Chapter2-30 真実
「正確に申し上げますと、こちらの世界へお呼びした段階でカナタさんの肉体は生命活動を停止したのです」
「…………え?」
聖樹が何を言っているのか理解できない。――いや違う、理解したくなかった。
肉体という器が存在しない、生命活動を停止している。それが意味することって――。
「まさか……ぼくはもう……死んで……?」
「端的に申し上げると、そうなります」
あの日以降エリーの中に入って生活していたけど、こちらの世界に来るまでの自分自身の体はその後どうなっていたのか。エリーには一度聞いたけど、知らないと言われてからは深くは考えていなかった。
そして突き付けられた事実は、元の世界にいた自分の体はもう存在しないということ。戻る体がない以上、戻りようがない。
その現実に打ちひしがれたぼくは、膝から崩れ落ちてしまう。
「そんな……そんなことって……」
「エリクシィルさんにはお伝えしていたのですが、カナタさんには伝わっていなかったようですね」
「……なんだって?」
聖樹の言葉に耳を疑う。エリーはそれを知っていた――? エリーの方へ顔を向けるけど、エリーは俯いたままだった。
そんなエリーの態度に、怒りが沸々と込み上げてきた。
「何で……何で教えてくれなかったんだよ! こんな、こんなの……」
エリーに怒りをぶつけずにはいられなかった。重要なことを聞いていたのにも関わらず、なぜ言ってくれなかったのか。
「ごめ……ごめんなさい……。何度も言おうとはしたけど、どうしても……言い出せなくて……」
エリーは目に涙を浮かべ、しゃくり上げながらそう言った。
何度も言おうとした、というところに何か引っかかるものを感じた。
――思い出した。竜が現れる前に、宿で何かを言おうとしていたことを。
「……もしかして、王都の宿で言いかけてたのはこのことだったのか……?」
「……うん」
エリーは確かに言おうとしていたのだ。振り返ってみれば、幾度となくそういった素振りを見せていたことに気付く。
それでもなぜ、エリーは言えなかったのか。頭に血が上っているのけど、なるべく冷静になって考えてみる。
少し考えて、それはすぐに理解できた。言えなかった理由は、単純なことだった。
もうあなたは元の世界では死んでいるんだ、なんて言い出しにくいに決まっている。ぼくが逆の立場だったとしても、言い出すことは難しかっただろう。
そう思うと、時折暗い表情を見せていたのにも合点が行く。恐らく、言い出せないことによる罪悪感から来るものだったのだろう。
エリーはぼくより三つも年下だ。その女の子がこれを抱え込んでいたと考えると、相当心を痛めていたに違いない。
明るい性格なのは演技ではないだろうけど、心の奥底では常にこのことを意識していただろう。
そういった事情を考えていると、エリーへの怒りは次第に収まっていった。
「エリー、怒鳴ってごめん。エリーの気持ちも考えないで……」
「ううん、言おうとはしてたけど……言わなかったわたしも悪いから……」
まだ両目から涙を零しているエリーは、そう答える。けど聖樹やエリーの話から察するに、エリーも被害を被った立場だろう。そんなエリーをこれ以上責めてもなんにもならないし、エリーがかわいそうなだけだ。
エリーへの怒りが収まってきたと同時に、湧き上がってきたのはただただ虚しい気持ち。
(はは……今までやってきたことは全部無駄だったじゃないか……)
ぼくが元の世界に戻ろうと自分で調べたり、ヴィーラさんにお願いしていたこと。あれこれやってきたけど、結局のところは元の世界に戻ろうと願うこと自体が初めから無意味だったということだったのだ。
「なんで、ぼくがこんな目に遭わないといけないんだよ……」
そもそも、この世界には自分で来ようと思ったわけではない。無理やり連れてこられたのだ。呼ばれた理由は聞いていたけど、戻れないなんてあんまりだ。
なぜ、こんなことに――。気力が抜けかけていたぼくに対して、聖樹が声を掛けてきた。
「ご説明してもよろしいでしょうか」
そして聖樹から説明された内容は、ぼくを困惑させるものだった。
元々ぼくとエリーは一つの存在で、こちらの世界の住民だったこと。それが何らかの弾みで二つに分かれ、ぼくの方があちらの世界へ行ってしまったということ。
そんなぼくとエリーの存在は密接に繋がっていて、どちらかが死んでしまうともう片方も死んでしまうということだった。
