アシュリーの帰還
すみません。前話にて、帝都潜入メンバーの中にノアレックさんが入っていなかったので、前話に参加している描写を加筆修正させていただきました。
気になる方は、ご確認をお願いします。
朝になり、帝都の酒場の馬小屋で目を覚ます。
一応、『モルフスキン』が解けてないかを確認する。大丈夫そうだ。念のため、宿に落ち着いたらかけ直そう。
全員を起こし、宿の人に礼の言葉と心付けを渡して酒場を出る。
朝市の露店で朝食を済ませながら、市場の品揃えを眺めた。
石造りの建物が並ぶ宿屋街と違い、幅広い道の左右に簡素な露店や屋台が立ち並んでいる。
気づいたことは、
「……食料が高いな。昨日の酒場も、王都より割高だったし」
「露店の店主に聞いたけど、帝都はこんなもんなんやってよ。都市部やけんか知らんけど、税が高いけん物価が上がるらしか」
ノアレックさんが、串焼きを頬張りながら教えてくれる。
今のノアレックさんは、四本の尻尾が一本しかない、普通の狐獣人に姿を変えている。
税金が高いのか。ちょっと良くないな。
軍事費の負担が高いだろうから、財源を欲して課税してるとも考えられるけど。
順当に考えると利権を持ってる権力層に吸い上げられてると考えるべきで、この格好だと少しまずいかもしれない。
誰と接触するにせよ、接触せずに紛れ込むにせよ、とりあえず身繕いするか。
「昼になったら、宿を取ろう。……アシュリー、この格好のまま貴族街をうろつけそうだと思うか?」
「無理ね。あたしも、このまま心当たりを訪ねたいところだけど……一度、まともな宿で体勢を整えた方が良いと思うわ」
全員一致で、宿を探すことになった。
幸いにもここは宿屋街のそば。適当な時間になれば、部屋の空いた宿に潜り込める。
貴族とはカチ合わないようにだけ注意して、そこそこの宿に部屋を取った。
宿の人に桶に入ったお湯をもらって、交代で身体を拭く。
先に旅の汚れを落とさないとな。
「……って、なんで俺を脱がすのアシュリー!? もう一部屋取ってあるだろ!?」
「うるさいわねー。いいから、背中拭いてあげるわよ。ほら、上着脱ぎなさい!」
剥かれました。お嫁に行けない。
俺以外は女性だから、もう一つ大部屋取ったんだけど!?
なんでそっちに行かないの!?
「あのね。いくら大部屋だからって、五人は狭いのよ。だから、あたしがこっちに来たの」
「な、なんで……」
俺がうろたえていると、アシュリーは視線を逸らしながら、そっぽを向いて口を尖らせた。ごにょごにょと、言葉にならない声で、
「な、なによ……好きな相手の部屋に、来ちゃ……ダメ、なの……?」
……ごめんなさい。
来ても良いです。来て下さい。いや、来たからって何かするわけじゃないけど。
いや、何かするべきなのか? いかん、もうわからん。
真っ赤なアシュリーの表情が破壊力高すぎて、慌てふためいてしまった。
「そういう場合じゃないのはわかるけど……コタロー、何も……しないし……」
うつむきながらの上目遣いは反則だと思いますよ、アシュリーさん。
「そ、そうだな……じゃあ、脱ぐ……けど、お願いして良いか……?」
「うん。優しくするからね?」
「それ台詞が男女逆だよね、アシュリー」
やだアシュリーさんイケメン。
というか、実際に割と男前な性格してるよな、アシュリーは。
そのうち俺の方が押し倒されることになるかもしれない、などと考えながら、お湯を含んだ布で背中を拭いてもらう。
あー。気持ちいい。
「……前は自分で拭けるからな?」
「自分で拭けるのと、自分で拭くかどうかは別のことよね?」
前方は死守しました。
何から、ってアシュリーの興味から。真っ昼間だからね!
と、思ったらなぜかおもむろに自分の服を脱ぎ始めるアシュリー。
何してんの!?
