Intermission-05 ウィレイン④
鉱山麓の村から戻ってきた翌日。朝方にエリーが、数日後に王都へ行くのでまた付き添ってほしいと頼みにきた。
用事はないからいいぞと答えると、嬉しそうな顔をしてお礼を言い、立ち去っていった。
ただ、それはいつもの笑顔とは少し違うような印象を受けた。
いつもはどこか遠慮しがちなものだったが、さっきの笑顔は以前のエリーが見せるかのようなものだった。
自宅の前で話をしていたが、帰り際のエリーも機嫌がよさそうな雰囲気だった。
どういうことかは分からないが――。まあエリーとしたら、断られたらシアぐらいしか頼る先がないだろうし、嬉しかったのだろう。俺としても、エリーから頼りにされているのは嬉しいことだ。
しかしまあ、エリーは色々と予定があって忙しそうだ。
エルフ族の中でも、ここまであちこち動き回るのは珍しいのではないだろうか。
少なくとも、集落内の誰よりも忙しくしているのは間違いない。
エリーと一緒に居ると、色んな出来事が起こる。今回もその例に漏れず、濃い時間を過ごした気がする。
俺は坑道内で起こったことを思い返すのだった。
▽
天井が崩壊したせいで、エリーとふたりきりになってしまったあとのこと。
疲れが目立っていたエリーに眠ってもらい俺は周囲の警戒をするつもりが、俺自身もいつの間にか眠ってしまっていた。
目が覚めたのは、どこからか悲鳴が響いてきたときだった。
目の前に居たはずのエリーが居ないし、声の元がエリーだったのはすぐに分かった。
声の聞こえた方へ急いで向かうと、スライムに襲われて全身ドロドロになっていたエリーを見つけた。
咄嗟に水の魔術でスライムを引き剥がし、火の魔術で蒸発させた。
道中ヴィーラさんが話していた、対処法が役に立ったようだ。聞き流さないでよかった。
スライムを退治したあと、エリーの様子を確認しようと声を掛けたのはいいものの。
服が至るところボロボロだったのだが、それが胸や股の部分まで広がっていて――。
そのまま見るのはマズイと思い、すぐに視線を外した。まあ、その姿は目に焼き付けたのだが。
エリーのくしゃみをする音が聞こえ、寒いのだろうと思い俺は身に着けていた外套を差し出したのだった。
その後、別の服に着替えるとエリーが言い出したのだが。
――俺の真後ろで、着替えをしている状況は一体何なのだ。
確かにまた離れるのは危ないとは言ったが、どうしてこうなったのか。
服と肌の擦れるシュルシュルという音が耳に入って仕方が無い。断じて聞き耳を立てているわけではない。
途中なにか違う音が聞こえたが、一体何だったのだろうか。もしかして転んだのかと不安になって聞いてみたけど何でもないという。振り返るわけにもいかないので、じっと待つことにする。
邪な考えを振り払って、瞑想にふけるかのようにその場で立ち尽くすのだった。
無事に着替え終わったエリーだったが、出口へと足を進めていくうちに様子がおかしいことに気付く。
一緒に歩いているのだが、エリーの進みが徐々に遅くなっていくのが分かった。
聞くと寒気がするという。先ほどのアレで体を冷やしてしまったのかもしれない。
再出発したとき歩きづらそうにしていたのは、そのせいなのかもしれない。
そしてついにエリーの足が止まってしまった。
肩で息をしているような状態で、体調が優れないのは俺からみても明らかだった。
恐らく休ませた方がいいのだろうが、この冷えた空気の坑道内で休ませるよりもここを早く脱出して宿で休ませた方がいいだろう。
俺はおぶる旨を伝え、エリーに背中へ回ってもらう。
そして足を持ち上げおぶった瞬間、ふにっと背中に柔らかい感触を得た。背中越しに、ささやかながらも存在を主張するそれ。男は持ち合わせていない、女性特有のものだ。
さらに両腕で太ももを支えている中、透き通るような白さの細い足をだらんとさせている。靴下は履いておらず、膝までの黒い編み上げブーツを履いている。
この服を着ているときはいつも白い長ブーツを履いているが、それは持ってきていなかったようだ。
――エリーは苦しんでるというのに、一体何を考えているんだと自分に言い聞かせる。雑念を振り払うかのように歩き続ける。
暫く歩いていると寝息が聞こえてきた。よほど体力を消耗していたのだろう。
耳元で聞こえる、規則正しい呼吸。その様子から容体は落ち着いているように思えたが、急いで戻るべきだろう。
