Chapter1-06 女の子生活二日目
ピロピロと電子音が台所に響き渡る。その音を確認したぼくは、ミトンを手にはめてオーブンへと向かう。オーブンを開けた途端、魚介の香りと香ばしい匂いが漂ってくる。中にある大皿をミトンで注意深く掴み、父親、母親、妹、そしてトオルが待つテーブルへと運ぶ。
サラダやスープなどはすでに準備済みだ。メインディッシュである大皿をテーブルに置くと、みんなから歓声が上がる。料理を作った身としては嬉しい限りである。あとは味が伴っていればいいけど――。そして、いただきますと言ったところで、視界は暗転した。
ぱちり、と目を開ける。そこにはぼくの部屋とは違う、見慣れない天井があった。これが”知らない天井だ”という状況だろうか。そんなことを思いつつぼくはゆっくりと体を起こす。
右手を確認するとほっそりとして白い腕。髪の毛は、きめ細やかな銀色の髪。やはり、夢ではなかったのだ。
先ほどの夢。あの時あれが起こらなければ、本来訪れていたはずの光景。
それを思い出していると、目に涙が溢れてきた。こんなにぼくは涙腺が脆かっただろうか――。女の子の体だから? 今すぐにでも帰りたい。けどそれはすぐには叶わない。
涙をぬぐってぼくは決心する。その光景がある“日常”へ戻るために、今日から、ぼくは――。
ベッドから起き、エリーの知識を頼りに、外へ出る。木々の隙間から見える、空の明るさから判断すると朝みたいだ。鳥の鳴き声が聞こえる。一度深呼吸し、ぼくの体に空気を行き渡らせる。田舎や山の空気はおいしい、という表現を聞いたことがあるが、まさにそれだった。
そして歩みを続け、木製であろう井戸の前まで来た。元の世界の現代っ子であったぼくは、初めて見る代物だ。エリーの知識から上手く使い水をくみ上げ、顔を洗う。そういえば、歯ブラシはどこにあるのだろう。エリーの家には洗面所がなかったし、それらしき道具も見当たらなかった。とりあえず口のうがいをして、お茶を濁しておく。
家に入り、着替えをするためエリーの部屋へ戻る。恐らく衣類が収納されている、収納棚を開けてみる。そこには、とてもカラフルなフリフリでヒラヒラな服が、所狭しと掛けられていた。
掛けられていた服を一つ一つ見て、これをぼくが着ることになるのかと思うと頭が痛くなってきた。そして、その中の一点に目が留まる。
その服は、足元まで長さのある漆黒のワンピースの上に、肩や裾にフリルのついた純白のエプロンがかけられている。これはどう見ても給仕服だ。なんでエリーがこんな服を持っているのだろう。
こちらの世界では、給仕服は普通に着るものなのだろうか――。
ふと、”お帰りなさいませ、ご主人様”というお約束の台詞とともに、この服を着たエリーの姿を思い浮かべる。この容姿ならば、元の世界の電気街にある喫茶店で人気ナンバーワンになれるだろう。
そう考えたのと同時に、エリーは今”ぼく”なんだ、と|言う事実に気付いてしまう。それを自身と重ねてしまったところで、何でこんな発想をしてしまったのだと自己嫌悪に陥ってしまった。
幻想の世界生活二日目にして、ぼくの男としてのアイデンティティーが少し失われたと感じずにはいられなかったのだった――。
自己嫌悪から復帰を果たしたぼくは、給仕服を収納棚へと戻し、服選びを再開する。結局、昨日着ていた服とほぼ同じ、色違いのものを選んだ。着方は適当――昨日脱ぐときに念のため覚えておいた――だ。ブラは、ノーコメントだ。
着替えを済ませ、居間へと向かうとエリーの両親が居たので、おはようと挨拶をする。母親はフィール、エリーと同じで綺麗な銀髪の持ち主だ、そして父親はクレスタという。こちらは銀ではなく白髪で、青い目。エリーの目は父親から引き継いだのだろう。
そして朝食の準備をして食べ始め、の前にお祈りをする。昨晩もそうだったのだけど、知らずに食べようとしてビックリしてしまった。ただ、エリーの母親は「エリーはいつも先に食べちゃうわね」と言っていたのだけど。もはや何も言うまい。
ぼくの前に並べられた朝食は、昨晩と同じ野菜が中心。朝ということで量は更に少ない。食べはじめてみると、やはりすぐにお腹が一杯になる。体が元の体と比べて小さくなったといっても、いくらなんでも少なすぎでは、とは思う。
食べ終わると、昨晩と同じく皿洗いの手伝いをする。エリーの母親の警戒心が、昨晩に比べてわずかに少なくなった気がした。
皿洗いが終わった後、下腹部より更に下に違和感を感じた。
