第百十四話 かあちゃんは牛の親子を助ける
動物の解体の描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
巨大な雄牛を仕留めたことに喜び、雄叫びを上げるポチくんたちは、雌牛の存在を気にしてはいないようだった。
これだけ派手に騒いでいれば、他の獣がここに寄ってくることもないだろうが、それでも充分周囲に注意したままでひなちゃんの背から降りた。
子供たちのいる結界の方を見て、みんなの無事をまず確認すると、私は意識を雌牛に向ける。
私の視線に気付いた雌牛は、フーッ、フーッと鼻息を荒げながらも、懇願するような潤んだ瞳を向けてくる。
「読心」
注意深く用心しつつ、少しずつ距離を縮めた私は、恐怖に震える雌牛に読心の魔法を使った。
心の声が流れ込んでくる。
『どうか……! 私はどうなってもいい。この子たちだけは見逃して……、お願い!』
「……大丈夫。安心なさい。私たちは子供に手を掛けたりはしません。でも……、あなたにはもう……、逃げる力も残ってはいないようね……」
いつの間にかついてきていたひなちゃんが、悲しい目をして雌牛に語りかけている。
『……信じていいのね、ありがとうございます。私は……、もう無理です……。あいつから子供たちを守れたのだから充分よ……。さあ、お前たち、行きなさい。強く生きるのよ……』
『やだよぉ……』
『お母さんと一緒がいい……』
べえ、べえと甘えた声を出す仔牛たちは、母牛に縋り付き離れようとしない。
春に生まれた仔牛なのだろう。まだ幼い感じがする。仔牛は半年から一年くらい授乳して、母牛とともに育つのではなかっただろうか。
群れも散り散りになってしまって、まだ生後半年程であろう仔牛だけで生きていくことは出来るのか。
あの雄牛の体当たりを受けた母牛は、切れ切れの意識で子供を諭している。内臓をやられているのかもしれない。だとしたら、もう長くはもたないだろう。
「ひなちゃんたちは仔牛は見逃すようだけど、この母牛も見逃してあげてもいいの?」
「狩りの成果としては、あの一頭で充分です。あの大きさならモモちゃんたちと分けても数日分の食料になりますから。でも、長くもたない怪我であれば、ひと思いに楽にしてあげて糧とするのが最善でしょう」
ならば……。
「私にこの親子を譲ってくれないかな。あっちの雄牛は全部ひなちゃんたちのものにしていいから。この子たちはうちで預かっちゃダメかな?」
「どうしたのだ……?」
一頻り興奮してはしゃいでいたポチくんも、こちらに気が付き近寄ってきた。
母牛の震えが大きくなる。
ポチくんの覇気に怯えている。
「さっきボスと争っていた雌牛と仔牛たちなんだけど、私に譲ってくれないかな? 雄牛の方は全部ポチくんたちの取り分にしていいから。このままじゃ、お母さんもう長くない。仔牛たちはまだ小さいから、二頭だけじゃ生きていけないと思う。……お母さんの傷を治してあげたいの。テイム出来るならテイムして、うちで引き取りたい。……許してくれる?」
「ふんっ、甘いな。モモらしい考えだが、野生では弱きものが淘汰されるのは当たり前のことだぞ。ふふ、まったく……。我らの獲物は最初からあの一頭だ。あの巨体ならしばらく食料に不自由しない。故にそのメスには興味は無い。モモの好きにすると良い。ついていくか、ここで死を選ぶかは其奴次第だがな……ククッ」
素っ気ない物言いをしてるけど、笑いが溢れちゃってるよ、ポチくん。
ポチくんは、フイッと群れの方へ戻っていく。震える母牛をこれ以上怖がらせないように、席を外してくれたんだろう。ポチくんの優しさだ。
ひなちゃんは、優しくその背中を見送って頷く。
「ええ、私たちに異存はありませんよ」
ツンデレポチくんにお許しをいただいたので、不安を取り除くように微笑みながら母牛に語りかけてみる。
「牛さん、私たちと一緒に来ない? あなたがいなければ、この子たちは生き延びられないでしょう? ……壮大なる癒しの力よ」
魔力の光が集まり、輝きが膨れ上がり母牛を包み込んでいく。
次第に光は腹部へと集中していって、全てが吸い込まれた後には母牛がキョトンとしていた。
『……苦しくない? ……痛みが消えた?』
「モモ様のお力です。あなたは救われたのよ。あなたの子も。感謝の気持ちがあるならば、モモ様に付き従いなさい」
ドヤ顔のひなちゃんに言われて、母牛の視線が私に向く。
イチかバチかやってみよう。
成功すれば意志の疎通が出来るようになるはず。
「調教」
呪文を唱えると、牛たちの体が一瞬光る。
え? 仔牛も?
