5話
記憶の確認と、後輩の女の子
ようやく週末になった。
週の半ばに深夜まで残ったりして、とても疲れていたけど、金曜の仕事帰りに実家に行くことにした。
母からたまには来いと言われたのもある。
けれど、1番の目的は火事の時の詳しい話を、聞くことだった。
独り暮らしをしている東京の下町も大好きだけれど、一年中海が見えて潮の香りをかげるのは格別だ。
東京駅から高速バスで約2時間。
駅前にバスが停まると、迎えに来てくれた母の車が見えた。
「わざわざごめんね~迎えに来てくれて助かったわ~」
「急に帰るって言って来るから、ビックリしたわよ。荷物少ないねえ」
「私の部屋も物もまだあるからね」
「いつまでいるの?」
「う~ん、明日の夜には帰る」
「日曜日までいればいいのに」
「日曜に用事があるから…バタバタ来てごめんね~」
「まあ、慌ただしいねえ。とにかく出来るだけゆっくりしたら」
私は料理も一応するけれど、やっぱり母の料理が食べられるのは嬉しい。
その晩は、私の好物の煮物や刺身、土地の名物の魚料理が出た。
「やっぱり、魚料理は美味しいなあ」
ビールをお供に、大好きな青魚をじっくり味わった。
「地元のお米も美味し」
いつもご飯はセーブているのに、こんなにご飯が進むおかずばかりじゃ、セーブなんて出来ないわ。
「それで、何の用事があるの?」
母があら汁をテーブルに置いてから、向かいに座りなおした。
早寝の父は、もう寝床に入ってしまっている。
「用事…ってなんで分かるの」
「何かなきゃ、こんな急に帰って来ないからねえ」
「あ…耳が痛い」
「責めてるんじゃないのよ。何もない方がいいに決まってるしね」
「そうね~」
「だからほら、何かあるなら言ってごらん」
「うん…簡単なことなんだけど、私が火事に巻き込まれたときのこと」
「…何か、思い出したの?」
「違うよ。何も思い出してないよ。ただ、あの時火事場に小さな男の子がいたよね」
「ああ…それは覚えてるのね」
「うん。何でだか分からないけど…それで、その子って誰?私の知ってる子だったの?」
母は少し下を向いて考えていた。
そして、顔を上げて答えてくれた。
「その子のことは覚えてないのね」
「うん」
「そうか…腕のやけどがかなりショックだったんだね」
「痛かったはずなのに忘れてるからね。忘れたかったのかな」
「きっと、その子のことも1番思い出したくない時、一緒だったから忘れたんだと思うよ」
「思い出したくない時…?」
「…その子はね、美樹と一緒に火事に巻き込まれたの。美樹は落ちてくる柱からその子を庇って、やけどを負ったのよ。」
「そうだったの…」
「その子は、小さな頃に美樹が可愛がってた、高橋さんちのあっちゃんよ」
「あっちゃんて言うと、敦くん?」
「そうそう、敦くんね。あの時は美樹が痛いのに我慢していて、あっちゃんは無事だったのにわんわん泣いててねえ…。お姉ちゃん、ごめんなさいって何回も叫んでいて、可哀想だったわ」
あの小さな男の子が高橋くんだってことは、あっさり分かった。
高橋くん、この時のこと覚えてないの?