「な、なによ。あたしだって、身体拭きたいんだから……その、背中……拭いてよ」
そう言って下着一枚になり、ベッドに座って宿に備え付けの毛布で前を隠す。
あ、胸は見せないのね。安心したというか、突然すぎる。
布に湯を含ませて絞り、毛布を胸に抱いて後ろを向くアシュリーの背中に、向き直る。
白い素肌。少女らしく艶めかしく、肌には張りがあってきめ細かい。
「……は、はやく、して……?」
アシュリーが、かすかに震えていることに気づく。
恥ずかしいんだろう。肌が少し赤く上気している。
なら無理するなよ。とも思ったけど、違うか。そうしたかったんだな。
「……この背中、見たことある奴は?」
「……? 昔は使用人が見てるはずだけど……」
そうじゃなくてね。
「冒険者になってからは?」
「……! え、えと。……男では、あんただけ」
そっか。と背中に触れる。
華奢な身体だよな。鍛えているとかそういうことを抜きにして、細い体つきだ。
「……どうせ、女らしくない奴だ、とか思ってるんでしょ」
「惚れてる相手にそんなこと思うかよ」
俺の一言に、アシュリーが跳ねるように息を呑む。
「細かい傷跡が、あちこちにあるな」
「……冒険者だからね。ケガなんて、しょっちゅうよ」
それはきっと、歴史なんだと思う。
冒険者として、アシュリーが自分の力で生きてきた歴史が、そこにある。
一人で生きるのが心細いとか、泣きたいとか。いくらそういうことがあっても、全部ただの傷跡に変えて、自分を支え続けて乗り切ってきたんだろう。今まで、俺を支えてくれたように。
名誉の勲章、なんて威張り散らすようなもんじゃない。
一人の女の子が今までがんばってきた、そういう歴史に俺は今、触れている。
「……でもね? こんなんだけど、これでも新しい傷は無いのよ?」
アシュリーは、そう言った。後ろを向いたまま、抱いた毛布に顔を埋めて嬉しそうに。
「……コタローが……かばってくれたからね」
トリクスの森では、俺がオーガからアシュリーをかばった。
屋敷の襲撃では、アシュリーが石化から俺をかばってくれた。
出会ってからいつも、隣にいてくれた。
気づいたら、彼女を背中から抱きしめていた。
「もう増えないよ。増えるとしたら、俺も一緒だ」
「そうね。あんたと一緒なら……傷が増えても良いわ」
抱きしめた俺の腕に、アシュリーがそっと触れる。
背中と胸から、お互いのぬくもりを感じる……
「準備が遅いのじゃ、アシュリー!」
と思ったら、クリシュナが乱入してきた。
うん、そんな気がしたよ。
バンッと開いた部屋の扉に、慌てて離れる俺たち。
その様子に、クリシュナは目を点にして呆けた後、盛大に泣き出した。
「うわーん、こいつら抱き合ったんじゃ――ッ!」
「はいはい、二人とも成人しとるんやけん、そのくらいするやろ。ってより、二人きりならそうなるやろ。いいから邪魔せんときね、クリシュナお嬢」
ぐしぐしと泣きじゃくるクリシュナの手を、後ろから出てきたノアレックさんが引いて退場していく。
二人きりの雰囲気は、ものの見事に霧散した。
「……あー。とりあえず、身体拭いちまうか」
「……そうね。身支度しなきゃね」
そんなこんなで、さっぱりしました。
旅の疲れは落ちたけど、別の疲れがどっと出た気がする。
******
「……それで、心当たりってのはどういう相手なんだ、アシュリー?」
宿で『モルフスキン』をかけ直し、貴族街区へと向かう。
アシュリーの先導ながら、アシュリー自身も正直自信があるというわけではないようだ。
「うん、それなんだけどね。もう嫁いだ身だから、会えるかどうか……会えたとしても、力になってもらえるかどうかは、ね……」
何となく歯切れが悪い。
しかし、伝手が無いのも確かだ。
形はどうあれ、帝国貴族社会に紛れ込む何かしらの手段は欲しい。
ダメ元で訪ねてみるのはアリだ。
訪ねられれば、だが。
「――奥様は、ご予定のない者とはお会いになられない」
荘厳な屋敷にたどり着いたものの、門衛に門前払いされた。
そりゃそうだよ。貴族家だろ、ここ。しかも結構上の。
姿を変えたアシュリーは、心を決めたのか、一つため息を吐くと、門衛に向かってもう一度交渉した。
その切り札は短く、
「……わかりました。なら、奥様の『消された妹』の消息についてお耳に入れたいことがある、とお伝え下さい。――『消えたマジックバッグがどこにあるのか』と」
「ふん、何だそれは? ――わかったわかった、時間があればな」
「これを伝えなければ、きっとあなたのクビが飛ぶでしょう。それでも良ければ、出直して参ります。……もしかすれば、もう来られないかもしれませんが」
その確信めいた表情に、門衛の眉根が上がる。
門の内側にいる同僚に声をかけ、同僚を邸内へと走らせた。
不審の視線を向けながら、門衛は俺たちへ向き直る。
「そこでしばし待て。奥様のご判断次第では、衛兵に突き出してやるからな」
話は通ったのか。
しかし、結構危ないな。もしものときは、実力行使で逃げるしかないか?
