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1話

「4月1日付けで入社しました高橋敦です。よろしくお願いします」



今日から、途中入社の男の人が配属になった。

しかも、私の隣の席。

これから、営業の仕事で二人一組で廻る。

私は彼の、この職場に馴染むためのリード役という訳だ。




目の前で挨拶してくれた彼は、28歳と言われても信じがたいくらい、若く見えた。

場合によっては、大学生に見えるかも。

黙っていると、スーツを着てきたバイトのようだ。

銀縁のメガネのせいもあるのかもしれない。

口数も少なそうで、大人しそうで、控えめそうな…

そう、ばっかりで、本当の所は分からないけれど。

でも、初対面で打ち解けるのが苦手な私には、ちょうどいいかもしれない。

それにしても。

なぜ、私と組ませるのかな。

5歳も歳上で、ややこしいことにはならないと思われたから?

まさか、私の営業成績が買われた?

いや、それはないな。

文具の営業は好きではある。

でも、好きすぎてついマニアックなものを、売り込んでしまう。

それに乗ってくれる客先ばかりだったら、いいんだろうけど。

そろそろ、外廻りの時間だ。

初対面の人と外廻りって、ハードル高いけどとにかくやってみなければ。




彼が、隣の席に荷物を持ってやって来た。

紙袋に入った細かい物…見たところ、ノートやらファイルやらペンケースやらが、入ってるみたいだ。

デスクに紙袋をトン、と置いて、やおら私の方にくるっと身体を向ける。

椅子に座って様子を伺っていた私は、思わずビクッと、してしまった。

「小山さん」

「あっはいっ」

慌てて彼の方へ向き直る。

何で私の方が慌てているのか…

彼は落ち着きはらっているのに。

「今日から、よろしくお願いします。何かダメ出しがあったら、言ってください」

「あ、わかりました。こちらこそよろしくお願いします。それと、高橋くんて呼んでいいですか?」

私も挨拶を返すと、大人しそうな真面目顔がほんの一瞬緩んで、人懐こい笑顔になった。

「もちろんです」

あ、もうひとつ人懐こそう、が加わった。

「じゃあ、仕度出来たら行きましょうか」

「はい」




外廻りでの彼は、大人しい訳でもなくかと言って饒舌すぎもせず。

絶妙なバランスだった。

ここぞという時にはちゃんと押せるし、しつこくなく引くのも早い。

そして、肝心な所でさっき見た人懐こそうな笑顔が出るのだ。

これは…私よりよっぽど優秀な営業マンじゃないか。

客先で盛んにメモを取ったり、言われたことの飲み込みがものすごく早かったり。

どうしても自分の好みばかり売りこんでしまう私より、真っ当な営業だった。

ちょっと遅めの昼食を、蕎麦屋で取ったとき。

高橋くんに、率直な評価を伝えた。

「あの、ちょっといいですか?」

湯気が立っている天ぷらそばを前に、彼が神妙な顔つきで、持った箸を一旦置いた。

「なんでしょうか」

「ダメ出しして欲しいって言われましたけど、ダメなとこなんて、ありません」

「え?」

「どっちかって言ったら、私の方がダメ出しされるくらいです」

「そんな、小山さんにダメ出しとか、やめて下さい。褒められてありがたいけど…なんか恥ずかしいです」

あれ?今度はふにゃって笑った。

しまった。

自分まで釣られてふにゃっとした顔になってしまった。

急いで、真顔に戻す。

気づかれなかっただろうか、私の腑抜けた顔を。

「とにかく、文具の営業ってことに慣れて貰えば、特に問題ありませんよ。」

「ありがとうございます」

「じゃ、食べちゃいましょう」

「はい」

もう、しれっと普段の穏やかな普通の顔。

さっきのふにゃっとした顔は、何だったのか。





それから、午前中は高橋くんと外廻り、午後に戻ってからは事務仕事の毎日。

彼はどんどん文具関係の客先に慣れて行き、お客さんの方でも、細かく目端が効く彼を好ましく思ってくれているようだった。

一緒に外廻りをしながら、彼とよく喋った。

主に私からで世間話ばかりだけれど。

