Chapter3-21 感謝の気持ち
王都から戻ってきた、翌日の午前。朝ご飯を摂ったあとにも関わらず、ぼくはベッドにうつ伏せで枕に顔を埋めていた。
体調が悪いわけではない。昨日侍女のリースさんから言われたことが、ずっと頭の中をぐるぐると回っているせいだ。
それを思い出すきっかけになったのは、王都からの帰り道のこと――。
▽
「そう言えば、エリーちゃんって第二王女とはどんな話をしてるの?」
森を進む中で休憩しているときのこと、レティさんからそんなことを言われた。
ぼくは口の中のものを飲み込んでから、レティさんに話し始めた。
「えっと……わたしの周りで起きたことを話すことが多いですね。第二王女はわたしの話を聞いている側の方が多いです。あとは……侍女の方と話をしたりとか……」
そう言ってふとリースさんの言っていたことを思い出す。
そのことを反芻していくと、とあることに気付いてしまった。
(いや、そんなことない……そんなこと……)
「エリーちゃん、頭を振ってどうしたの?」
「い、いえ……何でもないです……」
レティさんから指摘を受けるも、ぼくはそう返すのが精一杯だった。
チラッとウィルを見ると、パンをモグモグと囓っていた。
目線が合いそうになった瞬間、ぼくは下を向いた。とても目を合わせることはできなかった。
▽
あの場面を思い出し、思わず唸り声を上げてしまう。
リースさんが挙げた内容が、全てではないとはいえウィルに対して当てはまっていることに衝撃を受けた。
昨晩もこのせいで、あまり寝付けなかった。
(ウィルとはできればずっと居たいとは思ってはいる、けど……)
それはあくまで、あちらの世界からの唯一の親友だったからで。ただそれだけだ。断じて恋だとかそういうのではない。そもそも親友に恋心を抱くなんて、おかしなことだ。ありえないことだ。
ウィルとの恋愛関係はあくまでフリで、本当の恋仲ではない。いつまでこうしている必要があるかは分からないけど、期間限定であることに間違いはない。
ごろんと寝返りを打っても、リースさんの言葉が頭から離れない。
追い打ちを掛けるかのように、昨日王都で見た夢の内容まで追想し始めた。
未だ鮮明に覚えている、ウィルとの一幕。夢のはずなのに忘れることはなく、まるで経験したことのようにはっきりとその光景が思い出される。
ぼーっとその内容を思い返している中、パタンという物音で我に返る。
体を起こして辺りを見渡すと、テーブルの上で木製の手のひらより少し大きい額縁が伏していた。
それを手に取る。そこに描かれているのは、ぼくとウィルの肖像画だ。
王都へ行った際に、道すがら似顔絵画家に引き止められて描いてもらったものだ。強引だった割に、しっかりお金も取られたけど。
どちらも優しく微笑んだ、エルフ族の男女だ。ぼくってこんな顔できたっけなどと思ったりはしたけど、よく描かれているとは思う。
王都での一コマを思い出したうちに、とある忘れていたことに気付いた。
ウィルに何かお礼をしようと思っていたことだ。
普段からいろいろよくしてもらってるし。数日後にもぼくのために、わざわざ遠くの目的地まで付き添ってくれる。
友人として、気持ちを見せるべきだろう。そう、友人として。
とはいえ、どうお礼をしよう? シアのように食事をご馳走すれば喜んでくれるかな。
そうしようかと考えて、すぐ問題に突き当たった。ウィルの好みが分からないのだ。
ウィルと行動を共にすることは、わたしの記憶を含めても数多くあった。けれどこれが好き、という食べ物は記憶にない。何でも美味しそうに食べている、そんなイメージが残っている。
シアとは違って、甘いものが特別好きなわけではないはず。
そこまで考えて、付き合いの長いシアなら何か知っているかもしれないと行き当たる。
このまま自室に籠もっていても、あれこれ余計なことを考えて精神が参ってしまいそうだし。
思い立ったが何とやら。ぼくは早速身形を整えて、シアの家へ出かけることにした。
☆
シアの家へ向かう途中、遠目にレティさんが歩いているのを見かけた。一緒に居たのは――レティさんに食材を融通してあげている家の男性だった。話に夢中な様子で、ぼくには気付かなかったみたいだ。
最近その男性とよく話している、とこの前レティさんも言っていたし。ぼくはさほど気にも留めなく、そのまま足を進めた。
そしてシアの家。リアは不在だった。魔術の訓練へと出ているらしい。シアのお母さんに案内され、シアの部屋へ。
