突撃するお嬢様
「あの……コタロー。そろそろ、離して?」
「……すまん」
感極まった勢いで抱きしめ続けていたことに気恥ずかしさを感じつつも、手を離す。
顔を赤くしたままのアシュリーは、うつむきながら床にへたり込んだままだった。
それを見かねたノアレックさんが、まだ体調が悪そうながらも、苦笑して声をかけた。
「……で、どげんしてこうなったとね? コタローはんの服の切り傷と血の跡を見れば、何となくわかるばってん……その服装も、コタローはん、王都で何かやったん?」
あ、しまった。
伯爵位をもらった説明を、ノアレックさんにはしてなかったな。
それに、慌ててたから、襲撃された屋敷の確認もやってない。
ハンジロウやナトレイアたちがいるから、襲撃者たちは王国に引き渡されてるだろうけど。
使用人や警備の人たちは、無事だったろうか?
「ああ、ごめん。手っ取り早く話すと……」
俺が経緯を説明しようとすると、ギルドの廊下に騒がしい足音が聞こえた。
鎧か何か、金属音がこすれる音も多数聞こえる。
思わず首をかしげて、そして俺は、自分が押し入り強盗さながらにここまで来たことに気づいて青ざめた。
「――動くな! 領都衛兵隊であるッ!」
あああああ、やっぱり衛兵かッ!
市民かギルド職員か、誰か通報したな!? そりゃそうだよ!
「あ……す、すみません! これは……」
「コタローっ! やっぱりコタローか!」
部屋に押し入ってきた、鎧姿の衛兵の群れの奥から、聞き慣れた声がした。
衛兵隊をかきわけ、俺に駆け寄ってくる小さな姿。
その辺境伯ご令嬢は、走る勢いのまま俺に、飛びつくように抱きついた。
「久しいな! 観念してわらわの婿になりに来たか、コタローっ!」
「――クリシュナ!?」
辺境伯家の長女にして末子、クリシュナだった。
クリシュナは俺の胸に飛び込み、俺が思わず受け止めると、その笑顔をぐりぐりと俺の胸にすり寄せる。
「く、クリシュナ! あんまりくっつくな! 衛兵さんたちの前だぞ!」
「わらわとコタローの仲じゃろう! そなたはわらわが婿にすると決めた、わらわの家の騎士じゃ! 抱きついて何が悪いッ!」
引き剥がそうとするも、ぎゅうっと抱きついて離れないクリシュナ。
相変わらず元気すぎる子だな。
その様子に、衛兵隊の人たちも苦笑いしている。
やがて、隊長らしき人が、敵意は無さそうに歩み出てくれた。
「やはりナギハラ騎士爵でしたか。突然ワイバーンが街中に現れ、それに乗っていた血まみれの人物が冒険者ギルドに押し入った、という通報があったのですが。――あのワイバーンは、ナギハラ卿の召喚獣だったのですな」
「ああ、はい。お騒がせしてすみません。なにぶん、緊急事態だったもので。手順を踏んで街に入る暇が無くて、本当に申し訳ないです」
クリシュナを抱きかかえたまま、頭を下げる。
ワイバーンが街中に降り立ったというのに、暴れもせずにすぐに消えた。
領都を攻めに来たのかと思えば、乗っていた人間たちが武器も持たずに向かったのは、戦闘職の揃う冒険者ギルド。
これはおかしいぞ、と通報を受けた衛兵隊が辺境伯邸に急ぎ報告したところ、それは召喚獣だったのではないか、何か急ぐ事態があって街に戻ったのでは無いか、という推測が浮かんだ。
そこで、召喚獣、と聞いてピンときたクリシュナが、俺が来ていると思って無理矢理に衛兵隊に同行してきたそうだ。
「わらわの直感は当たりじゃったの! ワイバーンまで喚べるようになったんじゃな!」
「ああ、クリシュナ。あれから成長してな。今ならドラゴンだって喚べるぞ?」
冗談めかして言ってやると、クリシュナもおかしそうに笑った。
クリシュナは信じてた上で笑ったッぽいが、衛兵隊の表情を見ると、話の上での誇張だと思われたっぽいな。
「そうじゃ、衛兵隊長。コタローは確か、もう騎士爵ではないぞ。王都で手柄を立てて伯爵になったと父上から聞いた。――まことかの、コタロー?」
「ああ、本当だよ。……って言っても、このボロボロの姿じゃ、爵位も何もあったもんじゃないなぁ。――あ、皆さんも、今言ったとおりに平時じゃないんで、爵位は気にしないでください」
相手が騎士爵ではなく伯爵、上級貴族の一員だと聞いて、衛兵隊の皆さんが怖じ気づいていたようだった。
