Chapter3-29 鉱山内部へ④
「ぅ……ん」
目を開けて左右をキョロキョロと見る。
右手には腕を組み、うつらうつらと船を漕いでいるウィルがいた。
あれだけ動いていたのだから、疲れて眠ってしまったのだろう。――ぼくのために。
視線を戻し、寝起きの頭のまましばらく前をぼーっとみる。
どこからかぴちゃん、ぴちゃんと水の垂れる音が聞こえる。
手前に置かれたランタンの淡い光が、採掘場の壁面を薄く照らしている。
どれぐらい時間が経ったのだろう? 今は何時頃だろう? 常闇の坑道の中なので見当もつかない。
なんだろう、何か身体に温もりを感じる。目線を下ろすと、身体に外套が掛けられていることに気付く。見覚えのある、ウィルのものだ。
わざわざ掛けてくれたのだろう。逆に自分が寒くないのかと少し申し訳ない気分になる。
寄りかかっていた壁から身体を起こすと、外套からふわっと匂いがした。
ウィルにお姫様抱っこされていたときに感じた匂い。男臭さとか、汗臭さとか、そういう不快なものではない。
外套の暖かさと、どこか安らぐ気分にふたたび身体を壁に預けて、外套を少し鼻へ被せるようにしてうとうととしたところで。
(はっ……)
直接匂いを嗅いでいたことに気付いてはっとする。慌ててウィルの方を向くけど、腕を組んで眠ったままだった。
もし匂いを嗅いでいたところを見られていたら、と思うと恥ずかしさが込み上げてきた。
どうしてこんなことをしていたんだろう。
しかも匂いを嗅いで落ち着いてしまうとか、ちょっとどうかしてる。
そう思っているのに、頭でちらつくウィルの頼もしい姿。
頭を振ってもそれを振り払うことはできなかった。
(…………)
ぼくは黙ったままウィルを見続けていた。
それだけで胸が鼓動が高まってしまうぼく。
複雑な気分で頭がおかしくなりそうだ。
――今は坑道を無事に抜けることだけを考えよう。
気を紛らわすかのようにがばっとマントを剥ぎ取ると、身体を刺すかのような坑道の冷えきった空気を感じる。肌寒いと思う程度だったのに。たぶん、眠っていたからか体温が下がってそう感じるのだろう。
(う……)
そんな空気が身体に染み渡ったせいか、身体を震わせて催してしまう。
どうしよう、こんなところにトイレがあるとは思えない。
さすがにこんなところでするわけにはいかないので、少し離れた場所へ行かなければならない。
隣で眠っているウィルに一声掛けてから行くか迷ったけど、折角眠っているのだし。寝かせておいた方がよいだろう。
掛けてくれていた外套をウィルに掛けてあげ、ぼくは立ち上がり採掘場の中を探り始めた。
☆
(ふう……ヴィーラさんに聞いておいてよかった)
採掘場の外にある小道で、ようやく落ち着くことができた。
採掘場の中を歩き回ったあとに、ふとここへ来る途中にあった小道があったことを思い出したのだ。
事前にヴィーラさんから、トイレ用の紙を準備しておいた方がいいと言われていたのだ。
確かにこういったトイレのない場所では、ないと困ることになる。
「ぐじゅ、ぐじゅ」
(……ん?)
