『ダンジョンリザーブ・フゴ王国近郊』
「ちぇッ! せっかくエイ婆が防具を作ってくれたのに、モンスターがいやしねえ。全部、あの女のせいだ」
エーイチの言う通り、道中で遭遇したモンスターは皆無だった。エーイチとエイ婆は、エスティと出会った洞穴からさらに進み、10という数字が刻まれた区画まで進んでいた。すなわちレベル10のダンジョン区画という意味だが、ユーが食い荒らしたであろう、モンスターの羽や甲殻が至るところに転がっていた。エーイチはモンスターの亡骸を蹴り上げ、愚痴をこぼした。
「あいつ、ちゃんとペットのしつけをしないタイプだな」
「これこれ、エーイチしゃんこそ、モンスターの亡骸を無碍にしてはいけませんよ。モンスターといえど、生きるために人を襲っているのです。それに、エスティしゃんは悪い子じゃありませんよ。こうやって死臭を散乱させれば、同族のモンスターもしばらくはおとなしくなるものです。婆たちの道を切り開くため、わざと散乱させたのでしょう」
どこか腑に落ちない様子ではあるが、エーイチはエイ婆に従い、黙って歩き始めた。
やがて、開けた空間にたどり着いた。人の気配がする。それどころか、明らかな人工的な建造物があった。
「エイ婆、ここは?」
「ここはダンジョンリザーブ、ラビリンス内の宿でございますの」
見れば、ドーム状の空間に教会を思わせる大き目の建物。それを中心に、数棟の建物が存在した。建物の周囲には数十人の旅人の姿が見える。
「すっげー、ダンジョン内なのに、ボビ村より人がいるぞ!」
「ほっほっ、リザーブはいわばダンジョン内の小さな町。ここはボビ村とフゴ王国のちょうど中間に位置するリザーブですの。宿泊施設を中心に、万屋から教会まで、旅に必要な施設は一通り揃っておりますの」
エーイチは1つの建物に釘付けだった。
「宿かぁ……なあ、エイ婆。『ベッドで寝る』って、どんな気分なんだ?」
「それはもう、フカフカで清潔な寝心地で、ぐっすりと眠れるものですのぉ。婆も、大昔、冒険をしていた頃は、ベッドで眠っていましたのぅ……」
ボビ村に長く住む2人にとって、『睡眠欲』『食欲』という基本的欲求が特化することは自然なことであった。特にエーイチは、それ以上の贅沢を知ることなく育ち、だからこそ『ベッドで眠る』という基本的な贅沢に憧れを持っていた。
「なあ、エイ婆……」
エイ婆に振り返った、そのとき。
「お、おいエイ婆!?」
エイ婆の身体は、固い地面に倒れ込んでいた。
「お、オラがベッドの話したから眠くなったのか!? おい、エイ婆、しっかりしろ!」
エーイチの手が、エイ婆の額に触れた。
「……す、すげえ熱だ。まさか、レッドアントの毒にやられたのか!?」
「ち、違いますの。婆は、過去に様々な精霊によって毒の抗体術をかけてもらっていますの。それらは生涯継続する魔法の抗体ですの。大抵の毒なら、婆は平気ですの」
「じゃあ、一体……?」
エイ婆の渇いた唇はさらにカサカサとなり、濁った眼は充血していた。彼女はニッコリと笑い、震える声で言った。
「単なる疲れですの。も、申し訳ないのう、エーイチしゃん。久しぶりの旅で……少し疲れが出てしまいましたのう……。足手まといにはなるまいと思っていましたが、歳には勝てないですの」
「確かに、エイ婆は十何年も寝ていたけどよ……無理してたのか、ずっと今まで……。エイ婆は魔導師なんだろ、どうにかできねえのか?」
エイ婆は「申し訳ない」を繰り返した。
「……傷や毒を治す魔法は心得ておりますがの、疲労を回復する魔法は現状この世界に存在しないのですじゃ。大丈夫ですじゃ、少し横になればじき回復しますの」
「……わかった」
エーイチはエイ婆を背負い、宿の前に立った。
「な、何をする気ですかの、エーイチしゃん?」
「決まってるだろ。宿に泊まるんだ! 栄養あるもん食って、ベッドでぐっすり眠れば、エイ婆の疲れも吹っ飛ぶんだろ!?」
「しかし、婆達には金が……」
エーイチは、80コインを握りしめていた。
「こんだけあれば、飯と半日くらいは何とかなるだろ!」
