心通うとき
辺境の領都、エイナルの冒険者ギルドに突然現れた俺を、ノアレックさんは優しく迎えてくれた。
「ボロボロやねぇ、コタローはん。……どげんしたとね、話してみんね?」
あ……しまった。
慌てて辺境に直行したから、昨夜、襲撃者に切り刻まれたときのままだ。
貴族仕様の平服は各所がズタズタに切り裂かれていて、しかも滲んだ赤黒い血のりがそのままになっている。
こんな格好の貴族が、突然、ワイバーンに乗って領都内に現れたのだから、この町の人たちは皆、何事かと目を剥いたことだろう。
でも、なりふり構っている余裕なんて無かった。
誰に、どんな目で見られたって良い。
「はぁ、はぁ……コタロー殿。やっと追いついたよ、わたしは目的の場所を知らないんだから、見失わないようにするのが大変だったよ」
所長が息を切らしながら、ギルド長室に入ってくる。
初対面の、見慣れない白衣姿の所長に、ノアレックさんの目がきょとり、と丸くなる。
「ノアレックさん……」
俺のその行動は、ノアレックさんにとっては、わけがわからないものだったに違いない。
俺は、その場に全身でひざまづいて、床に強く頭を押しつけた。
今頼れるのは、この人だけだ。
だから、なんとしてもうなずいてもらうために、ためらうことは何も無かった。
「――頼む、ノアレックさん! アシュリーを、助けてくれ!」
「な、なんね? コタローはん、アシュリーちゃんに何かあったとね!?」
「こ、コタロー殿……」
貴族としてあるまじき土下座姿に、背後で所長が絶句しているのがわかる。
ノアレックさんは動転したように尋ね返していた。
けれど、頑として頭を床に押しつけ続ける俺の姿に諦めたように、やがて息を吐き、そして柔らかく声を投げかけた。
「……まずは、話してみんね、コタローはん。アシュリーちゃんは、どこにおるとね?」
「アシュリーは……ここにいる」
俺は上体を起こし、肩から提げたアシュリーのマジックバッグから、彼女の石像をゆっくりと取り出し、床に横たえる。
一晩が明けても、無機物と化した彼女の時間は止まったままのように思えた。
石像を指してアシュリーと呼ぶ俺と、俺自身の様子を見て、ノアレックさんが息を呑む。
「なんね……これは……」
「状態異常の『石化』にかかってる。強く力を込めると、崩れて身体が欠けちまう。無機物扱いになってるから、マジックバッグに収納できたんだ。それでここまで運んできた」
そんな症状は聞いたこともない、とおののくノアレックさん。
説明しなければならないと察し、所長が前に歩み出た。
「初めまして。王国魔導研究所の所長、エルキュール・ロムレスだ。――アシュリーくんのかかった『石化』は、絶滅した古代モンスターの能力による症状だ。この症状の治療法は現在は残ってない。コタロー殿が、貴女なら何とかできるとわたしをここに連れてきた」
「ちょ、待ってんない! ウチはそんな症状を治す方法なんて、知らんよ!? そら、ウチの一族は歴史には詳しかばってん! 医術や治療術の、知識があるわけやなかよ――」
「――方法は『ある』んだ、ノアレックさん」
俺は、慌てるノアレックさんの言葉を遮るように、床にひざをついたまま言った。
方法は、ある。
けれど、それは、ただ右から左にできるような楽なことじゃない。
「……ただ、それはノアレックさんにキツい負担をかける。楽じゃないし、苦しみもある。ノアレックさんに断られても、無理なんてないと自分でも思う」
ここに来る道中で、俺の階位は一つ上がった。
暗殺者の撃退に命を懸けたことで、経験が増えて上がったのだ。
今の俺の階位と魔力は『6』。それでも、足りはしない。
この『カード』のコストは、それを上回る。俺の力量を超えた副作用が身体に出る。
だから、俺はもう一度頭を下げた。
誰に何を言われても、うなずかれるまでは、床につけた頭を上げない。
プライドなんかより、よっぽど大事なものを助けるためなら、いくらでも地に頭を着けて構わない。
「――それでも……お願いだ。頼れるのが、貴女しかいない。俺にできることなら、何でもする。だから、アシュリーを……救ってください……」
「コタロー殿……」
所長の悲壮な声が、俺に向けられる。
ノアレックさんは、黙ったまま何も言わなかった。
しばしの沈黙が、室内に満ちた。
「――水くさかね」
やがて、ノアレックさんは、怒ったような声を俺に向けた。
俺に歩み寄り、しゃがんで叩いた手が、俺の肩を掴んだ。
「頭を上げんしゃい! アシュリーちゃんもコタローはんも、ウチの戦友やろ!? そんな余計なことせんと、黙って『助けろ』の一言で良かとばい!」
助けろ。その一言で良い――
その言葉に、俺は、思わず頭を上げた。
俺の肩に触れるノアレックさんと、視線が合う。
怒っているとばかり思っていたノアレックさんは、快活に笑っていた。
ニカッと。力強く自分の胸を叩き、
「礼も何もいらん。手段があるとなら……お姉さんに、任せちゃらんねッ!」
******
俺の能力を詳しくノアレックさんに説明し、所長に魔力を同調してもらう。
辺境にいた頃は隠していた俺の能力の詳細に、ノアレックさんは、ほぁーと感嘆のため息を漏らしていた。
「何やまぁ……やっぱり、コタローはんはウチの思った通り、この世の者やなかったんやねぇ。まさか、神様みたいなもんとは……」
同調が終わり、俺の持っていたカードが見えたノアレックさんに、その『カード』をそのまま渡す。
名前:ノアレック
種族:狐獣人
2/3
魔力:7/7
2:『ゲイルスラッシュ』・最大二体を対象とする。それぞれの対象に2点の風の射撃を行う。
5:『トルネードウォール』・広範囲に小型の竜巻を複数発生させる。
以前鑑定した、ノアレックさんの魔力は7。
この人なら、これを使える!
