『婚約破棄』と叫びたい!
国立シーガム魔法学園の昼下がり。
憩いの場である中庭にて一人の女子生徒が険しい顔をした男子生徒数名に問い詰められていた。
赤髪の男が先頭に出て言う。
「ネディアム・ルエト。彼女、コニアに何か言いたい事があるならハッキリしたらどうだ」
問われたネディアムと対峙するのは五人の男子生徒と一人の女子生徒。
男達に守られて立つ女子生徒のコニアは普段は明るく笑っている顔が今は泣きそうな表情で震えている。
その男達の中に混じって立っているレアム・レクトロックは信じられない思いでいた。
レアムは最近友人になったこの四人の男子生徒達がコニアを苛める奴がいる、と一緒に問い詰める為に呼び出されたのだ。
それがネディアムと聞いて困惑した。
(彼女が、ネディが嫌がらせを?信じられない…)
――ネディアム・ルエト伯爵令嬢。
彼女は公爵子息であるレアムの幼い頃に決められた婚約者だ。
レアムの一学年下で、今は学園指定の灰紫色の制服を乱れる事なく身に纏い、背中の中ほどまである緩やかなカーブを描く黒髪をそのまま垂らして立っている。
顔は、見えない。
正確には頭に被ったベールで隠されていて、口元だけしか見えていない。
ベールは制服の一部ではなく、彼女が学園に入学した当初から身につけている物だ。
そして肩には一羽の琥珀色の小鳥が乗っている。
只の小鳥ではない。魔法を使う者が従える事が出来る“使い魔”。
この学園は魔力のある者が貴族平民の身分なく学ぶ場所で、授業の一環で使い魔を持つ者がいる。レアムの肩にも使い魔で黒い小鳥のエルグが乗っている。
ネディアムは学園に入学した時から小鳥を連れていて、周りからは婚約者の真似をしたと思われていた。
レアムはネディアムの肩にいる使い魔を厳しい目で見た。小鳥がふるりと震えた。
その間も赤髪の男がきつい口調でネディアムを問い詰める。
「何とか言ったらどうだ、無言姫!」
“無言姫”。この学園で彼女が陰で言われているあだ名だ。話せない訳ではない。だが彼女が極端に無口である事を揶揄している。
言われたネディアムは肩を震わせ俯いたが、彼女の口が開き何かを話す様に動いた。
だが、そこから声は聞こえず……また閉ざされた。
「言い訳すらも思い付かないか?」
見下す様に睨み付ける赤髪の男の横に黒髪の男が並び、言う。
「この教科書。誰の物か分かりますね?」
目の前に出された教科書はボロボロに破かれ、一冊だった物が二つに分かれていた。
ネディアムは頭を横に振って否定の仕草をした。
黒髪の男は眉間に皺を寄せて続けて言った。
「コニアの物です。…ある女生徒があなたに頼まれてやったと白状しています」
「卑怯な奴だな!」
彼女は大きく頭を横に振った。
レアムは教科書を持った男に目を向けた。
「おい、そんな話は初めて聞いたぞ!ある女生徒って誰だ!?」
「それは、…公には出来ません。彼女もまた被害者ですから」
「いいから話せ」
強く言うと男は躊躇い、だがレアムの耳元に小声で告げた。
「そんな馬鹿な…」
「残念ですが、事実です。直接指示されたので証拠となる物は何も無いそうですが、その女生徒は涙ながらに二度とネディアムからの脅しには屈しないと誓ってくれました」
次に前に出たのは茶髪の男だ。
「それにこの前の昼休み、二階の窓から僕達の事睨み付けていたよね!コニアが怯えていた!」
ネディアムは頭を横に振る。だが銀髪の男が問い詰める。
「彼女が妬ましいか?」
それにもネディアムの頭は横に振ろうとした。
――だが途中で動きを止め、彼女の方に顔を向け…小さく頷いた。
「認めたな!だからあの時階段から彼女を突き飛ばしたんだろう!」
「突き飛ばす!?」
赤髪の男の言葉にレアムは驚いた。ネディアムはまた頭を横に振ったが、妬んだ事を認めた為にそれは無視され、黒髪の男が続けた。
「そうです。僕もあの場にいました。階段を降りている僕達に気付いたコニアが上から追ってきて、でもその途中で落ちかけたのです。幸い手摺に掴まり、足を挫いただけですみましたが、下手をすれば死んでいた。悲鳴を聞いて彼女を見た時、…その上の方にネディアムが立っていたのです」
コニアがレアムの服の袖を掴み潤んだ瞳で見上げてくる。
「わ、私…階段から落ちかけて…とても怖かった…」
震える声で話すコニアに周りの男達は慰めの言葉を掛ける。