「し、しかしそれは今後エーイチしゃんのために使う、大切な路銀。果てはボビ村を救うための大切な足がかり、こんなボロキレのような婆に使うのは、もったいのう……ゥッ、ゴホッ、ホッ!」
「黙れ、エイ婆。オラの金だ! オラが何に使おうが、オラの勝手だ!」
エイ婆が何を言っても、エーイチは聞く耳を持たず、宿の扉に向かった。エーイチのうなじに、熱い涙が垂れる。老婆の咳に混じり、嗚咽が聞こえた。
宿の受付には、屈強な男が立っていた。彼が宿の主とわかる。リザーブ内の施設で働く従業員達もまた、手練れた冒険者だった。宿の主はエーイチとエイ婆を見るやいなや、笑顔をやめ、面倒くさそうな顔を作った。
「おい、おっさん! エイ婆がすげえ疲れてるんだ! 休ませてくれ!」
宿の主は小指を自分の耳穴に突っ込み、エーイチを見下ろした。
「あー、うちの宿はここいらで最も豪華な宿でしてね。何たって、この辺りにある宿はうちだけだから」
「だから何だよ! ほら、金ならある!」
エーイチは、受付の台を強く叩き、80コインを見せた。宿の主は、干上がったその頭をボリボリとかき、ゴミを見るような目で8枚のコインを見た。
「一桁足りないぜ、坊ちゃん。うちに泊まりたいなら、一泊800コインなんだな」
「は……はっぴゃくコイン!? ……じゃ、じゃあレッドアントの外皮もやる! 180コインにはなるだろ!? それで数時間でもいい、飯と、少し休ませてくれ!」
「うちは、そういうのはやってないんでさぁ」
そのとき、エーイチの背後から別の冒険者たちが現れた。途端、宿の主が笑顔を見せた。
「これはこれは、槍使い様に、僧侶様、そちらは見たところ弓使い様でございますね? お泊りで?」
エーイチは全員をにらみつけた。
「ちょっと待てよ! オラ達が先だろ!?」
宿の主がエーイチを睨み返した。
「アア? 俺が次に何て言うか、わかるだろうが!? 『貧乏人を泊めるベッドはねえ!』、だ!」
「ふざけんな!」
そのとき、エーイチの後頭部にヒヤリとした殺気が走った。後客の冒険者の1人が弓を構え、矢の先をエーイチの背中に向けていたのだ。
「もめごと、宿屋さん?」
「ええ、もう! その通りなんですよ! このガキとババア、無銭で泊めろとうるさくて!」
「ふ、ふざけるな! オラは金を払って、少しだけ休ませてくれって言っただけだ!」
一方、宿の外に1人の少女が立っていた。金色の髪の美少女ドラゴマスター、エスティだった。彼女もここに宿をとり、ドラゴンのユーを隣にある従属獣専用棟に繋ぎ止めていた。その帰り、宿のなから怒声が聞こえた。それはエーイチの声だった。彼女は宿に入るのをやめ、一部始終の会話を聞いていた。宿内では、槍を背負った戦士が、弓使いの弓を下ろさせ、エーイチに目線を合わせていた。
「だったら家帰って休みな、貧乏小僧」
エーイチは耳を疑った。ボビ村の外の世界には、こんなにもひどいことを平気で言うの者がいるのか、と。
「……滅ぼしてやる」
直後、エーイチの心で、暗黒の炎が燃え上がった。握った拳に信じられないほどの熱がこもる。
「何だ、このガキ、目の色が……」
彼らは手だれた冒険者だった。未だかつて感じたことのない殺気を肌で感じ、即座に槍を握り、杖を取り出し、弓矢を構えた。そのとき、「エーイチしゃん」という声が宿のなかに木霊した。
「え、エイ婆……?」
エーイチの背中にいたエイ婆が、彼の肩を撫で、床に降り立った。
「もう十分ですじゃ。婆は大丈夫、大丈夫ですじゃ。宿の主様、冒険者様方、お騒がせしたこと、どうかお許しくだされ。全部、この婆が悪いのですじゃ。この子は何も悪くないのですじゃ」
「エイ婆! けど……!」
エイ婆は、焦点の定まらない瞳でエーイチを見つめた。
「彼らは、見たところレベル30を超える冒険者……今のエーイチしゃんでは、ひっくり返っても勝てぬ相手ですじゃ。エーイチしゃんも、どうか、その拳を開いてくだされ……」
こうして、エーイチはしぶしぶ宿をあとにした。エスティは、宿の影からエーイチとエイ婆の背中を見送った。