彼は、尋ねれば答えるけれど、自分のことをそんなに話さない。

私のことも、そこまで詮索しない。

でも、客先であったこととか、途中お昼を取るお店はどこがいいとか、最新のオシャレステーショナリーとか。

そんなことには、突っ込んでくれたり知識を披露してくれたり、喜んで乗ってくれた。

午後まで外廻りをしていて、疲れてコーヒーを飲んだりもした。

そんな時も、疲れてボーッとしてしまう私を、放っておいてくれる。

そんな日々が続いて、5月の半ばが過ぎた。




ある日の仕事帰り、先輩の岩田さんと会社近くのカフェで食事をした。

岩田さんは、5つ上の先輩。

気が合って話していると楽しくて、たまにご飯を食べたりお茶したり。

先輩だけれど、気のおけない友達でもあるのだ。

カフェの奥の席に座ると、岩田さんはひよこ豆と野菜のカレー、私はバターチキンカレーを頼んだ。

シーフードサラダをシェアして、二人でビールを飲む。

「美樹ちゃん、ここいいね。カジュアルで居心地が良くて。こういうお店、好きだな」

そのカフェは、パリのカフェみたいにテラス席のある、シンプルだけどお洒落なお店。

テラス席には、幌のような赤い屋根があって、テーブルも椅子も内装も焦げ茶色。

そして、内装のアクセントには赤が使われていて、テーブルクロスも赤。

洒落てるけど居心地のいい、お気に入りの店なんだ。

「ここ、よく来るの?」

「う~ん、たまにお昼に来ますね」

「お昼って…高橋くんと?」

「外廻り中に、たまに…実はここ、高橋くんに教わったんです」

「え~意外…なんだか女子っぽいなあ。彼女と来るとか?」

「1人で来て、ご飯食べますって言ってましたよ」

「1人で…彼は彼女いないのかな」

「さあ…」

高橋くんに、彼女がいるかなんて考えた事もなかった。

ここに初めて入ったとき、居心地いい店だねって言ったら、小山さんが気に入るかなと思って、と言われたんだった。

そんな風に言うなら、きっと彼女はいないのかも知れないな。

まあ、どうでもいいことだよね。




大満足で食べ終えて、ゆっくりコーヒーを飲んでいる時。

岩田さんが、わたしの顔を覗きこんで言った。

「美樹ちゃん、今日はいつもの愚痴話がないね」

「愚痴、ですか」

「そう、こんな風にご飯食べてると、あんな失敗しちゃった、こんなミスしちゃいましたって、自虐トークしてたじゃない」

「…そうだったかな」

そう言われてみれば。

1日のが終わると、電車に乗りながらいつもその日にあったことを、思い返してしまってた。

それが、あれがダメだった、これがダメだったって言う、ダメなとこばかり。

電車に揺られながら、ガックリする毎日だったんだ。

「結構…て言うよりかなり、高橋くんにカバーして貰ってるからかも。最近、あんまりやらかしてないんです」

「それは、仕事の相性がいいからじゃないの。お互いにカバーし合ってるんだよ。良かったね、高橋くんと組んで。それに、美樹ちゃん、自分で言うほどやらかしてないでしょ。思い込みだよ」

「思い込み…」

「そうそう、すぐ自分のせいにしちゃうんだから。そんなことないのにね」

「そうかな…そうだったらいいんですけど…」

「大丈夫、大丈夫。私が言うんだから」

「なんか…岩田さん、ありがとうございます」

「どういたしまして」

岩田さんと別れてから、思い出していた。

仕事の相性とか、やらかしてる思い込みとか。

私、そんなに自虐的かな…

自覚なかったのかな。

とにかく、高橋くんと相性がいいと言われたのは嬉しかった。

なかなか、そういう人っていないものだから。

そこまで考えたら、あの生真面目な顔からの人懐こい笑顔が浮かんだ。

きっと、私がのほほんとしていられるくらい、彼が気を使ってくれてるんだろう。

彼にとっては負担な気遣いかもしれないけれど。

私には申し訳ないくらいありがたい人だ。

駅に向かいながら、知らず知らず頬が緩んでいた。















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