(し、死んでしまうって……)
つまり、王都の竜襲撃では危ない橋を渡っていたことになる。エリーに無茶をさせてしまっていたことで、ぼく自身の身を危険に晒していたということだ。ただエリーはそれを承知の上で行動していただろうし、ぼくがどうこう言うのは筋違いだろう。逆にぼくは聖域内の一件で、エリーを危険な目に遭わせていたことになる。
聖樹は話を続ける。
自身の力が弱まっている状況で異世界人の力を借りる必要があり、ぼくを呼び出した。ただ力が弱まっていたせいで、間接的な呼び出しになってしまった。
この辺りはエリーから聞いていた通りだった。
「私が直接ご説明できなかったせいで、エリクシィルさんに辛い思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
そう言って聖樹は頭を下げる。この件の発端は聖樹だ。悪いのは聖樹である、ということにもできる。けど、一方が死んでしまうともう一方も――という話を聞くと、そのままの状態はよくないと思ったのも事実だった。
しかし、聖樹の次の言葉でぼくはさらに混乱してしまう。
「カナタさんとエリクシィルさんには、一つの存在に戻る……同化していただく必要があるのです」
「…………は?」
意味が分からず素っ頓狂な声を上げてしまう。聖樹の言うところによると、二つに分かれている今は不安定な状態らしい。本当はぼくを呼び出した段階で、その同化というところまで行いたかったらしい。けど、力が弱まっていた影響でそれができなかったとか。そのためエリーを精霊へ移すことにしたが、それはあくまで一時的。
精霊状態のエリーが力を使い果たしたことで、エリー自身の力も弱まってしまったため、早めに同化した方がいいらしい。このままではエリーがずっと目を覚まさないばかりか、ぼくの方にも影響が出てくるとのこと。
「エリクシィルさんの魂は消滅し、それに併せてカナタさんの魂も消滅してしまいます。結果、エリクシィルさんの肉体も生命活動を停止してしまうでしょう」
「……」
これもぼくとエリーの存在が密接に関係している、というところから来ているのだろう。
どうしたらいいのだろうか――。少し考えるととある案が思い浮かんだ。
「……そうだ、ぼくが別の体に移ればいいんじゃないですか? そうすれば……」
聖樹にそう提案する。これならば、エリーとぼくが消滅することはないし、わざわざ一つになるということもしなくてもいいのではないか。
何ならぼくが精霊に移ってもいい。けど、聖樹は首を横に振った。
「それはできません。無理にカナタさんを剥がそうとした場合に、何が起こるか分からないのです。私の力が弱まっている状態で、エリクシィルさんの肉体にカナタさんを定着させてしまったせいです」
聖樹の説明がいよいよ頭の中で処理しきれなくなってしまい、思考停止に陥る。聖樹が言っている同化以外の方法は思いつかなかった。
一つの存在になるということは、エリーの意識や、ぼくの意識はどうなってしまうのだろうか。合わさると、得体の知れないものになってしまうのではないだろうか。
ぼくは一体、どうなってしまうのだろうか。
「同化後は双方の知識や経験が統合されます。一時的にどちらかの意識が強く出る可能性があります。時間が経つと、意識も完全に統合されるはずです」
よく分かったようなよく分からないような、聖樹の話を聞いて思う。
暫くはどちらかの意識が出るかもしれないけど、じきにそれもなくなるということらしい。つまりはぼくとエリーを足して二で割るような――余計に分からなくなってきた。ドツボにハマる気がしたので、これ以上は考えない方がよさそうだ。
けれど、さきほどの聖樹の説明で疑問に思う点がある。二つに分かれたというのなら、なぜぼくとエリーは年齢が離れているのだろうか。同じ年齢のはずじゃないのだろうか。その疑問を聖樹にぶつけてみる。
「恐らくはあちらの世界へ移った際に、ある程度の年齢の子どもに移ったと考えるのが妥当かと思います」
「……」
聖樹にそう言われ、ぼくは少し考え込む。エリーとは三歳離れている。となると、三歳ぐらいの子どもに移ったと考えるべきだろう。
その年齢のときの話――ぼくは以前母親から聞いた話を思い出した。記憶を掘り起こし、聖樹とエリーに語りかける。
ぼくは小さいときに、重い肺炎に罹って入院していた。一時は生死の境を彷徨い、医師からも治る可能性は限りなく低いと言われショックを受けた、と母親は言っていた。しかしその後は奇跡的に回復し、後遺症もなかったと聞いている。
