『アント・オブ・ラビリンス LV48750』②
──エスティが気が付くと、彼女は宿屋の前にいた。
直後、エーイチの大声が聞こえる。
「エイ婆! エイ婆どこだ!?」
エスティは自身の腰袋を確認した。そのなかには魔女の秘薬ナンバー5と匂い消しの薬が、未使用のまま入っていた。そして、1枚のカードがあった。
「エバの冒険者ライセンス……」
あるはずのないライセンスが、あの惨状が現実だったことを物語っていた。周りを見渡せば、建物は崩れていない。冒険者達が談笑をしている姿も見える。エスティは長い髪を耳にかけ、周囲を確認した。
「……戻っている。時間が……。あの惨状の記憶があるのは、あたくしだけ……」
エスティは宿に入り、エーイチの姿を確認すると、彼の手を引っ張った。
「お、おめえたしかエスティとかいうコーマンチキ!? い、いてて! んだよお前、急に!」
「死にたくなければ離れるのです! すぐに、ここから!」
周囲にいた冒険者達、そして宿屋の主人もエスティの行動をポカンと見つめていた。エーイチがエスティの手を振り離す。
「離せよッ! わけわかんねぇよ! それよりエイ婆が突然いなくなったんだ、知らねえか!?」
エスティは一瞬、悲しげな表情を浮かべ、直後に唇をきゅっと結んだ。そして宿にいる全員に怒声を浴びせた。
「すぐにこのリザーブから離れるのです! 間もなく、ここは魔王類に襲われます!」
一瞬の沈黙のあと、全員が一斉に笑った。
「し、信じてください! 本当なのです!」
宿屋の主人が受付から身を乗り出した。
「これはこれは、ドラゴ・パラディン様。そのようなお方なら知っているでしょう。ここいらの穴倉で出てくるモンスターは昆虫類とせいぜいの獣類。まさか、魔王類なんて……。このリザーブよりもっと深く、蟻の巣の適正レベル100辺りで出てくるレアなモンスターでさぁ」
「わかった、逃げよう」
「え?」
エーイチだけが、エスティの言葉を信じた。宿屋の主人が小汚い青年を見る。
「おいおい貧乏小僧、あのババアが急に消えたから、親切な宿屋の主人が教えてやる。あのな、これはきっとドラゴ・パラディン様の戯れよ。信じるおめえはどうかしてるぜ」
他の冒険者もさあ笑おう、としたとき。エーイチの地団太が床を貫いた。
「笑ってんじゃねえ! オラは外の世界を知らねぇし、おめえらが大嫌いだ! けど、この女は正直だ!
オラとエイ婆の獲物を取ったことは許せねえけど、言ったことは守った! 先行してモンスターを狩って、オラとエイ婆の道を切り開いてくれた! もしそうしてくれなかったら、エイ婆はもっとキツイ思いをしていた!」
エーイチは不潔に伸びた髪の隙間から、真っ直ぐにエスティを見つめた。
「……だから、1回だけ、オラはおめえを信じる」
誰もが、エーイチの様子に息を飲んだ。
「……え、エーイチ」
エスティの頬が紅潮した。が、直後にハッとした。
「と、とにかくここを出ましょう!」
茫然とする宿屋の主人や冒険者を後目に、エスティとエーイチが宿を出る。エスティの暖かな手を見つめながら、エーイチが訊いた。
「……なあ、エイ婆を知らねえか?」
エーイチの言葉に、エスティは顔を沈めた。
「エバ……エイお婆様は……先行してフゴ王国に向かいました」
「へ? 何でだよ。あんなに疲れてたのに」
「だ、だからこそです。わたくしと取引し、わたくしはあなたの傭兵として、フゴ王国まで導きます。エイお婆様はフゴ王国でゆっくりと休ませることにしました。……これが証拠です」
エスティは腰袋からエバのライセンスを取り出すと、エーイチに渡した。
「へー、いつの間に……あのババア相変わらずわけわかんねえけど、まあ無事ならいっか」
「とにかく、わたくしの言う通りにしてください。エーイチ、あなたをフゴ王国に連れて行って差し上げます」
「……わかったよ。けど、そのまおうるいとかってのが来たらやべえんだろ? よくわかんねえけど、他の連中に知らせなくていいのか? 一応俺は信じてやっけど、あいつらはおめえの言葉、信じねえぞ?」
エスティは桃色の唇をきゅっと結び、決意を固めていた。
「……とても不本意ですが、考えがあります」
2人は従属獣の棟に寄り、ユーの前に立った。従属棟は馬舎のようになっていて、1匹1匹の獣を柵で隔てるようにできている。ユーのいる一角も、干し草の寝床に、水の入った木製の桶があった。ユーはエスティの出現に尻尾をブオンブオンと降り、その翼を広げた。ドラゴンの求愛を表す仕草がそれだった。
「少し、強引な手ですが……」
エスティはユーの頭を撫でると、鞄から1本の薬品を取り出した。エーイチがその薬品に注目する。
「何だ、そのビン? その水、うまそうだな」
エスティはエーイチからビンを遠ざけ、そのフタを開けた。
「間違っても飲んではいけません。これはドラゴン用の秘薬ナンバー6」
「……何だそれ? どんな効果があるんだ?」
エスティは、ユーの大きな口に、その秘薬を流し込んだ。よほど美味なのか、ユーは長い舌をベロベロと伸ばし、ビンの口を舐めている。しかし、エスティは液体の半分を残し、ビンにフタをした。
「うッへ!?」