「──エイ婆、ごめんな……」
リザーブポイントの外れを歩きながら、エーイチは背中に背負ったエイ婆に、ポツリとそう言った。彼の心はぽっかりと穴が空き、巨大な虚無感と無力感を抱いていた。だが、背中から感じる老婆のぬくもりは暖かった。
「何を言いますかの、エーイチしゃん。婆には十分ですの。それに、エーイチしゃんがおぶってくれたお陰で、大分回復してきたですの。お、ここですじゃ、ここで一旦下ろしてくだされ」
そこはリザーブの終わり。岩壁のふもとだった。
「何をする気だよ、エイ婆……」
「よっこらしょっと、婆たちはここで野宿しますの」
「俺はいいけど、それじゃあエイ婆の疲れが取れないぞ」
固い地面に正座し、老婆は黄色く朽ちた歯を見せ、ニッコリと笑った。
「……もとより覚悟はできていますの。エイ婆は絶対にフゴ王国まで、エーイチしゃんを導くのです」
「エイ婆、まさか死ぬ気で、オラを……」
そのとき、ドーム状のリザーブで、悲鳴が鳴り響いた。
「さ、サキュバスだ! 魔王類の、サキュバスだ!」
リザーブにいる全員がその声を聞いた。もちろん、エーイチ、エイ婆、そしてエスティとユーも。
「さ、サキュバスの大軍だ!」
リザーブの空洞はドーム状を描き、小さな村ほどの建物と規模を誇る。今現在、このリザーブには100人弱の冒険者と、この施設で働く従業員達がいた。そして、従業員もまた冒険者ライセンスを所有する戦士だった。誰よりも早く動いたのはエスティだった。彼女は真っ先にユーの下まで走り、ドラゴンを繋ぐ脚の錠を解除した。
ソードラゴン、ユー。今でこそ中位ドラゴンの形状を持っているが、その可能性は無限。ユーは、ドラゴン族のなかでも正統な血統を持ち、戦いにおける類稀なセンスを持っていた。そんなユーですら、冷静さを失い、牙の隙間から炎を吐いている。エスティはユーの角を撫で、彼の興奮を抑えた。
「落ち着くのです、ユー! 一先ず、ここを出ましょう!」
エスティとユーが従属獣の棟から出たとき、外は混とんに包まれていた。すでに、何名かの冒険者の死骸が、地面に転がっている。エスティとユーの目前に、数人の美女が立っていた。個体差はあるが、エスティが見たのは朱く長い髪をなびかせ、鍛え抜かれた肢体を持ったサキュバス達だった。
人間の文化に興味を持つ、大変知能の高い種族、サキュバス。見た目こそなまめかしい美女だが、人間の男から種を奪い、その子は必ず魔族となる女系魔族、通称魔王類。
「な、何でこんな上層に、魔王類が……」
ユーが地面を蹴り、翼を広げ、サキュバスの1人に襲いかかった。エスティも初めて見た、ユーの本気の攻撃体勢だった。
「ま、待つのです、ユー!」
サキュバス達が、同時に指を鳴らした。
「え!? キャッ!!」
途端に、辺りを重い色の何かが包む。それは多くの絵の具を混ぜたビロードに思えた。そして、〝その一帯、空間から、リザーブが消えた〟。
もう一度述べる。〝その一帯にあったものが、すべて、一瞬にして、消えた〟。
「──な、何が起きているのですか!?」
一瞬の眩暈の後、エスティは辺りを見回した。見える限り、これと言って、変わったことはない。しかし、凍えるほどの殺気と、立っていることがやっとなほどの重力を感じる。エスティの知識のなかに、現在起こった現象の答えがあった。
「……今のはまさか、時空転移魔法。人や物を一瞬にしてワープさせる、絶滅したはずの……。けど、こんな規模の転移なんて、聞いたことない……」
サキュバス達はクスクスと笑っている。彼女達の背後に、リザーブの出入り口がある。そこから、禍々しく巨大なモンスターの影が見えた。ユーは、すでにエスティのそばに戻っている。マスターを守る、その本能がそうさせた。彼女の歯はガチガチと震え、未だかつて体験したこのない恐怖を抱いていた。
「り、リザーブをまるごと、住人も転移させた。ここは、まさか……」
ここはアント・オブ・ラビリンスの深層、冒険者達にとっても未だ、未開の地。
レベルにして4万を超える深層だった。




