Chapter2-27 目覚めないエリネ
トントンと部屋のドアを叩く音が聞こえる。どうぞ、とドアに向かって入室を促す。そしてゆっくりと開かれたドアから現れたのは、紙袋を抱えたレティさんだ。
「まだ……エリネちゃんは起きないの?」
心配そうに声を掛けてくるレティさんに対し、ぼくは頭をこくりと下げる。
ベッドの上には、穏やかな顔付きのまま眠り続けているエリネがいた。
詰所内にあるレティさんの部屋で、買ってきてくれた昼ご飯のパンを囓る。テーブルの上に置かれた紙袋の中には、エリネの分のパンが一つ残っている。
食べる前に再び体を揺すってみたけど、反応はなかった。と言うのも、昨晩からエリネが目を覚まさないのだ。単純に疲れてしまっているのか――エリネ自身が魔力切れだと言っていたから、そのせいかもしれない。
そう思ってゆっくり寝かせていたのだけど、昼前になってもエリネは一向に目を覚まさなかった。さすがに寝過ぎだろうと声を掛けて体を揺すったけど、眠り続けたままだった。
宿の退去時間も迫っていたので、詰所まで行ってレティさんに相談したところ、部屋を貸してもらえることになった。
いくら魔力切れとはいえ、こんなに眠り続けるものなのだろうか。魔術の訓練時魔力切れに陥ったリアの場合でも、翌朝には普段通り目覚めていたはずだ。
とはいえ、ぼく自身が聖域での出来事のあと眠りこくっていたこともある。まだ判断するのは早いのかもしれないけど――。
「まあ、もう暫く様子を見るしかないわね。夕方になっても起きないようじゃ、考えないといけないかもしれないけど」
「そうですね……」
レティさんの言う通り、もう少し様子を見た方がいいかもしれない。ただ夕方までとなると、王都でもう一泊することにはなってしまうけど。こればかりは仕方ないだろう。
それから、レティさんには念話のことについて尋ねられた。どうして離れていたエリネと意思疎通ができていたのか、と。隠しても仕方がないので、エリネとは心の中で会話ができるということを説明した。
それを聞いたレティさんは驚きを隠さなかった。そんなものは聞いたことがない、とのことだ。あまり深くは考えていなかったけど、念話が魔術でも精霊術でもないのは何となく分かっていた。レティさんと話した結果、精霊であるエリネだからできるんだろうという結論になった。ぼくも原理は分からないし、肝心のエリネがこの状況だからそれ以上は分からなかったのだ。
念話の話題が落ち着いたところで、レティさんが一つ溜息。
「それにしても、昨日は大変だったわね」
「あはは……。あそこまで騒ぎになっているとは思いませんでした」
確かに、あのあとは宿に戻るまで一苦労だった。
上に結果を報告するといち早く抜けたラッカスさんを除いて、レティさん他宮廷魔術師の皆とともに王都の中へ戻ったのだけど。いつもの喧騒というよりは何が起こったんだという雰囲気だった。よく考えてみれば、多少街から離れていたとはいえあれだけの爆発を起こしてしまったのだから、仕方もないことだった。きっと街中に爆発音が響いたに違いない。
人の波を掻い潜り、宮廷魔術師団の詰所まで向かう途中の出来事。
王都内を警護する衛兵の詰所にはいったい何が起こったのか、もしかして敵襲なのかと状況を聞きに来た街の人々でごった返していた。しかし衛兵たちも何も聞かされていなかったようで、暫くパニック状態に陥っていたようだ。
じきに王宮からの指示が衛兵たちへ伝達された。それを元に『巨大な魔獣が出現し、一般人が襲われていたところを宮廷魔術師団が救助、ならびに魔獣の退治を行った』という発表がされ、それを聞いた人々は散って行ったようだ。
電気という文明がない以上放送マイクのような設備も当然ないため、情報は伝聞でしか伝わらない。ただ、翌日の昼には王都中に内容が行き渡るだろうとのことだ。