採掘場へ戻ろうと歩き始めた先、採掘場の入り口付近で水気を含んだ音が聞こえる。なんだろう、どこかで聞いた音のような気がする。
近くに水場でもあるんだろうか。左右を見渡してみるけど、そういったものはない。
足元を見てもなにもない。気のせいかな? と思ったら再び同じ音が。
音の聞こえた上を向くと、まさに天井からどろっとしたものが落ちてくる瞬間だった。
「きゃ、きゃあああああ!!」
突然のことに、驚いたぼくは床に座り込んでしまう。
ぼくの胸の辺りにぬちゃっと嫌な音を立てて、落ちてきた。深緑色のそれは、坑道の中でみたスライムのような物体だ。
あの場所で遭遇したものよりは、大きくない。そんなことよりも胸の辺りでぐじゅぐじゅと音を立てていて、生理的な嫌悪感を感じる。
「いやああああああ!!」
スライムはぎゅうっと胸を締め付けてきた。身体をよじって離そうとするけど、胸にぴったりと張り付いて離れようとしない。
そしてスライムは身体の上を伸びるように動き、下腹部を浸食してスカート部分までやってこようとしていた。
「いや、いやっ! 離れてぇ!!」
宮廷魔術師の黒のミニスカートの上にスライムが蠢いて気持ちが悪い。手でどかしたいけど、触るのも憚られる。
ついにスライムがそこまでやってきた瞬間。
「エリー!!」
聞き覚えのある声が聞こえたその瞬間、冷たい水が頭の上から滝のように浴びせられた。
「エリーすまん、少し我慢してくれ!」
ウィルにそう言われ、なんとかその場で耐える。すると身体に纏わり付いていたスライムが水とともに少しずつ流されていくのが分かった。
水を浴びせ続けられ、身体からスライムが全てはなれたところで、ウィルが大声で話し掛けてきた。
「エリー、離れろ!」
ぼくは足を引きずりながらなんとかスライムの傍から離れることができた。
ぼくが離れたのを確認したウィルは、スライムへ向けて剣から火を放った。それをもろに浴びたスライムはじゅ、じゅと音を放ちながら蒸発した。
息を吐き、剣を鞘に収めたウィル。
「大丈夫だっ……」
スライムが消えたことを確認してぼくに声を掛けてきたウィルだったけど、途中でなぜか目をそらして後ろを向いてしまった。どうしたんだろう?
「……? どうしたの?」
「いや、エリー、その、身体……」
そう言われて目線を落とすと、びしょ濡れな上に至るところ肌色が覗いていた。服が穴だらけになっていたのだ。
「きゃ、きゃあっ!」
しかも胸の部分、ぽっちまで見えてしまっていて思わず声をあげ腕で胸を隠した。
スカートも肝心なところが破れてしまって、ショーツの前が丸見えの状態だった。残った片腕で隠すも、自分の手で隠せるレベルではなかった。
「な、なんで……くしゅっ」
そう言いかけたところで、身体の震えとともにくしゃみが出てしまう。
冷たい水で冷え切った身体に、坑道内の冷えた空気を受けてかなり寒気を感じた。
「と、とりあえずこれを羽織ってくれ……」
顔を背けながらウィルが外套を差し出してくれた。
ぼくはそれを受け取り、身体の前を覆うように身に付けた。
「あ、ありがとう。もう大丈夫」
寒いのは変わらずだけど、ひとまず隠さないといけない部分は隠すことができた。
「どうして、こんなのになっちゃったんだろう……?」
「……恐らくだが、スライムが溶かしてしまったんじゃないのか……? ヴィーラさんが何でも溶かすとか言ってなかったか?」
「そういえば、そんなこと言ってた気がする……」
「……いやまあ、服だけで済んでよかったのかもしれないが……。災難だったな……」
「う、うん……ウィルのおかげだよ」
何でも溶かすというのが本当だったら、身体も溶かされていた可能性がある。服だけで済んだのだから、運が良かっただろう。身体や髪などに、おかしなところはなかった。ウィルがいなかったら本当に危なかったかもしれない。
スライムは熱や氷に弱いほか、水にも弱いというのをヴィーラさんから聞いていたそうだ。ぼくを襲っていたスライムに対して、とっさに機転を利かせたウィルが水で洗い流すことを思い付いたそうだ。火とか氷とかは、ぼくを巻き込むと使えなかったみたいだし。
だけど、この服はもう着られない。宮廷魔術師の衣装を台無しにしてしまった。
そして下着までびしょびしょに濡れてしまって、気持ちが悪い。ぴっちり肌に張り付いている感じがする。
「と、とりあえず着替えなきゃ……」
「……着替えはあるのか?」
「うん。一応持ってきておいてよかった」
要らないかなとは思ってたけど、念のために普段の服も持ってきていたのでそれに着替えればいい。
その前に、この服を脱いで身体を拭かなきゃいけないけど。
「こっち見ちゃだめだよ、絶対だからね」
「あ、ああ、分かった」
ウィルには深く念を押し、そう伝える。
採掘場には遮るものがなく、かと言ってまた採掘場から出るのも危ないと思い、近くで着替えることになったのだ。ウィルには少しだけ離れてもらい、別方向を向いてもらっている。
ボロボロになった衣服とびしょびしょになった衣服を脱いで、布で濡れた身体を拭き取る。
ウィルはあっちを向いているとはいえ、すごく恥ずかしい気分だ。
まあ、パパッと着替えてしまおう。かばんは持ち出さなかったお陰で、水難から逃れることができた。ぼくはかばんの中を探して――。
(あれ、あれ……?)