一応、ナトレイアやノアレックさんたちに目配せをしておくが、アシュリーはこちらを見ない。ただ、門の内側の屋敷を見つめている。
やがて、屋敷の扉が開き、使用人と門衛の同僚を引き連れて、ドレス姿の夫人が遠目に姿を現した。
髪の色は、元のアシュリーの色と同じ。
背丈は頭一つ高く、均整の取れた、毅然としたドレス姿の女性だ。
まるで、アシュリーの十年後を見ているような錯覚におちいる。
夫人は俺たちを不機嫌そうにねめ回した後、鼻を鳴らして問うた。
「お前たちなの? 妹の行方を知っていると言うのは」
俺たちが揃って片膝をつくと、すぐに襲われることはないと感じたのか、夫人はさらに尋ねてくる。
「――妹が、マジックバッグを盗み出して消えたのは、家族しか知らないはず。どこで知ったの? 答えなさい」
「そのマジックバッグが、ここにあるからです。カラフィナ・ネル・アルクラウン様」
答えるアシュリーの示したマジックバッグに、カラフィナさんの眉間にしわが寄った。
「アルクラウンは旧姓よ。今の私は、カラフィナ・ネル・セントレイルです。――お前の持つマジックバッグが、私の実家にあったものだとは証明できないわ。もし本物だとしたら……」
私の妹に、何をした。
美しい夫人の顔が、般若のような殺気に歪む。
アシュリーは顔を下げたまま、俺の方を見た。
「コタロー、お願い」
「……良いのか? 危ないぞ?」
俺が尋ね返すと、それでもアシュリーはうなずいた。
「姉さまなら、わかってくれるわ」
「……わかったよ」
諦めて、俺はアシュリーの『モルフスキン』を解除する。
もちろん、すぐさまこの場を離れられるように他のカードの選択肢を頭に巡らせながら。
けれども、俺の心配は杞憂だった。
顔を上げたアシュリーの素顔を見たカラフィナ夫人の表情が、驚愕に歪む。
その端正な口から、信じられない、と驚きのこもった言葉が漏れる。
「アシュリー……まさか、え……? アシュリー、なの……?」
「久しぶりね、カラフィナ姉さま。姉様が帝城の文官に嫁がされて以来、かしら」
カラフィナ夫人の身体が、反射的に動く。
何かを言うより早く、地に片膝をついたアシュリーを強く抱きしめた。
「アシュリー! 無事だったのね! 良かった、本当に良かった……姉さんは、あんたが父上たちに追いつかれて、殺されたんじゃないかと……ッ!」
「……何とか、逃げ延びたわ。帰ってきたわよ、姉さま」
どうやら、カラフィナ夫人とアシュリーは、実の姉妹のようだ。
実家とは、折り合いが悪いんじゃなかったのかな?
なんて聞くのも野暮なくらい、カラフィナ夫人は涙を流し、アシュリーをきつく抱きしめている。
アシュリーもまた、懐かしそうに笑顔を滲ませ、自分の姉を抱き返している。
死に別れたと思っていた、姉妹の感動の再会、ってことなのかな。
二人の空気に、門衛や使用人たちも何も言えず、その場に立ち尽くしている。
姉と妹は、しばし屋敷の門の前で、そのまま抱きしめ合っていた。




