王たるや
この国では俗に、『王城』は行政および軍事施設を兼ねた施設全体の総称で、その中の王族たちの日常生活圏が『王宮』と呼ばれる。
王城内、王宮の応接室は、魔導研究所とは比べものにならないほど広く、華美だった。
玉座のある謁見の間ではなく、宮中の応接室は王族が内外の識者や客人を歓待したり談話するための部屋だというので、国王陛下も階級差なく話そうと場所を選んだのだろう。
それでもこの豪華さか、と言う気にはなる。さすが王の住む場所。
室内の護衛もオーゼンさんが選ばれ、王様の横に立っている。
外部を介さない密談をしようと言うことだ。
俺とアシュリーに相対し、ハイボルト・フェン・マークフェル国王は、悠然と俺たちの向かいに座っていた。
「よく来てくれたね、ナギハラ伯爵。アシュリー嬢。挨拶もほどほどに単刀直入に話すけど――結局、君たちの事前の予想はすべて当たったね」
アシュリーの正体は、「帝国を追放された公爵の娘」として噂が出回り、帝国に対して恨みを持っている、と王国貴族たちの中では話が広まっている。
俺の屋敷は不自然に手練れな大量の暗殺者に襲撃され、俺自身の命を狙われた。
その結果としてアシュリーが『石化』してしまったが、これは向こうの誤算だろう。
襲撃者の指揮官がアシュリーを「追放者」と呼び、邪魔をしたような言葉を口にしたからだ。狙いはアシュリーではなく、俺の命だった。
すべて予想通りだ。
ここまで来ると、事情を知っている国王も容疑者を一つに絞っている。
「襲撃者たちの身元は割り出せましたか、国王陛下」
「まだ自白はさせられていない。けど、まぁ、ナギハラ伯爵目がけて用いた古代遺物と言い、きみの屋敷の使用人たちに聞いた技量と言い――マナティアラ帝国の、暗部組織だろうね。どうやって王国に大量に侵入したかはわからないけど、たぶん国家直轄だ」
やっぱりか。
王国の例によって、帝国全体か内部派閥かは知らないけど、確実に帝国のトップかそれに極めて近い権力者が黒幕、ということになる。
でないと、国際的な侵略計画を遂行できるわけがない。
「コタロー、後で『鑑定』させてもらったら? 暗部とは言え、国家直轄の実行集団なら、そういう役割を担当する上級騎士が紛れててもおかしくないわ。あたしが知ってる顔と名前もあるかもしれない」
「……実家に疎まれてたから、政治的な内情には詳しくないんじゃなかったか、アシュリー?」
「政略結婚の手駒にされかけた、とも言ったでしょ。見合い相手として、帝国貴族の中なら知ってる名前もいっぱいあるわよ。姿絵で顔もだいたい知ってるしね」
なるほどね。ある程度、帝国貴族だったら顔と名前がわかるのか。
有力な貴族に限らず、アシュリーの公的価値が低いと見積もられていたなら、暗部とか日陰の担当者に対する褒美として縁談が上がっててもおかしくないな。
その提案に、ハイボルト国王が喜んだ表情を見せた。
「それは良いね、後で捕虜を捕らえている場所への通行許可を出すよ。ぼくが一緒に行ってもいい。犯人は絞れているが、それをおおやけに証明する証拠と自白は必要だ」
なら、試してみるか。
名前だけわかっても、と思ってはいたけど、アシュリーがわかるかもしれないなら実行する価値はある。
「ナギハラ伯爵には、災難だったね、と慰めるべきか……予想されていた以上は、ご苦労だったね、とねぎらうべきなのか。それはわからないけど、何とか切り抜けてくれたようで何よりだ。ぼくにできるのは、使用人への『カード』の使用許可くらいだったけど」
「いえ、助かりましたよ。さすがに、いつ来るかもわからない襲撃者相手に、疑念の噂が立っている状況で、手勢を増援にもらうわけにもいかなかったですしね。おかげで幸いにも、全員無事に乗り切れました」
いくらかの被害はあったけれど、元の状態に復帰できただけで上々だろう。
ハンジロウっていう戦力も増えたし、階位も上がったしな。
ちなみに、現在の俺のステータスは以下。
名前:コタロー・ナギハラ
職業:召喚術士
階位:6
HP:16/16
魔力:6/6
攻撃:0
スキル
『アバター召喚』『スペル使用』『装備品召喚』
『魔力高速回復』『カード化』『異世界言語』
とうとう予想される折り返し点を超えて、召喚枠も増えた。
その気になれば、空からフレアドラゴンを八体、地上からアースドラゴンを八体、なんてこの世の終わりみたいな軍勢も喚び出せる。
まだ確認していないけど、新しいパックのカードも五枚増えている。
こちらは、今日の相談が終わって方針が決まったら効果のテキストを読んで、使い方を考えるつもりだ。