「全く酷い女だ!」
「本当!今までも散々酷い事されたんだよね?」
「コニアは優しいから言えなかったんだな」
レアムはコニアが他から声を掛けられて気をとられている間に腕を動かして彼女に掴まれていた袖から指を外し、苛立たしげに黒髪の男に声をかけた。
「…成る程そういった事か。おい、突き飛ばす瞬間は見たのか?」
「えっ?…いいえ。ですが、状況的には。理由もありますし」
「理由?」
「コニアが僕達…いえ、ネディアムはレアムの婚約者ですからね。自分よりも傍にいるコニアが妬ましいのでしょう」
茶髪の男が「醜い嫉妬心だね~」と頷いた。
「…そうなのか?ネディ?」
ネディアムに目を向けると、彼女は頭を俯けて胸を押さえながら震えていた。その肩に乗っている琥珀色の小鳥が首を振りながらジッ!ジッ!と腹立たしげに鳴いている。
今にも倒れそうなネディアムにレアムは、さっさとこの状況を片付けようと思った。
「兎に角、俺が一緒に呼ばれた訳はよく分かった。良かったよ、この場に呼んでくれて」
言いながらレアムがネディアムの前へと出る。
その言葉でネディアムを問い詰めていた男達はこれでこの女を懲らしめられると薄笑いを浮かべた。
――だが。
ネディアムの前に出たレアムは彼女を庇う様に男達と対峙した。
「まず、階段の件は誤解だ。ネディは突き飛ばしてなどいない」
レアムの言葉に男達とコニアは驚く。
「なっ…!?僕が嘘を言っていると?」
「おい!いくら婚約者だからって甘やかして見逃すともっと酷い事しだすぞ!」
レアムは溜め息を吐いた。
「だから誤解している。状況がそう見せただけで、コニアは一人で足を踏み外しただけだ」
「何故そう言える!?」
「見ていたからな」
「見ていた?あの場に君はいなかっただろう」
黒髪の男の言葉にレアムは右手を持ち上げ、言う。
「おいで、ティーカ」
するとネディアムの肩に乗っていた小鳥が飛び立ちレアムの指に止まった。
「この鳥…使い魔は俺が使役している物だ」
聞いた男達とコニアはまたも驚いた。
赤髪の男が聞く。
「何言ってんだ?…その鳥はネディアムのだろ!?入学ん時からいたよな?」
「違う。俺がネディを見守る為につけている物だ。学園の使い魔登録も俺の名でしてある。これを通じて彼女の行動は全て把握している」
“使い魔登録”は登録した者がその使い魔の行動の責任を負うものだ。
その言葉に皆は唖然とした。
ネディアムの物だと思われていた琥珀色の小鳥がレアムの指からチョンチョンと跳ねる様に移動して彼の肩にいる黒い小鳥と合流する。
色が違うので並ばなければ分からなかったが鳥達は姿形がそっくりで、唯一違うその色はレアムとネディアムの髪の色だった。
「階段の件もこれで見ている。コニアは確かに階段を下りる際に足を踏み外した。…だが、そこにネディとの接触はない。彼女はそこにいただけだ」
「そんな…。で、では教科書は?」
黒髪の男の言葉にレアムは眉を寄せた。
「それが分からない。教科書を破いたという女生徒といつ接触したのか?その女の事は以前俺に言い寄ってきた事があるから知っている。だが常にティーカを付けているネディと女が会う機会はなかった。…そもそも本当に頼まれて犯行に及んだのか?」
男達は困惑した顔をする。
「つまり、あの女生徒は自分が逃れる為に他人に罪を被せ、僕を騙したという事ですか…?」
黒髪の男は「あんなに涙ながらに訴えていたのに…」と苦々しげに呟いた。
だが赤髪の男はまだ噛みついた。
「でも、さっきネディアムはコニアを妬んでいると頷いたぞ!」
「それは俺も訳を聞きたいところだ。…ネディ?」
ネディアムに視線が集まる。
彼女はそっと自分の喉に触れた。
「ああ、“声封じ”はちゃんとかかっているんだね?一部解除しよう」
レアムの言葉に周りはギョッとした。
“声封じ”は文字通りに声を封じる魔法だ。設定すれば声を発する制限を設けたり出来る。
レアムがネディアムの喉に触れ、呪文を唱えると黒い魔法文字が浮かび上がり、数秒後また消えた。
ネディアムが恐る恐る聞いた。
「……何を告げても?」
「告げられる事があるなら」
ネディアムは唇をキュッと一瞬噛み、口を開いた。
「レアム様、私との婚約をは……」
彼女の口は動いているのに声が途中で途切れた。
レアムは困った様に言った。
「ああ。ネディ、それは禁句だよ?」
