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一時間半の別世界

作者: 春乃和音

 大学一年生の後期。大講堂で行われる講義を履修した。興味はないけど、単位の為なら仕方がない。まあ、大講堂は広いから後方の席に座ればなにをしていてもバレないだろう。数えたことはないけど二百人以上が座れる規模らしいし。それに友達も一緒だ。喋ったりスマホを弄ったりしていれば退屈はしないだろう。一度目の講義に出席するまでは、そう思っていた。


 まず、後ろの席を取ることが難しい。この講義はいろんな学科の生徒が参加する。席取り競走が激しいから、前の時間の講義が終わると急いで大講堂に向かわなければならない。それでも、着いた頃には後ろの席の半分以上は綺麗に埋まっている。調べてみると、いくつかの学科は前の時間に講義がない。その時間は大講堂も使われていないから、この講義が始まる一時間前くらいから席取りは始まっている。前の時間の講義を履修している時点で、後ろの席に座ることは無理だ。


 予期せぬ出来事はもう一つあった。友達が誰もこの講義を履修していないことだ。この時間には他にもいくつか講義がある。その内のほとんどが音楽や絵画などの芸術系。ただ座っているだけで単位が取れそうなのは、この講義だけだった。だから、友達は全員こっちを履修すると思い込んでいた。だって、まさかみんなが芸術系に興味があるとは思わなかった。こうして、毎週一時間半の間は、一人で講義を受けることになってしまった。




 今日は五回目か六回目の講義。真面目に受けていないせいで、回数すらあやふやだ。最初は真面目に受けてみようとしたけど、やっぱり全く面白くない。興味がないせいかもしれないけど。今回も、講義が始まって暫くすると眠気が襲ってきた。もう寝てしまおうか。大講堂は広いし、真ん中くらいの席でもバレたりしないだろう。そう思って、一度は出した文房具を筆箱にしまい始めたとき。

「来週ってさ、これ休講じゃん?」

いきなり隣の女性に囁かれた。跳ねるような可愛らしい声が眠気を吹き飛ばす。突然のことに驚いて、震えた手から消しゴムが飛び出した。机から落ちないように、両手を重ねて上から押さえつける。

「おおー、ナイスキャッチ」

彼女は桃色の爪先で、音を立てずに拍手をした。誰だろう。見たことあるような気はするけど、話をしたことはないと思う。なんで声をかけてきたんだろう。

「でさぁ、どっか行ったりするの?」

それに、やけに馴れ馴れしい。

「いや、特には。 そもそも休講だなんて知らなかったし」

「先週あの人が言ってたよ」

彼女は白くて細い人差し指で、ステージ上の講師を指した。

「ってか休講だよ? そんな大事なこと聞き逃さないっしょ」

目を見開いて、ありえない、とでも言いたそうな表情。よく見ると瞳の色がかすかに青い。カラーコンタクトでも入れているんだろうか。

「寝てたのかな……たぶん。 とりあえず、ありがとうね。 来週も来ちゃうところだった」

まだ困惑はしているけど、助かったのは事実。彼女が話しかけてくれなければ、無駄足を踏んでいた。

「いいよいいよ。 ふふ、どういたしまして」

彼女は吐息だけで笑った。




 それから五分くらい経ったあと。

「で、来週はどこ行くの?」

また隣の女性が声をかけてきた。さっきの話の続きをしたいらしい。

「本当に予定とかないんだって」

「うそー、絶対どっか行くっしょ?」

「嘘じゃないって。 さっきも言ったけど、休講だなんて知らなかったんだよ」

しかも、結構しつこい。講義中なんだから、あまり喋らないでほしい。そんなこと言う勇気はないけど。

「なにをしようか考えてたんじゃないの?」

「考えてないよ。 ぼーっとしてただけ」

「ふーん……」

彼女はじっと顔を覗き込んできた。人並みより大きい目が、長いまつげで更に強調されている。目元だけなら少し幼く見えた。子供のように熱のある視線に、しばらく放心してしまう。

「あーんなまじめな顔でぼーっとするんだね。 それじゃあキミは講義中ほとんどぼーっとしてたんだね」

「えっ、『講義中ほとんど』?」

もしかして、いつも見られていたのだろうか。可愛らしい女性に興味を持ってもらえて少し嬉しいと思ってしまったが……。

「怖いんだけど……」

知らないうちに観察されていたという恐怖の方が大きかった。

「あっ、もしかしてバレちゃった?」

「ええ……大丈夫な人?」

頭とか、常識とか。彼女は「しまったぁ」と言ってしばらく目をそらしていたが、急に佇まいを直してこちらを向いた。謝られるのかとも思ったが、

「私はね、そんなことよりも暇なときにすることがない人の方が大丈夫か心配だなぁ」

彼女は自分のことを棚に上げて話を戻した。しかも、煽ってきた。反省する気はないみたいだ。別に怒っているわけじゃないからいいけど。ただ理由が知りたいだけだ。というか、暇なときにすることがないわけじゃない。最近は新作のゲームをプレイしている。だけど、ゲームをする、と素直に伝えるのは嫌だ。彼女はそういうのに理解がなさそうな人だと思うから。服装や表情、雰囲気とかでなんとなくわかる。正直に伝えたら、きっとオタクだの根暗だのと面白おかしく笑うに決まっている。