ノックのあと入室すると、シアはテーブルに向かって真剣な表情で作業をしていた。聞くところによると、飲み薬の調合中だったようだ。出直そうと思ったけど「気にしなくていい、もうすぐ一段落する」と言われたので待つことにした。
しばらくシアの調合を眺めていると、シアのお母さんが紅茶を淹れて持ってきてくれた。それと同時にシアの作業も一段落したようで、休憩に入るとのことだった。
紅茶に口を付けつつ、相談があることをシアに伝える。
「相談? 何?」
「えっと、ウィルのことなんだけど……」
「……なに、やっとウィルに告白する決心がついたの?」
「ぶっ」
シアが真顔でそんなことを言うものだから、思わず飲み掛けていたお茶を吹きかけてしまった。
「ごほっ、ごほ……。ち、違うよ!」
「そうなの。てっきりそうなのかと思った」
そう言ってシアは目を閉じ、紅茶をゆっくりと飲んでいた。その様子から、どうやらシアに揶揄われたのだと気付いた。
「も、もう! ……その、ウィルにしてあげたいことがあって」
「してあげたいこと?」
ぼくは普段から世話になっているウィルにお礼がしたいけど、何がいいのか分からないということを説明した。
「何か、食事でもご馳走してあげるのがいいかなって思ったんだけど……好みが分からなくて」
「ウィルの好みね……。私も知らない」
「シアも知らないんだ……」
「そもそも、私よりエリーの方がよく知ってるはずでしょう」
「うーん、それが思いつかなくて……」
そうやって腕を組んで考えていると、シアが息を吐いた。
「……別にお礼なんかしなくても、今の状態はウィルには十分ご褒美でしょう」
「え、何か言った?」
「……別に」
シアがぽつりと何か言ったような気がするけど、うまく聞き取れなかった。なんだか、昨日もこんなことがあった気がする。もしかして耳が悪くなったのか、と思ったけど普段の会話は全然問題ないし――。
そんなことを考えていると、シアから「そうね」と声が掛かった。
「あちらの世界の、何かいい料理とかないのかしら」
「……うーん」
あちらの世界の料理。なるほど、そういう手もあったか。何かあったかなと考えたところ、即座に思い当たった料理があった。けれど、それを作るのは難しいとすぐに分かった。
「心当たりはあるけど、作るのは難しいかな……。家にある材料だけじゃ無理だし」
「……そう」
その料理は、トオルが好きだと言っていたカレーライスだ。
両親を亡くしたあとぼくの家で食事を摂っていたとき、美味い美味いと言っておかわりするほど食べていたのを見た記憶がある。
けれど、問題は作り方だ。
あちらの世界だと、カレールーを溶かすだけでほぼ味付けが済んでしまう。
けど、おそらくこの世界にそんなものはないだろう。少なくとも、王都の飲食店ではカレーライスを見かけなかった。
カレールーの原材料って、十種類以上の香辛料を合わせたものだったはず。そしてそれに何が入っていたかは、分からない。
そしてお米も、この数か月間見たことがない。わたしの記憶にもない。
残念だけど、この世界でカレーライスを作るのはほぼ不可能だろう。
「……食べ物でなくても、言葉と感謝の気持ちだけでも十分だと思うけど」
「え、どうだろう……」
「ウィルなら、エリーから感謝されればそれだけで喜ぶと思う。 ……まあ親しい間柄でも、言葉できちんと伝えるのも大事だと思う」
「……そういうものかな」
そんなシアの言葉を聞いて少し考える。ふと親しき仲にも礼儀あり、とあちらの世界の諺が頭を過ぎった。
確かに、その通りかもしれない。
あとでウィルへお礼を言いに行くことを話したところで、シアに伝えるべきことがあったのを思い出した。
「あ、そうだ。数日後に少し遠くへ行くから、何日か家を空けることになるかも」
「少し遠く? 王都ではなくて?」
「えっと……」
シアに魔術具の修理に必要な宝石のために、遠くの鉱山へ行く必要があることを説明した。
するとシアは鉱山、と少し呟いたあとハッとした顔をして立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
そう言うとシアはそのまま足早に部屋から出て行ってしまった。
どうしたんだろう? 不思議に思いつつも待っていると、数分後にシアが戻ってきた。
「エリー、私も行く」
「……え?」
「お爺様が、その鉱山付近にしか採れない薬草があるって言ってたのを思い出した。改めて聞いてきたけど、やっぱりそうだった。中々ない機会だから採りに行きたい」