「…幼い頃にした約束をなか……」
またも途中で聞こえなくなる。
「それも禁句だ」
「…っ!お互いに別べ……!」
「……禁句」
途中で途切れる声にネディアムは喉を押さえた。
「どう…して?」
「…君が俺の聞きたくない言葉を言おうとするからだよ」
ネディアムのベールの影から顎に水滴が流れた。
ぱたぱたと流れ落ちるものを拭おうとネディアムは手の甲を当てる。
だがその動きをレアムは止めた。
「ああ、擦っては駄目だ。君の可愛い目が腫れてしまう」
レアムがベールを捲り上げてネディアムの顔が現れる。
――それは可憐な顔だった。
綺麗な卵形の顔は陶磁器の様に白く滑らかな肌で、細く整った眉に、顔の中心で綺麗な稜線を描く鼻。その下の薄すぎず厚すぎもしない唇は花の様で。
今涙を落としている目はちょっとつり上がっているが、それが猫の目の様で愛らしく、睫毛が綺麗に縁取った中の瞳は深い湖の様な碧色。
普段ベールで隠されているその顔は化粧など施されていない。
素顔のままのネディアムはとても美しかった。
ベールに隠された顔は人目に晒せない程醜いと思っていた男達はその素顔に唖然とした。
「それでコニアが妬ましいっていうのは?教えてネディ?」
聞かれたネディアムは涙を溢しながら答えた。
「…だって、羨ましいです。他の方は顔を晒して楽しそうに笑いあっているのに…私はあなたから貰ったベールを被っているから、誰も近付いてくれない…」
「ああ、御免ね」
「それに…声を封じられて、まともに受け答えも出来ないわ」
「それも俺の我が儘だね」
「そんな私でも声をかけてくれた方にティーカは時々追い返す事があって。…どうしてですか?」
「……君が心配なんだよ」
「そ、それに…最近のあなたは、この方達と一緒の事が多くて…もう私には興味がないのかと。…私、このままでは辛くなりそうで…だから、あなたからはな……」
またも声は途中で聞こえなくなったが、レアムは彼女に答えた。
「心配させたみたいだね?ティーカを付けてるんだ、そんな訳ないよ。…寂しい思いをさせて御免」
涙をハンカチで優しく拭いながらレアムは謝り、彼女の髪や額や手の甲に唇を落としてゆく。
その二人の姿は正しく恋人同士の触れ合いだった。
二人の仲が良くないと思っていた男達とコニアは困惑した。
おずおずと赤髪の男が聞く。
「おい、レアム。お前、ネディアムを婚約者として大事にしてるのか?」
「当然だろう。彼女以外に妻にする者などいない」
レアムの赤髪に対する返事に黒髪の男が戸惑いながら聞いた。
「…でも最近は遠ざけていたと思うのですが?」
「ああ、学園では君達と一緒にいる事が多くなってしまったからね。そこにネディを加えたら彼女に興味を持ってしまうかもしれない。そんなのは許せない。…彼女は俺だけのものだから」
続けて茶髪の男が聞く。
「何で自分の使い魔を付けさせてたの?」
「常に俺が傍にいれないんだ。目が届く様にするのは当然だろう?」
銀髪の男も聞いた。
「声を封じていたのは?」
「俺以外にこの可愛い声を聞かせるなんて嫌だからね。…授業での受け答えや、どうしても会話をしなければならない時もあるから制限付きにしたが」
その制限に男の前では声を出せないとか、彼女に身の危険があった時には小鳥の使い魔が巨大な猛禽に化けて爪や魔法で撃退するとレアムは告げた。
その執着ぶりに周りは顔をひきつらせた。
黒髪の男は後ろにいるコニアに目を向けた。
「では、その…コニアの事はどう思っているのですか?」
「は?コニア?そうだな…」
レアムは急に話を向けられて慌てた顔のコニアに目を向ける。
「…男女の適切な距離に疎く、馴れ馴れしく声をかけてきたかと思えば、人の婚約者を貶める様な物言いで…、君達が何故そんなに構うのか分からない」
「そんな!貶めるなんて…」
今度はコニアが焦った様に頭を横に振る。
「そう?例えば『いつもベールを被っていて何を考えているか分からなくて怖い』とか、それなのに『こちらを睨み付けてきた』とか。君とネディは今まで直接会った事は無いのに、何を知ってそんな事を言うの?」
「そ、それは…」
コニアは顔色を青くした。
「そもそも今回の階段の事。君は自分が一人で落ちたのにちゃんと説明したの?」
「私、と…咄嗟で…驚いて…よく分からなくて…」
