貧乏村の英雄
ボビ村の村長、イーエフ爺が不潔なヒゲを撫でたところからこの物語の幕が上がった。
「エーイチよ、お主がこのボビ村最後の希望じゃ」
「キボウ? それ、うめえのか?」
エーイチは、今日もボサボサの黒髪をかきながら早起きをして、早朝から村をねり歩いていた。彼には地面に金目のものが落ちていないか、と常に地面を凝視する癖があった。村の誰よりも身長が高く、走る速さもその村1番、そして村の誰よりも若い。エーイチは、ただそれだけの若者だった。
彼が、とある小屋の前を通ったとき、「大事な話がある」と声をかけられた。しゃがれた声の主は、イーエフ爺。ボビ村の創設者であり、村長だった。エーイチは、そのままイーエフ爺の小屋に招かれた。
村の長の小屋。天井は枯れ木の骨組みに痩せ細ったワラを束ねただけの屋根で出来ている。雨が降れば容易に雨漏りを許し、風が吹けばワラが踊った。部屋は1つしかなく、寝室の区画と客間を申し訳程度に細い木が仕切っていた。それでも、この村で最も豪勢な家だった。
この村の名はボビ。この世界で最も貧しい村だった。
イーエフ爺はツギハギだらけの麻布を何枚も羽織り、かじかんだ両手をそのヒゲのなかに入れ、こすり合わせた。
「よく聞け、エーイチ。この村は信じられないほど貧しい。名産があるわけでもない。観光に適した立地でもない。だが、移住しようにも、この地域を一歩出れば凶悪なモンスターで溢れておる。よって、町との交流もままならん」
季節は冬。暖を取るために砂床に落ち葉が敷き詰められている。エーイチは落ち葉の何枚かを、あぐらをかいた膝もとに寄せ、寒さを誤魔化していた。
「知ってるよ、そんなの。オラはこの村の生まれだ」
「エーイチ、お主、いくつになる?」
エーイチは色の薄い落ち葉を選び、それを並べた。
「こんだけだ」
「……16歳か。外の世界では立派な成人じゃ。そして、この村の若者はお主1人になってしまった。働き手は皆町に出てしまったからのう。そう、お主の母親もお主を残して、町に働き口を捜しに行ってしまった」
不意に、エーイチの顔が険しくなる。
「……母ちゃんじゃねえ。アイツは、病気の父ちゃんと幼いオラを捨てて、華やかな外の世界に逃げた鬼だ」
「そう気を病むな、エーイチよ。それもこの村では珍しいことではない。知っての通り、この村は世界で1番貧しい。村人の過疎化も進み、衰退の一途を辿っておる。このままではこのボビ村は滅んでしまう」
エーイチは鼻の穴に小指を突っ込み、器用に動かしていた。
「ホロブ? それ、うめえのか?」
「うまくなどない。エーイチ、これを見よ」
イーエフ爺は、落ち葉のなかからひとつの袋を取り出し、エーイチの前に置いた。
「この袋が何だってんだ? くれんのか? 売ったらいくらだ?」
「ろくな教育をさせてやれなかったとは言え、何と愚かな……。これはな、ディメンションホール、DHと呼ばれるマジックアイテムじゃ」
「でべそほーる? マジックアイテムっつたら、すんげー高く売れんじゃねーか!」
エーイチがその袋に飛びかかろうとした。が、イーエフ爺は袋を取り上げた。
「売るのではない! これは冒険者の証、大変ありがたい基本アイテムじゃ! 何と、この袋にはいくらでも物を入れることができるのじゃ!」
「いくらでも物が入る? イーエフ爺も入るのか?」
「制限はある。まず、生き物は入れることはできない。そして、持ち主が持てる重さと大きさしか入れることはできない。つまりあまりにも巨大な物は入れられない。反対に、どんなに小さくても生物は入れられない。じゃが、それに叶う物ならいくらでも、無限に入れることができる! しかも、どんなに物を入れてもこの布の重さは変わらねのじゃ!」
「……なんか、どっかで聞いたことあるようなアイテムだな。なんだよ爺、それを町に売ってきてほしいのか? 儲けの6割はもらうぞ」
「金勘定だけは頭が回りおって。だから売るのではない! エーイチ、お主に、このDHにたくさんの物資を入れ、この村を救って欲しいのじゃ!」
「物資を入れるっつたって、この辺には落ち葉と枯れ木ときたねえ水、それに石しかねえだろ」
「そうじゃ。よって、お主には旅に出てもらう」
