Chapter3-10 フィールとの夜話
翌日の夜、ぼくはフィールとともに台所に立っていた。
エリーと同化したことで、フィールは本当の母親となった。真相を話し受け入れてもらって以来、少しずつだけどその実感が湧きつつある。
ぼくのことや、ぼくが住んでいた世界のことも大体は話してある。その中で驚かれることは多々あったものの、興味をもって聞いてもらっていた。
ぼくの両親の話をしたときは、良いご両親だったわねと言ってもらえた。元の世界の両親のことを想うと、まだ寂しさを感じることはある。会えなくなってから、初めて気付くことが色々とあった。
けれど、こちらの世界ではエリーの両親がぼくの両親だ。元の世界にいた両親のことを忘れ去ることはしたくないけど、早めに気持ちを切り替えていかなければならないだろう。
食事のあと後片付けを手伝っている、同化前と変わらない日々の一コマ。変わったのは、実の親と同じ作業をしているという気持ちが少しずつ湧いてきたところか。
片付けも済んで部屋へ戻ろうとしたところ、フィールに呼び止められた。話があるとのことで、居間のテーブルへと向かう。
「ちょっと元気がないように見えるけど、何かあった?」
席に着いたところでフィールからそう切り出されて、ぼくはどう答えればいいか惑う。
顔には出さないように気を付けていたけど、あっさりと見抜かれてしまった。
原因はまあ、ウィルに関することだ。これからどう付き合っていけばいいか、未だに答えは出せていない。
「やっぱり、まだ色々と慣れないのかしら……?」
フィールの話ぶりから、ぼくの思っていたこととズレが生じているということに気付いた。恐らく、ウィルのことで悩んでいるとは思われていない。
どうしようか、フィールに相談した方がいいのだろうか。
けれど、どう説明したらいいのだろう。尻込みしているうちに、フィールが口を開く。
「うーん、言いづらいことだったら無理に言わなくてもいいわよ。いつでも聞いてあげるから、話してくれる気になったら教えてね」
「……あっ、待って!」
フィールが立ち上がろうとしていたところを、ぼくは呼び止めた。親切にしてもらっているところを無碍にしている気がして、思わずそうしてしまったのだ。
フィールなら、親身になって相談に乗ってくれるだろう。そう考えたぼくは、思い切って聞いてみることにした。意を決して口を開く。
「その、ウィルのことなんだけど」
「あら、ウィル君のこと? ……この間ウィル君と一緒に王都へ行ってたわよね。何かあったの?」
ぼくの答えにフィールは目を丸くさせていた。やはりフィール自身が想定していたことと違っていたのだろう。
☆
「なるほどね、エリーとして関わればいいのか、カナタ君として関わればいいのか悩んでるってとこなのかしら」
「……うん」
ぼくは、自身がウィルに対して抱いている気持ちについて打ち明けた。けれど、一部についてはぼかして説明した。
「まずは、これまでカナタ君としてはウィル君のことを友達のような感覚で付き合っていた、のよね?」
「うん」
「それで、エリーとしてはウィル君のことをどう思ってたの?」
「……お兄ちゃん、みたいに……」
ぼくは咄嗟に嘘を吐いてしまった。それは、わたしがウィルに対して抱いている想いとは違う。何故だか言うのが恥ずかしいような気がしてしまったのだ。
「ふうん……。でも、ウィル君には話して理解してもらったのよね? それで何か困ったことがあったの?」
「それは……」
ぼくは昨日王都でウィルが呟いたことについて説明した。そのことについてフィールは「あらあら、それは……」と少し驚いた様子だった。その呟きを聞いてから、どうウィルと接すればよいか悩んでいると話した。
「そうねえ……。まずは、それが聞き間違いっていうことはないのかしらね」
「……うーん」
そう言われると、あまり自信はない。喧騒の中で聞いたものなので、違うことを言っていた可能性も否定はできない。ただ、そのあとのウィルの態度を振り返る限りは恐らく合っているとは思うけど。
「じゃあ、仮にウィル君がそう言っていたとするわね。でも、ウィル君はエリーに直接言ったわけじゃないのよね。なら、聞かなかったことにするのも一つの手ね」
「……」
確かにそれで済ませてしまうのもありではある、と思う。これまでのウィルの行動から、わたしに対して好意を抱いているのは間違いない。それを知った上だと、問題の先送りな気はするけど――。
ただ、ぼくの気持ちは楽になるだろう。
色々思案しているぼくの姿をジッと見ていたフィールが、口を開く。
「……もう一回聞くけど、あなたはウィル君のことを本当はどう思ってるの?」
「…………えっと、分からない」
フィールの問いから少しの間が空いたあと、ぼくはそう答えた。分からない、それが今の最も近い心境を表す言葉だ。
一方の気持ちを選ぶと、もう一方の気持ちを犠牲にすることになる。ある種のジレンマだ。
「うーんそうねえ、すぐに答えを出す必要はないんじゃないかしらね」
「……そうなの?」