そりゃ、いくら領都を騒がせても、衛兵隊が直接は上級貴族を裁けたりしないよね。
「ごめんな、街を騒がせて。どうしてもノアレックさんの協力が必要だったんだ。辺境伯様には、後日改めて謝罪に来るよ。今は、一度自分の屋敷に戻らないと」
「なに、いつでも戻ってこいと言うたのはわらわじゃ! あの程度の騒ぎ、『大空の魔術士』の凱旋と言えば、笑い話で済むであろうよ! 気にするでない!」
そう言ってくれると楽になるな。
辺境伯様にも久しぶりに会いたいし、屋敷を確認したらこの街にはまた来よう。
と、思っていると、クリシュナは何やらもじもじと頬を赤らめた。
「そ、それでじゃの? コタローは、伯爵になったわけじゃし……辺境伯の娘を嫁に迎えても、釣り合いが取れると思うのじゃが……その、どうじゃ……?」
まだ婿取りを諦めてないのか。
あー。あー。えーと、いつもなら、故郷に帰るからってことで断るんだけど。
今は、別の理由で断らなきゃならない。
「その……ごめんな、クリシュナ? 俺は、自分の気持ちに気づいてさ。アシュリーが好きなんだ。アシュリーと、付き合うことになった」
ちらり、と見やると、顔を真っ赤にしてうつむくアシュリー。
対照的に、雷に打たれたような絶望的な表情をするクリシュナ。
「なんでじゃ! コタロー、そなたも伯爵、わらわも伯爵令嬢じゃろう! 貴族社会にも誇れる組み合わせではないか――ッ! 嫌じゃ嫌じゃ、コタローの嫁になるのはわらわなんじゃ――ッ!」
途端にダダをこね始めるクリシュナ。
いや、仕方ないだろう。歳も離れすぎてるし。成長を待とうよ、ロリ姫。
「コタローは、このまま王都に帰るのかの?」
「そうなるな」
クリシュナは、怒ったように俺をにらみながら、きっぱりと言い切った。
「わらわも王都についていくぞッ!」
「なんで!?」
「このまま王都におしかけて、押しかけ女房になってやるのじゃ――ッ! 既成事実とやや子を作って、コタローをこの辺境に連れ帰ってやるッ! コタロー、お主領地はもらっておらんのじゃろ!? 辺境に越してきても構わんじゃろうッ!!」
なんて恐ろしいこと考えんだ、このロリ令嬢ッ!
十歳前後の女の子の押しかけ女房とか、俺の世間体が崩壊するわッ!
見ろよ! 事情をよく知らない所長も、「うわぁ……あんな小さな子と、子作りするの……? コタロー殿、そういう趣味……?」みたいな顔してるじゃん!
「もう決めたのじゃ! この際、第何夫人でも構わぬわッ! うわーんっ! ――アシュリーと付き合うのじゃ、それなら『故郷に帰る』のはもう諦めたのじゃろうッ!?」
「あ……いや、それは……」
クリシュナの叫びに、俺は思わず言葉に詰まってしまう。
アシュリーと一緒に生きていく、ということは。
元の世界に帰ることを諦める、ということだ。
元の世界には帰らずに、この世界に、ずっと居続けるということになる。
それは……
けれど、その言葉を否定したのは、アシュリーだった。
「コタローは、自分の故郷に帰るわよ」
ピタリ、とクリシュナの動きが止まる。
アシュリーは、心に一つ芯を持って、決然と続けた。
「コタローは、昔の仲間に会わなきゃいけないのよ。自分の住んでいたところを、故郷を、もう一度踏みしめないといけないの。そのままその場所で暮らすにしても、別れを告げてどこか別の場所で生きることになっても。一度は故郷を確かめなきゃいけないのよ」
ぐ……と、クリシュナが押し黙る。
付き合うと告げた相手がここまできっぱりと言うのだ、否定するのは難しいだろう。
だがクリシュナは、アシュリーに噛みつくように尋ねた。
「な、ならばアシュリー! お主らの付き合いは、その別れまでということじゃな!? ならば、その後はわらわも――」
「何言ってんのよ?」
そうして、アシュリーは事もなげに言う。
その内側に決めたことを、胸を張って。
「――あたしも、コタローの故郷についていくに決まってるじゃない!」
とんでもないことを言い出した。
俺の故郷がどこかを知っている所長も、さっき説明したノアレックさんも、あまりの驚きに開いた口が塞がらない。
「あ、あのな、アシュリー? ついてくるって言っても……」
そんなことできるのだろうか?
