Chapter2-29 聖樹
「う……」
目を開けると視界に白が広がる。どうやら仰向けに倒れているようだ。
何が起こったんだろう。聖樹に触れてから光に包まれて――そこからの記憶がない。
体を起こすと、全身に違和感を感じる。目線を下に落とすと、白のカッターシャツに黒のブレザー。下にはグレーチェックのスラックス。ぼくの学生服だ。胸部に膨らみは、ない。体に纏わり付いていた長い髪も、すっかり短くなっている。
「戻ってる……?」
思わず呟いた声のトーンも、エリーのものではなく自分自身――彼方のものだ。何が起きたのかよく分からないけど、久しぶりの自分自身の体だ。なぜだかさっぱり分からない。ともかく、自分の体に戻っていた。
――さて、ここは一体どこなのだろうか。
(……ん?)
ふと横を見ると、銀髪で耳の長い少女が横たわっていた。エリーだ。いつものの服を身に纏っているし、間違いない。エリーも元に戻ることができた――のかな? 分からないことだらけだけど、ひとまずエリーを起こしてみようか。起きればいいんだけど。
「エリー……ほら、起きてよ」
体を左右に揺すること数回。エリーの目が徐々に開かれる。ぼくの方を向くと目を見開いて、体を起こして後ずさりをする。
「え、誰……?」
「……ああ、ぼくだよ、彼方だよ。君は……エリーだよね?」
少し怯えたようにも取れる様子だったので、すぐに名前を明かした。ぼくはエリーの姿を知っているけど、エリーはぼくの姿を見たことがないはずだ。名前を聞いたら安心したのか「ああ、カナタなんだー」と言って姿勢を元に戻した。
「おー、やっぱり人族の子なんだねー。変わった服を着てるねー」
エリーは興味津々な様子で、ぼくをまじまじと見つめてくる。そんなエリーの姿を見ていたけど、やっぱり他人の立場から見てもエリーは美少女だった。エリネの姿のときも思ったけど、表情がころころ変わる様子は年齢相応の女の子だった。
「一体何があったのー? 竜を倒したあとから、全然記憶がないんだけどー……」
「ああ、それは……」
ぼくはエリーに、その後起こったことを話した。エリーは最初驚いていた様子だったけど、話を聞いていくにつれてなぜか表情が曇っていった。――聖域の話に入った辺りからだ。
「そう、なんだ……」
「エリー、ここがどこだか分からない? まあ、他にも分からないことだらけなんだけどさ……」
ぼくがそう尋ねると、エリーは少し視線をキョロキョロとさせた後、俯いたまま口を開いた。
「知ってるよ。一度だけ、来たことがあるから……」
「……本当に? ここは一体どこなんだよ」
「それは……」
「……私が説明いたしましょう」
どこからともなく女の人の声が響いてきて、驚きで体をビクッと震わせてしまった。
次の瞬間、眩い光に襲われた。目がチカチカする。目が慣れてくると、少し先の方に人影が見えた。
それは白い修道服のようなものを身に纏った、長い緑髪の女の人だった。頭にはティアラのような髪飾りをしている。なぜか目は閉じたままだ。それにも関わらず、真っ直ぐとこちらへと歩いてきた。周りが見えているような、しっかりとした足取りだ。
どこか神々しさも感じる雰囲気に、思わず息を飲む。――この感覚は身に覚えがある。ぼくとエリーは立ち上がって、女の人と向き合う。
「……あなたは?」
「皆さんに聖樹、と呼ばれている者です」
「……えっ、聖樹って人……?」
「いえ、これは貴方がたと話をするための仮の姿です。実体はカナタさんが目にしていた木です」
「……そ、そうなんですか」
どうやら、目の前にいるのが聖樹らしい。仮の姿とは言っているけど。雰囲気に覚えがあるのは、あの大木の前で感じたものと同じだったからだろう。
何はともあれ聖樹と話をする、という目的が達成できたようだ。尋ねたいことがいくつもあるけど、どれから話そうか。
そう考えているうちに、先に聖樹が口を開いた。
「まずここなのですが、カナタさんに魔力を分けていただいて生成した精神空間です。この空間より外は、時間が止まっている状態です」
「は、はあ……。そうか、木に触れた瞬間に体から魔力が抜ける感じがしたけど、それだったんですね」
なんだかよく分からないけど、そういうことらしい。時間を止めるというのは、聖樹だからできる芸当なんだろうか。精霊術では聞いたことがない。
「あの、なんでぼくの姿が元に戻ってるんですか? エリーも元に戻ってるようですけど」
「ここは肉体に干渉されない、特別な空間です。貴方がたと私の精神、いわゆる魂がこの空間に入っているのです。なのでカナタさん、エリクシィルさんはこの空間では元の姿が映し出されるのです。時間が止まっている外の空間では、今まで通りです」