直後、異変が起きた。ユーの鱗の一枚一枚が大きくなったかと思うと、その身体も肥大を始めたのだ。成人の手のひらほどの爪もグングンと伸び、長い首もさらに長く、そして太く雄々しくなっていく。
「なっ!? こ、こいつ、いきなり成長してねえか!?」
ユーの変異に、エーイチは度肝を抜かれていた。エスティは落ち着いた様子で返した。
「そういう薬です。ドラゴンの秘薬ナンバー6、それは〝見た目だけ成長させる〟という薬。ただし、能力の向上はほとんどありません。威嚇には使えますが、使う場所を間違えれば、身体だけが大きくなり、恰好の標的となってしまうのです。ですが今はこれでいいのです。これによって、青年種ソードラゴンであるユーは、究極種のジョーカードラゴンの姿を借りることができます」
ユーの首に繋がれた首輪がバキンッという音ともに割れた。身体の色は漆黒となり、2本の角が禍々しく歪む。牙の数も倍以上に増えていった。みるみるうちに、ユーの体が大きくなる。
もともとはエスティ1人を乗せるのがやっとの体の大きさだったが、今では4~5人の成人を乗せることができるほどの巨体となった。拳ほどの鱗が無数に連なった腹が、柵を壊した。自身の変身に、ユーが力漲る咆哮をあげる。口から吹く突風で、エーイチの髪がなびいた。
「半分だけ服用させました。効果は5分ほど! さあ、ユー! 思う存分に暴れなさい! ただし、人を傷つけてはなりません!」
ユーはエスティの命令に咆哮で応えると、翼を広げ、屋根を突き破った。直後、外のほうから冒険者たちの悲鳴が聞こえた。エスティはエーイチの手を握り、引っ張った。
「さあ、今のうちです、行きましょう!」
「え? けど、あいつ、ユーは?」
「問題ありません、ユーはM-IQ.180。エーイチより頭がいいですわ! 状況を理解し、じき、わたくしの下に戻ってきます。さあ、もたもたしないで、早く!」
「お、おい!」
エスティに引っ張られ、エーイチは駆けだした。外ではそこら中から悲鳴が聞こえ、何かが割れる音や倒れる音、そして逃げ出す者たちが駆ける地鳴りが聞こえた。ある者は宿に荷物を置いて避難し、ある者は他の魔導師とともに氷の中級魔法をジョーカードラゴンに向かって唱えた。
しかし、ジョーカードラゴンが吐く炎熱のブレスに氷の矢群が蒸発する光景を見ると、杖を捨てて逃げた。物理的な矢の攻撃はドラゴンの硬い鱗を貫くことはない。それが叶うほどの腕力を持つ者も、攻撃力を促進させるアイテムも魔法も、低レベル階層のこのリザーブに存在しなかった。
こうして、リザーブ内に駐屯していたほぼ全員の冒険者と何等かの店を営む従業員は、フゴ王国方面、あるいはボビ村方面の洞穴に逃げ出した。まさにパニックに陥るリザーブ内で、エーイチとエスティはフゴ王国へ続く洞穴に向かった。
──それから十数分後。
一体のサキュバスが、唖然とした様子でリザーブ内の様子を眺めていた。
「ひっ、ひっ! 近づくな!」
彼女の目の前には、弓使い、槍使い、そして魔導師の3人しかいない。かなり怯えた様子でサキュバスに各々の武器を向けている。……彼らはエーイチをバカにした冒険者だった。中途半端な自分の力を過信し、ジョーカードラゴンを威嚇、けん制した結果、問題のドラゴンがフゴ王国方面の洞穴に消えた。
彼らは自身の実力で、突如現れた究極種のドラゴンが逃げたのだ、と喜んでいた。そのときのことだった。もう一体、この低レベル階層に現れるはずのないモンスターが彼らの目前に現れた。魔王類サキュバスだ。力を過信したそのパーティは、普段なら逃げるような相手に、興奮と過信を込めた矛先を向けてしまう。
しかし、サキュバスは小バエでも摘まむように、矢を摘まみ、春風を浴びるように風の中級魔法に赤い髪を揺らした。鍛え抜かれた鋭い槍の矛先は、サキュバスの柔肌に毛穴ほどの小さな痕しか残さない。彼らは絶望した。
一方、サキュバスもまた混乱していた。大抵のサキュバスは、魔王類という分類に恥じない知能、知識を有している。名門の魔道学校を卒業した人間の魔導師以上の魔道の心得に加え、人間文化に対する好奇心、さらにはその長寿から〝M-IQ〟、すなわちモンスター知能指数200を超える知能を持っていた。赤髪のサキュバスは言った。
「……オカシイ。人間ガ3人シカイナイ。モットイルハズナノニ」
槍使いが「ひっ!」と声を上げた。赤い髪のサキュバスの隣に、もう一体、青い髪のサキュバスが現れた。
「我々ガ来ルコトガ読マレテイタ……人間ノ希少職、予言師ガイタノカモ」
二体のサキュバスは向かい合うと両手を繋ぎ、小鳥同士が求愛するような所作で、互いの顔を見合わせ、チュッチュッチュッと唇を動かした。
「ダガココハ、低レベル階層。ソンナ者ガイルワケ……」
「トニカク、セッカクノ宴ガ台無シ」と青いサキュバスが言った。
槍使い達は、腰が抜けて動けずにいた。サキュバス達が会話している間も、弓使いが矢を放ち、魔導師は自身の寿命を縮める禁呪を放つ。しかし、サキュバス達は傷ひとつ負わず、クスクスと笑っていた。赤いサキュバスが震える槍使い達を見た。
「仕方ナイ。今日ハコイツラダケデ我慢シヨウ。目玉ハ残ソウ。ダークロード様ニ献上スルカラ……」
直後、冒険者達の断末魔が、リザーブ内に轟いた……。