『調教に成功しました』
頭の中にいつもの声が響いた。
従ってくれたことに少しだけホッとして話しかけてみる。
「私はモモ。言っていることがわかる? あなたの傷は癒したけど、元通り元気になるにはもう少しかかるの。あなたが元気にならないと、この子たちも生きていけないでしょ? ここに置いて行くのは危険だと思う。よかったら私たちと一緒に来てくれないかな?」
『ああ……、主様。わかります。あなた様に救われたこの命、子供たちに下さったお慈悲。今後は主様と共に有り、少しでも御恩をお返し出来るように尽くします』
「ええ!? なんでみんなそんな感じなの!? いや、ちょっと、かしこまらないで……!」
慌てる私を見て、苦笑混じりにひなちゃんが説明してくれている。
「モモ様は仰々しい態度を好みません。感謝と崇敬の気持ちは常に心に。しかし、もっと親しみを込めた態度で接しなさい。すぐには無理でしょうが、モモちゃんと呼べるように頑張りなさい」
『モモ……ちゃん、ですか……?』
「そうよ。謙るのではなく、敬愛の気持ちを持って親しくなさい。……ね、モモちゃん」
「敬愛って……、うう、まあいいか。そうだよ、仲良くなりたいの。痛みは少しはとれたかもしれないけど、その弱った体でここで二頭の子育ては厳しいでしょ? 元気になったら自由にしてくれて構わないから、しばらく一緒に暮らさない?」
「ありがたくお受けなさい」
『よ、よろしくお願いします。モ、モモちゃん……』
「あら、案外あっさり飲み込んだわね。ふふ、良い度胸。嫌いじゃないわ。私とも仲良くしましょうね」
ひなちゃんにそんな風に言われて、母牛はオロオロしていた。
『モモ……?』
『モモちゃん……?』
仔牛たちも寄ってきた。
「そうだよ、モモっていうの。よろしくね。お母さんのお腹が痛いの治るまで一緒に暮らそうね。仲良くしてね」
『うん!』
『いいよ!』
二頭して顔を私のお腹の辺りにグイグイ擦り付けてくる。
多少よだれが付くけど気にしない。
牛だって子供は可愛い。よしよし。
私よりデカいけどね。
そうと決まれば、弱ったお母さんを休ませてあげるためにも、今日の狩りはここまでにして家に帰った方がいいな。
大きな牛が狩れたことで、狼たちの食料も充分なようだし。みんなに報告と相談をして、獲物を解体して……と、ここではたと気付く。
アレって、この子たちのボス……。
お父さんだよね……。
「あ、あの……、お父さんに関してはその……、ご、ごめんなさい!」
『いえ、あいつは父親じゃありませんよ。なので、お気になさらず』
「え!?」
あっさり返された答えに面食らう。
話を聞くと、あのボスは最近、前のボスを追い出して取って代わった新しいボスということらしい。
野生の掟で、メスは強いオスに従うのが常なのだが、前のボスの子供である仔牛たちを処分されそうになって、身を挺して守ったのだそうだ。
『前のボスの仔牛でも、メスならほとんどは命をとられることはありません。でも、この子はオスなので……』
二頭のうちの片方を鼻で指す。
当の仔牛は訳もわからないといった様子で小首をかしげてる。
男の子は、この母牛の子ではないらしい。仲の良かったこの子の本当の母牛も、同じようにあのボスから息子を守ろうとして命を落としたのだそうだ。それからはこの母牛が匿って、我が子とともに育てていたということだ。