魔獣に出会ったとしても両手が塞がっている状態であるため、走って逃げるしかない。
しばらく歩いていて思ったのだが、エリーは本当に軽い。この間抱きかかえたときも思ったが、本当に食べているのか不安になった。
背負っていてもどれだけでも歩けそうなくらいに感じてしまう。仮に走ったとしても問題なさそうだ。
休んだ分ふたりらより遅れている気がしたので、早歩きで進むことにした。
そのあと何度か魔獣と遭遇したが、素早く隙間をすり抜けて事なきを得た。
そして出口でシアとヴィーラさんが俺たちの姿を見て驚いていたが、エリーの状態を説明してすぐに村へと戻ることにした。
▽
宿へ着いた直後、俺も疲れが溜まっていたのか眠ってしまっていた。
気付いたらベッドで大の字だったのだ。ベッドサイドに腰かけたところまでは記憶があるのだが。
体を流したあと、シアのところへ行きエリーの様子を聞いたが、どうやらただの風邪だということだった。薬を飲ませて眠らせたら随分よくなったそうだ。その言葉を聞いて俺はほっと一安心した。
その日食事の戻り際、シアとヴィーラさんは俺にバスケットを手渡してきた。エリーに届けてあげてほしいと一言添えて。ふたりは用事があるので別れるとのことだった。
食事を届けるのは分かっていたが、てっきり同じ部屋のふたりが渡すものだと思っていた。ただ、エリーの様子が気になっていたしちょうどいいだろう。ちょっと顔を見る程度でいいと思いエリーが休んでいる部屋へと向かった。
部屋を訪れてエリーの顔色をみたが、だいぶよくなっている様子だった。元気そうな声を出していたし、もう問題ないだろう。
とはいえまだ本調子でないところを邪魔してはまずいと思い、渡すものを渡してすぐに自室へ戻ろうとしたのだが。
「ちょっと聞きたいことがあるし、入っていって?」
エリーにそう言われ、それを無下に断るのもなんだろうと思い部屋の中へと足を踏み入れた。
それからしばらく話をして、エリーが眠ってしまったあとのことなどの簡単な会話をした。
そして話をほどほどに切り上げて部屋を出ようとしたときに、エリーに呼び止められた。
なんだろうか、と振り向くと。
「ウィル、ありがとう」
少し俯き加減で柔らかい笑みを浮かべ、胸の前で軽く手を合わせてそう感謝を伝えてきたエリー。
俺はその言葉に対して、
「……ああ、また明日な」
必死で表情を崩さずに、そう返すのが精一杯だった。
そして部屋に戻ったあと、俺は先ほどのエリーの姿を思い出しては悶絶していた。
あのように言われ、落ちない男はいないだろう。かわいすぎて困る。
いや、エリーがあれをするのは俺だけにしてほしいところだが。
▽
そんなことを思い返しているうちに、やはりどうしようもなくエリーのことが好きなのだと実感する。
坑道内でエリーが発した「ずっと一緒にいるから」という言葉に、どれだけ心が躍ったか分からない。
王都へ行く件も用事がないからとかではなく、エリーと一緒だから行くのであって。
仮に用事が入っていたとしても、そちらを蹴ってでもエリーの方を優先するだろう。
エリーからの頼みだったら、何でも聞いてあげたいと思うぐらいだ。
エリーがどう思っているかは分からないが、いい加減俺自身から気持ちを伝えるべき――だと思う。
その機会なんていくらでもあったはずなのに、未だに言い出すことができていない。
いつまでもごっこ遊びで満足しているわけにはいかないのだが、ここぞというところで一歩が踏み出せない。
テーブルの椅子に腰掛けて、深く溜息を吐く。
情けないことは自分自身でも分かっている。
だが俺から告白することによって、今の関係が崩れてしまうのではないかという恐れを抱いているのだ。
エリーは複雑な事情を抱えているだけに、俺からそういう告白を受けたときどう反応をするのか見当もつかない。
もしかしたら拒絶されるかもしれない、と思うと尻込みしていまう。
その結末を経てあの笑顔を曇らせるようなことはしたくないし、絶対に見たくない。
とはいえ、このままでは時間だけが過ぎていってしまう。
だらだらと月日を重ね、その間にもしエリーに好きな相手ができてしまったとしたら――。
そして一日中どうしようかと考えた挙句、結論は出なかったのだった。
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