俺の今の能力を知っている国王陛下は、それが王国に向けられたときのことを想像したのか、微妙な苦笑を浮かべながら俺に向き直った。
「空陸からドラゴンを計十六体も喚び出されて、勝てる人間の軍隊は大陸上に存在しないよ。それと敵対した帝国が、可哀想になるね……と、言いたいところだけど」
と、陛下が言いよどむ。
そうなんだよな。問題は一つだ。
陛下は、その問題を言葉にして、口に出した。
「ナギハラ伯爵は……本当に、その軍勢を帝国に、大勢の民に向けて、蹂躙できるのかい?」
俺はすぐには答えられず、口ごもる。
そうなんだ。
力を持っているのと、その力を使えるかどうかは、別の問題だ。
怒りに任せてドラゴンを大量召喚して、帝国を更地にするのはやろうと思えばできる。
けれど、それは王国を滅ぼし民衆を虐殺しようとした帝国と同じやり方だ。
こんなことを考えるのは俺が平和ボケした日本人だからで、戦うことが当たり前のこの世界の人間からすれば、やられたらやり返せ、となってためらうこともないだろう。
けれど、俺の出身をある程度知っている陛下としては、考えてしまうわけだ。
国益を求めて王都の市民を虐殺しようとした帝国よりなお酷い。
瞬間の一人の憤怒で、お前は罪なき国民たちを皆殺しにするのか、と。
俺が言いあぐねていると、横からアシュリーがきっぱりと言い切った。
「しないし、できないわよ。だって、コタローよ? ――そんな人でなしの考えも、それに耐えられる心の強さも無い。そして、そんなものは、コタローが持たなくても良いものなのよ」
俺は、思わずアシュリーの方を見る。
彼女は心からそれを信じているようだった。石化されて、カードになるか命を奪われるか、という境遇を経て、なお俺がそんな手段を執らないことを確信している。
……そうだよな。
アシュリーが言ったことは、俺の本心だ。
情けないと、甘いと言われても、それでも俺は、日本人を辞められない。
「……そうですね。それをやったら、もう、俺は俺じゃ無くなっちまいます」
俺がそう答えると、ハイボルト陛下は、なぜだかホッとしたように息を吐いた。
気が抜けたように笑いながら、その胸の内を明かしてくれる。
「……いや、そう答えてくれて安心したよ。敵国を民ごと滅ぼせるということは、この王国が万が一敵対してしまったら、きみはこの王国を焦土にできるということだ。――さすがに、そんな存在とはまともな付き合い方はできない。隷従か、反抗して玉砕するか、だ」
そんな関係は俺の望む『仲間』という存在じゃない。そう言われた気がした。
そうか……
昨日、ナトレイアに言われた言葉を思い出す。
もし、俺が考えたことにためらわず割り切れる奴だったら。
もし、俺が自分だけが満足するために何でもする奴だったら。
ナトレイアもアシュリーも所長も、オーゼンさんや国王陛下も。みんなみんな。
今頃、俺のそばには誰もいてくれなかったろう。
俺は、ひとりぼっちの『神』ではなくて、仲間といられる『人間』で在りたかった。
「ナギハラ伯爵も、相手を許す気は無いだろう。それは当たり前だ。でも、すべてを滅ぼしていたら、何もかもが無くなる。誰もいなくなる。――きみはそのときこそ、本当に『人』ではなくなる。『王』のぼくが言うけどね、それは……とても、寂しいよ?」
「……『王』は、『人』ではありませんか」
「そうしなければならない場面も、いくつもある。……愚かな王や貴族は、その考えしか頭に無くなって、民を、『人』を顧みなくなってしまうけれども」
それは、人の上に立つ「権力者」という役割に宿る、切り離せない業だ。
王様は、そう言った。
「そうですね。……とは言え、やられっぱなしじゃいられない気持ちもあります」
「それは当然、ぼくも同じだよ。やり返さないと、向こうの好きにされたままだ。この王国も、ナギハラ伯爵も、帝国の好きにできる『奴隷』ではない」
俺の言葉に、すべてをわかっているように陛下が微笑む。
なので、と俺はアシュリーにも目をやりながら、言った。
「帝国に潜り込んできます、陛下。事情や経緯を調べられるかどうかはわかりませんが、少なくともこの王国や、俺やアシュリーにしたことを後悔してもらわなければいけない。首謀者がその罪を認めるまで、かき回してきます」
「存分にやってくれ。――戦争になるかもしれない、なんて考えなくて良い。ナギハラ伯爵のドラゴンたちを見せれば、向こうは大っぴらには開戦できない。全滅必至だからね」
自分がやったことなら、相手もしてくるはず。
