CAMPUS
自家用車なんてものはとっくの昔に廃絶され、交通手段は公共の完全自動運転の電車かバスだった。あるいは自転車か、許可が出た人はホバーボードなんてものがあった。
昔からの労働というものはあったが、今では必ずしも必要なものではなく、どちらかというと娯楽の延長上だった。それに直接それが社会に影響を与えることも無かった。今や生産活動やインフラ整備、政治などは全てAIによって管理されているからだ。人類社会は成熟期とも言える期間に突入していた。それに利益を生み出すためだけの経済活動などというものは、もはや過去の考え方になっている。
そして、唯一人がかかわるのは冒険に係わることであった。宇宙探査、地球深部開発など、まだ見ぬ世界というわけであった。また、こういった分野の発達はAIあってのものだった。人の知的探究心だけは誰にも止められないようであった。
とはいえ、この時代の多くの人々、いわゆる一般市民の大半は感覚遮断タンクのような中で一日を過ごし、VRを使って充実した日々を過ごしているのであった。
だがいつの時代も世の中には変わりものがいるものだった。
街中のきれいな通りを自転車で颯爽と走る青年がいた。彼は学生であった。もっとも、わざわざ学校に行く必要もなく、VRを使えば何処でも勉強が可能であったが、わざわざ学校へ行くのだった。VRでやり取りをする彼の友人は、まるで変人だなと、冗談交じりに言っていた。青年自身はそんなこと大して気にも留めていたなった。それに気に留める必要も無かった。
現在、世界の人口は十億人前後で軽く上下しながら推移していた。
かつて過剰人口時代と言われていた時代はこの十倍も人がいたのだ。それでは資源の奪い合いが起きても不思議ではないし、何かしら揉め事が起きていても当然だったと思う。そしてそんな時代に生まれていなくてよかったとも思う。昔は一つの都市に何百万という人々がひしめき合って暮らしていた時代があったという。そんなもの考えただけで寒気がする。そんな状況はあまりにも不自然ではないか。それに効率の悪い社会だ。炭化水素化合物を使って運動エネルギーを作り、これまた金属で出来た箱型の乗り物を動かしていたなんて…。しかもそんなものが一人に一台もあったとは、無駄が多いし、空気が汚れて当然であろう。それにわざわざそれを作るためにの工場、作るためのエネルギー、そしてそれらにかかる時間!とんでもない無駄遣いじゃないか。そんな超低効率社会でありながら生産性が叫ばれていたという事実があったことには呆れてしまう。
青年はいつもそんなことを考えてた。それから、これから世界はどうなっていくのだろうか?もしかすると人類は太陽系を脱し、この銀河へ活動の場を広げていくのかもしれない…。
青年がわざわざ大学に足を運ぶには理由があった。猫である。構内の広場に時折現れる猫に会うためだ。ほんとは禁じられているが、こっそり餌を上げていたりもした。もちろんバーチャルでもほとんど現実とたがわぬことは体験できた。だが青年はリアルにこだわりがあった。
広場に行くと、いつもの猫の姿がそこにあった。青年はベンチに腰かけると、猫は足元にすり寄ってきた。
無邪気な猫の姿は見ているだけで癒されるなぁ。青年は思った。今も昔も変わらぬもに癒しを求めていたのかと思うとなんともやさしい気持ちになる気がしていた。