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6話

美樹の記憶と、敦の記憶。

駅に向かいながら、考えていた。

環境を変えるのに躊躇うのは、高橋くんのことが気になるからなのかもしれない。

自分に、聞いてみる。

高橋くんと一緒にいたいの?

高橋くんが気になるの?

こんな相性のいい人は初めてだから、一緒に仕事するのは楽しい。

真面目かと思えば案外お茶目で、人懐こい笑顔を見ると安心する。

これは、好きという気持ちなんだろうか。

そうなのかもしれないし、分からない…

これだけだと、姉のような気持ちなのかもしれないし、相性がいいと思うのは私からだけかもしれない。

どんなに考えても、結論なんて出なかった。




金曜日。

高橋くんと訪れたお店は、以前高橋くんが潰れてしまった店。

団体客用の個室とは別に、簾が掛かっていて通路から見えない、個室っぽい4人掛けの席がある。

カップルに見られたのか、そこへ案内されて向かい合わせに座った。

高橋くんは、始めからビールをぐいっと飲み、大丈夫かと心配になった。

私は私で、勢いをつけるためにビールを呷る。

ほどよくアルコールが回ってきた頃、大好きな焼きうどんに手を付けるのを我慢して、口を開いた。

「実は、高橋くんに聞きたいことがあったから、誘ったのよ」

高橋くんを見ると、彼にしてはけっこう飲んでいるのに、酔っているように見えなかった。

「聞きたいこと、ですか」

「うん、もうまどろっこしいからストレートに聞くけど。高橋くん、私が火事に巻き込まれた時一緒だったあっちゃんだよね?」

ビールのジョッキを置いた高橋くんは、黙ったまま。

「実はこの間実家に帰って、母に聞いたの。母は覚えていて、、教えてくれた」

驚いたような目で私を見て、高橋くんはゆっくり口を開いた。

「小山さんから火事の話を聞いてから、あのお姉ちゃんなんだって気づきました。それまで漠然とお姉ちゃんに似てると思っていただけだったけど。まさか、転職した先であのお姉ちゃん会えるなんて、思ってもいなくて…」

「こんな怪我したくせに、私は大分記憶が抜けてしまってるけど…高橋くんはどのくらい火事のこと、覚えてるの?」

「五歳でチビだったけど、よく覚えてるんです。小山さんは…お姉ちゃんは、吹っ掛けてくる炎や落ちてくる材木から、僕を護ってくれて。早く逃げなさい!って消防士さんに僕を預けてくれて…お姉ちゃんは火傷をして痛かったのに」

私から火事の話を振ったのに、高橋くんの言葉を聞いて急に火事のときの炎が思い出された。

もう20年以上たつのに、こうして何かのきっかけで思い出す。

なめるような炎と、右腕にふりかかった、燃えた柱を。

怖い記憶が甦って来て、思わず自分の両腕を抱いた私に、高橋くんが向かいから急いで隣に来る。

「大丈夫ですか。思い出させちゃったんですね」

「何だろう…ちょっとしたきっかけで、パパッて思い出すの。すごく熱かったことや、逃げられなくて足が動かなくなったこととか…怖かった…」

燃えさかる炎がすぐ近くに迫った記憶が押し寄せ、それしか言えず、黙りこんでしまう。

高橋くんの手がおずおずと肩にまわり、肩と腕を擦ってくれる。

「思い出させて、ごめんなさい…」

「聞いたのは私だもの…私こそ、ごめんなさい。あっちゃんだって、思い出したくなかったでしょう」

いつの間にか、『お姉ちゃんとあっちゃん』になっている。

「…お姉ちゃんに助けてもらって護ってもらって。無傷なのに怖くてわんわん泣くしか出来なくて。なのに、お姉ちゃんは泣くことも出来ないくらい痛いのに、必死に耐えているのが僕にも分かった」

少し苦い目をしてる。

「お姉ちゃんに護られるだけで、何にも出来ない。子供だったけどそれがすごく情けなくて…。大人のお姉ちゃんに会えたって分かっても、自分から言い出せなかったんです。お姉ちゃんに会えたら伝えたいこと、いっぱいあったはずなのに…」

