Chapter3-35 ウィルと一緒に
そして数日後。ついに王都へ行く日がやってきた。
日が昇り始めた頃、家を出ようとしていたときお母さんに呼び止められた。
「折角王都へ出るのだから、お化粧をしていきなさい」
一度教えてもらったような、ないような。そんな記憶のレベルなので当然やり方も分からず、結局お母さんの力を借りることになった。
いわゆるナチュラルメイクと呼ばれる、簡単なもの。
チークを頬にうっすらと。そして薄めの色付きリップクリームを塗っただけなのに、姿見に映るぼくはいつもと全く違う印象を受ける。
頑張りなさい、と言われ複雑な気分となる。
何を頑張ればいいのか、などと無粋なことは聞かない。
励ましてくれるのは嬉しい。だけど、一歩踏み出す勇気は出そうにない。
このままでは何も始まらないことは分かっている。だけど――。
――ぼくの最近の態度から、お母さんには散々いじられた挙句、ウィルのことを白状させられていたのだった。
ウィルに惚れてしまったこと、でも言い出せないこと。
お母さんはぼくの気持ちを汲んでくれて、「言い出せないのも無理はないわね」と言ってくれた。
だけれど「後悔だけはしないようにね」と釘を刺されたのだった。
お母さんとお父さんに見送られて、家を出る。
木々の隙間から見える朝日と澄んだ青い空。今日も良い天気になりそうだ。
集落の入り口まで向かうと、門の前ではすでにウィルが待っていた。何やら門番と談笑をしているようだった。
お待たせ、と手を振りながら近づくと、ウィルが目を見開いてぼくを見つめてきた。
「ど、どうしたの?」
「いや……なんか印象が違う気がしたんだが……」
「……えと、その、ちょっと、してみたんだけど……。えっと、お母さんが王都へ行くならした方がって言うから……」
ウィルに反応されたらどうするかなど考えてもいなかったので、しどろもどろな返事になってしまう。
そのウィルは目をきょろきょろとさせていることに気付いて、ぼくは失敗してしまったかなと不安になる。
無理に化粧なんかしない方がよかった……?
「いや、いいんじゃないか? 似合ってるぞ。ちょっと見違えただけだ」
「そ、そう……?」
「エリーちゃんとウィル君は、王都へデートでもしに行くのかい?」
ほっと胸を撫で下ろしていると、門番のオルさんからそんなことを言われてしまう。
ぼくとウィルが付き合っている――あくまでフリだけど――ことは、集落の中では公然の事実となっている。
一体誰が言いふらしたんだろうか。まあ、大体は見当が付いているのだけど。
「その……そうです」
「そうかい。気を付けて行ってくるんだよ、まあウィル君が一緒なら大丈夫だろうけどね」
「……はい。行ってきます」
オルさんにそう答えて、ぼくはウィルの手を取って話しかける。
「それじゃ、行こっか」
「……エリー、その、なんだ……」
「……? どうしたの?」
ウィルがキョロキョロと視線を泳がせてボソボソと呟いていた。
どうしたんだろう? 不思議に思っていたけど、ウィルはそのあと一瞬下を向き、こちらを向いて
「いや……なんでもない。行くか」
と話してきたのだった。
☆
道中はさしたるトラブルもなく、予定通り昼前に王都へと辿り着いた。
まずは宮廷魔術師団の詰所へ向かう。ラッカスさんに会い、鉱山での顛末を報告した。宮廷魔術師として依頼を受けたのだから、団長にも報告すべきだろうと思ったのだ。その際に衣装がボロボロになってしまったことを伝えた。
その現物を見せると、ラッカスさんは酷く驚いた様子だった。一体どうなったらこんなに痛むんだ、と聞かれたけどスライムに襲われて――とは言い辛かったので伏せておいたけど。
なんにせよ製作し直さないといけないようだけど、生地と製法が特殊らしく一晩でできるようなものではないらしい。明日のパーティーは別に衣装を準備してほしい、と言われたのだった。
まあレティさんから言われていた通りだったのだけど、ラッカスさんは代わりの衣装が間に合うかどうか心配をしていた。ぼくも実際のところ衣装製作にどれだけ時間がかかるのか分かっていないので、なんとも返答のしようがなかったのだけど。
そのあとは、王宮の受付へ。
鉱山での調査結果をまとめた報告書を、国王へ提出しにやってきたのだけど。