退院後は入院前に比べて、人が変わったかのように大人しくなったと母親は語っていた。大病を患った後だったから、両親も無茶はさせないようにはしていたとは言っていたけど、まさか――。
「カナタさんの肉体にいた魂は、恐らくそのときに消滅してしまったのでしょう。そこに偶然カナタさんが移ったのだと推測します」
淡々と語る聖樹の言葉を聞いて、ぼくの発想は悪い方向へ向いてしまう。
ぼくは本来のカナタではない――つまりは偽物だということ。仮に聖樹の言う通りだったとするなら、本物の魂は既に消滅してしまっているのだ。
「ぼくは、カナタという肉体に入っていた、カナタという名の偽物……。ぼくは……ぼくは……」
「カナタは、カナタだよ! 偽物だとか、そんなんじゃないよ!」
「でも……」
「……今こうしてわたしと話しているのは、カナタじゃないの?」
「……」
いつもの飄々としているエリーとは違うその姿に、困惑するぼくだったけど。
ぼくを気遣ってくれているのはすぐに分かった。立場は同じはずなのに、年下の子に勇気付けられるなんて。
――けどエリーは、こんなぼくと本当に同化してもいいと思っているのだろうか。
「エリーは、いいのか? ぼくみたいな男と同化しても」
「わたしは話を聞いたときから決めてたよ。そもそもテレスの皆を助けられるなら、って思ってたからね。もちろんはじめは、カナタってどんなヒトだろうって思ってたけど……。わたしの代わりをあれだけ真面目にやってくれたヒトだし。わたしとテレスのために頑張ってくれたヒトだもん、悪いヒトじゃないのは分かってる! そもそもカナタは、本当はわたしと同じ存在だったんだしね。嫌とかそんなことは全然思ってないよ!」
言い振りから、エリーは既に覚悟を決めているようだった。確かにエリーの代わりは何とか演じてきたつもりだ。そこまで考えてくれていたとは、思ってなかったけど。
今にしてみると、エリーが顔を曇らせていたのは元に戻る云々の話をしていたときだった気がする。
いずれこのときが来るのは、分かっていたからだろう。
あとは、ぼく自身がどうするかというところなのだろうか。
まだ信じたくはないけど、ぼくはもう元の世界に戻ることはできないようだ。そしてこのままだと、エリー共々消滅してしまうと聖樹は言っている。
はじめから選択肢は一つしかなかったのだ。
年下の女の子が覚悟を示しているというのに、年上かつ男のぼくがうじうじしているのはよくない。
腹を決めるべき、なのだろう。
「……同化を、お願いします」
「分かりました。カナタさんとエリクシィルさんが一つの存在に戻ることで、潜在能力が飛躍的に向上します。例えば、保有魔力や身体能力の向上などが得られるでしょう。お詫びになるか分かりませんが、カナタさんからいただいた魔力をもとに、可能な限り潜在能力を引き上げられるようにします」
聖樹の説明はあまり耳に入らなかった。ぼくの意識は、エリーと一つになることでどのような事態が起こるかということに向いていた。
逆にエリーは真面目に聖樹の話を聞いていた。ちらっとしか見なかったけど、あまり見たことのない真剣な顔付きだった。
「それでは、はじめます。次に目が覚めるときには、同化が終わっているかと思います。カナタさんとエリクシィルさんを巻き込んでしまい申し訳ありませんが、どうか、集落の守護をお願いします」
ゆっくりと頭を下げる聖樹に対して、ぼくとエリーははい、と答える。
そしてエリーはぼくの方を向いて、右手をぼくの前に差し出してきた。
「エリー……?」
「これからもずっとよろしくね、カナタ!」
このやり取りにどこか見覚えがある。すぐにエリネとはじめてじっくり話をした日を思い出す。あのときもこうやって握手をしたんだっけ。
長い――いや、とても長い付き合いになるだろう。
「ああ……よろしく、エリー」
そう言ってぼくは、差し出された小さく華奢な手を握る。
直後、聖樹から優しい光が放たれる。
どこか、温かく感じる光。その光は徐々にぼくたちを包み込む。
エリーの姿が少しずつ、光で見えなくなり。視界が完全に白になったところで、ぼくの意識は途切れた――。
2章終幕です。
今後の予定につきましては活動報告をご覧ください。
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