プロローグ ワシ、ワシだよ
「ワシ、ワシだよ」
「あ!? 誰だ!? 新手の詐欺か?」
「違う違う、ワシ。ガルドラ」
ワシは今、自宅の二階の隅っこで左手を壁につきながら空いた右手で魔力通信機の受話器を持ち、颯爽と立って通話しとる。
相手は百二十年来の付き合いのある盟友、邪竜ジャバウォック。コイツはアホで女癖が悪く、いつも余計な事しか仕出かさないが、唯一ワシと対等に渡りあえる相手。
とは言え、事情があって最後に会ったのは五十年前の息子の結婚式以来。
ワシはジャバウォックと久しぶりに会って話がしたいなと盛り上がり、かれこれ三十分以上経っていたのを気づいていなかった。
ワシは十分以上通話出来ぬ事情をすっかり失念しておった。
「あなた」
事情の要因がワシの背後にいるとわかり、背筋に猛烈な寒気と震えが訪れる。
恐る恐る振り返ると、そこには優しく微笑みながら剣先を向けてくる嫁、ナツの姿が。
「ずいぶんと楽しそうに長いことお話していますけど、お相手は女性かしら? うふふ」
白魚のような手を頬に当てて優しく微笑みながら、剣先でワシをチクチクと突いてくる。
ついでに鋭く疑いの眼差しもワシの心を突いてくる。
身体は痛くないが心は痛い。
「違う! 違うぞ!! 相手はジャバウォックだ!」
慌てて否定するワシの姿が、却って嫁を煽ることになる。
通話相手が女癖の悪いジャバウォックもその一因だと思う。
グリグリと剣先をワシの背中にめり込ませようとしてくる。
仕方なしに嫁に代わるとジャバウォックに伝えて、受話器をナツに渡す。
「もしもし?」
「あーん! ガルドラちゃーん、早く会いたいわぁ」
あのアホ邪竜が余計な事しかしない事を思い出させる。
ワシにも聞こえるくらいの声量で、ジャバウォックの奴とんでもないことを。
流石、邪竜だよ。アホだよ。そして、失念していたワシもな。
ナツの受話器を持つ手が震えると、そのまま受話器を握り潰した。
新しい魔力通信機買わなくては、今年三度目の買い換え。
いや、四度目だったか。
ナツは怒りに震え剣を振りかぶる。
いつもの事だが、その時見えた嫁の目にはうっすらと涙が見て取れた。
わかっておる、ナツはワシが好きなのだと。
ちょっぴり、それが歪んでいるだけなのだと。
だからワシは避けずに斬られることにする。
これもいつもの事。
ナツはワシに向かって何度も何度も剣を振りかざす。
ナツの持つ剣は、本当によく斬れる。
まぁ、勇者がワシを倒す為に特別に誂えた剣だ。
ワシ、物理耐性最大なんだがなぁ。
ワシは斬られては回復し、斬られては回復するを繰り返す。
超速回復を持つワシはナツが満足する迄、斬られ続ける。
抵抗などしないし、する必要もない。
剣を振るう度にナツの輝く銀色の髪が舞い踊る。
「ウケケケケケケ!!」
「毎度毎度、おかしな笑い方を止めないか?」
白目になり大口を開けて嗤うおかしな嫁だが、舞い続ける銀色の髪を見ていると、ワシはいとおしく感じる。
嫁の髪色は昔は黒だった。
ワシとの結婚の為に人間を辞めたとき、今の色に変化したのだ。
そんなナツを誰が嫌いになれようか。
「ウケケケケケケ!!」
「あ、剣も笑い方も止める気はないのだな」
それからみっちり三十分斬られ続けたワシの体には、既に傷一つないし、痛みも全くない。
ナツは満足したのか通常の美しく愛らしい顔に戻ると、ワシに泣きながら斬った辺りを指でなぞる。
時折見せるこういうナツの仕草が、ワシは好きなのだ。
窓の外を見ると決して昼の来ない夜の世界に、通りの街灯のみが明かりを灯しており、現在が夜の時間帯だと示していた。
そんないつもの事の繰り返しが、ワシの退屈な生活を唯一彩る。
それにしても、嫁の持っている剣。
ワシ、捨てたはずなのに、何故ナツが持っている? ……まぁ、いいか。
◇◇◇
壊れた魔力通信機を手に、買い換えようと家の玄関扉に手をかける。ワシは基本外出を禁止されておる。
わかっておる。わかっておるのだが、挑戦せざるを得ない。
無理とわかっておっても、やらなければならない。
そんな時もあるだろう?
