石化の一矢
窮地に名乗り出た、黒装束に覆面の『伝説』、剣士ハンジロウ。
アテルカのような「指揮官」ではない、純粋に剣を振るう「武人」のアバターだ。
手に提げた細身の片手剣は片刃のようで、日本刀のような反りこそ無いが、忍者刀のような直刀を思わせる。
そうだ。
音も無く姿も無く敵を倒した力量に、その装束と言い、剣士と言うよりも――
異世界の忍者。まさしく、そんな形容がふさわしい。
「ハンジロウ! 覇王殺しの暗殺者! あなたが手を貸してくれるなら、心強いのです!」
アテルカが、見知った同じ『伝説』のその姿に、安堵の歓声を上げる。
暗殺者、というのは格好を見ればわかるけど。
おいおい、「覇王殺し」って、そんな大物をしとめた『伝説』なのかよ。
どうりで強いわけだ。
「ハンジロウ、なるべく生かして捕らえてくれ! 黒幕の情報を吐かせる!」
「御意。お館様の、御心のままに」
手練れ相手には難しい注文だけれども、ハンジロウは難なくうなずいてくれた。
ハンジロウの能力は特殊だ。俺がダメージを受けている分だけ、その攻撃力にプラスの修正を受ける。
俺は自分の状況を確認した。
ステータス
名前:コタロー・ナギハラ
職業:召喚術士
階位:5
HP:5/14
魔力:1/5
攻撃:0
状態:『高速再生2』
スキル
『アバター召喚』『スペル使用』『装備品召喚』
『魔力高速回復』『カード化』『異世界言語』
短い間に襲撃者に散々斬り付けられて、『高速再生』の回復分を差し引いても9点のダメージを負っている。
ハンジロウの攻撃力には今、元の1に加えて、9点分の上方修正が加わっていることになる。
その総ステータスは、10/4。
フレアドラゴンすら瞬殺する、相手を生け捕りにするには過剰な攻撃力だ。意識して抑えてもらわないと、情報を吐かせる前に一撃で殺してしまう。
「コタロー殿! 残りの魔力全部で『治癒の法術』を使うよ! もう少し我慢してくれ!」
俺が後ろに押しのけていた所長たちが、悲愴な顔で治療をしてくれる。
魔力はもう使い切ってしまっても、大丈夫だろう。
たった一体のアバターが、この劣勢を跳ね返してくれた。
一度は朽ちたとは言え、さすがに人々の間に語られた存在だ。
俺は強ばっていた身体の力を抜き、所長たちの治療に身を任せる。
はは。疲労とダメージで、もう、身体がろくに動かねぇや。立ってるだけで精一杯だ。
「お館様のご意志により、命までは奪わぬ。殺されぬことを、悔いるが良い」
「ほざけ、在野の剣士風情がァッ!」
ハンジロウの挑発に襲撃者の一人が激高し、ダガーを振るって斬りかかる。
ダガー対片手剣。通常はリーチの長い片手剣の方が有利だが、屋内や、ごく接近した至近距離戦では、その相性がくつがえる。
扱う技量次第で、小回りの効くダガーの方が手数が増えて有利になるのだ。
だが、そんな武器の差をものともせず、ハンジロウは襲撃者の攻撃をすべて捌いた。
彼我の密接した間合いの、狭い空間内でも自在に片手剣を振るい、襲撃者の猛攻をすべて弾いてその身に触れさせない。
相当の手練れであろう襲撃者と比べても、なお明確な力量差がそこにはあった。
「所長、グリザリアさん。治療は途中で止めてくれ。最大まで回復すると、ハンジロウの攻撃力が下がっちまうんだ……」
「お館様。心遣い、かたじけのうございます」
「おのれ、よそ見をするとは、そうまで私を見くびるかァっ!」
乱舞する斬り合いの最中に、こちらに礼を述べるハンジロウに、襲撃者が怒りを強める。
俺のHPが全快になってしまうと、ハンジロウの攻撃力は1まで下がる。
俺の命も大事だけど、さすがにそれでは押し負けるだろうと、治療は止めてもらった。
確認すると、HPが10まで回復した。
攻撃力5もあれば、あの剣術の力量だ。人間相手には充分だろう。
その考えを肯定するように、斬り合っていた襲撃者の腹から胸、肩にかけて、切り上げられた刀傷が走る。
「――がっ、バカな……ッ!」
「隊長ッ!!」
ヒザから崩れ落ちる襲撃者に、残った最後の一人から声が上がる。
今戦っていたのが指揮官か! それを殺さず確保できたのは大きい!