美樹ちゃんて呼んでくれてたのに…
それとも、知ってて黙ってるんだろうか。
何かすごく寂しい気持ちになって、黙りこんだ。
「何を気にしてるの?あっちゃんなんて、引っ越してから会ってないでしょう」
「う~ん、それがねえ。いま、同じ会社なんだ」
「ええ?」
「びっくりでしょ?中途入社で入って来て、今一緒に外回りしてるんだから」
「そんなこと、あるのねえ」
「気になるのは、子供の頃に近所にお姉ちゃんがいたって覚えてるのに、私だって分かってるのかどうかってこと」
「そうね…そこは、分かりようがないかもしれないね」
母にそう言われたのでは、もう何も言えなかった。
週が開けて、通常通りの仕事が続く。
7月に入り、まわりはみんな半袖やノースリーブだけれど、私は変わりばえのしない長袖のシャツ。
高橋くんに火事のことを聞きたかったけれど、きっかけが掴めなくて悶々としてしまった。
高橋くんは高橋くんで、何か言いたそうな気配を漂わせているのを感じる。
私が悶々としてるのが、バレバレだからなのか。
それとも高橋くんも言いたいのに、きっかけが掴めない状態なのか。
そのせいなのか、そんなに口数の多くない彼が、もっと静かになっていた。
もちろん、仕事中はちゃんと営業トークをしてる。
客先を出た途端、「はい」とか「そうですね」とかばかりになって、チラッと私の方を窺ったりしてる。
せっかちではないつもりだけれど、さすがにモヤモヤが最高潮に達してしまった。
「ねえ、高橋くん明日の夜空いてる?」
「え、明日ですか」
「うん。飲みに行かない?」
「ああ、あの…明日の夜は、後輩と会う約束があるんです。金曜日なら…」
「あ、そうなんだ。じゃあ、金曜日にどう?」
「はい。行きます」
「じゃ、金曜日によろしくお願いします」
「はい」
今日は水曜日。
後は2日もモヤモヤするのか…
とりあえず雑念を振り払って、仕事しよう。
木曜日、大きな乗り換え駅にある書籍と文具を扱っている、巨大な店舗を尋ねた。
定番の文具の他に、季節限定の物などを提案するためだ。
会議室でプレゼンをして、商談がまとまったのですっきりした気分で、その部屋を出ようとした時だった。
「小山さん、ちょっとお話があるのですが…いいですか?」
「お話ですか。何でしょう」
話を聞こうと、私も高橋くんも立ちかけた席にまた座った。
「あ、高橋さんはちょっと外して貰えますか」
高橋くんは少し口角をあげ、そうですか、と言い廊下へ出て行った。
お馴染みの担当者…いつもは軽口をたたいたりする、木村さんが改まって口を開いた。
「実は、小山さんをウチにお誘いしたいと思ってまして」
「は?それは、どういう…?」
「ウチで働きませんかってことです」
「ええ!?」
会議室を出ると、廊下に高橋くんがいた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いいですよ、気にしないで。で、何の話ですか?聞いてもいいですか?」
「外に出たら話しましょう」
外の通りに出て歩きながら話した。
「あの書店で働かないか、って誘われたよ」
「…そんな誘いってアリなんですか?」
「う~ん、なくもないというか…私も、興味はあるかな」
「じゃあ、前向きに…」
「うん。考えてみようかな」
高橋くんは、しばらく何か考えているようだった。
「小山さん、ポップ書いたり販促のプラン考えるの好きですよね…」
そんなことを口にしてくれた。
「うん、そうなの。そんなところを見てくれたのかな」
「あ、そういえば。後輩に会うって今日だよね。」
「そうなんです。大学の後輩なんですけど、幼なじみでもあって。実は今総務にいるんです。」
「うちの会社なのね」
「そうなんです。最近営業に行きたいって言い出して。ちょっと話を聞こうと思って」
「へえ~いいんじゃない。やる気があるなら」
外回りから戻ってからは、事務仕事。
商品を発注して注文されたものをチェックして。
その合間には、今日のお誘いのことを考えていた。
自分には、営業よりも合っていそうな気がした。
でもなぜか、心のどこかで躊躇っている。
なぜなんだろう…
ただの不安?
それとも…
いつの間にか、手が止まっていて考え込んでいたみたいで、高橋くんに呼ばれて我に返った。
「小山さん、ちょっといいですか」
高橋くんの方へ顔を向ける。
高橋くんのデスクの脇には、まだ新人のような女の子が立っていた。
「この子が、後輩の宮崎です。いま、総務にいるんですけど」
「宮崎美緒です。よろしくお願いします」
ていねいに頭を下げたその子は、長い髪をサイドでまとめ、くりっとした垂れ目の可愛らしい子だった。
清楚な雰囲気、声。
ていうか、後輩って女の子だったのね。
「今日は話を聞いてアドバイスするだけなんですけど…総務から営業ってどう思います?」
高橋くんが親身になってあげてる。
これは、ほんとに彼女なのかな…
「やる気さえあれば、いいと思うけどな。今日はじっくり高橋くんに話を聞いて貰ったら?その上で希望を出せばいいよ」
「はい!ありがとうございます」
嬉しそうな笑顔がものすごく、感じがいい。
「じゃ、私はもうだいたい済んだから、帰るね。」
「はい、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
二人のお疲れさまに送られて、部屋を後にした。