そして、そそくさとやってきたところは、トイレだ。違和感というのは、そういうことだ。
ここで、昨日は一度もそうした違和感を感じたことがなかった。半日ぐらいとはいえ、一度もそれがないというのはどういうことだろうと思いつつ、服に悪戦苦闘しつつなんとかトイレを済ませた。
ちなみに、トイレは水洗式などではなかった。けど、不思議と嫌な匂いというのはほとんどなかった。何か消臭の仕組みでもあるのだろうか、と考えつつトイレを後にした。
その後、エリーの両親に長老の家へ行くことを伝え、家を出る。道すがら、すれ違うご近所さんに、おはようございますと声を掛ける。それを受けたご近所さんは少し固まったあと「お、おはよう……」と声を絞り出すかのように言う。その反応にぼくは首を傾げながらも、長老の家へと向かった。
長老の家へと到着すると、すでにシアが来ていた。どうやら何かを相談していた様子だった。挨拶をすると長老によく眠れたかと聞かれたけど、はいとだけ返事をした。
「それで、今後の予定だが……昨日言った通り、エリクシィルは魔術の訓練、頃合いを見計らって王都へ行き、魔術具の修理。私は調査をする。これでよいか?」
「はい、お願いします」
「ならば、早速魔術の訓練をしてもらうか。教えるのはフェリシアに任せてあるから、フェリシアと一緒に行ってほしい……フェリシアよ頼む」
はい、とシアが席から立ち上がろうとしたところで、ぼくは「待ってください」とストップをかけた。
「なんだ? 何か聞きたいことでもあるのか」
「あ、いえ……ちょっとシアに相談したいことがあったのですが」
「……相談? 何かしら」
シアにそう言われたが、何とも言い難い内容なので少し尻込みをしたが、何とか言い出した。
「その……着替えについて、相談があるんだけど」
「……分かった。……場所を変えた方がいい」
長老が、それならば向こうの部屋を使うといい、と教えてくれたので、シアと2人でその部屋へと向かった。
部屋に入りドアを閉めたところで、シアが訪ねてくる。
「……それで。どんな相談?」
「……えっと、これの付け方が分からなくて」
そう言ってぼくが取り出したのは、ブラである。結局、付け方が分からなかったのだ。
つまり、今のぼくは、ノーブラ状態だ。
「…………まあ、男の子だったから仕方ない。教える」
「……ありがとう」
「付けないというのは絶対駄目。形が崩れるから」
「……なるほど」
そういえばシアは、あの場面で確かお姉ちゃんというキーワードが出た気がする。ということは年上なはずだけど。そうか、十五歳なのか。
エリーの知識を読みそんな考えをしつつ、ぼくはシアの胸部を凝視してしまっていた。
ちなみに、シアのそこはさながら崖のようだった。
凝視してしまっていたことに気付く。そんなところをジロジロ見るなんてマズイだろうと思って視線を外し、恐る恐るシアの顔を見てみた。そこには天使のような笑顔のシアがいた。その笑顔のまま、シアはゆっくりとぼくに話しかける。
「エリー、今失礼なことを考えていなかった?」
「……イエ、ナンデモナイデス」
シアの笑顔とはあまりにも対照的な、笑っていない声を聞いて、ぼくはロボットのような返答しかできなかったのだ。これでは、肯定したのと同じだ。
「……エリーには、女の子の見方、というのを教える必要が、ある」
そう言い、目が笑っていないシアの様子に、これあかんやつや、と思った直後。
「座りなさい」
感情の籠もっていない冷たい声に、思わずぼくは「ひっ」という声を上げてしまった。シアからは、あの時の鋭い目線がぼくに向けられていた。トラウマとなって植え付けられたものが蘇る。
「……座り、なさい?」
「は、ハイ……」
鋭い目線と冷たい声。ぼくはへなへなと床に崩れ落ち、正座でこれからはじまることに備えるしかなかった。
それから小一時間、シアからお説教をたっぷりと聞かされた。今後絶対にシアを怒らせてはいけない、とぼくは心に固く誓ったのだった。
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2016/04/30 表現と一部台詞を修正。改行を追加。(指摘分)誤字を修正。
2016/05/03 エリーの呼ばれ方を修正
2016/05/07 全体を改稿
2016/05/12 全体(表現・描写)を改稿
2016/07/03 全体(表現・描写)を改稿。詳細は後日活動報告にて。