第二章
こう見えても、結構もてるんだ。そんなわけないだろうって?確かにそう思うだろう。でも、自分が作った世界なら、何でも許されるんだ。私は愛し愛される存在。非常にシンプルでしょう。時には殺されるが何とか元気にやっている。
小説を書くのが趣味な人ってどれだけいるだろうか?少なくとも僕は好きである。読者は精々十人くらいだ。しかも、深く読んでくれる人は恐らくいない。仕方ないこと。万人に好かれよう、なんて考えない。無駄な努力はしないほうが良い。僕の人生はショートカットの繰り返しだ。
自己満で解決する小説何て読む価値がないと思うだろう。僕はそう思う。だからこそ、読まれることはない。自分の理想を具現化するプロセスに過ぎない。そうしないと、これほど疲れ切った社会を生きていけない。桃源郷を想像する筆者は、没落した社会を好む。宗教を信じる筆者は、金儲けの道をひた走る。
人生の矛盾をどうやって解決するか。これは非常に難しい問題である。死にたいと思う人をどのように生かし続けるか。これと同じ性質の問題である。
逆に言うと、矛盾という枠組みの中で羽を休めれば、少し落ち着くことが出来る。大概そういうものなのだ、と考えればいい。現代社会が抱える問題に無関心な人はいない。しかしながら行動できる人は数少ない。仮に行動したとして、彼らの原動力はなんであろうか?それは純粋な正義感だろうか?そうだとしたら、僕は彼らを大いに讃える。彼らが僕を死刑にすると言えば、喜んで受け入れよう。彼らにしてみれば、僕は非常に醜い存在であり、社会悪になりかねない。
しかしながら、彼らの中には、邪な考えを持つ者もいるだろう。詳しくは面倒くさいので説明しないが、一種の社交辞令的なものだろう。そうそう、世間体という言葉も含めて。
命の連続性を定義できない人間が、他人の人生に干渉することは、馬鹿げているだろう。だから僕は何も言わないし、何もしない。キリスト教の言葉を借りれば、全ては神任せ、ということ。だってその方が楽だから。自分で考えて失敗するより、最初から失敗する運命である、と考えたほうが気持ち的に楽だから。
笑い声が聞こえる。罵る声が聞こえる。この人、やっぱりおかしい、と囁く。しかしながら、精神の安定を保つのが難しいのは、僕に限った話ではないだろう。僕は仕事をしていない。きっと仕事を始めたら、余計不安定になるだろう。社会の仲間入りを果たした瞬間、自分の居場所を見失い、何もできない子供へ逆戻りするだろう。勿論、誰も助けてくれない。ただただ、可哀想、とか、馬鹿、とか、色々言われて、面白がられて終わりである。
唯一の愉しみは寝ることである。寝れば、この得体の知れない感情の爆発を抑えることが出来る。覚醒していると、わけもわからず叫びたくなる。
睡眠不足は最悪だ。きっと、言葉の暴力で誰かを傷つけることになる。まあ、それがいいか、悪いか、判断もつかないだろうけど。
さて、身体が安めと言っているので、思考を止める。僕は仕方なく生きている。明日もきっと生きている。明後日もきっと生きている。一年後も生きている。
自分から死のうとは思わない。早く病気になって楽に死ねるのなら、それが悪いかどうかは分からない。