「私はゲーセンに行こうと思うんだけど。 キミはそういうとこには行かないの?」

だから、そんなことを言われて固まってしまった。ゲーセンに行くというのか、彼女が。

「ゲーセンは……あまり行かないよ。 プレイするのにお金がかかるし、プレイしているところを見られるのが恥ずかしいから」

「ええ、意外だなあ」

なにが意外なのかわからないし、それはこっちのセリフだ。

「……よく行くの? ゲームセンター」

ゲーセンに女性がいることは珍しくない。可愛い子だって遊びに行く。だけど、やっぱり信じられない。肩に乗るくらいの長さの茶髪で、耳にはピアスを付けている。綺麗な赤のカーディガンや、その襟元から覗く白いシャツはきっと流行りの服だろう。なにより、はつらつそうな顔を更に明るく見せているメイクの違和感のなさ。可愛らしいだけじゃなく、華もある人だ。こんな人がゲーセンで遊んでいるところを見たことがないし、想像もできない。

「行く行くー。 超楽しいし」

「ゲーセンに行って、なにしてるの?」

これで写真を撮って加工しているだけだったら、まだわかる。ちょっと残念だけど、わかる。でも、もしアーケードゲームを楽しんでいるんだとしたら。ゲームが好きならば自分と共通の趣味だということ。そうだったら、ちょっと嬉しい。さっきまではゲームに理解がないと思い込んでいたくせに。

「おっ、この話には興味津々だねえ。 さっきまではぶっきらぼうだったのに、目が輝いてるよ」

そんな気持ちの変化を悟ってか、彼女は笑って質問の答えを先延ばしにする。今度は小さな微笑みではなく、目尻を崩す程の笑顔。完全に遊ばれている。焦らさないで早く教えてほしい。そう思ったとき、彼女に興味津々になっていることに気づいて、急に恥ずかしくなった。




それからしばらくゲーセンのことと、彼女についての話をしていた。彼女は時崎さんといって、同学年で同学科だった。見たことある気がしたのは当たり前で、むしろ覚えてなかったことが失礼だ。時崎さんはお金と暇さえあればゲーセンに行ってアーケードゲームをしているらしい。

「前から知ってたんだよ。 キミがゲーム好きってこと」

「それだよ。 なんで知ってるの?」

「『なんで』って、キミが友達と話してるのがよく聞こえるから」

「ああ、そりゃ聞こえるよね……」

同期なら同じ講義室にいる機会は多いはず。友達とは常にゲームの話をしているから、時崎さんの耳に入るのも自然なことだ。

「私もね、キミ達がやってる新作のゲームやってるんだ」

「えっ、あれやってるの?」

「うん、だからキミと話してみたかったんだよ。 私の友達はゲームやらないからさ」

彼女の気持ちはよくわかる。楽しいことについて話題を共有すると、より楽しくなる。逆にそれが出来ないと、なにかに熱中していてもどこか孤独を感じてしまう。でも、なんで自分に声をかけてくれたんだろう。ゲームが好きな人は他にもいる。この時間に限らなければ、いま絵を描いているであろう友達でもよかったわけだし。

「どうして僕にこの話を?」

ついそのまま口に出してしまったけど、この質問は恥ずかしくないだろうか。聞いたあとで心臓の鼓動が速くなる。

「なんか最近やたらと私達の前で話しているから、印象強くて。 あとは、ちょっと失礼なんだけど……」

そこで初めて彼女が言い淀む。肘を机に付けて、体の前で両手を結んだ。

「キミがいつも一緒に話している人達がいるでしょ? あの人達はテンション高すぎてなんか怖い」

ああ、ごめんね。あの人達はゲームの話になると、舌でボスを倒せるタイプの人間だから……。




 それからは、講義中にも関わらずに新作ゲームの話をしていた。

「そこはみんなつまづいたって言ってた。 でも、いい攻略法があって――」

あまり引かれないように、言葉を選びながら話をするのはとても疲れる。前に出たい気持ちを必死で喉で止める。まるで、脳から声を出しているようだった。

「えっ、そんな簡単に?」

頭は重くなる一方。でも、だんだんと心は軽くなっていく。いつの間にか講義は終わっていた。もっと話していたいが、時崎さんは次も講義があるみたいだった。最初はなんか怖かったし、僕も彼女のことを思い込みで決めつけてしまっていた。いまは、彼女と話せて本当によかったと思っている。だから、別れる前にどうしても言っておきたい。

「やっと決まったよ。 来週なにするか」

ノートと筆箱をバッグにしまいながら言った。

「へえ、そうなんだ。 気になるなあ」

わかっているくせに。時崎さんは察したように口元を緩ませている。彼女はこういう展開に持っていきたかったのだろうか。なんて、これもわかっていること。今まで話したことのない性格の彼女だけど、とてもいい友達になれる気がした。だって、お互いにこの先の会話がどうなるか想像できているから。数秒先の未来を、既に共感できているのだから。

「来週はゲーセンに行こうと思うんだけど……一緒にどう?」

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