「ふんふん。これを使えばええんやね?」
「そうだ。けれども、覚悟はしてくれ、ノアレック殿。経験上、それより下のコストでもわたしはまともに立っていられない不調に襲われた。階位とのコスト差は同じだが、より強い不調が身体に出る可能性もある」
所長の忠告に、ノアレックさんは、その豊満な胸にドン、と握り拳をたたきつけた。
「二言は無かよ! 女は度胸、心配はいらんとよッ!」
横たわったアシュリーの石像に近づき、ノアレックさんは『カード』を起動する。
このカードで――この呪文で、大丈夫なはずだ!
「さぁ、アシュリーちゃん。目ば覚まさんね――『神秘の復帰』!」
カードが起動し、ノアレックさんが、アシュリーが、二人が光に包まれる。
光はうっすらと翼を持つ、まるで天使のような姿を形作り、石と化したアシュリーを優しく抱擁した。
やがて――光が収まる頃。
後には、灰色の石像ではない、血の通う生身の姿のアシュリーが横たわっていた。
『神秘の復帰』
7:対象のHPを最大値まで回復する。全ての傷病と状態異常を取り除く。
魔力を2回復する。
初めて階位が上がったとき、手に入れた追加パックに入っていたカードだ。
高コストな上に効果が強力すぎて、まだ階位の低かった頃の俺は、使えれば宗教でも起こせるんじゃないかとさえ思っていたカードだったけど。
考えていた通りに、『石化』の状態異常を治療できた……
「おお! ほ、本当に治療できるとは!」
「は、はは……うわ、これしんどいなぁ……ちょ、休ませちゃらんね……?」
興奮する所長と反対に、辛そうに床にへたり込むノアレックさん。
本当にすみません、ノアレックさん。
――ありがとうございますッ!
立ったまま身体を折って深く頭を下げる俺に、ノアレックさんはしんどそうな笑みを見せて、ひらひらと手を振った。そのまま、倒れているアシュリーの方を促す。
そうだ、アシュリー!
「ん……こ、たろー……?」
上体を抱き起こした振動で、アシュリーがぼんやりと目を覚ます。
良かった、意識がある……ッ!
俺は、思わず腕の中に抱えたアシュリーを、強く抱きしめた。
安堵に、涙が溢れてくる。
良かった。本当に、良かった。
ありがとう――また、俺のそばにいてくれて。
「コタロー……ないてるの……?」
「……たくない……失いたくないんだ……もう、なくすのは嫌だ……ッ!」
地球のすべてを失って、この世界に来て。
たくさんのものを得た。能力。財産。地位。
――そして、仲間たち。
そんな俺と初めて出会って、この世界の知識をくれた。経験を支えてくれた。
生きてこられた。帰るために、この世界を生き抜くために、ずっと助けてくれた。
笑い合った。ピンチを乗り越えた。叱られたり、呆れたり、色々なやり取りをかわした。
森の歩き方だって、偉い人に会うときだって、――日々の暮らし方だって。
みんなみんな、アシュリーに教えてもらった。
「いなくならないでくれ、アシュリー……離れたくない……」
カードとして、戦力としてそばにいて欲しいんじゃない。
もう、無くすのは嫌だ。
俺は、自分の本心を口にした。
今まで見ないフリをしてきた感情を、ぼろぼろとみっともなく流れる涙も止められず。
彼女を強く抱きしめながら。
「――好きだ……アシュリー。お前を、失いたくない」
彼女の、くすりと微笑む声が聞こえた。
ばかね、と優しく。頬に涙を伝わせながら。いつでも真っ直ぐな彼女らしく。
アシュリーは俺の首に手を回し、互いに抱き合う。
「……そんなの、あたしだって……同じに決まってるじゃない……」
温かかった。
冷たい石の手触りではなく、柔らかな彼女の生きている感触が俺を包み込んだ。
止まれ、と何度も思った。
男が人前で泣きじゃくるなんてみっともない。涙よ止まれ、と。
この満たされた一瞬がずっと続いて欲しい。時間よ止まれ、と。
どちらも止まらなかった。
容赦なく喜びの涙は俺の頬を流れ、アシュリーとともに過ごせる幸福の時間は動き出す。
今までのように、彼女が笑って隣にいてくれる時間が、また動き出す。
誰とも会えない異世界に来たことを、辛いことだとは思いたくなかった。
今までそう思わずに済んだのは、仲間たちのおかげだ。
みんなと会えた異世界に来れたことを、幸運なことだと思えた。
今、そう思えているのは、間違いなく目の前の――アシュリーのおかげだ。
「アシュリー……ありがとう」
一緒にいてくれて。いなくならないでくれて。
所長と、ノアレックさんが気恥ずかしそうに笑いながら顔を見合わせていた。
それでも、二人は黙って俺たちを見守ってくれていた。
人前だろうと誰の前だろうと、構う気はしなかった。
俺はずっと、腕の中のアシュリーを抱きしめていた。