「よくやった、ハンジロウ!」
「ありがたき幸せ。――残るは、ただ一人」
ハンジロウが、残された襲撃者に向き直る。
怯む襲撃者を取り囲むように、ナトレイアやアテルカたちがその退路を阻む。
「う、うおおぉォォッ!」
「覚悟!」
もはや後が無いと悟った襲撃者が、ハンジロウに向けて吶喊する。
それを受けようと、ハンジロウが剣を手に踏み込み、駆け出す。
それと、まったく同時だった。
ハンジロウが攻撃に移ったその瞬間、斬られて倒れ伏したはずの指揮官の身体が、もぞりと動いた――
意識が、まだある――
この刹那の間に、それに気づいたのは、俺と、もう一人だけ。
床に倒れた指揮官は、首元から装飾品らしきものを引きちぎると、魔力を込めた。
吐き出した血の伝うその口元が、憎悪の声を絞り出す。
「命令だけは、果たす――起動せよ、『バジリスクの牙』!」
投げられた首飾りが光をまとい、一条の小さな矢となって高速で俺に向けられる。
ハンジロウの剣が最後の襲撃者を切り捨てるのと、俺に矢が向かうのは、同時だった。
最後の襲撃者の口元がにやりと歪んでいる。陽動だったのだろう。ハンジロウも背後でのその投擲に気づいたが、攻撃の交差で反応が一瞬、遅れた。
よけろ――ダメだ、身体が――まだ、ろくに動かな……
「――お館様ッ!」
「伯爵ッ!」
首飾りの矢が届き、光が放たれ、込められた魔術が発動する。
けれども、俺はまだその場に立っていた。
代わりに魔術を受け、ぐらり、と倒れたのは、
「――あ、あ……アシュリーッ!!」
室内に飛び込んで俺をかばったアシュリーが、どさり、と床の上に倒れ伏した。
「くそ、『追放者』め……最後まで……邪魔……だてを……ッ!」
最後の一撃が俺に届かなかったことに歯がみしながらも、負傷していた指揮官はそのまま意識を失い、今度こそ動かなくなった。
俺は、震える身体でアシュリーに歩み寄り、その上体を抱き起こす。
アシュリーはゆっくりと目を開け、そしてにこりと笑った。
「……死んだ、と思った? バカね」
「アシュリー……」
良かった、息はある。けれど、さっきの魔術……魔道具は一体?
その疑問は、すぐに答えを理解した。
「――アシュリー、身体が!」
横たわったアシュリーの足下が、パキパキと灰色に硬質化していく。
俺は、わずかに回復している魔力で急いで『鑑定』をかけた。
名前:アシュリー
種族:普通人
1/3
状態:異常『石化』
魔道具、バジリスクの牙……効果は『石化』か!
指で触れた、アシュリーの石になった衣服の一部が、パキリ、と欠け落ちる。
俺は、以前聞いた所長の言葉を思い出していた。
このままだと、アシュリーの身体まで砕けることになる――
「所長! 『石化』を治せる呪文か治療薬は!?」
「無理だ……コタロー殿……『石化』は、今は潰えた古代の症状なんだ……治療薬は、現存していない……」
青ざめた所長の回答に、俺の心が落胆に染まる。
元に、戻せない――
そんな……
絶句する俺に、アシュリーがふふ、と微笑む。
「もう、下半身の感覚が無いわ……でも、これを受けたのが、あんたじゃなくて良かったわ。コタロー……」
やめろ。そんな風に言うな。
いつだって、俺のそばにいてくれた。こんなときまで、俺を優先するな。
最後まで、隣にいてくれるって言ったろう!