おかしなことに気付く。用意していたはずの下着がないのだ。かばんの中を探しても見つからない。
かばんをひっくり返し、中身を確認したけどやっぱり見当たらない。
「お、おい、大丈夫か……?」
「何でもないよ、ちょっとかばんをひっくり返しちゃっただけだよ」
ひっくり返したときに大きな音が出たからか、ウィルに心配されてしまう。
ぼくは何事もなかったかのように返答する。
それよりも、確か昨日はあったはずなのに、と振り返ったところで思い出した。
宿で洗濯してもらったあと、受け取るのを忘れていたことを。
ど、どうしよう。血の気が引くとは、こういうことを指すのだろうか。
ぼくは脱ぎ捨てた下着をもう一度身に付けようかと考えたけど、それはすぐに諦めた。
びしょびしょに濡れてしまっているから、それを着ると絶対に水でその部分が透けてしまうだろう。
悩んだ結果、ぼくは下着を身につけないまま、いつもの服へと着替えていく。
そうしてなんとか着替えを終えたものの、胸と股間にもの凄く違和感を感じる。
何しろノーパンノーブラなのだ。服の上からは分からないけど――。
ふと目線を下ろして胸の辺りを見たけど、胸元はとくに変わりはなかった。
もしかしてぽっちが浮き出てしまうんじゃ、という懸念は杞憂だったようだ。
他におかしなところはないのを確認して、ウィルに声を掛ける。
「お待たせ。ごめんね、時間かかって」
「いや、いいんだ」
そう言うウィルの顔が、妙に赤い気がする。
――気にしないことにして、ぼくはウィルにもう出発したい旨を伝える。
「もう大丈夫なのか? 休まなくていいのか?」
「うん、というかわたしよりもウィルの方に聞きたいぐらいだけど……」
「俺は少し休めたし大丈夫だぞ」
「……なら、早めに行こう。シアやヴィーラさんが待ってるかもしれないし」
あちらも休みながら戻っているとは思うけど、あまりのんびりしてると心配させてしまうかもしれないし。
ウィルは了承して、ぼくたちは出口へ向けて歩き出した――のはいいものの。
(うう、歩きづらい……)
幸いこのスカートは、風が吹いたとしても捲れ上がったりはしないのでいいのだけど。いつも以上に風通しがよく感じるけどどうしようもない。まるで初めてミニスカートに足を通したときのようだ。
「……? 大丈夫か? どこか怪我でもしたのか?」
はっとして横を見ると、ウィルが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「な、なんでもないよ」
違和感はあるけど、普通に歩いていれば何も問題はない。
だけどそれはそれでどうなんだろう。
しかも、ウィルのいるすぐ傍でこんな状態になっているなんて。
これじゃもしかなくても変態なんじゃ――。
そう思ったところでぼくは考えるのを止め、半ば自棄になって堂々と歩くことに決めたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価等、とても励みになっております。
誤字脱字等がありましたら、お知らせください。