「ウィル君はエリーに対して明確にどうと言ったわけじゃないし、エリーの気持ちもはっきりしていない。なら、少なくとも今は深く考える必要はないと思うわね」
そういうものなのだろうか。やっぱりただ先送りにしているだけに思えるのだけど。
「ウィル君がエリーに対してアプローチをしてきたときは、今のエリーの気持ちをそのまま伝えればいいと思うわ。エリーが先に自分自身の気持ちを固めたときは、逆に伝えてもいいかもしれないけど」
「……うん、分かった」
釈然としないところはあるものの、フィールの言うことは参考にさせてもらいたいと思う。ぼくはフィールに対してお礼を述べたのだった。
そのあとフィールが「そうそう」と前置きをした上で話し始めた。
「エリーに伝えないといけないことがあったから言うわね。二十歳になったときのしきたりは何か分かってる?」
「えっと……二十歳になるまでに伴侶がいなかったら、って話?」
「それね。エリーは特別な事情があるから、どうなるのか長老様に尋ねてみたんだけど……。これの例外を出すのは、難しいらしいわ」
「……」
つまり、その時点で伴侶がいなかったらぼくも集落を出ていく必要がある、というわけだ。残された猶予は、七年もない。
「ただ、どうするかはエリーに任せるわ。無理強いはさせたくないし、自由に生きてもらいたいとは思ってるからね」
「……うん」
どうするか、というのは伴侶を見つけて結婚するかどうか、というところだろう。ぼくのことを分かった上でそう言ってくれたのだ。
でもそうフィールが配慮してくれたことに、複雑な気分を覚えた自分がいた。
「まあ、私は全然伴侶を見つけられなくて、一度集落を出て王都で暮らしてたんだけどね」
「え、そうなの?」
「そうそう。パパと結婚したのが百歳より少し前だから、八十年近くは集落の外に住んでいたのよね。ちなみに、私は別の集落の出身よ」
百歳だとか、八十年という言葉に少し理解に時間を要した。そうだ、エルフ族だから寿命が長い分、そういったことは大いにあり得るのだ。
エルフ族はどういった出会いになるのか、少し興味が湧いた。わたしの記憶では、一度も両親の出会い話は聞いたことがなかった。
「……お母さんって、お父さんとどうやって知り合ったの?」
「ああ、私は王都の服飾店で働いていたんだけどね……」
フィールはそこからクレスタと出会った経緯を話し始めた。集落を出てから服飾店を立ち上げ、数十年営んでいたらしい。なるほど、だから裁縫の技術があれほど高かったのか。ちなみにその服飾店は、ヴィーラさんに連れていかれた店ではなかった。
それである日王都へたまたま買い出しに来ていたクレスタと偶然出会い、暫く遠距離恋愛を続けたのちに結婚へと至ったらしい。
「パパがここの集落の出身だったから、こっちに引っ越してきたのよ」
「そうだったんだ……」
そしてこのあとフィールから、惚気話をたっぷりと聞かされることになった。
解放されたのは、夜が更けて普段寝る直前の時間だった。
☆
部屋に戻り、テーブルに着いて独り思う。
寝る時間だけど、眠気はあまりないので少し夜更かしをしようと考えたのだ。
惚気話をしていたフィールの幸せそうな顔が、なぜか頭に焼き付いていた。
きっと今でもクレスタとは仲睦まじい、俗に言う”ラブラブ”な関係なのだろう。
そんなことを思いつつ、ぼくも結婚することになるのだろうかと考えが過る。
フィールは自由に生きてくれればいいと言ってくれたから、ぼくの意思次第では独り身のままというのも選択肢の一つにはなるのかなと思う。
ただこれから数百年という長い時を生きていく中で、もしかしたら考えが変わっていくかもしれない。ぼくは男ではなく、女として生きていかなければならないのだ。
女として結婚するということは、男と結ばれるということだ。
女と一緒になりたいとは不思議と思わなかった。まあ、この世界で同性婚が認められているかどうかは分からないけど。
ともあれ結婚そのものは、もう可能な年齢になっている。この世界では、十二歳から結婚できるのだ。
――もしそうなった場合、どんな相手と結婚することになるのだろう。
そう考えたときに、ふと頭に思い浮かんだとある男エルフの顔。ぼくは頭を横に振って、それを振り払おうとする。けれど、余計に意識してしまい頭から離れない。
目線を移動させると、壁に掛けられた小さな服。わたしがエリネだったときの衣装だ。折角フィールに作ってもらったのに捨ててしまうのは惜しいと思い、オブジェとして飾っている。
――そうだ、この意識もわたしの影響があるのだろう。わたしは、ウィルのことが好きだったのだ。だからこうなってしまうのも当然だ。けれどこの気持ちは、決してぼくのものではない。
そう考えると、幾分か気持ちが楽になった気がする。
フィールが言っていたように、自分がまだ答えを出す必要はない。ウィルからなにかアプローチがあったときは、そのときに考えよう。
それでいいんだと、ぼくは思っていた。
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