「宮廷魔術師団のエリクシィルです。国王陛下から依頼を受けた内容の報告を行いたいのですが」
「陛下は本日多忙のため、謁見は断っております」
話によると、数日間は忙しいため謁見は難しいとのことだった。
明後日には王都を発つので、それでは手渡せないことになってしまう。
どうしようか、と少し考えベネに尋ねてみるのがいいかと思い、ベネに謁見を依頼したのだった。
「ああエリー、よく来てくれましたわ」
「こんにちは、ベネ」
ぼくの顔を見るなり、嬉しそうな表情を浮かべて迎えてくれたベネ。 早速鉱山のことについて尋ねてきたので、簡単に説明をしたのだった。そして国王に対して鉱山の報告書を渡そうとして断られたことを伝えた。
ベネによると、件のパーティーとそれに関した国事で忙しいとのことだった。
それだったらまた別の日に来た方がいいか、と聞いたんだけど。
「わたくしから、少しでも時間を取ってもらうようにお父様に伝えますわ。明日は忙しいので、明後日の朝になりそうですけれど」
その時間だったら王都に滞在中だから問題はない。お礼を述べると気になさらないで、と言ってくれたベネ。
わざわざ出直す必要がなくなって助かったと伝えたら、言わない方がエリーにまた会えたのかしら、と茶目っ気たっぷりな返答をしてきたのだった。
「そういえば、明日のパーティーってベネも出るんだよね? わたしも宮廷魔術師だから呼ばれたんだけど」
「ええ、大事な催しですから」
それからどんなイベントか話を聞く中で、ぼくの衣装について話が及んだ。
ぼくは本来は宮廷魔術師の衣装を着るのだけど、それがダメになってしまったので新しく仕立ててもらう必要があることを話した。
「衣装が台無しになってしまったのはお気の毒ですけれど、エリーの新しい装いを目にすることができるのは楽しみですわ」
「あはは……。このあと衣服店へ行くけど、なるべく地味なものにしてもらおうと思ってるけどね」
「それは勿体ないですわ。折角ですし、美しいドレスを仕立てていただいた方がよいですわ。エリーならきっと殿方からの注目の的になれますわ」
「うーん、あんまり目立たない方がいいんだけど……」
「そうですの? それは残念ですわね……」
そういうベネは、心底残念そうな表情を浮かべていた。そんなにぼくのドレス姿が見たいのだろうか。
ベネ自身も準備があるみたいなので、話を早めに切り上げて別れを告げた。
☆
「ねえ、なにか様子がおかしくない?」
「ああ。……なんで店先に兵士が立ってるんだ」
ウィルと合流して遅めの昼ご飯を摂ったあと、目的の衣服店の近くまで来たところで。
何やら、衣服店の周りが物々しい雰囲気に包まれていた。店先に居る兵士が、周囲に睨みを利かせている。
道を行く人たちも、そんな雰囲気を察してあまり店へ近寄らないようにしている。どうしたのかと遠巻きに見ている人はいるようだけど。一体何があったんだろう。
他の服飾店へ行った方がいいかとも思ったけど、ヴィーラさんと一度入ったこともあり、ひとまず兵士に何かあったのか聞いてみることにした。
「あ、あの、何かあったんですか このお店へ買い物をしに来たんですけど……」
「今は関係者以外は入れな……ん? もしかして貴女はエリクシィル殿だろうか」
「え? そうですけど……」
「失礼だが、何か身分を証明できるものを見せてもらえないだろうか」
なんでぼくの名前が? 不思議に思いながらも、通行証を提示する。これには名前と顔の似顔絵が描き込まれているので、身分証の代わりになるのだ。
それを確認すると、兵士は態度を正して口を開いた。
「ひとまず中へお入り下さい。お連れの方も一緒に」
有無を言わせず半ば押し込まれるかのように、ウィルとともに店内へと連れて行かれる。
店内では店員が三人待機していて、ぼくの姿を見ると一礼ののち話し始めた。
「王女殿下からの言伝で、貴女にドレスを仕立てるようにとのことです」
「えっ……」
なんでベネが――と思っていたら、そういえばどこの衣服店でドレスを仕立ててもらうか聞かれたのを思い出した。
何も考えずに教えたのだけど、ベネが手を回していたようだ。どうやらこの雰囲気は、そのせいらしい。
「衣装代は既に頂いております。最高級のものを準備させて頂きますので」