どうやら、元の姿に戻れた訳ではないらしい。残念だけど、仕方ないだろう。今はこうして聖樹と話せている。このあと、元の世界へ戻れる段取りが付けられるはずだし。一時的だけど、本来の姿に戻れた喜びを噛みしめることにしよう。
「集落を守っていただいて、ありがとうございます。本来ならば、直接お願いをするべきだったのですが……。私の力が足りず、エリクシィルさんから間接的にお願いをする形になってしまって、申し訳ありませんでした」
聖樹はそう言うと、丁寧に深々とお辞儀をした。確かにエリーからそういう話を聞いていた。
「いえ……。突然この世界に連れてこられて驚きましたけど、上手くやれているんでしょうか。けどテレスを守るだけのつもりが、何か話が大きくなってしまったような……」
気付いたら宮廷魔術師になっていて、しかも国の王族にまでぼくの存在が知られてしまっている状況だ。集落を守るという話からは、逸脱してしまっているような気がする。
「私はすべてを存じ上げている訳ではないのですが、集落に被害が出ていないのは事実のはずです。集落が無事なのであれば、それだけで十分です。他にもここで起きた事象のときに、ウィレインという青年を救っていただきました」
「……え、ウィルですか?」
子供たちを連れてやってきたときの話だろうか。ぼくのせいで、ウィルに大きな怪我をさせてしまったことを思い出す。けど、救ったとはどういうことだろう。
「はい。カナタさんから魔力をいただいたことで、危険な状態から脱することができました。……木に触れていただいたときです」
「……そうだったんですか」
やっぱりあれは、聖樹がウィルを治してくれたのか。ぼくが魔力切れを起こして倒れてしまったのは、聖樹に魔力を分けたからということか。
聖樹はぼくから魔力をもらったおかげだと言っているけど、治してくれたのは聖樹自身だ。感謝をしなければならないだろう。
謎が一つ解決したところで、本題だ。エリーが目を覚まさない理由を聞きに、ここまでやってきたのだ。まずはこれを聞く必要がある。
「精霊のエリーが眠ったまま目を覚まさないのですが、何故でしょうか? 目覚めさせる方法があるなら、教えて欲しいのですが」
「それは、力を使い果たしてしまったからです。魔力の欠乏とも言いましょうか」
「でも、それだと普通は一晩で目を覚ますんじゃ……」
「今のエリクシィルさんは、数日経っても目を覚ますことはなかったでしょう。例え数ヶ月経ったとしても」
「……どういうことですか?」
「理由は、エリクシィルさん自身がご存知のはずです」
そう言われるとエリーはビクッと肩を震わせ、どこか気まずそうな顔をしていた。一体どういう意味だろう。
「もしかして……。あれが限界、だったんだ……」
「そうです。不完全な力で生成した体ですから、無理をすると壊れてしまいます。魔力を使い果たしたことにより、限界を迎えてしまったのです」
「ごめんなさい、わたしのせいで……」
「エリクシィルさんは、恐らく一生懸命にやっていたのでしょう。それならば仕方ありません。ただ、もう猶予はありません」
エリーと聖樹が話しているが、何を言っているのかさっぱり分からない。完全に置いてきぼりにされている。
「話がよく分からないんですけど……。今のままじゃ精霊のエリーは目覚めることができないということですか?」
「はい、そうなります」
「それじゃ、精霊に入っているエリーをエリーの体に戻せばいいんじゃないですか? それができれば、その後にぼくが元の世界に戻れれば……」
「申し訳ありません。それは、できません」
聖樹が顔を横に振って否定する。できない? どうして?
「え、なんでですか……?」
「カナタさんを元にいた世界へ戻すことは、できないのです」
「……どうしてです? やり方なら分かってるんですけど……」
ヴィーラさんが調べてくれた精霊術を使えば、ぼくは元の世界に戻れるはずなのに。けれど、聖樹は再び顔を横に振る。
「古代の精霊術ですね。確かにそれを行使することで、元にいた世界へ戻すことだけならできるでしょう」
「……どういうことですか?」
聖樹のどこか引っかかる言い方に、ぼくはその意味を問い質す。
なのだけど。それを聞いてはいけない。何故だか分からないけど、心が警鐘を鳴らしている。
聖樹からの話を聞いた上で、これまで何か重要なことを認識していなかった気がする。
それらの事柄が、一つの線で繋がりそうだったとき。聖樹はゆっくりと口を開き、こう答えた。
「カナタさんの肉体と言う器が、元にいた世界にはもう存在しないのです」
次話が2章最終話となります。
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