フルフルと頭を振って言い訳をするコニアに男達も決まり悪げな顔をする。
彼女の言葉に同意したり、レアムに「あんなのが婚約者で大丈夫か?」という様な言葉を何度か言った事があった。レアムはその度に「何も問題はないよ」と笑っていた。
レアムは赤髪の男に顔を向けた。
「それにしても…コニアは彼の恋人だろう?俺に聞いてどうするんだ?」
「えっ…いや、恋人じゃあ…」
慌ててしどろもどろになる赤髪。
「あれ?違ったか。じゃあ、君の恋人か?」
黒髪の男に聞く。
「…いえ、僕から思いを伝えた事はありません」
「違うのか?それじゃあ…」
次に目を向けられた茶髪は焦る。
「え、えっ!?僕は…」
「…では」
最後に銀髪の男に目を向けたが首を横に振られた。
「……てっきり、彼女は四人の内の誰かの恋人だと思っていたが」
その言葉に四人の男達は無言になった。
「なあ、コニア。君はこの中に好いた男はいるのか?この際はっきりしたらどうだ」
「え…あ…えっと…」
選べと言われてコニアは困った顔をした。
男達はコニアの顔をじっと見詰めている。
はっきりと思いを告げてはいない様だが、男達は彼女に対してかなり好意的に接していた。そしてコニアもその好意を嬉しそうに受け入れていた。
ここで一人を選べばその関係性は崩れるだろう。
「どうした?やっぱり彼らは只の友達か?」
「えっ、そんな…その…」
モゴモゴと言葉を濁す彼女にレアムは呆れた溜め息を吐いた。
「…兎に角、ネディの無実は俺が保証する。有りもしない事で彼女を苦しめる君達とは、もう付き合うのは止めるよ。後は君達だけでやってくれ」
レアムはネディアムの手を引いて中庭から出ようと歩き出した。
「えっ!?ま、待ってくれ!」
「レアム!疑って悪かった!ちゃんと話し合おう!」
後ろから引き留める声が掛かるが無視して進む。
「な?待てって…、うわあっ!?」
声に驚いたネディアムが振り向くと、肩にいた筈の小鳥達が大鷲に変化していて男達を近付けさせない様に羽根を広げて威嚇していた。
「謝る相手が違う。…もし、ネディに何かしたらその威嚇だけじゃ済まないよ?」
学園の中で上位にある魔力を持つレアムの低い声に男達は凍りついた。
中庭から建物の廊下へと入り、暫く無言で歩いていた二人だったが、レアムが立ち止まりネディアムに顔を向けた。
「ねえ、ネディ?…君を縛り付ける俺が嫌いかい?」
まだ顔をさらしたままのネディアムはレアムの顔を見上げた。
その顔は共に憂いの色を帯びている。
「レアム様の事は好きです」
「じゃあ何故?」
「…ここは学びの場所です。それは学問のみならず人との交流を経て、より豊かな人物へと成長する場でもあるはずです。……でも…」
「俺が君の成長を妨げている?」
ネディアムは顔を俯けた。
「君を守ろうと思っていたけど、逆だったみたいだね。…俺に愛想が尽きたかな?」
ネディアムは緩く頭を横に振った。
「お気持ちは嬉しいのです。この度の事もティーカがいて、あなたは私が無実だと助けて下さいました。…でも、このままでは私は駄目になってしまいます」
レアムは大きく溜め息を吐いて苦笑した。
「君の言うとおり、ここは学びの場だな。俺もあんな奴らといて君との時間を潰してしまった。……だが、ああいう輩も世の中にはいると分かった。これからまた新たに人付き合いを考えなければね。ネディ、共に考えてくれないか」
「…私で良いのですか?」
「君が良いんだよ。でも独占欲も程々にしよう。ベールと声についてはもう止めるよ。…本当は君を誰にも見せたくないけど、謂れのない中傷をする者がいる様だし、それに…さっきみたいに『婚約破棄』を願われ、泣かれるのは堪らない」
不本意そうに言うレアムの言葉に辛くも嬉しくもある窮屈な状況が改善される事にネディアムは笑顔を向けた。
「先程泣いてしまったのは、あなたの心が私から離れてしまった訳ではなかったと嬉しかったからです。…そしてこれからはお傍で私を見ていてくれるのでしょう?」
レアムはネディアムの久しぶりに見る笑顔に先程までの不愉快な出来事が洗い流されてゆく。レアムも微笑んだ。
「そうだね。…それと、俺の事は“リー”と呼んで?」
ネディアムは柔らかく笑んだ。
「ええ、…リー」
弱く繋がれていた手が互いに強さを増す。
二人の肩にいる互いの色を持った小鳥がピチチッと嬉しそうに鳴き合った。