そしてそんな無謀なる挑戦は背後から呼び止める声で終わりを告げる。
「あなた」
ワシは振り返ると、再び剣を持ったナツが立っていた。本日二回目。
今日はまだ少ない方だ。多い日には一日五回斬られる事もある。
「どこ行くのですか?」
「いや、魔力通信機を買い換えに行くだけだ」
ワシは正直に答えた、そう正直に。ナツに嘘は吐かぬ。
隠し事はするが嘘は吐かぬ。そう心に決めているワシ、格好いい。
しかし、ナツは容赦なく剣先をワシの腹に向ける。
ナツも斬った所で意味の無い事はわかっておる。
ただ、そうして優位性を見せつけないと居たたまれぬのだ。
ワシが本気を出せば、ナツとて止められん。
だから優位性を見せて、ワシを繋ぎ止めようとする。
ワシもそれをわかっておるので、黙って斬られるのだ。
「嘘、女性に会いに行くのでしょう?」
「なぜ、壊れた魔力通信機を持って女性に会うのだ? そんな訳なかろう」
ワシは壊れた魔力通信機を嫁に見せた。これでわかってくれるだろ。
「壊れた通信機を持って? 買い換えに行くのに? 今は夜ですよ? 何処で買い換えるのかしら?」
「いや、これはついでに捨てに行くのだ。買い換える場所は、そうだな、最近出来たと聞いた魔力機器屋に行ってみるつもりだが」
嫁は剣を大きく振りかぶる。何故だ? ワシは何処でミスした?
「夜になると女性店員だけになるあの店にですか!」
ワシ行ったことないから知らんぞ、と言っても無駄だな。
ワシは再び斬られては回復してを繰り返す。
あー、最近外出とらんから、チャンスだと思ったのだが。
息子の結婚式以来か。
五十年前だな、外出したの。
「ウケケケケケケ!」
斬られながら、ワシはゴブリンの使用人を呼んで魔力通信機を買い換える様に命令する。
使用人も慣れているのか、ワシが斬られとるのに眉一つ動かさぬわ。
しかし、このまま斬られているだけというのもあれなんで、ちょっと昔の思い出に浸るか。
昔はこの世界、マウワード大陸を征服するのにワシは必死だったな。
当時の勇者がワシを倒すために、我が軍を倒して倒してレベルアップしていると聞いた時、ワシは一つ思い付いた。
だったらワシもレベルアップしたらいいのでは? と。
だからワシも努力した。
自ら街を襲ったりもした。
しかし、人間相手では大して強くならん。
だからワシは他の魔王を倒しに向かう。
魔王を倒す度にワシはレベルアップし、何故かその土地の人間に感謝される。
気がつけば、勇者のいる土地以外があっさりワシの支配下に入り、勇者がワシの元に着いた頃には、ワシのレベルは999になっておった。
勇者の仲間はワシに傷一つ付けられず、勇者は剣の威力で傷は付けられてもすぐに回復。
絶望した顔をしとったな、あのときの勇者。
ワシは呆気なく勇者を倒し、あっさりと世界征服を成し遂げた。
そう言えば、その頃だったな、まだ人間だったナツに出会ったのは。
しかし、あれから百十年か。跡を息子に譲りワシは今や隠居の身。
魔王ガルドラは、元魔王になった。
レベル999の元魔王、現在嫁に尻に敷かれる日々。
ふっ、笑えんな。
お読み頂きありがとうございます。
元魔王ガルドラ
レベル999
体力9999
魔力9999
物理攻撃力7999
魔法攻撃力9990
物理防御力9500
魔法防御力9999
スキル
物理耐性99 魔法耐性99 物理貫通 魔法貫通
闇魔法 光魔法 四属性魔法(火、水、風、土)
詠唱破棄 同時詠唱4 超速回復(体力・魔力)
万能言語 鑑定 纏炎