帝国はそう考えて、自分たちがドラゴンの大群に虐殺される姿を思い浮かべるだろう。
そんな相手に宣戦布告できるバカはいない。
悪い笑みをお互いに交わしながら、どうしてやろうかと戦略を練る。
国境付近の帝国領内に、空陸のドラゴンを十体くらい喚び出すか。
それを陽動に、ワイバーンで回り込んで主要都市に潜り込むのが妥当かな。
ドラゴンの群れを前にして、せいぜい慌ててくれ、帝国さんよ。
その間に、懐に潜り込ませてもらうよ。
「……人が良いのもコタローなんだけど、こうやって小賢しくて人が悪いのもコタローなのよね……」
俺と陛下の悪巧みに、横からアシュリーが呆れたような声を出す。
オーゼンさんも、この空気に若干引いているようだった。
そりゃ、悪人じゃないけど聖人でもないからね。
合わせて人間なんだよ、俺は。
******
話もまとまったところで、王城の地下牢へと案内された。
国王陛下の先導ということで、一も二も無く素通りとなった。
地下牢に収容されているのは、俺の屋敷を襲った襲撃者たちだけ。
国難に関する重要な被疑者として、政治犯なんかの他の罪人とは別に収容されているようだ。
二十人を個別に収容しているので、もしかしたら一区画の牢を丸ごと使っただけかもしれないが。
護衛をオーゼンさんだけにして、守衛の騎士にも扉の外に退出してもらう。
襲撃者たちは両手を拘束されて、口元や目元などを覆っていた覆面の類いもすべて外されて、自決防止用に猿ぐつわを噛まされていた。
食事などはまだ与えられておらず、糖分や果汁を含ませた水を猿ぐつわ越しに染みこませて飲ませていたらしい。
奥歯に毒を仕込む、なんて手段も物語じゃよくあるが、それらも含めて何も噛めないようにしてるんだな。
必然的に自白は口頭ではなくて、質問に対してうなずくかどうかなどの身振りで示す方式になっているが、どのみち詳細を簡単に話すはずもないので、俺が何か確認できる手段を持ってないか聞くのを待っていたとのこと。
まぁ、何も言われなくても犯人はもうわかってるしね。
そんなこんなで『鑑定』をかけながら、名前と素顔をアシュリーに確認していく。
言ってもいない本名を俺が言い当てたのには、襲撃者全員が驚愕していたが、家名までは言い当てていないことに、自暴自棄になる奴はいなかった。
端の牢から順番に探って、当たりを引いたのは、六人目。
「――六人目。マドラス」
「……たぶん、この顔見たことがあるわ。マドラス・ナイトリング子爵。帝国第八騎士団の団長で、あんまり武功を上げてない、目立たないと言われてる騎士団だったはず」
夜闇で見えづらかったけど、たぶんこいつ、アシュリーを石化させた襲撃者の指揮官だな。
家名と所属まで言い当てられて、襲撃者マドラスの表情が驚きに見開かれる。
その反応だけで充分だよ、ナイトリング帝国子爵さん。
「子爵なのに、騎士団の団長。表では武功を上げていない、目立たないと言われる理由は、主に暗部の仕事を担っていたから、目立たないようにしていた。……ふむ、一応、つじつまは合うのぅ」
思い当たるところがあるのか、護衛のオーゼンさんがつぶやく。
元侯爵位で王の側近ともなれば、国家の暗部組織の人員配置にも多少は詳しいんだろう。
国王陛下が、とどめの言葉を告げる。
「きみの首を切って、帝国に送りつけて身元照会を求めてみても構わないよ。王国貴族の襲撃者だ、どう扱おうが何も言われる筋合いは無いし、生死も関係ない。――きみは何もしゃべらなくて良い。余らが興味を持っているのは、きみの首から上だけなのだからね」
にこり、と優しく語りかける陛下に、マドラスは戦慄し、震え上がっていた。
鍛えられた暗殺者と言えど、身元が割れて自分の生死に関わらず派遣元に責を問われる、暗殺者ゆえの最上級の失態に恐怖しているのだろう。
この笑顔を見せられるのが、ハイボルト国王の王たるゆえんとも言える。
結局、マドラスは観念してうなだれた。
生死問わず任務が失敗に終わった、という事実に、せめて命だけは、と考えたのだろう。
生きていても死んでいても帝国が犯人とされているのだから、殉死しても無駄なだけだ。
むしろその首を王国に利用される。
「――ご苦労だった、ナギハラ伯爵。アシュリー嬢。これで、首謀者はマナティアラ帝国であると公表できる」
陛下は朗らかな、悪鬼羅刹も怯えるような凄惨な笑顔で告げた。
その笑顔の裏には、抑えがたい憤怒が滲んでいる。
そうだね。
世の中には、怒らせてはいけない人間もいる――
そのことを、帝国にも知ってもらおうかね。




