初めに
2014(平成26年)作品
医療事務の専門学校を二十歳で卒業し、東京23区内の私立京北大学病院に入職して12年。主任という役職とともに与えられたのは社会問題にもなっていた医療費未収金の専属対応という職務でした。
専属対応とはすなわち未収金の回収担当です。ほとんどの病院では医事課、という患者の受付ならびに医療費の算定や請求を担当する部署の職員が兼任で当たっているのが現状です。ここに専任の担当者を置いたのは慧眼だったとは思いますが、30を過ぎたばかりの一応『嫁入り前の娘』である私にそれを押し付けたのは行き当たりばったりの人事だと恨めしく思ったものです。
さすがに女性一人に担当させるわけにもいかず、ちょうどその年に定年を迎えた60歳の前医事課長を再雇用しての、2人一組での新部署発足でした。
この東という前医事課長は一時代前の親方的管理職で、
「責任はわしが持つから、水野さんの思ったようにやって構わないよ」
と全面的に信頼して仕事を任せてくれます。これを世間は丸投げと言います。つまりは、自分で考えて自分で対応してね、という意味に他なりません。現役時代から部下にすべてを任せ、逃げ切れない責任にだけ向き合ってきた姿勢は、定年を迎えて自由に解き放たれたのです。本当に何もやらないのですから。
思ったようにと言われても、「払って下さい」のひとことで払ってくれるのなら初めから未収金など増えはしません。どうすれば良いのかと試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返し、明日はどんな未収が発生するかと心配して日曜日も気が休まらず、考えまい考えまいとしても押し返してくる未収患者の顔、声、態度。それでも何もしようとしない東氏の振る舞い。それらのストレスに耐えていると動悸がして、私の方が病気になりそうでした。うつに苦しむ人の気持ちがそのまま理解できました。
でも慣れというのは恐ろしくもありがたいもので、3年を経て専属担当を置いた成果が明らかになってきたこの頃は、これも自分の仕事と割り切って、淡々と『取り立て』に励むことができるようになりました。
思い出すのもいやだった未収対応の中から、印象深いいくつかをご紹介する気になったのも、気持ちに余裕の生まれた証しかと思います。