「た、旅!? オラが!?」
「そうじゃ。世界を旅し、珍しい品物をDHに詰め、ボビ村に持って帰るのじゃ。そのあかつきには儲けの6割もやろう」
「こ、断るぞ! 断じて断る! 干し干しイモくれたってごめんだ! オラはこの村と周辺の地面しか知らねえガキだ! 村を出たらあぶねえモンスターがうようよいる! オラだって命が惜しい! そんぐらい学がなくてもわかってらい!」
「頼む……!!」
イーエフ爺がエーイチに向かって深々と頭を下げた。落ち葉に額をこすり着け、後頭部をあらわにした。ヒゲこそ白雲を思わせる豊かさだったが、その脳天は荒れたこの地と同じの、のっぺらぼう、何もない。惨めさを露呈し、老人は声を震わせた。
「初めて明かすが、ワシは、これでも昔はギルド所属の冒険者じゃった。世界共有の地下洞穴ダンジョン〝アント・オブ・ラビリンス〟であのドラゴンとも対峙した! やがて、数々の財宝を持ち帰った。そして、モンスターが近づかないこのボビ地域に村を作った。しかし、この土地の土は貧しかった! 耕しても耕しても種が芽吹くことはなかった! やがて財宝も底を着き、村人も町に奪われていった! あとは知っての通り、世界で最も貧しい、糞尿にまみれた村の出来上がりじゃ!……もう1度、もう1度だけ、チャンスが欲しいのじゃ! ワシが築いた、ささやかで愛しい村ボビを取り戻したいのじゃ! 残ったのは僅かな村民と、16の孫、そしてこの無限袋DH! 頼む、頼むエーイチ! この村はワシの夢じゃ、希望なんじゃ。生きがいなんじゃ! この村を、どうか救ってくれ!」
「イーエフ爺……オラの取り分は8割だ」
老人が顔を上げた。不潔なヒゲに、水滴が落ちた。
「……頼まれて、くれるのか」
「……そのDHとかいう袋が欲しいんだよ。世界中の地面見て、金目のもん片っ端から拾い集めてやる。そんで町に売って、儲けの8割を頂いて、うまいもんいっぱい食うんだ」
「おうおう、いいぞエーイチ、その調子じゃ。そして、伝説の〝ヨメサン〟を貰い、この村の長を相続するのじゃ」
途端、エーイチの目がさらに鋭くなった。
「ヨメサンは貰わねえ。ヨメサンは、ダンナサンが病気になったら子供も捨てて逃げるんだ。オラは、ヨメサンなんて信じね。生涯1人で生きてくんだ」
「外の世界には、お主と同じほどの、太陽のような肌を持つ娘もたくさんいる。旅するうちに、その意思も緩むはずじゃ」
「……太陽なんて見たことねえ。金は地面に落ちてんだ」
青年は、冷たく寂しげな表情でそう言った。
「ははは、まあいい。それでは、お主の旅の仲間を紹介しよう、魔導師エイ婆、出番じゃぞ」
「はいのう」
麻の風受けから、1人の老婆が現れた。彼女はカビの生えた黒装束を羽織り、ホコリで薄汚れた杖をつく。身長は、エーイチの3分の2程度。腰が曲がり、野良犬のような白髪。顔には無数のシワが寄り、口を開ければ不揃いで黄色い歯が垣間見えた。
エーイチは立ち上がり、眉をしかめた。
「エイ婆って……村のはずれに住む病気のババアじゃねえか。動いてるとこ、初めて見たぞ」
エイ婆は嬉しそうにエーイチを見上げ、しわくちゃな顔をさらなるものにした。
「エーイチしゃん、おお、エーイチしゃん。大きくなったのう。前は婆の乳ほどもなかったのにのう」
イーエフ爺も立ち上がり、エイ婆の隣に立った。
「エイ婆は病気じゃないぞい、そら昔と比べて動きも思考も鈍ったが、エイ婆は昔からのんびりやさんじゃった。彼女はな、かつてワシとともに旅をした冒険者、しかもあらゆる魔法を使いこなすベテラン魔道師じゃ」
「べテラン? 服にカビの生えたババァじゃ話になんねえ! 2人でおとなしく待ってろ、オラ1人で行く!」
「それはいかん。外の世界はお前の想像を絶するモンスターがいる。土地勘もなかろう。いくら類まれな怪力を持つエーイチでも、1人じゃひとたまりもない」
エイ婆は「エーイチしゃん、エーイチしゃん」と言って、彼の袖を離さなかった。2人の老いぼれに囲まれたエーイチは、深いため息を吐く。こうして、村の英雄エーイチは魔導師エイ婆とともに、ボビ村を救う旅に出た。
所持金はたったの80コイン。この世界では、1斤のパンを買うのがやっとの金額だった。