その後は宮廷魔術師団の詰所から、なんとか宿まで戻ったというところだ。途中の視線がいつも以上に気になった。それが悪いものではない気はしたのだけど。
『発表』には少し偽りがある。ぼくたちが救助したのはただの市民ではない。
レティさん曰く、馬車に乗っていたのは国王の第二王女らしい。しかも一人でいたようだった。
「え、王女……? ……なんで夜に、あの場所にいたんですか?」
レティさんからの情報に対し、ぼくは疑問に思ったことを尋ねる。第二王女っていう立場はよくわからないけど、王女と肩書きが付いているような人が、あの時間に一人で出歩いていいものなのだろうか。
「本当は内々の話なんだけど……。第二王女は昔から出歩き癖があって、皆困ってるのよ。ただ今回の件で怖い思いをしたはずだから、少しは懲りるといいのだけど」
話を聞く限りだと、今回のような抜け出しは過去に何度もあったようだった。そんな頻繁に抜け出されるとか、警備はどうなっているんだろう。
どうやらその第二王女は賢いようで、厳重な警備の目を掻い潜って抜け出すらしい。
ただレティさんが第二王女を保護したとき、怯えきっていた様子だったそうだ。護衛の人に引き渡すときも、素直に応じていたらしい。
生死に関わる出来事を経験したのだから、怯えてしまったのは仕方がないのかもしれない。
街の人々に向けた公報では、『第二王女』とはせずに一市民としたようだ。本当のことを書いたら、なんで第二王女が一人で出歩いていたんだという話になる。
「もう少しタイミングが遅かったら第二王女の命が危なかった訳だから、今回の救助は大きな功績になると思うわよ。とくにエリーちゃんとエリネちゃんの活躍が、団長から国王に伝わってるらしいわ」
「え……」
「もしかしたら国王から褒賞とか戴けるかもしれないわね」
「……」
レティさんの話を聞いて、またしても穏やかに目立たず過ごそうと思っていたこととが逆行する行動を取っていたことに気付く。ぼくのことが国王にまで伝わってしまうだなんて――。エリネが元に戻ったときが本当に苦労しそうだ。
仕方が無い展開だったとはいえ、エリネには悪いことをしてしまった。
けれど、やってしまったことはどうしようもない。エリネにはどうにか頑張ってもらうしかない。そのためにも――。
「そ、それよりもエリネが目を覚まさないと……」
「まあ、そうね……。確認だけど、怪我をしていたりする訳じゃないわよね」
「はい、見た感じおかしなところはないですし……。治癒も試したんですけど、効果がなかったんです」
ぼくの治癒が効かない以上、エリネの体で治すべき箇所はない。
もしかしたら何らかの病気に罹っているという可能性もあるけど、精霊という特殊な種族のため人やエルフと比較することができない。
けれど、精霊が病気に罹るのかどうかすらも分からない。
「困ったわね……。精霊のことを診られる人だなんてまずいないし……」
そう話すレティさんに、ぼくはどうしたものかと考え込む。
ふと、ヴィーラさんの顔が思い浮かんだ。けどヴィーラさんは精霊そのものに興味はあるけど詳しくはないと言っていた。仮に聞きに行ったとしても期待に沿う答えは得られないだろう。
そうなると、聖域へ行って聖樹に尋ねてみるという方法しかない。まあ、元々聖樹と話をするつもりではあったのだけど。エリネを精霊に移したのは聖樹らしいから、きっと精霊のこともよく分かっているはずだ。
聖域は濫りに入る場所ではない、と長老から言われている。一旦テレスへ戻って、長老に確認を取る必要があるだろう。
まあそうなる前に、エリネが目を覚ましてくれればいいんだけど――。
けれど、ぼくのその期待は裏切られることとなった。ついにその日、エリネが目を覚ますことはなかったのだった。
次話は7日(月)の予定です。
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