シアにしては珍しく、少し興奮した様子でぼくにそう話し掛けてきた。
一緒に来たいと言い出したことに少し驚いたものの、すぐに仲間は多い方がいいだろうと思い至った。
薬草の群生位置も、鉱山からそう離れていないらしいから大して時間はかからないだろう。そして、ヴィーラさんやウィルも断ることはしないだろう。
ぼくは同行することを了承して、準備するものを説明した。
そしてカップの紅茶が空いたところでこれ以上調合の邪魔をするのも悪いと思ったぼくは、相談に乗ってくれたお礼を述べてシアの家をあとにした。
そうして、自宅へ戻る。一度はウィルの家へ足が向いたのだけど、手ぶらで行くのもちょっとなと思い、思い付きでクッキーを焼くことにしたのだ。ウィルはクッキーが嫌いだなんてことはなかった、はず。
こんなもので喜んでくれるかどうかは分からないけど、シアが言うところの感謝の気持ちが大事というのを信じることにした。
クッキーを焼いている最中、お母さんと色々と話していた。その際なぜクッキーを焼くことになったか顛末を伝えると、なぜかニコニコと笑顔でぼくを見つめていた。何かおかしなことでもあったのかな? 折角なので、お母さんお父さんの分も焼いてあげた。あと、シアの分も。
小さな木の籠に、布で包んだ数枚のクッキーを大事に収め、ウィルの家へと向かった。
ウィルの家を訪れる。ウィルは家でひとりだった。剣の手入れをしていたようだ。鉱山へ向かう前にしっかり手入れをしないといけない、とのことだった。ぼくは剣のことは分からないけど、恐らく必要なことなのだろう。
部屋に招き入れられ、椅子に座るよう促される。けれど、その前にやらなければならないことがある。ぼくは姿勢を正して、ウィルの方へ向いた。
「ウィル、あの……。いつも、ありがとう」
「……そんな改まってどうしたんだ?」
「その、いつもウィルにはお願いばかり聞いてもらってるし。お礼したいなって思って……。これ、クッキー焼いてきたの。よかったら食べてね」
「そんなこと別に気にしなくていいぜ、エリーは大切だからな」
「……」
ウィルの言葉に、ぼくは困惑してしまう。
そんなぼくをよそに、差し出した籠を受け取り中を漁り出した。
布に包まれたクッキーを取り出し、口を開いた。
「この頃食べてなかったな……。ありがたくいただくぞ」
「……ねえ、ウィル」
「ん? どうした」
「……えと、大切って、その、どういう意味で……?」
そう言ったあとに、どうしてこんなことを聞いてしまったのだろうと思う。自分の意思に反しているかのような錯覚を覚えた。なぜか聞かないといけないような気がして、つい口から漏れ出てしまったのだ。
ウィルは若干の静止のあと、口を開いた。
「そりゃあ…………。もちろん、友達だからだ」
「……そ、そう……」
ウィルのその言葉を聞いて安心した気持ちと、なぜかもやっとした気持ちが綯い交ぜになり心の中で暴れている。なんだろう、おかしい。胸が、張り裂けそうな錯覚を覚える。
今すぐここから立ち去らなければ、どうかしてしまうような気がした。
「そ、それじゃ帰るね。今度の鉱山調査、よろしくね」
「おう」
ウィルの言葉は聞こえたけど、顔を見ぬまま足早にウィルの部屋を出た。
後ろ手にドアを閉めて、息を吐いた。
そしてそのまま、自宅まで走って戻ったのだった。
自宅の自室に戻ったあと、ベッドサイドに腰掛けた。
息が上がって苦しい。こうなることは分かっていたのに、走らずにはいられなかった。
暫く経って呼吸が落ち着いてきたところで、思考を戻した。
(ウィル、ぼくのこと友達って言ってくれた……)
ちゃんとぼくのことを、友達として見てくれている。そのことに安堵を覚える一方で、よく分からない感情が胸に込み上げてきた。そしてズキン、と胸の奥が痛むような気がした。反射的に胸に右手を当てるも、痛みは変わらなかった。
(なんで……悲しい気分になるんだろう……)
現れた感情の正体は、悲しみ。どうして、そんなものが出てくるのか。
――いや、理由は分かっていた。けど、ぼくはそれを認めたくなかった。認めてしまうと、引き返せないような気がしていた。
それは、生まれるべきではない感情。起こり得るはずのない、想い。
これ以上考えてはいけない。ぼくは気持ちを心に押し閉じ込め、鉱山へ行く準備を始めたのだった――。
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