「え、ええっ!?」
「……エリー、事態がよく飲み込めないんだが」
「えっと……」
ぼく自身もよく分かっていないけど、おそらくベネが手を回してこうなったんじゃないか、ということをウィルに話した。
「あの……できれば地味なやつで……」
「王女殿下からは、美しくかわいらしいものをと。下手なものを選ぶわけにはいきません」
「……」
その言葉を聞いて顔が引き攣るぼく。この店員たちからしてみれば、王女から言われたのならそうするしかないだろう。
「……エリー、なんだ、まあ、頑張れ。俺は外で待っているからな」
ウィルはそう言うと、そそくさと店から出て行ってしまった。逃げ場はないことを瞬時に悟ったぼくは諦めて、好きにしてほしいと伝えたのだった。
☆
体の隅から隅まで計測されて、ようやく解放されたのは一時間ほど経ったあとだった。
ドレスは明日の夕方までに必ず間に合わせます、とのことだった。
普通は最低でも十日は掛けて仕立てるものらしいのだけど、王女からの依頼ということで従業員総出で夜を徹して製作するらしい。
仮縫いののち体に合わせるので、明日の朝にも一度来てほしいとのこと。
そんな話を聞く限りだと、ドレスというのはとても一日で仕立てられるようなものではなさそうだ。
お母さんの裁縫基準で考えていたけど、どうやらお母さんの裁縫技術がもの凄く高いだけのようだ。
もしかしたら、お母さんに仕立ててもらった方が確実だったのかもしれない。
さてウィルを待たせているから、そろそろ行かないと。
――計測だけにこれほどの時間が掛かったわけではない。
店内に飾られていた、純白のドレスに目を奪われたせいだ。
▽
ミュールと呼ばれるらしい、透き通るような白い布を何層にも渡って使われたそれ。いわゆるウェディングドレスだった。
しばらくじっとをそれを見つめていると、店員から気になるなら試着してみますかと声を掛けられたのだった。
そういうものでないと思ったから驚いたけど、ぼくは少し悩んだあとお願いしますと答えたのだった。
そうして、着付けをしてもらったあと。
ぼくの体が小さいせいで、ぶかぶかとまではいかないまでもゆったりな着心地。肩が大きく露出しているからか、少し違和感はあるのだけど。
姿見に映るのは銀の長い髪、白い肌、白いドレスを身に纏ったぼく。自分の姿なのに、まるで人形になったかのような印象を受ける。
着る服でこうも印象が変わるだなんて。この衣装が特別なものである、というところはあるのかもしれないけれど。
「すごくお似合いですよ。付き添いの男性の方にもお見せしたらどうですか」
店員の男性というところにアクセントを置いた言葉から、ウィルのことを付き合っている相手のように捉えているのかな、なんて思ってしまった。
そう、見えるのかな? それだったら、嬉しい気分になる。今までは、そんなことは思わなかったのに。どちらかと言えば恥ずかしい気分になっていたのに。
だけど――。
「……いえ、いいです」
「そうですか? きっと褒めてくださると思いますけど」
店員の言うとおり、きっとウィルは良い反応を見せてくれるに違いない。
自分の姿を姿見越しに眺めて、そう思う。
この衣装を着るときは、即ち誰かと結婚をするときだ。
ぼくは誰と結婚するんだろう。そう考えて真っ先に思い浮かんだのは――。
この間まではそこまでは考えていなかった、いや想像ができなかったのだけど。
将来隣に居る相手がウィルだったらいいな、と思うようになっていた。
まだ、付き合ってもいないのに。
好きだと一言伝える、たったそれだけのことなのに。
どうしても踏み出せない自分に、少し嫌気が差しそうだった。
「お客様? どこか気分が優れないのですか?」
表情に出てしまっていたのか、心配そうな顔をした店員から声を掛けられてしまった。
ぼくは笑顔を作って「大丈夫です、もう十分です」と答え、試着させてもらったお礼を伝えたのだった。
――いけない、折角こうしてデートの気分になっているのに。ぼくは気分を切り替えるために、背負ってきたカバンの中身に手を伸ばしたのだった。
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