『あいつは、この子に気付いてしまい、私の娘もろとも始末しようとしたんです。群れのボスではありましたが、私には子供たちを見殺しになど出来ませんでした。……そんな新参のボスですから、モモちゃんが気に病むことはありませんよ』
うーん、複雑。
そうは言っても、目の前で解体するのは気が引けるので、親子にはみんなのいる結界に行ってもらうことにした。
ヨロヨロとした足取りではあるが、なんとか自力で歩けている。
子供たちに、体が回復するまでしばらく一緒に暮らすことになったと牛たちを紹介すると、手放しでみんなとても喜んでいた。
詳しくは後で説明するとして、弱っている母牛と仔牛の面倒をお願いする。
それから、ひなちゃんと私はポチくんたちのいる場所に向かい、運びやすいように仕留めた牛を解体していく。
土魔法で容器を作ると、清浄、浄化、治癒をかけてから、横たわる牛の首や蹄を落とし、皮を剥ぎ、内臓を取り出す。
タライ状の容器に取り分けられた内臓は、早速ポチくんたちのお腹に収まっていく。
うー、グロい……。
やっぱり何度やってもこれはキツい……。
今回は全てポチくんたちの取り分なので、皮も鞣さずに生皮のまま剥いである。脂肪や肉がこびり付いた生皮も見るに耐えないので、蓋付きの容器にしまって視界から隠してしまう。
切り落とされた首や蹄、尻尾も、樽状の容器に収めて蓋をした。
肉も、骨や筋を取る必要がないので、そのまま運びやすいサイズに切り分けては容器に入れていく。
一トン近くありそうな巨躯が、十個の容器に分けられた。
むせ返る血の臭いと脂の匂いに腹の中のものがこみ上げてきそうになるが、ぐっと堪える。
魔力はまだまだ充分にあるのに、魔力枯渇を起こした時のようにふらつく。
うう、これは貧血だ……。
キレイに処理されてない状態の肉の解体は前回以上にキツかった。
解体現場をキレイに片付けたら、この容器ごと運んでもらうために、狼たちの体に括り付ける蔓を物色してこなければ。
まだお食事中のポチくんたちを見ないように離れ、気分転換を兼ねて周辺を散策する。
蔓植物はそこら中に生えていたけど、しっかりした強いものを探すために、近くの木立の中を覗いてみた。
熱帯雨林のような、日を遮るように生い茂る木々の枝からは、ターザンが奇声を上げてぶら下がりそうなしっかりした蔓が、ズルズルとたくさん垂れている。
一本に掴まり、体重をかけてぶら下がってみるが、思った通りびくともしない。
うん、この蔓なら大丈夫だろう。
引きちぎることも難しそうなので、創造を使って切り落として長いロープ状の蔓を集めていく。
目に付く蔓を一度に切り落としては、木立の入り口の辺りまでせっせと運んでを繰り返していた時、入り口にそびえ立つ大きな木の上から、不意に声を掛けられた。
空耳かと思うようなか細い声。
なあ、なあ、と私を呼んでいる?
いや、声じゃない。
念話のようなものが頭の中に直接届いてくる。
『……なあ、あんた強いんやろ? それにアホかっちゅうくらいにお人好しやね。……なあ、あの牛を助けたったみたいに、うちらのことも助けてや。……困っとんねん』
驚き、声の届いてきた方、木のはるか上の方の暗がりを見上げると、闇の中に幾つかの青い星が瞬いているのが見えた。