「…もう、何言ってるのよ。あっちゃんだって怖い目に会ったのよ。情けなくなんかないよ。」

腕をだらんと下げたまま、俯いている隣の『あっちゃん』の肩に、頭を乗せた。

高橋くんの肩が、ぴくりと揺れる。

ふと、今、こうしてる私たちはどんな関係なんだろうと思った。

頭を乗せた細身の肩は、思っていたよりがっしりしていて、私の肩に置かれた手のひらは、大きくて暖かい。

『あっちゃん』と呼んではいるものの、隣にいるのは大人の男の人なんだと、実感する。




「…じゃあ、やっぱり高橋くんは、ほんとに私の弟みたいってことだよね」

頭を肩から離して呼び方も『高橋くん』に戻して。

いつもの自分の声を出して、この微妙な雰囲気から抜け出そうとした。

このままだと、見ないでやりすごそうと思っていたことを、曝けださなきゃいけなくなりそうだ。

でも、肩から離そうとした頭はやんわりと押さえられ、大きな手のひらには、ぐっと力が込められて。

「…じゃ、ないです」

「…え?」

「…もう、五歳のあっちゃんでもないし、弟みたいでもない」

「小山さんの隣に座っているのは、大人の高橋敦だよ。もう、28歳の」

手のひらの力が緩んだから、顔を上げて高橋くんの方を向いた。

近い。

高橋くんが顔を寄せて来たから、思わず右の壁際に体を寄せようとした。

それを、大きな手のひらで阻止されて、至近距離で見合うはめになった。

「は、恥ずかしい…こんな近くで顔を見ないで」

「嫌だ」

じっと目を合わせて来るのを受けて、頬が紅潮してきたのが分かる。

「僕が大人の男だってこと、小山さんに受け止めて欲しいから。ちゃんと、僕を見て」

「分かった、分かったから。そんなじっと見なくても、一緒に仕事してれば高橋くんが大人の男の人だって、よーく分かるから」

「それだけじゃ、なくて…」

「え、まだ、ある?もうこの辺でいいじゃない」

これ以上何か言われたら、ややこしい方向へ行きそうな気がした。

高橋くんと、出来ることならややこしくなりたくなかったから、臆病な私はなんとか切り抜けようとした。

なのに。

高橋くんは、まったく視線を逸らさなかった。

「僕の気持ちも、小山さんに受け止めて欲しいんです」

「気持ち、って…」

「一緒に仕事していて楽しくて、真面目な顔で話を聞いてくれて、でも案外お茶目で。楽しそうな笑顔を見ると、安心する」

ここで、ニコって笑うのは、反則。

胸の辺りがザワザワしてきて、右手をそっと胸に当てた。

「一緒にいるとラクで、楽しくて。小山さんが笑っていると、嬉しい。辛かったり悲しい目に会ってると僕もつらくなるんです。でも、弟としてじゃない。」

「…それが僕の気持ち」

あぁ…まずい。

ほぼ、私と一緒じゃない。

こんな告白されたことないわ。

頭の中に、困惑と嬉しさがない交ぜになったものが、駆け巡った。

こうストレートに突撃してくるなんて、思ってなかった。

今日は、高橋くんがあっちゃんだってことが分かれば、姉と弟として楽しく飲めばいいと、思っていたのに。

弟じゃない、大人の男だと言われたら。

私も姉ではなくて女として、高橋くんに応えなければダメなの?

応えたい気持ちと分からない気持ち、割合を聞かれたらきっと応えたい気持ちが、高いってもう分かってる。

そう、今この状況で分かった。

でも、すぐに言葉が出て来ないよ…

一応彼だった人と少し前に別れた微妙な歳の女には、大人の男宣言は胸の辺りをぎゅっと掴まれたみたいだったから。

どうしていいか分からず、でもどうにかしたくて、ぴったりくっついて触れあってる側の手を、ぎゅっと握った。

すると、高橋くんの手がぎゅうっと握り返して来た。

顔を上げると、嬉しそうな笑顔。

「焼きうどん、冷えちゃったね」

高橋くんの声が、頭の上で響く。

「まあ、いっか。食べよ」

繋いだ手を解いたら、温もりが少し冷えた。

ふいに寂しい気持ちになってしまって手を伸ばしたら、同じように伸びてきた高橋くんの手のひらに収まった。

「これじゃあ、食べられない」

顔を見合わせて笑った。
















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