「でも……さすがは、『カード』の神様ね――ちゃんと、道をくれるみたい……」
アシュリーの力ないつぶやきに、言葉の意味がわからず、俺は眉根を寄せる。
何を言ってる……?
その俺の目の前に、絶望に満ちたメッセージウィンドウが開かれた。
『無双の射手、アシュリーが自己選択によりカード化を選択しました。存在を変換します』
「これなら……死んでも、最後まで一緒にいられるわ……好きよ、コタロー」
満足そうに、微笑むアシュリー。
やめろ! やめてくれ!
仲間なんだ、この世界で一人だった俺にできた、初めての仲間なんだ!
カードになって、そばにいるんじゃない。そうじゃない。俺は!
俺は、ずっと、こいつと一緒に――!
「……仲、間……状、態……異常……」
そのとき、俺の頭の中に、とある人物の姿が浮かんだ。
一人。……今までに出会った、たった一人にだけ。
アシュリーを助けられる、可能性がある!
俺は、進行しているカード化の変換処理を無理矢理に中断した。
認めない。受け付けない。
アシュリーの『カード化』を許可しない!
俺の能力なら、言うことを――聞けッ!
『管理者権限により、カード化が否決されました。処理を中断し、終了します』
アシュリーにもその却下が伝わったのだろう。
不思議そうに、不安そうに俺を見上げてくる。
「コ、タロー……?」
「大丈夫だ。必ず治療してみせる。だからアシュリー、カードにはならないでくれ。お前は――必ず、助けてみせるから」
意思を込めて断言する俺の顔を見て、アシュリーは不安を晴らし、柔らかく笑った。
笑ってくれた。
「……うん。まってるね……」
その言葉を最後に、アシュリーの全身は石へと変わった。
笑顔のまま。
彫刻と見まごう、微笑んだアシュリーの石像を抱きしめながら、俺の頬に涙が一つ、伝う。
泣いてちゃダメだ。
俺をかばったアシュリーを、絶対にこのままにはしない。
下手に触れて崩れてしまわないように、アシュリーの石像を毛布に包んで、マジックバッグに収納する。
言葉を失い見守っていた周囲を見渡し、俺は所長に頭を下げた。
「――所長、ついてきてくれ。『カード』を使ってもらいたい人がいる」
「う? うん、任せてくれ、どこにでも行くよ!」
魔力が回復しきる間に、グリザリアさんとナトレイアに、屋敷内の後始末を頼む。
失態を悔やむハンジロウの肩を叩き、助けてくれた礼を告げ、意識を失っているだけの襲撃者たちの拘束と見張りをお願いした。
魔力が回復したことを確認した俺は、一体のアバターを喚ぶ。
「……みんな。ちょっと、行ってくるよ」
――グリードワイバーン。
******
夜明けを待たず、俺は所長を連れて、グリードワイバーンを飛ばしていた。
早く、一刻も早く。
最大速度で空を駆けるワイバーン。
王都の空を越え、国の空を横切り、休憩も取らず飛び続ける。
目指すは辺境。
グローダイル辺境伯家の治める、領都エイナル。
半日間全速力で飛び続け、やがて領都の街中に降り立った俺は、突然に現れたワイバーンに大騒ぎになる市民たちに構う余裕も無く、所長を連れて駆け出す。
走る。ただ走る。
アシュリーを救うために。
冒険者ギルドのドアを開け、そして無理矢理にその人のいる部屋へとたどり着いた。
その人は、以前と変わらぬ様子でそこにいた。
息を切らして突然現れた俺に、動じることも無い狐耳の眼鏡美女。
領都エイナルの冒険者たちの長、ギルドマスター。
「――なぁんや、誰かと思ったらコタローはんやん。久しぶりやね、どげんしたとね?」
歴史の語り部の一族、『九尾』のノアレックさん。
彼女は、朗らかに俺たちを迎えてくれた。