まだ、帰れる保証すら確定してない。それに加えて、この世界の人間の異世界転移。
戸惑う俺に、アシュリーは振り返り、そして口を尖らせた。
「できるかどうかじゃないわ。やるの。それを目指すのよ。今まであんたがそうしてきたように、今度はあたしがそれを目指すの。――コタローは帰らせたい。あたしはもう離れたくない。なら、道は一つしか無いじゃない」
おいおい、簡単に言うけどさ。
……いや、違うな。
簡単でも難しくても、言うしかないんだ。もう、アシュリーは決めていることなんだから。
だから、言った。それだけのことだ。
そして彼女は、本気でそれを目指すんだろう。
何ともまぁ、シンプルで、困難で、そして――本当に、アシュリーらしい。
「だから、クリシュナ? 身分のあるあんたはダメよ。遠いところに行くんだから。コタローの隣は、あたしに任せなさい」
「嫌じゃ嫌じゃ――ッ! わらわも嫁になるのじゃ――ッ! ぐぬぬ、ならばわらわも故郷まで着いていって、コタローをこの辺境まで引きずり戻してやるッ!」
「そんな遠方まで行かれるなどと、辺境伯様が承知されるわけないでしょう、クリシュナお嬢様……」
なおも食い下がるクリシュナに、げっそりと気疲れした様子の衛兵隊長さんが冷静に突っ込んでいる。
まぁ、無理だわな。
「ならば、王都までは着いていくぞ! 誰が何と言っても、このまま着いていくからの! 衛兵隊長、お父上にはお主から報告しておけッ!」
「ご、ご無体な! 辺境伯様にそのようなことを報告すれば、私のクビが飛びます!」
「ああ……大丈夫や。お守りに、ウチも着いてくけん。ウチのギルドのサブマスターも一緒に報告に行かせるけん、一緒に怒られてくれんね。これ、本当に何を言っても聞かんやつや……」
ノアレックさんがぐったりとしながらも、衛兵隊長に取りなす。
隊長さんもクリシュナが言うことを聞かないと悟ったのか、ノアレックさんのフォローを受け入れて渋々とうなだれた。
「わかったわかった。本当は、辺境伯様にもお会いすべきなんだろうけどさ。実は昨晩、うちの屋敷が襲撃されたばかりで、まだ後始末を確認してなくて急いでるんだ。クリシュナの身は守るから、申し訳ないと俺が謝っていたと、責任をなすりつけてくれ、隊長さん」
「騎士爵……いえ、伯爵閣下がそう仰られるのでしたら、何とか私のクビも繋がりそうですな……かしこまりました。このギルドの副マスターと一緒に、お怒りを受けて参りましょう。クリシュナお嬢様、くれぐれも危ないことはなさらないように」
衛兵隊長に念を押されると、クリシュナはふん、とそっぽを向いた。
そこはうなずこうよ。
「ごめん、今からすぐに王都に戻る。ワイバーンを喚ぶから、広場を貸してくれ。――アシュリー、一緒にノアレックさんに肩を貸してくれ。所長は、クリシュナが振り落とされないように頼む」
「はいはい。任せてくれ、コタロー殿。……屋敷の方も、出てくるときに大騒ぎになっていなかったら、無事だとは思うけどね。ともあれ、急いで戻ろうか」
俺たちは王都に戻るべく、ギルドを出る準備をする。
ついてくるクリシュナが、上機嫌にはしゃいでいた。
「コタローの家に住めるなど、楽しみじゃのう!」
あはは。
まぁ、期待はしないでくれ。
ゆっくりしていってくれ、と言いたいところだけど、そうもいかない。
たぶん、これから俺は忙しくなるからだ。
屋敷を襲撃し、アシュリーを石化させた――
帝国に、落とし前を付けさせなきゃいけない。




