきみの召喚獣か」
そして、ゲルトール侯爵は、真剣な表情で言った。
「わかった、全部話そう。きみたちの目的が本当なら……私たちの利害は、一致するはずだ」
******
「このマナティアラ帝国には、ごく限られた者しか知らないが、二つの派閥がある」
応接室に移動して、使用人の人払いをした後、ゲルトール侯爵は話してくれた。
「一つは少数から成る私たち現皇帝派。もう一つが、この国の大多数が自覚せず属している多数派だ」
皇帝派の方が、少数……なのか?
事前の調べじゃ、皇帝のワンマン政治だったはずだけど。
情報が間違ってた、のか?
「あ、えーと……ゲルトール侯爵。その多数派の、首魁は?」
当たり前と言えば当たり前な、俺の質問。
けれど侯爵は率直には答えず、隣に座るアシュリーを見た。
「――アシュリーさん。公爵家で、帝国史は学んでいるね? ……なら、今の帝都の名の由来は知っているかい?」
帝国史? いきなり何の話だ?
アシュリーもいぶかしげに眉根を寄せながら、思い出すように答える。
「……確か、一度遷都しているから、です。二代皇帝オルスロートのときに、現在の古都オルガヌスから、首都を移したはず」
「そうだ。この帝都の名が初代皇帝、オルガヌスの名ではなく二代皇帝オルスロートの名を冠しているのは、それが理由だ」
満足そうにうなずく侯爵。
確かに、帝都の名が建国王と違うのは少し引っかかっていたけど。帝国の名付け方はそういうものなのか、と流していた。
……けど、それが?
「その二代皇帝オルスロートだが――まだ、生きている。この国の多数が属している、つまりこの国を陰から支配しているのは、現在の皇帝ではない。おおやけには九百年前に死んでいるとされている……二代皇帝オルスロート、その人だ」
九百年前の皇帝――?
「ま、待ってください、侯爵! えっ、皇帝はエルフや長命種の血族なんですか!?」
「いや、紛れもなく普通人種だ。――実際に、国母アスラーニティも、初代皇帝オルガヌスも普通人種だったと記録が残っている。その嫡子であるはずのオルスロートも、普通人種のはず……だ」
「はず、というのは? 姿を見たことは無いんですか?」
俺がそう尋ねると、侯爵は苦々しげに口元を歪ませる。
「皇帝陛下からのお話では、その姿はいつも変わるそうだ。ときに少年であり、ときに老人であり……けれど、あふれ出る魔力だけは変わらないらしい。身も凍えるほどの畏怖を感じる、と仰られていた」
仰られていた、ってことは、現皇帝から直接聞いた話か!
けど、常に姿を変える……? そんなこと、簡単に――
「――『モルフスキン』か!」
できる。現に、俺たちが使っているじゃないか。
俺の言葉に、全員が気づいたようだった。
そうだ、『モルフスキン』は構文方式じゃない。
この世界で、すでに使ったことのある術者がいる。
二代皇帝オルスロートは、モルフスキンで姿を変えた長命種、という可能性がある。
もしくは他の魔術かもしれないけど、初代皇帝の嫡子、という点だけをごまかして、帝国に紛れ込んで君臨し続けているということはあり得る。
納得する俺たちを見て、侯爵は少し驚いたようだが、やがてぽつぽつと続きを話し始めた。
「現皇帝は、国土の管理に無理が生じているとお気づきだった。だから、オルスロート帝の侵略主義をかわし続けて、国力の安定に努めようとなされていた……だが、半年前を境に、私たちの前には姿を現されなくなった」
「オルスロートは、なぜ侵略を? ――いや、九百年以上前からということは、周辺国家を飲み込んで、この国を『帝国』にしたのも、オルスロートかもしれないんですよね?」
その質問に、侯爵は小さく首を横に振った。
「最終的な目的は大陸の統一……ではないか、とは陛下から聞いている。だが、何のためにそれを目指すのかはまでは……わからない」
おそらくは、代々の皇帝を傀儡に仕立て上げて、裏から大陸の覇権を狙っていた。
覇権主義自体は地球の歴史的にもあり得ないものではないけれど。
ともあれ、その役目を果たさなくなった現皇帝は、舞台から引きずり降ろされた、と。
「私を含め、現皇帝派の人間は、陛下の学友や幼なじみ……昔から、陛下個人と親交がある者たちの集まりだ。その数は、相手に対してあまりに少ない」
だが、とゲルトール侯爵は決意のこもった目でそれを口にする。
「だが、我々は、陛下を何としてもお救いする。そのためならば、この帝国の支配者へも反旗をひるがえそう。侵略する支配者への忠誠ではない、統治者への忠誠と――幼き日の、我らの友誼のもとに」
そして、信じられない光景を見た。
ゲルトール侯爵は、相対する俺たちへと向けて、神妙にその頭を下げた。
「――侯爵!?」
「我々皇帝派は数が少なく、非力だ。請うて得られる助力はぜひとも得たい。妻の縁者である、きみたちにも頼みたい。……他国の英雄よ、我々に、力を貸してくれないか?」
侯爵は、頑として頭を上げない。
カラフィナ夫人も、夫に続いて頭を下げた。
隣のアシュリーが、俺を見る。
……わかってるよ。
侯爵の話をすべて、聞いたままに信じるというわけにもいかない。
けれど、協力者は必要だ。手がかりも。
「わかりました。……確かに、俺たちの利害は一致します」
俺の言葉に、侯爵が弾んだ表情で顔を上げる。
少なくとも、侯爵の態度はウソを言っているようには見えない。
俺はしょせん他国の人間だ。
外患を招く覚悟で、助力を請うているのか。はたまた報復者の俺を罠にはめる気なのか。
この判断が吉と出るか、凶と出るか。それはまだわからないが――
「よろしくお願いします、ゲルトール侯爵」
「ありがたい! ――よろしく頼む!」
俺とゲルトール侯爵は、手を取り合った。




